3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで
4章:アガサの灯火 - 8 -
カフェの横道を少し入ったところに、石の階段があり、その先に白漆喰の祠堂 が見えた。
「ああ、くる途中で見えた建物ね」
長い階段を登りながら、絶壁のうえに白い建物が点在して見えていた。あれは祠堂 だったのだ。
「ここから道が細くなるから、足元に気をつけてね」
「ええ」
手すりのない石の階段は少し怖いが、登った先の景観は、素晴らしいの一言に尽きた。断崖に張りつくような立地で、広大な森を一望できる。
「なんて美しいの……」
森の、安らぎに満ちた絶景は、天と宇宙の思し召しとしか思えない。
訳もなく“ヤッホー!”と叫びたくなる。きっと素晴らしい山彦がかえってくるに違いない。
こみあげる衝動を、どうにか淑女として自重した。
空に顔を向けようとし、太陽の光にまぶしく目を細めた。ここまで登るのは大変だが、心が澄み渡るようだ。
こじんまりとした白い建物に目を向けると、入口の木目の表札に、“アルク=エレイオン祠堂 ”の文字が刻まれていた。
歴史を感じさせる佇まいだが、辺りは掃き清められ、葡萄の蔓に覆われた二階の窓は、風を入れるために開け放たれていた。手入れをしている人がいるのだ。
「ここには、どんな人が通っているの? このあたりは入場規制があるのでしょう?」
「許可証をもっている教師や生徒たちだよ」
「お義兄さまも?」
「時々くるよ」
エミリオは微笑し、扉を開いてくれた。
神聖な空間に踏み入ることを、エイミーは少しためらった。
「入っていいの?」
「もちろん。どうぞ」
恐る恐る足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれた。
薬用緋衣草 の良い匂いがする。
素朴な木造建築で、漆喰塗りの白い壁は年季が入っている。けれども、ひび割れた個所は丁寧に修復され、硝子はよく磨かれていた。
正面に祭壇があり、七枝の燭台に火が灯されている。
主神廊の左右二列に、緻密な彫刻が施された横長の木造椅子が均等に配置されていて、参拝者がまばらに座っていた。皆、静かに瞑想していたり、手を組み小声で奉唱していたりする。
「座っていい?」
そっと小声で訊ねると、エミリオは頷いた。
一番後方の椅子に腰をおろすと、その隣にエミリオも着席した。小さな身じろぎですら、ここでは明瞭に聴こえる。
ふたりとも黙って、穏やかな思考の海に身を任せた。
とても静かだ。
清涼な空気に浸されて、ただじっとしているだけで、心が癒されていく。
そっと隣をうかがうと、エミリオは祭壇をじっと見つめていた。
端正な横顔は、清らかな射光を受けて黄金色に縁どられている。幻想かと思うほど神々しく、どんな穢 れも寄せつけない雰囲気があった。
ふと、目があった。
エイミーは、脊髄に電流が疾 ったかのように、びくっとした。
彼のとびきり美しい菫色の瞳が、自分に注がれている―ーそう意識した途端に、これまで感じたことのないような、或いは遠い昔に経験したような熱が、全身を駆けめぐるのを感じた。
「……そろそろいく?」
エミリオに訊かれて、エイミーは目を瞬いた。見惚れていたことをごまかすように、微笑を浮かべ、静かに席を立った。
登りは辟易させられた階段も、くだりは、ぐっと楽だった。
ふたりとも無言だった。
エミリオが何を考えているかはわからないが、エイミーは、祠堂 で見た、厳かなエミリオの姿を思い返していた。
ほんの一瞬、見つめあっただけなのに、その一瞬で、無限の時間が過ぎ去ったようにも思えた。
こんなに美しいひとが、この世界にはいるのかと、感動に打ちのめされていた。
容姿も然ることながら、声も、眼差しも、所作も、身に纏う空気さえもーーこの清廉 な精霊のようなひとが、エイミーの、義兄なのだ。
もうすぐ五時になる。
森を抜けて中庭に近づくと、途端に人の往来は活発になった。
明るい音楽が聴こえてくる。
ダンスに興じる人々の、楽し気なささめき声。
女子生徒たちの、期待に満ちた視線がエミリオに寄せられたが、彼は冷ややかに通り過ぎるばかりだった。
その隣で、エイミーはなるべく目立たぬよう、顔を俯けて歩いた。
五時を告げる、鐘の音が響いた。
学園の正門前は、傾きかけた陽光に照らされ、薄金の縁どりを帯びていた。どうやら義母はまだきていないようだ。
「良かった、間にあったみたいね」
辺りを見回しながら、エイミーがいった。
「きたみたいだよ」
エミリオの言葉に正面を見ると、軽やかな足取りでオリヴィアがやってくるところだった。
「ふたりとも、楽しかった?」
その問いかけは、春風のように柔らかい。
エイミーが頷くと、義母はまぶしいほどの白い笑みを浮かべて頬を綻ばせた。
「お義母さまも、楽しかった?」
「ええ、とっても」
きらきらとした空色の瞳は、友人との逢瀬を満喫してきた余韻に揺れていた。
オリヴィアの指がそっとエイミーの髪を撫でる。彼女は笑顔のまま、エミリオに目を向ける。
「私たちは翔環 で帰るわ。またね、リオ」
オリヴィアは両腕を広げ、抱擁しようとしたが、エミリオは一歩退いて身を避けた。
「学園では、やめてください」
「そぉ?」
ふふっと笑う義母の眼差しは、あなたも年頃ね、とでもいいたげだ。
エイミーは、ぎゅっと両手を握りしめ、手を伸ばしたい衝動を堪えた。義母に倣い、人前での抱擁は控えるべきだろう。
「またね、お義兄さま」
両手を背に組み、小さなほほえみを浮かべる――その瞬間、ふわりと腕が伸びてきて、やさしく引き寄せられた。
「またね、エイミー」
ほの温い感触が、頬にそっと触れる。
驚きと嬉しさが胸に溶けて、エイミーは自然と、腕を彼の背にまわしていた。
「まぁ、この子ったら。エイミーはいいのね?」
オリヴィアは腰に手をあて、呆れたようにいった。非難がましい口調だが、明るい空色の瞳には、悪戯めいた光が灯っている。
エイミーは照れ隠しに義母から目を逸らしたが、胸の奥では春が芽吹くように、ぽかぽかと温もりが灯っていた。
とんとん、と背を軽く叩いて、名残惜しい気持ちで躰を離す。
エミリオはほほえんで、手提げの小包を差しだした。
「これ、お土産」
薄茶色の包みには、森の梟カフェの印があった。
「これは?」
「“星詠みのチョコレート夜箱”。魔導天文学部とのコラボらしい。限定ショコラアソートだって」
「いつの間に買ったの? 全然気がつかなかった」
「人気らしいから、先に買っておいた」
どこか得意げな口調で、エミリオがいった。
エイミーは、ぱっと花開いたように笑った。
「ありがとう! 嬉しい」
「食べたら、感想を教えて。美味しかったら、僕も買ってみる」
「ええ、もちろん」
続けて渡されたのは、銀色の小袋。
「これ、もしかして?」
エイミーは期待に満ちた目で、エミリオを見た。
「うん、僕がいつも食べている携帯包装食 」
「わぁ、ありがとう~。これ食べてみたかったの」
両手で受け取って顔をあげると、エミリオと目があった。なんだか感じ入ったように、こちらを見ている。
「?」
どうしたのかな、と小首を傾げた、その瞬間――
エミリオの頭上に、またもや光の粒子が舞い始めた。
74%
きらきらと、煌めく好感度の兆 し。
ここ数年、停滞していた好感度が、今日だけで三度も動いた。
(え、えーーッ、どうして?)
心臓がドキドキする。
わけがわからないが、嬉しい! という強烈な思いが、胸の奥からこみあげてくる。
テンペスティスのときは、好感度があがることに怖気づいていたのに、エミリオに対してはもっと、と願ってしまう。
その答えはひとつしかないのだけれど、この時はただ、嬉しくて、嬉しくて、それだけでもう胸がいっぱいだった。
エイミーの初恋だった。
「ああ、くる途中で見えた建物ね」
長い階段を登りながら、絶壁のうえに白い建物が点在して見えていた。あれは
「ここから道が細くなるから、足元に気をつけてね」
「ええ」
手すりのない石の階段は少し怖いが、登った先の景観は、素晴らしいの一言に尽きた。断崖に張りつくような立地で、広大な森を一望できる。
「なんて美しいの……」
森の、安らぎに満ちた絶景は、天と宇宙の思し召しとしか思えない。
訳もなく“ヤッホー!”と叫びたくなる。きっと素晴らしい山彦がかえってくるに違いない。
こみあげる衝動を、どうにか淑女として自重した。
空に顔を向けようとし、太陽の光にまぶしく目を細めた。ここまで登るのは大変だが、心が澄み渡るようだ。
こじんまりとした白い建物に目を向けると、入口の木目の表札に、“アルク=エレイオン
歴史を感じさせる佇まいだが、辺りは掃き清められ、葡萄の蔓に覆われた二階の窓は、風を入れるために開け放たれていた。手入れをしている人がいるのだ。
「ここには、どんな人が通っているの? このあたりは入場規制があるのでしょう?」
「許可証をもっている教師や生徒たちだよ」
「お義兄さまも?」
「時々くるよ」
エミリオは微笑し、扉を開いてくれた。
神聖な空間に踏み入ることを、エイミーは少しためらった。
「入っていいの?」
「もちろん。どうぞ」
恐る恐る足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれた。
素朴な木造建築で、漆喰塗りの白い壁は年季が入っている。けれども、ひび割れた個所は丁寧に修復され、硝子はよく磨かれていた。
正面に祭壇があり、七枝の燭台に火が灯されている。
主神廊の左右二列に、緻密な彫刻が施された横長の木造椅子が均等に配置されていて、参拝者がまばらに座っていた。皆、静かに瞑想していたり、手を組み小声で奉唱していたりする。
「座っていい?」
そっと小声で訊ねると、エミリオは頷いた。
一番後方の椅子に腰をおろすと、その隣にエミリオも着席した。小さな身じろぎですら、ここでは明瞭に聴こえる。
ふたりとも黙って、穏やかな思考の海に身を任せた。
とても静かだ。
清涼な空気に浸されて、ただじっとしているだけで、心が癒されていく。
そっと隣をうかがうと、エミリオは祭壇をじっと見つめていた。
端正な横顔は、清らかな射光を受けて黄金色に縁どられている。幻想かと思うほど神々しく、どんな
ふと、目があった。
エイミーは、脊髄に電流が
彼のとびきり美しい菫色の瞳が、自分に注がれている―ーそう意識した途端に、これまで感じたことのないような、或いは遠い昔に経験したような熱が、全身を駆けめぐるのを感じた。
「……そろそろいく?」
エミリオに訊かれて、エイミーは目を瞬いた。見惚れていたことをごまかすように、微笑を浮かべ、静かに席を立った。
登りは辟易させられた階段も、くだりは、ぐっと楽だった。
ふたりとも無言だった。
エミリオが何を考えているかはわからないが、エイミーは、
ほんの一瞬、見つめあっただけなのに、その一瞬で、無限の時間が過ぎ去ったようにも思えた。
こんなに美しいひとが、この世界にはいるのかと、感動に打ちのめされていた。
容姿も然ることながら、声も、眼差しも、所作も、身に纏う空気さえもーーこの
もうすぐ五時になる。
森を抜けて中庭に近づくと、途端に人の往来は活発になった。
明るい音楽が聴こえてくる。
ダンスに興じる人々の、楽し気なささめき声。
女子生徒たちの、期待に満ちた視線がエミリオに寄せられたが、彼は冷ややかに通り過ぎるばかりだった。
その隣で、エイミーはなるべく目立たぬよう、顔を俯けて歩いた。
五時を告げる、鐘の音が響いた。
学園の正門前は、傾きかけた陽光に照らされ、薄金の縁どりを帯びていた。どうやら義母はまだきていないようだ。
「良かった、間にあったみたいね」
辺りを見回しながら、エイミーがいった。
「きたみたいだよ」
エミリオの言葉に正面を見ると、軽やかな足取りでオリヴィアがやってくるところだった。
「ふたりとも、楽しかった?」
その問いかけは、春風のように柔らかい。
エイミーが頷くと、義母はまぶしいほどの白い笑みを浮かべて頬を綻ばせた。
「お義母さまも、楽しかった?」
「ええ、とっても」
きらきらとした空色の瞳は、友人との逢瀬を満喫してきた余韻に揺れていた。
オリヴィアの指がそっとエイミーの髪を撫でる。彼女は笑顔のまま、エミリオに目を向ける。
「私たちは
オリヴィアは両腕を広げ、抱擁しようとしたが、エミリオは一歩退いて身を避けた。
「学園では、やめてください」
「そぉ?」
ふふっと笑う義母の眼差しは、あなたも年頃ね、とでもいいたげだ。
エイミーは、ぎゅっと両手を握りしめ、手を伸ばしたい衝動を堪えた。義母に倣い、人前での抱擁は控えるべきだろう。
「またね、お義兄さま」
両手を背に組み、小さなほほえみを浮かべる――その瞬間、ふわりと腕が伸びてきて、やさしく引き寄せられた。
「またね、エイミー」
ほの温い感触が、頬にそっと触れる。
驚きと嬉しさが胸に溶けて、エイミーは自然と、腕を彼の背にまわしていた。
「まぁ、この子ったら。エイミーはいいのね?」
オリヴィアは腰に手をあて、呆れたようにいった。非難がましい口調だが、明るい空色の瞳には、悪戯めいた光が灯っている。
エイミーは照れ隠しに義母から目を逸らしたが、胸の奥では春が芽吹くように、ぽかぽかと温もりが灯っていた。
とんとん、と背を軽く叩いて、名残惜しい気持ちで躰を離す。
エミリオはほほえんで、手提げの小包を差しだした。
「これ、お土産」
薄茶色の包みには、森の梟カフェの印があった。
「これは?」
「“星詠みのチョコレート夜箱”。魔導天文学部とのコラボらしい。限定ショコラアソートだって」
「いつの間に買ったの? 全然気がつかなかった」
「人気らしいから、先に買っておいた」
どこか得意げな口調で、エミリオがいった。
エイミーは、ぱっと花開いたように笑った。
「ありがとう! 嬉しい」
「食べたら、感想を教えて。美味しかったら、僕も買ってみる」
「ええ、もちろん」
続けて渡されたのは、銀色の小袋。
「これ、もしかして?」
エイミーは期待に満ちた目で、エミリオを見た。
「うん、僕がいつも食べている
「わぁ、ありがとう~。これ食べてみたかったの」
両手で受け取って顔をあげると、エミリオと目があった。なんだか感じ入ったように、こちらを見ている。
「?」
どうしたのかな、と小首を傾げた、その瞬間――
エミリオの頭上に、またもや光の粒子が舞い始めた。
74%
きらきらと、煌めく好感度の
ここ数年、停滞していた好感度が、今日だけで三度も動いた。
(え、えーーッ、どうして?)
心臓がドキドキする。
わけがわからないが、嬉しい! という強烈な思いが、胸の奥からこみあげてくる。
テンペスティスのときは、好感度があがることに怖気づいていたのに、エミリオに対してはもっと、と願ってしまう。
その答えはひとつしかないのだけれど、この時はただ、嬉しくて、嬉しくて、それだけでもう胸がいっぱいだった。
エイミーの初恋だった。