3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

2章:公爵邸をでようかしら? - 5 -

 秋が深まる頃、エイミーは公爵邸にアン・ホーリーを招待した。
 アンは、前後を銀色の護衛単駆動車に守られながら、流行りの浮遊四輪馬車でやってきた。白亜の車体に黄金の縁取りが施された優美な馬車は、陽光を浴びて煌めいている。
 玄関で出迎えたエイミーは、馬車の扉が開き、小さな階段をおりるアンを見た瞬間、いてもたってもいられず駆けだした。
「アン!」
 目があうと、アンの表情もぱっと輝いた。くちびるの動きで、エイミーといったのが判った。
「会えて嬉しいわ! アン、よくきてくれたわね」
「わ、わ、私も、嬉しい。エイミー、お、お招き、あ、ありがとう」
 アンは吃音まじりにいった。小鳥のさえずりのような声だ。
 ずっと魔導通信鏡超しに顔をあわせていた親友と、ようやく会うことができた。背丈はエイミーと同じくらいで、長くまっすぐなミルクティー色の髪に、琥珀の瞳をした、妖精のような美少女である。 
 義母も傍までやってきて、少し腰をかがめて、アンにほほえみかけた。
「アン・ホーリー、ようこそいらっしゃい。エイミーの義母のオリヴィアです。会えてとっても嬉しいわ」
「こ、こちらこそ、お会いで、できて、光栄です」
 アンは淑女らしく、ドレスの裾を詰まんでお辞儀した。吃音を抑えようとして少し早口になったが、ちゃんと聞き取れる。
「エイミーから、あなたの話をよく聞いているのよ。娘と仲良くしてくれて、ありがとう」
 義母は碧眼を細めると、アンの両手をそっと握った。照れて俯くアンを見て、不自然ではない間をおいてから手を放し、静かに身を引いた。
 アンがちらりと後ろを見ると、スッ……と心得たようにおつきのメイドが、リボンの結ばれた小さな籠をさしだした。
「これを、どうぞ。季節の茶葉です」
 アンはメイドから受け取った籐の籠を、義母にさしだした。
「まぁ、ありがとう。嬉しいわ」
 義母は大切そうに両手で受け取り、傍に控えているマイヤ夫人に渡すと、軽く指示をだした。それから問いかけるようにエイミーを見た。社交力のかたまりのような人だが、自分がいては、内気なアンが気後れすることを義母は理解している。だから様子を見て、席を外した方が良さそうならそうすると事前に打ちあわせていた。エイミーはにっこり笑顔で頷く。アンとふたりで大丈夫。
「エイミー、アンをサンルームに案内してあげて」
 義母はエイミーにウィンクしてみせた。
「はい、お義母さま」
 エイミーは楚々として答えると、笑顔をアンに向けた。
「案内するわ、アン」
 歩きだそうとするエイミーとアンに、義母が声をかけた。
「お茶会を楽しんでね。また後でお会いしましょう」
 アンは頬を赤くして頷いている。
 廊下を歩きながら、エイミーはアンを見つめた。
「アンのドレス、かわいい。アンの雰囲気にぴったりね」
 淡いラベンダー色の優美なAラインのドレスで、軽やかに揺れる裾には波のようなスカラップの縁取り。襟元に可愛らしいリボンが結ばれ、アンの柔らかい笑顔を引き立てている。胸元には金色のボタンがきらりと光り、清楚で可憐で気品があり、まるで絵本から飛びだしてきたお姫様のようだ。
 エイミーの言葉に、アンは赤くなって俯いた。
「ぁ、ありがと……エイミーも、か、かわいいわ」
「ありがとう」
 エイミーは指先で軽くスカートの裾を摘み、くるっと回ってみせた。重厚感のあるベルベットが、ふんわりと広がる。
 今日も深い黒を基調とした、エイミー定番のゴシック・スタイルだ。クラシカルなシルエットだが、襟元は白いフリルが幾重にも重なり、少女らしさを演出している。
 普段から好きな恰好をしているエイミーだが、自分では着ない愛らしい衣装を見るのも好きだった。美少女のアンと並んで歩いていると、それだけで気分が明るくなる。
 公爵邸には素敵なサンルームが三つもあり、エイミーは西棟にある、森に一番近いサンルームに案内した。
 硝子張りの温室に、木々にされた陽光が優しく射しこみ、緑の植物がその光を受けて煌めいている。仄甘い香りは、天井から吊りさげられた円環照明にからまる、可憐な蔓薔薇だ。
「こちらへどうぞ。私とアンのふたりきりだから、遠慮しないでね」
 内気なアンが寛げるよう、温室は人払いしてある。数人の使用人は控えているが、視界に映らない配置だ。
 優雅に装飾された硝子の丸テーブルには、レースのクロスがかけられ、色とりどりの果実や小さな焼き菓子が盛られた硝子の菓子鉢ケーキドームが置かれている。ホールのケーキもあり、薄切りにされた赤い林檎と紫色の無花果が美しく並べられていて、焼きあげられた果物の表面は艶やかに光り、蜂蜜の琥珀色の輝きが目を引きつける。
「す、素敵な温室ね」
 席についたアンが感動したようにいった。エイミーはにっこりする。
 粛々と給仕するメイドはしんとしているが、この日のために、彼女たちは張り切って準備してくれた。エイミーが個人的に友人を招待するのは、今回が初めてだ。日頃からアンの話をよくしているので、邸の人間は皆アンのことを知っていた。
「アン、この紅茶とてもいい香りね。どこで見つけたの?」
「……えっと、おっ、お母様が、おすすめしてくれた……ところの……あの、特別なブレンドなの」
 アンは、微笑みながら硝子のティーカップを手に取り、薄紫色のドレスの袖をそっと整えた。彼女の囁くような声には、自然と優しさが滲んでいる。
「そうなのね。すっきりした味わいで、甘いお菓子にもよくあうわ」
 ケーキは、林檎の甘酸っぱさと無花果の濃厚な香りが絶妙に混ざりあい、ひと口ごとに秋そのものを味わわせてくれる。ケーキの甘さに、爽やかなオレンジと檸檬、梨のフルーツ・ティーがよくあう。
「こういうお茶会に、ずっと憧れていたの」
 エイミーの言葉に「私も」とアンは同意した。アンは、鞄からそっと包みをとりだし、あのね、と遠慮がちにエイミーに渡した。
「これ……つ、作ったの」
「私に?」
「ええ。ぅ、う、受け取ってくれる?」
「ありがとう!」
 エイミーは笑顔で包みを受け取った。なかには、レースのヘッドドレスが入っていた。繊細なボビン・レース。白雪、生成り、色々な白が織り重なり、銀糸と真珠があしらわれている。ロマンティックでゴシック・ドレスにもあいそうだ。
「わぁ、綺麗……もしかして、アンが作ったの?」
「ええ」
 アンの頬が淡い桜色に染まる。
「すごく嬉しい! ありがとう」
「そ、そう?  良かった」
「本当に手先が器用ね、すごいわ」
「そんな……本当は、た、た、誕生日プレゼントに渡そうと、思って。でも、こ、困らせたら、どうしようかと……」
「困らないよ! すごく嬉しい。 アン、これならお店でも売れるよ」
 エイミーは満面の笑みを浮かべて太鼓判を押した。
「あ、ありがとう」
 アンは嬉しそうに笑ったあと、長いまつげをそっと伏せた。
「た、誕生日のパーティー、い、いけなくて、ごめんなさい。わ、私、こんなだから……」
 固く握りしめられたアンの手を、エイミーは両手で握りしめた。
「お祝いのカードも、星霊の結晶も嬉しかったわ。結晶は窓に飾っていて、おかげで毎日ぐっすり眠れるのよ」
 アンは、世界的大企業、オラクル・コードの令嬢だ。オラクル一族は星視を得意とし、その能力を活かして情報解析・未来予測を各方面に提供している。善霊皆来ぜんれいかいらい、悪霊退散の祈願・祈祷にも長けており、アンのくれた星霊の結晶はドリーム・キャッチャーのように、悪夢を追い払う効果があるものだ。
「私もね、大勢に社交辞令をいわれたり、いったりするパーティーより、アンとふたりでお茶会する方がずっといいわ」
「わ、私も……っ」
 琥珀の瞳が一瞬エイミーを見つめ、それから慌てて逸らされる。吃音のある彼女がエイミーの快活さに触れるたび、その声が少しずつ弾むのがわかる。ふたりの間に流れる空気は、どこか姉妹のような優しいものだった。
「この後、良かったら秘密基地にいってみない?」
 エイミーの提案に、アンは目を輝かせた。
「ぜひ、いきたいわ。ちゃんと、な、な、長靴を履いてきたの」
 エイミーが日頃から森の話を聞かせているので、アンは秘密基地に憧れを抱いていた。そのつもりで準備してきてくれた友達を見て、エイミーは笑顔になった。
 森へいく前に、義母にウィスプで報告すると、
<今日はアンも一緒なのだから、遠くへはいかないでね。火も使っちゃダメよ。何かあればウィスプで連絡してちょうだい。離れたところに護衛も待機させてあるから>
 と、制約はあるものの許可がおりたので、エイミーはアンと一緒に森に向かうことにした。ふたりともケープコートを纏い、長靴を履いている。エイミーはさらに、小道具の入った鞄を持って。
 なお、邸の人間は、エイミーの秘密基地についてとっくに把握している。それでもエイミーの意思を尊重して、近づこうとはしない。
 森へ向かう途中、いつものようにロージーが駆け寄ってきた。アンがびっくりしているのを見て、エイミーはロケットみたいに飛んでくるロージーを手で制した。
「お行儀良くしてね。アンに飛びついたりしたらダメよ」
 わふっ! ロージーはお行儀よく返事した。尻尾ははちきれんばかりに振れているが、その場にお座りをして、アンを守ろうとするエイミーの仕草をきちんと理解していた。
「こ、この子、ロージーね」
 アンは嬉しそうに笑った。森の話は、しょっちゅう彼女に聞かせているので、名前だけはアンも知っていた。
「そう、よろしくね。ロージー、この子はアン。私の大切なお友達」
 紹介されたアンは、くすくすと笑っている。
「は、はじめ、まして」
 そ~っと頭を撫でるアンの手を、ロージーはじっと動かず受け入れた。これでふたりはもう友達だ。
 錦に彩られた秋の森は、風が木々を撫でるたびにさらさらと音を立て、金と赤の葉がひらひらと舞い降りていた。
 森の奥に隠された秘密基地――エイミーのとっておきの場所に到着すると、アンは琥珀色の瞳を輝かせた。
「これが、も、森の主……本当に、お、大きな樹ね」
 アンは大樹を仰ぎ見て、わ~……と感嘆のため息を漏らしている。
 紅葉する森のなかで、常緑樹の森の主だけは深い緑色の葉を揺らしている。さわさわ、葉擦れの音が歓迎しているみたいだ。
 エイミーは天幕から折り畳み式の木製テーブルを持ちだすと、外で組み立てた。クロスをかけた傍から、どこからか、風に吹かれた落ち葉が舞い落ちる。
 エイミーはテーブルのうえに落ちた葉を指でつまみ、アンを見つめた。
「落ち葉で絵を描こうと思うの。道具は用意してあるから、アンも一緒にやろう」
「……? ええ」
 不得要領ふとくようりょうのままに、アンは頷いた。
 ふたりは木の根元に散らばる葉を拾い始めた。エイミーは赤、黄色、橙、茶色の落ち葉、木の実、枝を選び、アンもその動きにあわせる。どちらの声も弾み、秋の森に小さな笑い声が響き渡る。
 拾い集めた素材をテーブルに広げると、持ってきた鞄から、画用紙や糊などの小道具を取りだした。
「鋏もあるから、切り取ってもいいのよ。こんな風に」
 エイミーは落ち葉を花瓶の形に切り抜くと、画用紙の中央下に糊で貼りつけた。そこに黄色い銀杏の葉を配置していく。
「す、素敵ね」
 アンは琥珀の瞳に閃きを灯すと、茶色の落ち葉を選別し、画用紙に貼り始めた。その表情は真剣そのもので、指先に糊がつくのも気にしない。彼女には職人気質なところがあるのだ。
 エイミーは秋の生け花を完成させると、ちらりとアンの手元を見て、ほほえんだ。
ふくろうね」
 アンはにこっとした。小さな丸い葉を丁寧に重ねて、ふくろうの目を表現している。
「かわいいね。私は、次はドレスを描こうかな」
 そういってエイミーは、新しい画用紙を広げると、鉛筆でドレス姿の女性をかたどった。広がるスカートに、黄色や深紅の葉を貼りつけていく。テーマは森の夕焼けを映したドレスだ。
「私もできた。次は、切り絵にしたいわ」
 アンは弾んだ声でいうと、鋏を器用に操り、落ち葉を、ティーポットの形に切り抜き始めた。
 間もなくふたりは、できあがった作品を並べて、満足そうにほほえみあった。
「素敵ね。まさしく芸術の秋だわ」
 エイミーの言葉に、アンは琥珀色の瞳を細めた。
「ええ、芸術ね。た、楽しいわ。落ち葉で、こんなふ、風に、絵を描くなんて……初めて。とても、素敵」
 ふたりの画用紙は、秋の森の豊かな彩りを映している。落ち葉で作られた草花や動物、ドレスの女性、お茶会の様子が色彩豊かに描かれ、まるで森の記憶をそのまま閉じこめたかのようだ。
「これ……へ、部屋に、飾ってもいい?」
 おずおずとアンが訊いた。
「もちろんよ。私もしばらく飾っておこうかな」
「ふたつとも?」
 アンはエイミーの二枚の絵を見て、訊ねた。
「こっちは、お義兄さまに送ろうと思って」
 落ち葉を花瓶の形に切り抜いて、銀杏の葉をいけた絵の方を、エイミーは指さした。
「エ、エミリオ様に?」
 アンは驚いた様子で訊ねた。
「うん、前に手紙を書いてもいいって、許可を頂いたの。秋の森の風情をおすそ分けしたいわ」
「そ、そうなの……す、素敵ね」
 アンは俯いて、もじもじしている。うん? とエイミーが小首を傾げると、アンは勇気をだしたように顔をあげた。
「わ、私も、エイミーの絵、ほしい」
 エイミーは胸がキュンとした。
「もちろんよ! アンのためにもう一枚作るね。私もアンの作ったティーポットを一つもらっていい? このドレスの女性の傍に飾りたいわ」
「うん、うん」
 アンは嬉しそうに頷いたあと、はっとした顔になった。
「待って、も、もっと、綺麗に作るから。少し、な、慣れてきたと思う」
 それからしばらく、ふたりとも手作業に熱中して無言になった。完成すると、ふたりは笑みを交わしながら、できあがった落ち葉の作品を交換した。
 エイミーはあとで便箋にも落ち葉を貼ろうと思い、何枚かひろった。持ち帰ろうとするエイミーを見て、アンは私も、といいだした。
「持って帰ってもいい?」
「もちろんよ」
「あ、ありがとう」
 エイミーはおかしくなって笑った。
「だけどアン、わざわざここで拾わなくても、あなたの邸宅にも落ち葉はたくさんあるでしょう?」
「うん……でも、今がいい。こ、この森の、落ち葉がほしいの」
「なら、いくらでも拾ってちょうだい」
 ほほえましい気持ちで、エイミーは頷いた。
 少し冷えてきたので火をおこしたいが、義母に禁じられている。名残惜しいが、ふたりは公爵邸に戻ることにした。時間もちょうどいいので、アンはそのまま帰ることになった。
「きょ、今日は、ありがとう。す、すごく楽しかったわ」
 玄関ホールで、アンは嬉しそうに、そして少し寂しそうにいった。
「私もよ、アン。また遊びにきてね」
 エイミーがアンの手をとっていうと、彼女も、きゅっと握りしめ返した。
「ええ、きっと。こ、今度は、わ、私の邸に招待したいわ」
「楽しみにしているわ」
 エイミーは笑顔で頷いた。
 馬車に乗ったアンは、純白のレースが揺れる小窓から顔をのぞかせると、小さく手を振った。馬車の車輪が音もなく滑らかに動きだす。
「またね、アン」
 エイミーは名残惜しい気持ちで手を振り返した。
 アンは、遠ざかりながら手を振っていた。夕日が彼女の輪郭を金色に縁どり、やがて光のなかに溶けこむと、その表情も見えなくなった。
 一歩引いて見守っていた義母が隣にやってきて、優しく肩を抱き寄せられた。
「素敵なお友達ね」
「うん。自慢の友達なの」
 エイミーは義母に頬を寄せて頷いた。
 その日の夜、エイミーは、エミリオに初めての手紙を書いた。森で作った秋の絵と、短い言葉を綴って。

“お義兄さま、お元気ですか? 秋の森が綺麗だから、少しでも見せたくて作りました。エイミー”

 封筒もまた、小さな落ち葉で飾りつけた。アンティークな金色の封蝋をして、赤い糸を便箋に結んだ。
 投函した次の週には、エミリオからウィスプで返事がきた。
 月影寮の、彼の個室から撮った映像つきで、紅葉するアカシアの梢と、美しい夕日が映されていた。それから、飴色の机のうえに、エイミーの送った手紙と秋の絵が広げられていた。

“秋を教えてくれてありがとう。ラドガ湖の森を思いだしました。僕も、部屋の窓から見える秋の光景を送ります。エミリオ。

 返事を見たエイミーは、胸がじーんと暖かくなるのを感じた。
 すぐに返事をくれたことも、エミリオの寮生活が垣間見えたことも嬉しい。ちらっと写された机に、エイミーの手紙が広げられていたことも。思いが、彼に届いたみたいで嬉しかった。