メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

1章:古代神器の魔法 - 15 -

 空母から離れるに従って、空気は冷たくなり、風は吹き荒れた。苦しみも何も感じずに、今度こそ天国へ行きたい。

『――アスカッ!!』

 瞳を開けると、ルーシーがフェンスを蹴る姿が映った。

「えっ!?」

『*******!』

“馬鹿!”

 ルーシーは躊躇いもなく飛び降りた。飛鳥に向かって手を伸ばす。

『アスカ!』

“手を取れ!”

 ルーシーの剣幕に押されて、飛鳥は反射的に手を伸ばした。飛鳥に追いついたルーシーは、突き出した飛鳥の右腕を掴んで、胸の中に力強く引き寄せた。

「ルーシーッ!!」

 信じられない。どうするつもりなのだ。
 視界に映る、空母はどんどん遠ざかっていく。二人はもはや弾丸のように下へ下へと落下していた。吹き荒ぶ台風に弄ばれているようだ。
 こんなつもりではなかった。ルーシーを巻き込むつもりは無かったのに。このままでは、二人共死んでしまう。

“手間をかけさせる!”

「ごめんなさいっ」

 焦燥で心臓が破れそうだ。ああ、でも。ルーシーだけでも助けなくては――。
 果てのない空を落下しながら、必死に魔法の知識を探った。
 膨大な知識を無我夢中で漁っていると、今更解呪の魔法を見つけた。けど、今欲しいのはその魔法じゃない。焦っていると、空を切る音が聞こえてきた。
 ルーシーの背中越しに、前後にローターを持つホバーバイクのような機体が見える。操縦士の姿はない。無人だ。それは猛スピードで、落下する飛鳥達を追いかけてきた。

『*********』

“大人しくしてろ”

 ルーシーは器用に、垂直に落下する機体に並んだ。落下しながら乗るつもりかと思ったら、薄い虹色の膜に覆われて落下は止まった。まるでシャボン玉の中にとじこめられたようだ。
 機体は水平になり、飛鳥はルーシーの手を借りて後部座席に跨った。ルーシーは操縦席に颯爽と跨る。
 ルーシーは体勢を確認すると、ゆっくり上昇を始めた。風の抵抗は殆ど感じない。

“やれやれ……”

「ごめんなさい……」

 小声で謝ると、ルーシーは振り返り、ジロリと飛鳥を睨んだ。当たり前だが、相当怒っている……。
 ルーシーに魔法をかけてから、こんなに荒い言動を見るのは初めてだ。




 滑走路に戻ってくると、大勢の兵士が集まっていた。突き刺さるような視線が飛鳥に集中する。

“無事らしい”

“何で落ちた?”

“飛び降りたのか?”

“人騒がせな……”

 当然だが、彼等は飛鳥に対して、厳しい感想を抱いていた。中には無事を知って安堵する者もいるが、概ね「やれやれ」といった思考が多い。いたたまれなくなって、彼等の思考を読むのを止めた。
 項垂れていると、有無を言わさずルーシーに片腕で抱き上げられた。降りようとすると、じっとしていろ、と言わんばかりに睨まれる。ルーシーが怖い。そのまま第四甲板に降りて、最初に連れてこられた隔離室に戻された。
 ルーシーは部屋の扉を閉めると、威圧的に飛鳥を見下ろした。

『アスカ』

 名前を呼ばれて仕方なく顔を上げると、ルーシーは怖い顔で睨んでいた。

「ごめんなさい」

『*********?』

“なぜ飛び降りた?”

「ごめんなさい……」

 泣きたくなかったけど、勝手に視界が潤んだ。顔を伏せて乱暴に涙を拭うと、ルーシーに腕を掴まれた。

『***、********……』

“古代神器を知っている?”

 もう誤魔化す気力もない。
 頷いた拍子に、ポロポロと涙が零れた。ルーシーは指が涙で濡れるのも構わず、俯こうとする飛鳥の頬を上向かせた。涙に濡れた飛鳥の目を、青い瞳でじっと見つめる。

“言葉は判らない?”

 今度も素直に頷いた。

“……言葉にしなくても、考えていることが判る?”

 飛鳥は目を見開いた。そういえば、さっきからルーシーは質問を声に出していない。無意識に、彼の心の声に対して答えていたらしい。
 ルーシーは狼狽える飛鳥を注意深く見つめている。確信に満ちた眼差しを見て、取り繕っても無駄であることを悟った。

「ごめんなさい、ずっと心を読んでいました……」

 ルーシーは頷くと、今までよりも格段にはっきりした思考で問いかけた。

“アスカ、私に古代神器の魔法を使いましたか?”

 ついに知られてしまった。

「はい……」

“やはり、古代神器の魔法使いか……”

「――あ! そういえば、魔法を解く呪文が判りました」

 空から落下している時、ルーシーを助けようと思って、必死に記憶を探っていたら偶然見つけたのだ。

「ルーシー、メル・サタナ」

 心を奪う魔法、メル・アン・エディール――貴方は私のもの――と対を成す呪文だ。メル・サタナ――貴方を解放する――。
 成功したと思ったが、ルーシーは全く表情を変えなかった。

“一昨日の夜から、ずっとアスカのことが気になっていました。貴方が大切で、何でもしてあげたいと思っていました”

「ごめんなさい……」

“謝らなくていい。悪い気分ではありませんでした。夢を見ているようで、何というか……、新鮮でしたよ。昨夜は、夢から醒めて残念に思ったくらいです”

「え……?」

 ルーシーの瞳は凪いでいる。
 昨夜、魔法が解けたのなら、さっきの解呪は意味なかったのか。拍子抜けして肩から力が抜けた。
 それでは、魔法は解けていたにも関わらず、助けてくれたというのか。あんなに深い空を、飛鳥を追いかけて……。
 信じられない。そんなことがあるのだろうか。けれど、雲間から光が差すように、胸の中に暖かな喜びが満ちる。

“二度と飛び降りようなんて、考えないでください。間に合ったから良かったものの、空の果てに迷いこんだら、戻って来れなくなりますよ”

「はい、ごめんなさい……」

“死のうと思ったのですか?”

 無言で頷くと、そっと抱きしめられた。

“言葉を交わせたら……”

 ルーシーの優しさは本物だ。魔法が解けても、飛鳥の身を案じてくれる。

「ありがとう……っ」

 止まらなくなった涙を手で拭っていると、ルーシーは面映ゆそうな表情をして、綺麗なハンカチで涙を拭いてくれた。

『アスカ、******』

“当艦は今、ヴィラ・サン・ノエル城を目指しています。とても美しい城ですよ。きっと、アスカも気に入ります”

“エルヴァラート陛下や、ルジフェル閣下もアスカの到着を心待ちにしています”

「エルヴァラート……」

 それは初めて聞く名前だ。

“バビロン帝国を治める、エルヴァラート・ディ・バビロン皇帝陛下です。御年十五歳とお若いですが、大変聡明なお方です”

「十五歳?」

 かなり若い。飛鳥と一つしか違わないではないか。

“アスカを無事に連れ帰ることが、当艦「ローズド・パラ・ディア」の現在遂行中の最重要任務です”

「私は、どうなるんですか……?」

“アスカを保護した場所は、エーテル無効化地帯の聖域です。軍管轄の立入禁止区域でもあります。常人が忍び込めるような場所ではありません。アスカは古代神器に関係している可能性が高い。どうか我々の研究に協力してください。我々は長年、自由にロアノス海域を行き来する方法を研究しているんです”

 ロアノス海域。空しかない世界に、海があるのだろうか。
 ルーシーの話に興味はあるが、素直に頷く気にはなれなかった。よく判らない実験や調査に付き合いたくはない。

“不満そうですが、アスカには、聖域への不法侵入の疑いもかけられています。身の潔白を証明する為にも、我々に協力した方がいい”

「えっ」

 真実は非常に難解だが、決して不法侵入したわけではない。納得が行かず、ルーシーの腕から逃げ出そうともがいたら、逆に腰を強く引き寄せられた。

“アスカには秘密が多い……。貴方から目を離してはいけないということは、よく判りました”

 ルーシーの本気が怖い。包み込む腕を、さっきまで優しく感じていられたのに、今は何だか……。

“アスカはすぐ顔に出る。心を読めても、それでは何もかも台無しですよ”

 飛鳥はぎくっとして、不自然に視線を逸らした。ルーシーは鋭い。一瞬、ここから逃げ出そうかしら……、と考えたことを読まれたのかと思った。

“心を読めるなら、私の本気は判ったでしょう? 逃げようなんて、考えるだけ無駄ですよ”

 ルーシーはそっぽを向く飛鳥の髪を撫でて、頬にかかる髪を優しい手つきで耳にかけた。腕の中で狼狽える飛鳥を眺めて、面白がっているようだ。
 困ったように視線を彷徨わせる飛鳥を、ルーシーは、なかなか離そうとはしなかった。