奇跡のように美しい人

4章:聖杯 - 2 -

「あの子には言うなと、頼まれているんだけどね……」
 オルガノは一拍置き、静かに続けた。
星杯(せいはい)契約者は、(あるじ)の運命を引き受けて、最後は死ぬんだ」
 すぐには、言葉の意味が理解できなかった。
「え……?」
 唖然とする佳蓮を、オルガノは深淵を(たた)えた銀色の双眸(そうぼう)で見つめている。
「レインジールの手に流星(こん)があったろう? あれはね、客星(かくせい)の限界が近づくほどに成長するんだよ」
「……翼の形をした、あれ?」
「そうだよ。完全に育ちきった時、(あるじ)の身代わりとなって、散るのさ」
「……身代わり?」
客星(かくせい)がこの物質(エーテル)界に留まるには、莫大な熱量が()る。その代償として、星杯(せいはい)契約者は命を燃やすのさ」
 喉が鳴った。
「……じゃあ……レインは、どうなるの?」
「肉体も、魂も燃やして、この世から消える」
 佳蓮は言葉を失った。
「……嘘でしょ……?」
 震える声で、必死に否定を探す。
「流星(こん)が……あれのせいで……?」
「もう双翼(そうよく)になっている。羽ばたく寸前だよ」
 オルガノは静かに続けた。
「佳蓮の星杯(せいはい)が満ちるまでに、間にあわないだろう」
 世界が、音を立てて崩れた。
「本当に? どうして、私の身代わりに、レインが……っ」
星杯(せいはい)契約者の宿命さ。選べるものじゃない」
 千里を見通すような銀色の双眸(そうぼう)に、佳蓮は慄然(りつぜん)とした。
「……本当に? レインは、死ぬの……?」
「そうだよ。あの子は、佳蓮の負担になることを恐れて、最後まで黙っているつもりだ。だけど、それじゃあ、お互いに不幸じゃないか」
 あまりのことに言葉がでてこない。茫然としながら、ふと(ひらめ)いた。
「……これが……私の罰なの?」
 年を取らず、時の流れに取り残されることが、自殺に対する(あがな)いだと思っていた。
 ――本当の罰は、愛する人を失うことだったの?
「佳蓮、絶望しちゃいけないよ」
 (えい)()を秘めた銀色の眼差しに、心を覗きこまれた。
「……星杯(せいはい)を満たせれば、レインは死なずに済むんですか?」
「そうだよ」
「どうすれば、満たせるんですか……?」
 オルガノは哀しそうに佳蓮の頭を撫でた。
「苦しみが癒えて、心が潤えば自然と満ちるだろう。焦っても、仕方のないことだよ」
 佳蓮は首を振った。
「でも、このままだとレインが死んじゃうんでしょ? どうにかできないの?」
「だから、会いに行きなさい」
 オルガノは、はっきりと言った。
「レインジールに会いに行きなさい。あの子の傍にいることが、一番の近道だろうから」
「じゃあ……結局、私が時計塔を出たことは、全部無意味だったの?」
「無意味なんかじゃない」
 きっぱりと、オルガノは否定した。
「ここへ来るまでの全部が、星杯(せいはい)を少しずつ満たしたんだ」
「でも、間に合わないって……私のせいで、レインが……っ」
「運命は、定まらぬ天災のようなものさ」
 とうとう佳蓮は、崩れ落ちた。
「……私……生前……自殺したんです。楽になりたくて……命を()てたんです。だから今、こんな目に()っているんでしょうか?」
「……辛かったね」
 頭を撫でられて、ぽろっと涙が(こぼ)れた。
 (こら)え切れない()(えつ)が、喉の奥からこみあげる。口を両手で塞いだが、止まらなかった。
「うぇ、ふぅ……ッ……私――」
 (まぶた)の奥に、遠い故郷が(よみがえ)った。
 (はる)かな世界。美しい和の国、日本。家族の待つふるさと。
 髪を撫でる手に(すが)りつきながら、(ほとばし)る思いそのままに過去を、罪を、打ち明けた。
 中学生の頃――
 毎朝、(うつむ)く佳蓮の手を、母は黙って引いた。小言の多い凡庸(ぼんよう)な人だったが、優しい人だった。
 学校の正門から少し離れた所で足を止めると、行ってらっしゃい、帰りも迎えにくるからね。
 励ますように背中に声をかけてくれた。
 (うつむ)いたまま、行ってきます、とぼそぼそ応える佳蓮の背中を、母はじっと見つめていた。
 いじめに苦しむ佳蓮を見兼ねて、母は休学してもいいと言ってくれたが、頑固な父は許さなかった。
 学校を辞めてどうするのだ。いじめだって、同級生の意地悪の延長だろう。学校を休みたい口実ではないのか。 
 強い口調で責められると、気の弱い佳蓮も母も強くは言えず、終いには口を(つぐ)んだ。
 暗澹(あんたん)たる日々が続き、自殺に片足を突っこんだ薬の過剰摂取(オーバードーズ)で倒れると、頑固な父も態度を改めた。
 進級は半ば諦めていたが、学校から日数はぎりぎり足りていると提案を受けて、頑張って登校しようと両親と話し合った。
 それでも、送り迎えがないと学校に行けなかった。
 ――みっともない娘でごめんなさい。
 毎朝、自己否定と憂慮(ゆうりょ)(さいな)まれながら、歯を食いしばって学校に通った。震える手を叱咤して、一人も味方のいない教室の扉を開いた。足の震えを(こら)えて、机にかじりついていた。
 あの頃は、自分のことで精一杯だった。でも、そんな佳蓮を見て、家族はどんな気持ちでいたのだろう?
 話し始めたら止まらなくなり、(せき)を切ったように過去を()(れき)した。
 魂の告解に、オルガノは黙って耳を傾けた。泣きじゃくる佳蓮の髪を撫でながら、
「そりゃぁ、哀しいよ。佳蓮が哀しんでいるのと同じくらい、家族も哀しんでいるよ」
 静かな囁きが、胸に(こた)えた。
「……ッ……ごめんなさい……っ」
 泣きながら、母を(なじ)ったこともある。
 ――もっと綺麗に生まれたかった‼
 悲しそうな顔を見ても凶暴な感情が治まらずに、生まれ持った姿を否定して、酷く責めたてた。
 心ない言葉で母を泣かせて、父に頬を張られて。部屋に閉じこもり、ひりつく頬を手で押さえながら、私は世界で一番不幸な子供だと本気で思ったりした。
『ごめんなさい、お母さん。お父さん』
 遠い故郷の言葉、久しぶりの日本語を、唇はちゃんと覚えていた。
 遺書に、許してほしい、と綴った。顔も見ずに、あんな紙きれで詫びて、救いようのない愚か者だ。
「こんな親不孝をして、私、どうやって謝ればいいの……レインだって……私がいて、いいことなんて一つもないじゃんッ‼」
「誰も怒っちゃいないよ。神様だって、哀しい話に胸を痛めても、怒っちゃいない」
 今になって、手を引いた母の優しさが身に(こた)える。心配そうに見送る妹の眼差し。短気をぐっと(こら)えて、佳蓮を見守る父。家族の優しさに、いったい何を(むく)いたのだろう。
「ああぁぁ……ッ」
 酷い話だ。悲しい話だ。なんて寂しい話なんだろう。誰も救われない、哀しい物語。
「佳蓮。レインが待っているよ」
「あ、あ、合わせる顔がない……っ」
 人を愛し、生に執着した今、命を()てた罪が問いかける。どうして飛び降りたの?
「大丈夫、あの子は佳蓮のことが大好きなんだから。怒っちゃいないよ」
 ()かねばならない苦しみ、残される者の苦しみ、残していく者の苦しみ。混沌(こんとん)とした、無限の苦しみに突き落とされて、佳蓮はオルガノにしがみついた。
「ふぅっ……ごめ、ごめんなさい……か、悲しませて、私が、私のせいで……っ!」
「佳蓮、人生ってのは、苦楽を煎じ詰めたものさ。全部終わって、辛くて(たま)らなかったら戻っておいで。とっておきのハーブティーを煎れてあげるから……」
 オルガノの声は賢者のように理知的であり、そして柔らかかった。
 優しく髪を撫でるオルガノの膝に顔を埋めて、子供のように声をあげて泣いた。