PERFECT GOLDEN BLOOD

2章:美しい館ベル・サーラの住人たち - 1 -

 十分ほど環状七号線を直進し、やがて道を逸れて、二度、三度と曲がるうちに、景色はがらりと変わった。
 閑静な住宅街から遠ざかり、豊かな緑が生い茂っている。木の葉や草が織りなす緑のさざ波がどこまでも揺れ、大木の合間には、紫のライラックや乳白色の花をつけているマグノリアが咲いている。
「……なんだか東京じゃないみたい」
 まるで、別世界に彷徨いこんだようだ。呆けたように呟く小夜子をルイは横目で見、ほほえんだ。
「静かでいいでしょう?」
「異国のリゾート地みたいですね。世田谷区にこんな場所があったんだ」
「世田谷区とは少し違うかな。端境はざかいの聖域に入ったからね」
「?」
 小夜子は首を傾げた。問いかけるようにルイの横顔を見つめるが、彼は正面を向いたままだ。仕方なく、小夜子も窓の向こうに視線を戻した。
 やがて、樫の大木が苔むした大枝を鬱蒼と拡げている曲がり道を抜けると、奥まった先に錬鉄製の扉が見えた。周囲には月桂樹が茂り、月光を浴びて銀色に光る門に覆い被さっている。
 さらに車が近づくと、蔦の絡まる巨大な洋館の全貌が露わになり、小夜子はぽかんと口をあけた。
 扉に向かって直進していくと、大きな観音開きの扉は自動的に開き、車がなかに入るとまた閉まった。
 更にもう一度扉が現れて、ルイは窓をおろし、防犯システムが搭載された液晶画面に、中指を押しあてた。指紋認証の小さな電子音が鳴り、重たい扉は直上に持ちあがった。
「……すごいですね」
 貴族が暮らす中世の城のような佇まいなのに、最先端の防犯設備が敷かれているらしい。
「引いた?」
 ルイは困ったように笑った。
「……いえ」
 小夜子はぎこちない笑みで答えた。
「要塞みたいだよね。実際その通りなんだけど。でも、厳めしいのは外観だけだから」
「え?」
 小夜子はもっと訊きたかったが、ルイがアクセルを踏みこんだことにより会話は中断された。
 長い車よせの坂をのぼると、石塀が現れた。鐘楼のような門をくぐり抜けて、指紋認証、網膜認証、幾つかのセンサーを通り、ようやく広い庭にでた。
 整然と刈り込まれた針葉樹が、中庭を囲むように聳えている。中央には噴水があり、照明が当てられていた。
「すごい……」
 小夜子は思わずといった風に呟いた。いよいよ異世界にでも迷いこんだ気分だ。
「千尋は、美しい館ベル・サーラと呼んでいるよ」
「ちひろ?」
「ここの住人の一人で、小夜子と同じ日本人だよ」
「へぇ、そうなんですか」
 そういえば、ルームメイトの一人が日本人だと以前話していた気がする。どうやら女性らしい。
 小夜子は住人に思いを馳せながら、灰色の石で造られた、ゴシック様式の五階建ての巨大な館を観察した。建物の左右に、二階建ての平屋が見えたが、こちらも立派な造りをしている。
 豪邸のような車庫に車が八台も止まっており、いずれも高級車ばかりだ。
 ルイはフェラーリを巧みに操り、ロールスロイスとメルセデスの間にぴたりとおさめた。サイドブレーキを引くと、小夜子を見てほほえむ。
「到着」
「本当にここであっているんですか?」
Bienビアン surシュール
「どこかの迎賓館じゃなく?」
 ルイはくすっと笑った。
「僕の家だよ、お姫さま」
「うわぁ~……」
 どうやら、ルイはかなりの資産家らしい。彼を知るほどに謎が深まっていく気がする。シートベルトを外している間に、ルイが助手席の扉を開いてくれた。
「お手をどうぞ?」
 恭しく手をさしだされ、小夜子は赤面しつつ、そっと手を伸ばした。
 最先端の堅牢なセキュリティに守られた館のなかは、えもいわれぬ旧世界の優雅さに満ちていた。
 床は新雪のように白い大理石張り。玄関広間には金縁の巨大な鏡がかけられ、水晶の垂れさがる燭台が天井から吊るされている。三階分の吹き抜けの天井には、豊かな色彩で美しい絵画が描かれ、金箔が施されている。
「すごい……」
 小夜子は賛嘆をこめて呟いた。悪戯が成功したような顔をしているルイを、複雑な想いで見つめる。全く、これほどの豪邸だと知っていれば、ついてこなかったかもしれない。
 溝彫りを施された円柱が交互に並び、藍色に金糸を織りこんだオリエンタル模様の絨毯が敷かれている。正面には、欄干のついた二階にいたる螺旋階段。まるで美女と野獣に登場するような、ロココ調のお城である。さらに高貴さを損なわぬよう設えられた、空調や高窓の開閉、照明といった現代技術のすいが融合している。
 しかし、優美で格調高い内装とは裏腹に、かすかに聴こえてくる音楽は、ロックなFall Out BoyのImmortalsだ。ビリヤードでもしているのか、男性の笑い声や、玉を突く音が聴こえている。
 音がする方から、燕尾服に身を包んだ、銀髪の初老の紳士が廊下を歩いてきた。
Monseigneurモンセニウル?」
 彼は、穏やかな声でフランス語を口にした。
「ただいま、ジョルジュ。彼女は小夜子、僕の大切な女性だから」
 その紹介の仕方に、小夜子は卒倒しそうになった。ジョルジュは朱くなっている小夜子を見てほほえみ、恭しくお辞儀をした。
「ジョルジュは、この邸の執事をしている。とても有能だから、困ったことがあれば、何でも相談するといいよ」
Bienvenueヴィアンヴニュ. Mademoiselleマドモアゼル。御用の際は、なんなりとお申しつけください」
 ジョルジュが後半を流暢な日本語で喋ったので、小夜子は驚いた。居住まいをただし、深々とお辞儀をする。
「突然お邪魔してすみません。小倉小夜子と申します」
 情報整理が追いつかない。ジョルジュはフランス人? さっきルイを何と呼んだのだろう?
 不意に、廊下の向こうから長身の男三人が現れた。ルイと小夜子の方へやってくる。ルイに負けず劣らずの長身で、一人は二メートルもありそうだ。三人共、金髪や灰銀髪の持ち主で、非常に美しい容姿をしている。なんてゴージャスな集団なのだろう。
「ルイ。この子は誰だ?」
 赤髪をオールバックにあげた迫力のある美男子が、興味深そうに小夜子を見た。迫力満点、全身をびょうとチェーンのついた黒革に包んでいる。彼は長身をかがめて、金色の瞳で、小夜子の瞳を覗きこんだ。
Bienvenueヴィアンヴニュ. Ma petite プティト d'amourダム?」
 次の瞬間、ルイは唸り声をあげて、男と小夜子の間に身体をすべりこませた。突然、目の前にルイの広い背中があらわれたものだから、小夜子はびくっと肩を跳ねさせた。
 男たちはルイの反応を面白がっているようで、背中に隠した小夜子を覗きこもうとしている。
「えぇ、何その反応? その子はルイの何?」
「誰ですか、この娘は?」
 美しく威圧的な男たちに囲まれ、すくみあがる小夜子の肩を、ルイはぎゅっと抱き寄せた。
「小夜子だよ。僕の大切な子なんだ。おどかすなよ、お前たちのせいで怖がっているだろう」
 大切な子――その響きに小夜子は胸の高鳴りを覚えずにはいられなかった。
「おいおい、何いってんだ。ルイが一番おどかせているじゃないか」
 赤髪のメタル風の男は、ルイの剣呑な眼差しにもひるまず、気安い口調でいった。
「ごめん、小夜子。驚かせて」
 ルイはどこか不安そうにいった。その表情を見たら、小夜子はこんな状況だというのに、今すぐ彼を安心させてあげなくてはという気持ちにさせられた。
「いえ、大丈夫です。皆さん、ここに住んでいるんですか?」
「そうだよ。彼はアラスター、手のつけられない乱暴者なんだ。危ないから、小夜子は近寄ってはいけないよ」
 ルイは美しい微笑をたたえながら、甚だしく失敬な私見を口にした。
「おい、誰が乱暴者だって? 殴りかかりそうな勢いで俺を威嚇した奴にいえた台詞か?」
 アラスターが不満そうにいった。
「煩いよ、アラスター。いっておくけど、小夜子に手をだしたら許さないよ。ヴィエル、アンブローズも、判ったね?」
 ルイは鋭い警告の眼差しを、アラスターと、その後ろにいる二人の男にも送った。
 艶やかな長い金髪の男が、アンブローズ。退廃的な美貌の持ち主で、一部の隙もない灰色のスーツに身を包んでいる。
 その隣の、白衣を着たスチームパンク風の眼鏡を額にかけている青年が、ヴィエル。さらさらの白に近いプラチナブランドを耳のあたりで切りそろえている。透明感のある美青年だ。
 三人ともまるで印象は違うが、非常に美しい容姿をしている。彼等が並んで街を歩けば、ちょっとした騒ぎになるだろう。
「小倉小夜子です。よろしくお願いします」
 小夜子はお辞儀をした。ヴィエルは好意的な笑みを浮かべ、
「歓迎するよ、小夜子。ルイが女の子をここへ連れてきたのは、君が初めてだよ」
 そういって、悪戯っぽく片目をつむってみせる。ルイは器用に片方の眉をあげてから、気を取り直したように、小夜子に向かって笑顔を見せた。
「ヴィエルは典型的な学者マニアなんだ。一日中、地下室の研究室に籠って何やら実験をしているけど、害はないからね」
 なんとも微妙な紹介だが、ヴィエルは気にした風もなく、蒼氷色そうひいろの瞳を好奇に輝かせ、にこにこしている。アラスターもヴィエルも、親しみやすそうな青年だ。
 一方、アンブローズは、警戒心も露わに小夜子を見つめていた。神秘的な紫の瞳は冷たく、小夜子への嫌悪が滲んでいる。
「アンブローズ、小夜子に挨拶をして。彼女には敬意をもって接するように」
 ルイの突き放すような物言いに、小夜子は冷やりとしたが、アンブローズは反論することなく、礼儀正しくお辞儀をした。
「申し訳ありません、ルイさま」
「僕じゃなくて、小夜子に謝って」
 小夜子は慌てた。
「私は気にしていませんから」
 アンブローズは小夜子を見た。感情の読み取れない紫の瞳に射すくめられ、小夜子は動けなくなった。彼は、美しい金髪をさらりと肩からこぼし、完璧に礼節に則ったお辞儀をした。
「申し訳ありません、小夜子。どうか、よろしくお願い申しあげます」
 丁寧すぎる慇懃いんぎんな口調に、小夜子は苦笑いで応じた。ルイもアンブローズを睨みつけたが、視線をはずし、誰かを探すように視線を彷徨わせた。
「さて……千尋はどこだ?」
「ここよ。お帰りなさい、ルイ」
 現れた十四、五歳の着物姿の少女を見て、小夜子は肩から力が抜けていくのを感じた。威圧感のある男たちに囲まれているなかで、同性の存在感たるや、後光の射す女神の如しである。
「初めまして、小夜子。私は千尋、十五歳なの。仲良くしてくださいね」
 少女は、透き通った声でいった。艶やかな黒髪を肩のあたりで揃え、けぶるようなまつ毛に縁取られた瞳は、金に紅と左右で色が違う。
「初めまして……」
 小夜子は、魔性を思わせる千尋の瞳に魅入られながら、呆けたように呟いた。
 個性的な少女だ。黒い着物に紫の帯をあわせ、桃色のつむぎに金糸の刺繍が施されたOLD ENGLANDのストールを肩にかけて、首から木製の数珠ロザリーを下げている。和装なのに靴はVivienne Westwoodのロッキン・ホースという組みあわせだが、彼女にはよく似合っていた。儚げだが妖艶でもあり、永遠の少女めいたコケティッシュな雰囲気の美少女である。
「……ブフッ、十五歳?」
 思わずといった風に吹きだしたアラスターは、千尋のひと睨みで黙った。しかし彼は、口を手で覆い、今にも笑いだすのを堪えているようだ。
「煩い男でごめんなさいね」
 千尋は物怖じしない性格らしい。自分よりも年上で、体格の良い男を、煩い男呼ばわりである。おどおど小夜子が会釈をすると、アラスターはにっと笑った。
「ルイから話は聞いているよ。べた褒めするから、どんな美少女かと思えば、意外とフツ―……ぐはッ!」
 後半は、ルイに脇腹を突かれて不自然に途切れた。小夜子は苦笑いを浮かべるしかない。一体、ルイはどんな風に話していたのだろう?
「それにしても、あれだけ文句を吐いていたくせに、結局連れてきたのかよ。ウルティマスの思う壺だぞ」
 横腹をさすりながら、アラスターがいった。
「煩いな」
 ルイは彼をじろりと睨みつけ、不愉快そうに答えた。
「アラスターは少しお黙りなさい。彼女、とても疲れているわ」
 思いやりのこもった仕草で腕を撫でられ、小夜子はほっとした。同じ年頃の少女が傍にいるだけで、なんとなく安心する。彼等の会話は意味不明だし、浮世離れした麗人たちに囲まれて、小夜子は完全に余所者で、異邦人だった。
「にゃぁ」
 猫の声がして、小夜子は視線を落とした。美しい蒼灰の毛並みの猫が、千尋の足元にすり寄っている。
「あら、たまき
 千尋は猫を腕に抱きあげた。袂がかすかに翻り、猩々緋しょうじょうひの長襦袢がちらと覗く。
「かわいい猫ですね」
 小夜子の言葉に、千尋はにっこりした。かわいいでしょう? と満面の笑みを浮かべる様子は、年相応の女の子に見えた。
 ルイは小夜子の肩を抱き寄せ、頭のてっぺんにキスをすると、威嚇するように男たちを見た。
「彼女はしばらく邸で暮らすから。親切にしてあげてね」
 そうなの? と小夜子は焦ったが、一斉に視線が集まり、朱くなった顔を俯けた。どんな顔をすればいいのか判らない。
「仰せの通りに、ご主人さま」
 と、アラスター。アンブローズは睨みつけるように小夜子を見ているが、他の三人は好意的な笑みを向けてくれた。
「あとで、小夜子に似合うお洋服を届けるわね」
 千尋はどこかわくわくした様子でいった。
「よろしく、小夜子。良かったら今度、研究室に遊びにきてね」
 と、ヴィエル。彼の白衣の裾に、血痕らしきものが付着しているのを見、小夜子は引きつった笑みを浮かべた。どのような研究をしているのか、聞くのが少し怖い。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
 小夜子はぺこっとお辞儀をした。とくに千尋とは打ち解けられるといい。彼女ともう少し話しをしてみたかったが、ルイは小夜子の肩を抱いたまま、さっさと彼等の前から立ち去ってしまった。
「ごめんね、あいつら煩くて」
「いえ、全然」
「根はいい奴らなんだ」
 小夜子は頷いた。なんというか、強烈な印象の住人たちだった。
 とその時、ルイさま、と後ろからジョルジュが声をかけてきた。
「お食事はどうなさいますか?」
「食べる。お願いできる?」
 ルイの言葉に、ジョルジュはにっこりした。かしこまりました、そう返事して礼儀正しくお辞儀をする。
 小夜子が踵を返して去っていくジョルジュの背中を見つめていると、ルイに肩を抱きしめられた。
「ジョルジュが気になる?」
「えっ?」
 びっくりして顔をあげると、ルイは探るような目で小夜子を見つめていた。
「見惚れていたみたいだから」
「……ジョルジュさんのような執事を見たことがないから、なんだか感動してしまって」
「ふぅん……僕も燕尾服を着てみようかな?」
 ルイの燕尾服姿を想像して、小夜子は目を輝かせた。彼の正装は、それはもう完璧だろう。
 期待に満ちた眼差しを見て、ルイはまんざらでもなさそうにほほえんだ。