ラージアンの君とキス

1章:ラージアンと私 - 7 -

 突然、空気の重みが変化した。
 重力が失せて、足元からふわりと浮かび上がる。

「わぁっ!」

 悲鳴を上げる夏樹の腰を、隣にいるシュナイゼルが素早くさらって胸の中に抱きしめた。尻尾を触った時は鋼鉄のようだと思ったのに、胸は硬いものの弾力を感じる。
 浮き上がる身体が心もとなくて、夏樹は彼に対する恐怖も忘れて思わずしがみついた。

「あ、もう大気圏の外に出たから、無重力だよ。人間って重力バランスもとれないのか。不便だね……」

「大気圏の外!?」

「そうだよ。今から母艦マザーシップに帰還するから」

「待って、待って! 私はどうなるの!?」

「母艦に連れて帰るよ。心配しないで、ちゃんと飼育するから」

「しいく、飼育!?」

「夏樹の面倒は、シュナイゼルが見てくれる。歴代の司令の中でも、極めて優秀なラージアンだから、安心してね。それじゃ、また後で会お」

 デイーヴァは、まるで友達にするように手を振ってみせた。話はしまいとばかりに、シュナイゼルは夏樹を抱きしめたまま、女王のいる部屋を出て行こうとする。

「待って、待って! 私を降ろして!」

 シュナイゼルは夏樹の身体を急に離した。無重力に放り出されて、途端に身体が浮き上がる。

 ――そういう意味じゃないっ! 地球に、お台場に降ろして!

「やだぁ!」

 無重力空間に放り出されて、くるくると身体が回転する。
 手足をばたつかせても、状況は悪化しただけだった。無様にもがく夏樹を見かねたように、シュナイゼルは手を伸ばした。安定感が欲しくて、夏樹も必死に手を伸ばす。

「シュナイゼル……ッ!」

 名前を呼んだ瞬間、シュナイゼルの額の光が一際強く輝いた。
 手をとられた途端、硬い胸の中に引き寄せられる。不安定な身体を固定したくて、自らシュナイゼルの艶やかなフルメタルの首に腕を回した。

「ディーヴァは、夏樹を気に入ったようだ。コロニーに歓迎しよう」

「か、帰らせて……」

「ディーヴァの意志だから、今すぐには無理だ。けれど、夏樹を傷つけないと約束する」

 不安定な無重力空間の中、シュナイゼルは床から一メートルほど身体を浮かした状態で、真っ直ぐに滑るように飛行し始めた。

「何処へ行くの……?」

「母艦に接舷せつげん完了した。コロニーに入る」

「コロニー?」

「我々一億個体のラージアンが暮らす居住区のことだ」

 真っ青な回廊を複雑に進み、やがてぽっかりと空いた、巨大な空間に出た。
 そこには、夏樹の想像を絶する世界が広がっていた――。
 大地と、緑と、河と海もある。
 ドーム型の近代的な建物が林立する様は、SF映画に出てくるような未来型都市だ。
 空には、無限に続く宇宙が広がっている。やたらと大きく見える、輪っかのついたあの惑星は……、まさかとは思うが……。

「どこなの……、ここ……」

「太陽系銀河だ」

「あれって、あの惑星って……、まさか……」

「地球人で言うところの、太陽系第六惑星――土星だ」

「――……」

 さっきから、何度思考が停止したことだろう。
 もう、理解の範疇を完全に越えている。
 土星があれだけ大きく見えるということは、ここはもう本当に、地球外なのか。

「心配はいらない。人間の生態系について一通り解析済だ。快適な居住空間を約束しよう」

「――……」

「夏樹」

 何だか、夏樹を心配しているような声色だ。
 エイリアンなのに……。
 シュナイゼルは、半分意識を飛ばしていた夏樹の頬を撫でた。
 頬を撫でる、硬質な感触に意識が呼び戻され、間近に迫るシュナイゼルの顔をぼんやりと見上げた。額の菱形の光が、水色から薄い紫に変色している。単純に菱形と思っていたが、よく見ると、宝石のロゼンジ・カットのように精巧な形をしていた。

 ――鮮やかなブルー、パライバトルマリン? 今は少し紫寄りかな……可憐なライラック、クンツァイト? なーんて……。

 思考がおかしい。現実逃避している自覚があった。