残酷少女と悪魔の団欒

残酷少女と悪魔の団欒 - 1 -

 蒼古な城の奥深く。
 天蓋のベッドで、メグは休んでいた。規則正しく胸を上下させて、優雅に午睡を貪っている。
 夢の中で、悪魔のように闇夜に姿を眩ませ、喧噪の街を眺めながら滑空していた。

「お姉様」

 唐突に、弟のシャルルが現れた。黒い翼を羽ばたかせ、断りもなくメグの隣に並ぶ。

「何よ」

 素敵な夢の終わりを知り、メグはがっかりした。
 白銀の髪に蒼い瞳。相変わらず、精巧な人形のように美しいシャルル。
 全く、勝手に夢に現れないで欲しい。
 あるはずもない翼がメグの背にあるから、これは夢だと判ってはいたが、面白くない。もう少し、この甘美な世界に浸っていたかったのに……
 そんなメグの不満を知ってか、ご機嫌を窺うようにシャルルは微笑んだ。

「おやつの時間なので、呼びにきました。今日はホットケーキだそうです」

「うむむ……」

 ホットケーキは大好物だ。目覚めたい欲求に駆られて、メグは唸った。

「ね、起きてください」

「先に行っていて。すぐに起きるから」

 つんと顎を逸らしてメグが言うと、シャルルはメグの頬にキスをしてから姿を消した。

「あーぁ、もう……」

 独りごちながら、メグは眼を開けた。
 薄紗の垂れた天蓋が視界に映る。すっかり見慣れた、メグの私室だ。身体を起こした拍子に、思わずぎくりとした。
 クローゼットの扉が、ほんの少しだけ開いていたのだ。眠る前に、確認したはずなのに……
 昔から、なぜか隙間が苦手だった。
 理屈ではない。あの細い隙間、視界の悪い暗闇の奥に、何か想像もつかない恐ろしい世界、不吉な何かが潜んでいるような、そんな嫌な予感に襲われてしまうのだ。
 寝癖はそのままに、きっちり隙間を閉じてから、部屋を出た。
 パーラーへ降りると、お行儀よくシャルルが肘掛椅子にかけていた。
 寝癖のついたメグを見て、にっこりと微笑む。
 無邪気な笑みを見て、メグはムッと顔をしかめた。
 最近、メグは苛ついている。シャルルのせいだ。
 去年生まれた弟は、たった一年でメグを追い抜いた。メグにはない、家族と揃いの黒い翼と角を持ち、闇夜に紛れて夢を支配する。
 正直なところ、格下と見なしていた弟が、悪魔の力を操れることが妬ましかった。
 無愛想で着席し、ホットケーキを突きまわしていると、シャルルは不思議そうに首を傾けた。

「お姉様。ホットケーキ食べないのですか?」

 全く。ついこの間まで、あーうー喋っていた幼児が、随分と巧みに喋るようになったものだ。

「食べる」

 気のない返事をして、きつね色の生地にフォークを突き刺した。甘い味が口の中いっぱいに広がり、たちまちメグは夢中になった。


「お姉様、シロップがついていますよ」

 言うが早いか、手を伸ばしてメグの頬に触れる。シャルルはシロップを指で取ると、躊躇いもせずに口に含んだ。
 最近は、シャルルの方がメグの面倒を見ようとする。弟のくせに、とメグはしかめ面になった。

「いいの」

 そっぽを向くと、いいの? とシャルルは可笑しそうに聞き返した。

「私、部屋に戻る」

 綺麗に平らげて、ゲスト・パーラーを出て行こうとすると、シャルルもついてきた。

「お姉様、一緒に遊びましょう?」

「いい。一人で遊ぶ」

「そんなこと言わないで。遊んでください」

 手を引かれて振り向くと、殆ど変らぬ目線で、瑠璃色の瞳が瞬いた。焦げ茶色の髪と瞳の地味なメグと違い、光芒を放つように美しい。
 家族は全員美しい。自慢に思っていたが、どうしてか、シャルルにだけは劣等感を覚えてしまう。

「ついてこないで」

 手を払うと、シャルルは傷ついた瞳をした。

「……お姉様、一緒に遊びましょう?」

 縋るような瞳でメグを見た。すると、先ほどまでの腹立たしさは薄れて、遊んでやるか、と寛容な心が戻ってきた。

「……仕方ないなぁ。何するの?」

「夢を覗きにいきましょう」

 表情を綻ばせて、シャルルは嬉しそうに提案した。
 眠っている人間の夢に忍び込んで、その世界をすっかり滅茶苦茶にしてしまう遊びのことだ。

「いいよ」

 その遊びは、メグも気に入っている。微笑むと、シャルルもにっこり微笑んだ。
 早速、メグの寝室に戻ると、並んでベッドの上に寝そべる。
 シャルルは眠る必要はないのだが、メグは眠った状態でないと、意識を飛ばせないのだ。いつものように額にキスが落ちると、忽ち睡魔に襲われた。

「さぁ、お姉様」

 心地よい微睡の中、宙に浮いたシャルルに手を引かれた。身体をベッドに残したまま、意識だけが浮き上がる。
 ふわふわした、抽象的な世界。
 あらゆる人間の意識に接続できる、平常次元とは異なる上位次元ヘイルガイアだ。
 二人はいったん急上昇をして、靄かすむ宙で停滞した。まるで雲の上に漂っているかのよう。

「どんな夢がいいかなぁ」

 メグは眼下を見渡した。
 蝋燭の灯のように、夢の欠片が無数に瞬いている。一つ一つが人間の見ている夢だ。
 楽しい夢、変てこな夢、恐い夢、哀しい夢、贅沢な夢。よりどりみどりだ。
 古い発着駅にぼうっと立ち、今にも飛び込もうとしている男の夢に、メグは惹かれた。

「あの夢、楽しそう」

 電車に乗りたいな、そう思いながら見ていると、ふと気になる夢を見つけた。
 古びた文字で、ロワル貯蔵庫と書かれた建物の地下……鉄錆の牢屋に閉じ込められ、絶望している少年の夢だ。

「お姉様?」

 無言で注視するメグを見て、シャルルは不思議そうに問うた。

「……最近、ああいう夢が多いね」

 メグの視線の先を辿り、シャルルは納得したように頷いた。

「王都は、切り裂き魔の話題で持ちきりです。良質の恐怖が蔓延して、良いことですよ」

 天使の如し清らかな顔で、シャルルは残酷に嗤った。

「ずっと気になっていたのよね。覗いてみない?」

「お兄様達に叱られますよ」

「もう、いい子ちゃんなんだから」

 王都を恐怖に突き落とした、切り裂き魔事件。
 ことの発端は、半年前。
 五歳の少女と七歳の少年が見るも無残な斬死体で発見された。
 眼を覆いたくなるような死に様は、五年前に廃止された異教徒狩りの処刑を彷彿させるという。
 その後も、犠牲者は後を絶たず、既に七人の少年少女達が、幼い命を散らしている。
 犠牲者の大半は、家を持たない貧しい路上暮らしの子供であった。
 法の番人、警邏兵は躍起になって犯人を捜しているが、今なお見つかっていない。死体が増えていく不気味さに、カサンドラ国全土が震撼していた。

「私達は悪魔なのよ。人間ごときに殺られるわけないじゃない」

 強気に吐き捨てるメグを、思慮深い眼差しでシャルルは見つめた。何よ、と視線で促すと、生誕二歳にも満たぬ弟は大人びた笑みを浮かべた。

「お兄様達は、お姉様のことを、とても心配しているのです」

「今更、どんな怖い夢を見たって、泣きやしないわ。隙間の方がよっぽど怖いもの」

「でも、言いつけを破れば、絶対に叱られますよ」

 いかにも不服気に、メグは沈黙した。
 夢を覗くことは許容されているのに、見て良い夢を制限されるのは納得がいかない。しかも、その判断をシャルルにされなければならないなんて。

「お姉様、あの夢はとても美味しそう」

 機嫌の下降したメグに気付かず、シャルルは青い瞳をきらりと輝かせた。
 食欲を刺激されたということは、夢を見ている人間は、さぞ業深い生を貪っているのだろう。
 夢の主は、着飾った美しい女だ。
 豪奢な部屋で、男を傅かせ、血のように赤いワインを飲んでいる。大きなアンティークの鏡を時折覗いては、己の美貌に酔っている。

「フン。綺麗だけど、あの女はきっと意地悪ね。自惚れ屋で、他人の痛みに鈍感」

「ふふっ」

 二人は見つめ合い、悪戯めいた笑みを浮かべた。亡霊のように、女の傍に忍びよると、メグは耳朶に吹き込んだ。

「とびきり怖い夢を見せてあげる」

「ッ?」

 女は眼を見開いて、肩を撥ねさせた。困惑したように彷徨わせる視線が、メグ達を捕えることはない。ここは夢の世界。悪魔の支配領域だ。

「どうしますか?」

「ぞっとする姿に変えちゃえ」

 メグが意地悪く笑うと、シャルルはにっこり笑った。
 ほっそりした女の姿は、ぶくぶくと膨れ上がり始めた。見るも無残な、醜い姿へと変わっていく。

「ひっ!?」

 煌びやかな部屋は暗闇に落ち、傅いていた男達は嘲笑を口元に刻んだ。
 鏡に映った姿を見て、女は世にも恐ろしいモノを見たかのように、顔を恐怖に染めた。

「何でッ!?」

 ぶくぶく、どんどん膨れ上がっていく。肉の塊。

「その姿の方が、お似合いよ」

 嘲弄を含んだ呟きは、もはや女の耳に届かない。

「いやあぁぁあぁぁッ」

 絶叫する女を見て、メグは吹き出した。
 無力な人間を見るのが好きだ。
 人間に限らず、相手の運命を完全に支配し、全能の悪魔のように振る舞える瞬間が好きだ。胸がすっとするし、この時ばかりは、家族の一員だと思えるから。
 昏い至福に浸るメグの隣で、シャルルは恐怖の念を旨そうに貪っている。口を開けているわけではないが、食事していると判る。
 視覚の曖昧な世界で、シャルルの背中に黒い翼が見える。頭の左右には、弧を描く揃いの角。彼の、真の姿にかなり近い。

「あー、美味しかった」

 しばらくして、シャルルは満足そうに笑った。

「いつも思うんだけど、人間の恐怖ってそんなに美味しいの?」

「はい」

「ふぅん」

 メグは不得要領に頷いた。眼に見えぬ恐怖で腹の膨れないメグには、判らない感覚だ。

「でも一番美味しいのは……」

「?」

 言葉を途切らせるシャルルを、メグは不思議そうに見た。小首を傾げて促すと、なんでもありません、と意味深に微笑んだ。

「何よ?」

「言っても怒りませんか?」

「そう思うなら言わないで。もうちょっと、他の夢で遊ぼ」

 さらりとメグが流すと、シャルルは瞳を瞬いただけで、すぐに頷いた。
 二人は、その後も何人かの夢を強制的に悪夢に変えて、恐怖する姿を見て嗤った。