3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

6章:エイミーとエミリオ - 4 -

 翌朝も、快晴だった。
 白い積雲せきうんが、アイスクリームのように盛りあがり、青空には海鳥が自由に舞っている。
 今日も、けつくような暑さになりそうだが、家族そろって港町へと繰りだした。
 地元の人と観光客の違いは、混血種アミーに限っては一目で判る。長くこの町に暮らす者たちは、陽射しに焼かれた小麦色の肌をしている。対して、白い肌の人々は旅の客。
 そして黄金種ベルハーは、いかなる陽射しにも染まらず、まるで砂糖菓子のように白い。
 今日のエイミーは、膝をのぞかせる黄色の衣装をまとっていた。腰と肩にひとつずつ、濃紫こむらさきの大きな薔薇を飾り、耳には大ぶりの真珠を揺らしている。
 頭には、昼顔と小薔薇をあしらった花冠かかんつきの白い麦わら帽子。エミリオから贈られた誕生日プレゼントだ。
 弟のシドニーからも、極楽鳥バード・オブ・パラダイスのピンバッジをもらい、麦わら帽子の片側にきらめく羽のように飾っている。
「似合っているよ」
「姉様、とても素敵です」
 エミリオとシドニーが声をそろえ、褒めてくれる。
「ありがとう、ふたりとも」
 エイミーは笑顔で礼をいった。
 常日頃から貴族令嬢らしからぬ装いをしている自覚はあるが、寛容かんような家族はとがめたりしない。公爵家に引き取られた頃から、素行についてはともかく、恰好については叱られた記憶がなかった。
「この帽子のリボンがかわいいのよね」
 クリーム色の綱飾りが施され、昼顔と薔薇の蕾が連なる花冠かかん。あごの下でリボンを蝶結びにしながら、ふと顔をあげると──
 エミリオの頭上に、妖精の粉のような、金の粒子が舞っていた。
 期待して見つめていると、やがて数字に変わった。

 84%

 ──あがっている!
 胸の奥が、ふわっと熱くなる。
 誕生日のジンクスは健在だ。じわじわと喜びがこみあげてきて、頬が緩みそうになり、慌ててうつむいた。
「……エイミー?」
 いぶかしげな声に、心臓が小さく跳ねる。視線をあげた時には、もう数字は消えていた。
「なんでもないの」
 恋心にふたをすべきか迷っているくせに、数字があがると嬉しいと思ってしまう。
(……このまま気持ちが育ってしまったら、どうなってしまうのだろう……)
 かすかな不安が胸にきざしたが、シドニーに手を引かれたことで霧散むさんした。
「いきましょう、姉様」
「ええ」
 海辺の町は、陽炎かげろう沙膜ヴェールをかけたように眩しかった。
 漆喰しっくいの家々は色とりどりのパステルにいろどられ、窓辺には南国の花が揺れている。
 通りの壁には、陶器の皿がいくつも飾られていた。どれも色鮮やかで、精緻せいちな模様の傑作ばかりだ。
 そういえば、昨夜の晩餐でも似たような皿を見た。この地方の伝統的な意匠いしょうなのだろう。
 陽光が反射して、皿の模様が壁に舞っている。まるで小さな海の欠片かけらが跳ねているようだった。
 昼食は、海辺のレストランでとることになった。
 白いテラス席の向こうには、群青ぐんじょうの水平線がゆるやかに伸びている。
 養親はシャンパン、エイミーたちはアルコールなしの炭酸飲料で乾杯した。
 焼きたての胡桃パンをオリーヴ油にひたし、前菜の貝柱のマリネとともに口へ運ぶ。香草を添えた海老のグリル、冷たい檸檬れもんのスープ。
 美味しい料理を味わいながら、爽やかな潮の香りを含んだ風に頬を撫でられる。
 遠くから船の汽笛きてきがひと声、夏の青を渡ってきた。
 これぞ港町ならではの醍醐味だいごみだ。

 昼食後、家族はふた手に分かれることになった。
 両親とシドニー、そしてエイミーとエミリオ。
 いつもは子供たち三人で行動させられることが多いので、エイミーは少し戸惑いながら義母を見た。
 義母オリヴィアは、繊手せんしゅでつばの広い帽子をそっと押しあげ、光を映した碧眼へきがんで、悪戯いたずらめいたウィンクをよこした。
「夕方に合流しましょう。ふたりとも、楽しんでいらっしゃい」
(な、なにっ⁉)
 自分の義母なのに、ドキマギしてしまう。彼女の実年齢は四十路過ぎなのだが、黄金種ベルハーはいつまでも若くて美しい。
(……お義母さま、どこまで知っているのかしら……気になるけど、聞くのが怖いわ……)
 気まぐれな微笑の裏に、なにか含みがあるような気がするエイミーだが、義母は疑問に答えることなく、義父とシドニーを連れていってしまった。
 残されたふたりは、顔を見あわせた。
 互いの顔に、どうする? と書いてある。
「とりあえず、大通りを歩いてみる?」
 エミリオの提案に、エイミーは笑顔で頷いた。
「いいわ」
 ふたりだけで歩くのは、本当に久しぶりだった。
 最近はいつもシドニーが一緒だったから、エミリオと並ぶと、どうしても意識してしまう。
 すれ違う見知らぬ人ですら、エミリオにぽぅっと見惚れている。なかには二度見して振り向いた挙句あげく、後をつけてきそうな人までいる。
(……ちょっと、怖いな)
 エイミーがうつむいて無言になると、エミリオは氷のような冷気をまとい、背後をひと睨みした。それでわずらわしい気配は消えた。
 彼といると、衆目を集めるのはいつものことだ。 
 そして、いつもにはないぎこちない緊張も、陽光のなかを歩くうちに自然と溶けていった。
 夏の通りは、きらめきと香りの混ざりあう万華鏡カレイドスコピックだ。
 そよ風が吹くたびに、海の匂いと焼きたてのパンの香ばしさ、柑橘かんきつの爽やかな香気がゆるやかに流れてくる。
 軽やかな足どりで散策していると、ふと一軒の画廊がろうが目に留まった。
 白壁に囲まれた古い建物で、扉は大きく開かれている。
 なかを覗き見ると、壁にかけれた大きなキャンパスに、碧い海と港町の眺望ちょうぼうが描かれていた。
「寄っていく?」
 エミリオに訊かれて、エイミーは頷いた。
 どの絵も素晴らしいが、最初に目を引いた、碧い海の絵に心を奪われた。
 立ち止まって見入っていると、隣にエミリオが並んだ。
「気に入ったの?」
「ええ……素敵だと思わない?」
「うん、いい絵だね」
「私、この絵なら何時間でも見ていられるわ……」
 その言葉に、エミリオが小さく笑った。
「エイミーは、感動するのが上手だね」
 笑みを含んだ菫色のひとみに見つめられ、エイミーの心臓がとくんと脈打った。
 ──なんて澄んだひとみなのだろう……
 危うく心を奪われそうになり、慌てて絵に視線を戻す。
「この絵、ほしいわ」
 シルヴァニール邸の談話室に飾りたい。
 皆がよく目にするところにかけておきたい。いつでもこの海を感じられるように。
 そう思って、店員を呼び、値段を訊ねた。思ったよりも手ごろだったので、即座に決めた。
「いただくわ。公爵家に送ってちょうだい」
 ゼラフォンダヤの名を聞いた店員は、一瞬目をみはったが、すぐに表情を整え、うやうやしくこうべを垂れた。
 外へでると、通りの喧騒けんそうはいっそう濃くなっていた。
 往来おうらいは人であふれ、肩が触れあうたびに、海風が香りを変える。
 海と香水、果実と花びら。夏の匂い。その雑踏ざっとうのなかで、エミリオとはぐれそうになった瞬間、
「エイミー」
 差し伸べられた手を、反射的に取った。
 指先が触れた瞬間、胸の奥がきゅっと高鳴る。
 手をつないで歩くのは少し気恥ずかしいけれど、迷子になるよりいい。
 この港町は、岩壁に挟まれた細い路地が無数に枝分かれしており、うっかりよそ見をすれば、すぐに見失ってしまいそうだった。
 風雪ふうせつの刻まれた岩壁の小径こみちを歩いていると、別の時代に脚を踏み入れたような気がしてくる。
 どこからか、鐘の音が聴こえてくると、本当に時が巻き戻ったような錯覚がした。
(近くに礼拝堂があるのかしら?)
 ほどなくして、拍手と笑い声が湧きあがった。
 導かれるようにその方向へ進むと、白い花で飾られた錬鉄れんてつの門が開かれ、礼拝堂の前で結婚式が行われていた。
 音楽隊が高らかにラッパを吹き鳴らし、参列者たちはいっせいにピンクや白の花びらを浴びせかける。
 花吹雪が舞うなかを、新郎新婦がゆっくりと歩みでてきた。
「おめでとう、どうか幾久しくお幸せに!」
 エイミーも拍手しながら声をかけた。
 視線があった新婦が、ほころぶように笑みを返してくれる。
 嬉しくなったエイミーは、エミリオの袖を引いて囁いた。
「お義兄さま、〈おめでとう〉って空に文字を描ける?」
「できるよ」
 エミリオは穏やかに頷き、指先で空をなぞる。
 すると、青空に白い雲のような光の筆跡が走り、やがて柔らかな〈おめでとう〉の文字が浮かびあがった。
 その優しい祝福の魔法に、参列者たちは息を呑み──次の瞬間、ワァッ! と大きな歓声が広がった。
 新郎の友人らしき青年が、笑いながら手招きしている。
 ──君たちも、おいで。
 エミリオは一瞬、躊躇ためらいがちに足を止めたが、エイミーは笑顔で頷いた。
 夏の陽光と花びらの舞うなか、ふたりは招かれるように歩みでる。
 突然現れた、黄金種ベルハーのとびきり美しい少年に、参列者は目を丸くし、賛嘆さんたんのため息をもらした。
 だが、先ほどの祝福の魔法を描いた少年だと紹介されると、場の空気が一瞬で和らぎ、温かな笑みと拍手が広がった。
 こうして、初めて出会う人々の結婚式に招かれ、ふたりは直接、お祝いの言葉を贈ることになった。
「「おめでとうございます、幾久しくお幸せに」」
 声をそろえて祝福すると、花嫁はブーケから一輪の花を抜き取り、エイミーの帽子にそっと挿してくれた。
「ありがとう、お嬢様」
 その声音こわねは、祝福の鐘と同じくらい澄んでいた。
 果物とジュースをご馳走になり、笑い声と音楽が満ちるなかで、エイミーは幸せそうな花嫁の横顔を見つめていた。
 祝福と、ほんの少しの羨望せんぼうが、胸の奥ににじむ。
 ──前世では、結婚を約束した男性に裏切られるまでは、笑美もまた幸福の絶頂にいた。
 ウェディングドレスを試着し、白壁につたの這う、個人邸宅のチャペルを下見に訪れた。祭壇のうしろではステンドグラスが輝き、午後の陽光が床に花模様を描いていた。
 ふたりでバージンロードを並んで歩き、彼の手をとって笑いあった。ここで式を挙げようね、と。あの時は、確かにふたりの未来を信じていたのに……
「まさか、他人の結婚式に飛び入り参加するとは思わなかったな」
 エミリオの声に、意識が現在に引き戻された。
「素敵な結婚式ね」
「うん……エイミーの社交力の高さに驚いたよ。初対面の人と、よくあれだけ打ち解けられるね」
「そ、そう?」
 ほほほ、と口元に手をあてる。
 それなりに波乱万丈の人生を経験しているので、今のエイミーは、実年齢よりコミュ力は高いだろう。
「……エイミーは、こういう式に憧れる?」
 窺うようなひとみに見つめられ、エイミーはドキッとした。
(お義兄さまったら、なんて際どい質問をするの? 私が答えを間違えたら、ふたりの関係が変わっちゃうじゃない)
 慎重に、そっと視線をらした。幸せそうな新婦を眺めるふりをして。
「そうね、いつかは……」
 ほほえんで返した声は、どこか覇気はきがなかった。
 笑美の感傷など遠い前世の残響にすぎない。それなのに、どうして今を生きるエイミーに、これほどの影響をもたらすのだろう?
 けれども、祝福のざわめきと熱気が、そんなかげをすぐに溶かしてしまう。
 ここには、ただ幸福だけがあった。
 視界に涙が滲んで、さりげなく指先でぬぐっていると、気遣わしげな視線を感じた。
「……エイミー?」
「なんでもない。感動しただけ」
 綺麗に折りたたまれた手巾ハンカチをさしだされて、エイミーは礼をいって受け取った。
 ──本当に、なんて美しい結婚式なのかしら……

 やがて陽が傾き、海の向こうに金色の残照ざんしょうが沈む頃。
 時計塔のある広場で両親たちと合流したエイミーは、晩餐の席に着いた瞬間、思いがけない光景に息を呑んだ。
「「お誕生日おめでとう!」」
 祝福の声と同時に、夜空が弾けた。
 群青ぐんじょう天蓋てんがいに、鮮やかな花火が次々と咲いてゆく。
 金、銀、紅、青、白──光の雨が流星のように降りそそぎ、世界がまたたきのなかに溶けていく。
 星のような浮遊魔導端末エーテル・ドローンが飛びたち、夜空のキャンパスに光の筆で文字を描きだした。
〈お誕生日おめでとう、エイミー〉
 きらめく文字が星座のようにまたたいて、まるで天そのものが祝福を与えているようだ。
 通りの人々まで足を止め、楽しそうに夜空に手を振っている。
「「おめでとう、エイミー!」」
 見知らぬ人々の声が波のように広がり、その笑顔が旧友のように温かく感じられた。
「こ、これは……」
 嬉しいけれど、恥ずかしくて、頬が燃えるように熱くなる。
 耳まで真っ赤になり、うつむいたまま胸の前で手を組んだ。
「花火は私のアイディアだけれど、浮遊魔導端末エーテル・ドローンはリオがいいだしたのよ」
 義母の言葉に、エイミーはぱちりとまたたき、エミリオを見た。
 彼は少し照れたように目を伏せ、静かに囁いた。
「……結婚式でやったとき、思いついたんだ」
 胸の奥で、何かが小さく弾けた。
「ありがとう、お義兄さま」
 心からの気持ちを告げると、エミリオは頬を染めて、嬉しそうにほほえんだ。
 その笑顔は、花火よりも鮮やかで、どんな夜よりも優しかった。
(……気を遣わせちゃったかな。私が、結婚式で変なふうに泣いたから……優しいのね、お義兄さま)
 胸を打たれていたエイミーだが、彼の頭上にまた、あの光がまたたくのを見て慌てた。
「お義兄さまっ、もう十分よ! もう……お腹いっぱいだわ!」
 勢い余った声に、エミリオが目を丸くしている。家族も、不思議そうに視線をよこした。
「お腹、空いてないの?」
 エミリオは小首を傾げた。
「い、いえ! お腹はぺこぺこなの!」
 あはは、と笑って誤魔化す。自分でも支離滅裂だと思いながら。
 その間に、エミリオの頭上の光は消えていた。
 ほっとしたような、残念なような……複雑な心境だが、自分がどうしたいかも決められないのに、彼の恋心を知るのは、今日はもうできそうになかった。
 話題はすぐに他のことに移ったが、心臓の鼓動が、まだ跳ねている。
 落ち着かない気分でいたが、海の幸のパエリアが運ばれてくると、いたく食欲を刺激された。
 潮とオリーヴ油が溶けあうかぐわしい香りが立ちのぼり、貝殻のひらく音さえ幸福の調べに聞こえる。
 ほかにも、トマトのミネストローネ、香草をまぶした白身の焼魚、檸檬れもんを効かせた冷製パスタ、そして透明なグラスに盛りつけられたグレープ・フルーツのゼリー。
 どれもエイミーの大好物ばかりだ。
 今夜は特別に、シャンパンを一杯だけ許された。
 泡が舌のうえで弾け、金のきらめきが喉をすべり落ちていく。
 夜凪よるなぎを迎えた漆黒の海に、鮮やかな花火が咲く。
 光がグラスに映りこみ、星を閉じこめたようにまたたいている。
 胸の奥が、じんわりと熱かった。
 幸せは、きっとこんな風に、静かに、ゆっくりとみていくものなのだろう。
(……私、幸せだわ)
 そう思った瞬間、世界のすべてが優しく見えた。
 風も、灯も、人の声も──
 そのすべてが、まるで自分を祝福してくれているように感じられる。
 海の彼方かなたで、ひときわ大きな花火が打ちあがった。
 ぱっと光の花が咲き、続けざまに新しい花が夜空をいろどる。
 幾千いくせんの火花が緩やかに落ちていき、静かに、漆黒の鏡めいた海に溶けていった。