奇跡のように美しい人
4章:聖杯 - 6 -
アディールに戻ってから、三ヵ月。
限られた時間をレインジールの傍で過ごしながら、佳蓮は愁嘆を表に出さぬよう、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
けれど、隠しきれない悲壮感が滲んでいるのか、レインジールは茶会を開くよう勧めてきた。
気分転換をしたらどうか、と……
どうしようか迷っているところへ、キララから素敵な贈り物が届いた。
数種類もの高級茶葉に、市場ではなかなか手に入りにくい、珍しい砂糖や香辛料。彼女らしい、気の利いた品々だ。
いい機会だと思い、佳蓮は時計塔にキララを招待することにした。
返事はすぐにきた。二人は出会って以来初めて、十年の月日を経て、二人きりのプライベートな紅茶会を催すことにした。
約束の日。
黒いドレス姿で現れたキララは、相変わらずふくよかで、平凡な容姿をしているが、艶めかしい雰囲気を全身に纏っていた。
一方の佳蓮は、出会った頃から少しも姿が変わらない。
互いの姿を視界に映して、流れた月日を想い、それぞれ胸に感慨深いものを抱いた。
「ハスミ様、お身体はもう平気ですの?」
気遣かわしげに訊ねるキララを見て、佳蓮はほほえんだ。
「ありがとうございます。もうすっかり元気になりました」
「そうですの。東洋から仕入れた花茶を持って参りましたの。差し上げますわ」
「わぁ、ありがとうございます!」
エキゾチックな茶缶を見て、佳蓮は表情を綻ばせた。
「どういたしまして」
「先日いただいた茶葉も、美味しくいただいています。ありがとうございました」
今飲んでいる紅茶も、キララからもらった品の一つだ。すっきりとした味わいの、華やかな薔薇の紅茶である。
互いの近況を一通り話し終えて、少し間が空くと、キララは躊躇うように口を開いた。
「……訊いても良いかしら?」
「はい?」
「ハスミ様はメビウス卿のどこに惹かれていらっしゃるの?」
「え?」
「気を悪くされたなら、謝ります。ただ不思議でしたの。誰もがハスミ様に夢中なのに、貴方はあの方だけをお慕いしているようですから」
「謝ることはありません。本当のことです。私はレインジールに首ったけなんです」
にっこりほほえむと、キララは瞳を丸くして、まぁ! と素直な声をあげた。
「彼のどこに、それほど惹かれたのですか?」
「全部です。天使のような容貌も、銀色の髪も、優しい声も、性格も、趣味も合うし、彼みたいな人はどこにもいないと思います」
「……流石ですわね。非凡というか、超越した感性をお持ちですのね」
感心した風に頷くキララを見て、佳蓮は笑った。
「レインがいなければ、今頃こうして、紅茶を飲んでいることもなかったと思います。彼は私を暗闇から救いあげて、光の下に連れ戻してくれました。誰がなんといおうと、私にとってレインは天使なんです」
「ハスミ様にそこまで想われて、メビウス卿は幸せですわね」
「彼に出会えた私の方が、幸せなんですよ」
はにかむ佳蓮を見て、キララはびっくりしたような顔をした。
「……驚きましたわ。そんな風に、心を打ち明ける方だとは思いませんでした」
「そうですか?」
「こういっては失礼ですが、貴方は万人にほほえむのだろうと思っていました。特定の誰かに心を注ぐことはないのだと……」
「私はそこまで優しくありませんよ。苦手な人だっていますし……レインは特別なんです」
不思議そうに、キララは首を傾けた。
「シリウス皇太子殿下にはつれない態度をお取りになるのに、メビウス卿にはそのようなお顔をされるのですね」
「人の好みはそれぞれですよ」
「そうですわね……」
「おかしいでしょうか?」
「いいえ、少しも。ただ、以前とは、印象がお変わりになりましたね」
「昔は、いろんなことに気付けませんでした。がっかりさせてしまいましたか?」
「そうですわね。以前の方が、自信に満ちていらしたかしら?」
少しばかりショックを受ける佳蓮を見て、キララは口元を扇で覆った。
「わたくしが、いじめているみたいじゃありませんか。ハスミ様が年頃の娘に見えて困ります」
「ごめんなさい、後ろ向きな性格をしているんです」
「まぁ、女神ともあろう方がご自分でおっしゃるの? 誰に脅かされることもないのですから、堂々としていらっしゃればいいのよ」
「そうですね。キララ様を見習いたいです」
「嫌な女だと思っていらっしゃるのでしょう?」
「まさか。ずっと、こんな風にゆっくりキララ様と話してみたいと思っていたんですよ」
疑い深そうに見つめられて、佳蓮は苦笑を浮かべた。
「本当ですよ。キララ様は私を全肯定しないから、話していて気が楽なのです。レインですら最初は盲目過ぎて、私の落ち込みやすさに気付けなかったのですから」
キララは未知なる者と遭遇したような表情を浮かべた。
「……そうですの?」
扇子で口元を覆うキララは、素っ気ない口調で返したが、瞳には喜びの光が灯っている。
ここ最近の落ち込みを払拭したくて、キララを茶会に誘ったのだが、思った以上に良い気分転換になった。今なら、彼女と良好な関係を築いていけそうな気がする。
「私、友達と呼べる人がとても少ないのです。良ければ、これからも仲良くしてくれると嬉しいです」
「まぁ、おかしな方! 私はすっかり嫌われていると思っていましたのに」
「誤解ですよ。私は、キララ様の潔い性格も、お洒落上手なところも、素敵な茶会を開いてくだるところも好きですよ。仲良くなりたいと、以前から思っていました」
胸中を明かすと、キララは小さく眼を瞠って、口元を扇子で覆い隠した。
「それに、わざわざ嫌いな人と二人で、紅茶を飲んだりしませんよ」
悪戯っぽく笑う佳蓮を見て、キララも瞳を和ませた。それもそうね、嘯 いて声に出して笑う。佳蓮も愉快な気持ちで、一緒になって笑った。
限られた時間をレインジールの傍で過ごしながら、佳蓮は愁嘆を表に出さぬよう、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
けれど、隠しきれない悲壮感が滲んでいるのか、レインジールは茶会を開くよう勧めてきた。
気分転換をしたらどうか、と……
どうしようか迷っているところへ、キララから素敵な贈り物が届いた。
数種類もの高級茶葉に、市場ではなかなか手に入りにくい、珍しい砂糖や香辛料。彼女らしい、気の利いた品々だ。
いい機会だと思い、佳蓮は時計塔にキララを招待することにした。
返事はすぐにきた。二人は出会って以来初めて、十年の月日を経て、二人きりのプライベートな紅茶会を催すことにした。
約束の日。
黒いドレス姿で現れたキララは、相変わらずふくよかで、平凡な容姿をしているが、艶めかしい雰囲気を全身に纏っていた。
一方の佳蓮は、出会った頃から少しも姿が変わらない。
互いの姿を視界に映して、流れた月日を想い、それぞれ胸に感慨深いものを抱いた。
「ハスミ様、お身体はもう平気ですの?」
気遣かわしげに訊ねるキララを見て、佳蓮はほほえんだ。
「ありがとうございます。もうすっかり元気になりました」
「そうですの。東洋から仕入れた花茶を持って参りましたの。差し上げますわ」
「わぁ、ありがとうございます!」
エキゾチックな茶缶を見て、佳蓮は表情を綻ばせた。
「どういたしまして」
「先日いただいた茶葉も、美味しくいただいています。ありがとうございました」
今飲んでいる紅茶も、キララからもらった品の一つだ。すっきりとした味わいの、華やかな薔薇の紅茶である。
互いの近況を一通り話し終えて、少し間が空くと、キララは躊躇うように口を開いた。
「……訊いても良いかしら?」
「はい?」
「ハスミ様はメビウス卿のどこに惹かれていらっしゃるの?」
「え?」
「気を悪くされたなら、謝ります。ただ不思議でしたの。誰もがハスミ様に夢中なのに、貴方はあの方だけをお慕いしているようですから」
「謝ることはありません。本当のことです。私はレインジールに首ったけなんです」
にっこりほほえむと、キララは瞳を丸くして、まぁ! と素直な声をあげた。
「彼のどこに、それほど惹かれたのですか?」
「全部です。天使のような容貌も、銀色の髪も、優しい声も、性格も、趣味も合うし、彼みたいな人はどこにもいないと思います」
「……流石ですわね。非凡というか、超越した感性をお持ちですのね」
感心した風に頷くキララを見て、佳蓮は笑った。
「レインがいなければ、今頃こうして、紅茶を飲んでいることもなかったと思います。彼は私を暗闇から救いあげて、光の下に連れ戻してくれました。誰がなんといおうと、私にとってレインは天使なんです」
「ハスミ様にそこまで想われて、メビウス卿は幸せですわね」
「彼に出会えた私の方が、幸せなんですよ」
はにかむ佳蓮を見て、キララはびっくりしたような顔をした。
「……驚きましたわ。そんな風に、心を打ち明ける方だとは思いませんでした」
「そうですか?」
「こういっては失礼ですが、貴方は万人にほほえむのだろうと思っていました。特定の誰かに心を注ぐことはないのだと……」
「私はそこまで優しくありませんよ。苦手な人だっていますし……レインは特別なんです」
不思議そうに、キララは首を傾けた。
「シリウス皇太子殿下にはつれない態度をお取りになるのに、メビウス卿にはそのようなお顔をされるのですね」
「人の好みはそれぞれですよ」
「そうですわね……」
「おかしいでしょうか?」
「いいえ、少しも。ただ、以前とは、印象がお変わりになりましたね」
「昔は、いろんなことに気付けませんでした。がっかりさせてしまいましたか?」
「そうですわね。以前の方が、自信に満ちていらしたかしら?」
少しばかりショックを受ける佳蓮を見て、キララは口元を扇で覆った。
「わたくしが、いじめているみたいじゃありませんか。ハスミ様が年頃の娘に見えて困ります」
「ごめんなさい、後ろ向きな性格をしているんです」
「まぁ、女神ともあろう方がご自分でおっしゃるの? 誰に脅かされることもないのですから、堂々としていらっしゃればいいのよ」
「そうですね。キララ様を見習いたいです」
「嫌な女だと思っていらっしゃるのでしょう?」
「まさか。ずっと、こんな風にゆっくりキララ様と話してみたいと思っていたんですよ」
疑い深そうに見つめられて、佳蓮は苦笑を浮かべた。
「本当ですよ。キララ様は私を全肯定しないから、話していて気が楽なのです。レインですら最初は盲目過ぎて、私の落ち込みやすさに気付けなかったのですから」
キララは未知なる者と遭遇したような表情を浮かべた。
「……そうですの?」
扇子で口元を覆うキララは、素っ気ない口調で返したが、瞳には喜びの光が灯っている。
ここ最近の落ち込みを払拭したくて、キララを茶会に誘ったのだが、思った以上に良い気分転換になった。今なら、彼女と良好な関係を築いていけそうな気がする。
「私、友達と呼べる人がとても少ないのです。良ければ、これからも仲良くしてくれると嬉しいです」
「まぁ、おかしな方! 私はすっかり嫌われていると思っていましたのに」
「誤解ですよ。私は、キララ様の潔い性格も、お洒落上手なところも、素敵な茶会を開いてくだるところも好きですよ。仲良くなりたいと、以前から思っていました」
胸中を明かすと、キララは小さく眼を瞠って、口元を扇子で覆い隠した。
「それに、わざわざ嫌いな人と二人で、紅茶を飲んだりしませんよ」
悪戯っぽく笑う佳蓮を見て、キララも瞳を和ませた。それもそうね、