メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

2章:キスと魔法と逃走 - 8 -

 飛鳥は無理な体勢で後ろを振り返り、操縦士の安否を見極めようとした。手が滑り、体がかしぐ――。

『アスカッ!』

 ユーノは滑り落ちる飛鳥の腕を強く掴んだ。

「ごめんっ」

 ユーノは飛鳥を支えたことでバランスを崩し、体勢を整える為に上空に向かって飛び出した。
 一瞬、視界一面に満点の星空が映り、息を飲んだ。夜空の彼方に、薄青に光る、三つ並んだ月が見える。
 感動は長くは続かなかった。空に突出したことで、後方から接近する追跡者達と邂逅かいこうしてしまったのだ。
 機を逸せず、背後に広がる菱形の編隊は不吉な機動を見せる。
 前後にローターを有するホバーバイクが一機、傾斜しながら戦列を離れようとしていた。突出して加速し、ぐんぐん飛鳥達の背中を追いかけてくる。
 操縦士はルーシーだ。
 表情までは見えないが、睨まれている気がする。ルーシーは器用にハンドルから両手を離し、水平に滑空しながら銃を構えた。

「撃たないでっ」

 飛鳥が叫ぶと同時に、パスッという、短い発砲音が聞こえた。軌道は真っ直ぐ伸びて、身構える飛鳥を通過し、ユーノの首に命中した。釘のように太い針がうなじあたりに刺さっている。

“――知覚神経回路に損傷……”

「ユーノッ!?」

 ユーノは小さく呻吟しんぎんすると、首に刺さった針を自ら抜いた。体勢を整えて、傾いた機体を元に戻す。

“平気です。このまま逃げて――”

 飛鳥は背後に向かって叫んだ。

「やめて! 殺さないで!」

“心配しないで、もう少し速度を上げれば――”

「いいよ、いい、もういいよ! ごめんなさいっ!」

 ユーノの思考がどんどん弱くなっていく。彼を機械だなんて思えない。彼まで飛鳥のせいで死んでしまったら、どうしていいか判らない。

「止めて、もういいよ。止めて!」

 飛鳥が叫んでも、ユーノは止まろうとしない。

「ごめんね、ごめんなさい! ユーノ、メル・サタナ……ッ」

 必死に解呪を叫んだ。けれど、それでもユーノは止まろうとしない。

「どうして!?」

“貴方を優先したい。必ず――カナンまで翔破します”

 ユーノは固い意志を伝えると、ふらついた体で、更に速度を加速させた。

「死んじゃう!」

“逃げたいと、願ったから……”

「逃げたい……っ、でもユーノに死んでほしくないっ! お願い、止まって!」

 本気で叫ぶと、ユーノはようやく止まった。背後からルーシーが近づいてくる。

『アスカ、******!』

“無茶なことを!”

 俯いて唇を噛みしめる飛鳥を、ルーシーは厳しい口調で糾弾する。ユーノの被弾を気にする飛鳥の様子を見て、苛立たしそうに説明した。

“麻酔弾です。ユーノを壊すわけないでしょう”

 もしかしたら、ルーシー達が追いかけてきたのは、飛鳥ではなく、ユーノなのかもしれない。高価な魔導兵器……、ルーシーはユーノをそう解釈していた。
 不快感を覚えたが、反論は出来ない。これ以上ルーシーを怒らせるのは、恐い。飛鳥達を乗せた機体を、ルーシーはフックで牽引しながら、空母へと引き返した。気分は、処刑台に連行される囚人だ……。

「ユーノ、平気……?」

 悄然とユーノに声をかけると、弱々しい、けれど労わるような思考が返ってきた。

“アスカ、いいのですか?”

 魔法は解けているはずなのに、まだユーノの思考を読み取れる。優しい少年は、傷ついているのに、飛鳥の心配をしてくれる。

「うん……」

 本音を言えば、ちっとも良くない。この後の展開が恐ろしくてたまらない。けれど、自分が傷つく以上に、人が傷つくのを見るのは苦痛であることを知った。
 闇夜に光る白煙と、真っ赤な炎が頭から離れない。逃亡の意志は挫かれてしまった。