メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

1章:古代神器の魔法 - 3 -

 体から力が抜けて、へなへなとその場にくずおれた。
 ここは天国でも夢でもなく、無限に空が続く世界。そうと判っても、この先どうすればいいのだろう。
 皆、死んでしまった。
 飛鳥も、あの場所で死んだのだ。魔法のおかげで蘇ったけれど、以前の飛鳥とは体の仕組みからして違う。地球に帰れる気がしない。魔法と融合したせいで、この世界に縛りつけられた気がする。
 膨大な知識を得ても、心は飛鳥のままだ。とても感情が追いつかない。家族の死を、夢か、遠い世界の出来事のように感じる……。
 しばらく呆然と、冷たい風に吹かれていた。
 頭をからっぽにして風に吹かれていると、身体は寒さや空腹を訴え、飛鳥に“なんとかしろ”と本能的な命令を伝える。
 そうは言っても、ここには鞄も携帯も食べ物もない。それらは全てバスの中だ。この空に浮かぶ小島で、一体何ができるのだろう。

 ――まてよ、世界を渡る魔法を手に入れたなら、それを使って移動すればいいんじゃないの?

 飛鳥は天啓を受けたように勢いよく顔を上げた。しかし、思いついたところで、魔法の使い方か判らない。呪文は一つしか知らない。

「メル・アン・エディール……」

 でもそれは、飛鳥以外の人にかける魔法だ。飛鳥自身にかける魔法は、どうすれば使えるのだろう。それとも、思い切って飛び降りたら、どこか別の世界に辿り着けるのだろうか。
 その発想は、四つん這いで下を覗きこんだ瞬間に捨てた。深い青空しか見えない。飛び降りたら、延々と落ち続けるのではないだろうか。
 打つ手なしだ。泣きそうな気持ちで空を見上げていると、背後から微かな音が聞こえた。
 振り向いて、唖然呆然。空を滑る未知の乗り物が視界に飛び込んできた。
 空飛ぶ船だ。形は、飛鳥の知っている気球とも飛行船とも違う。木造帆船を思わせる甲板かんぱんから、空に伸びる鎖やロープが、楕円形の帆を固定している。
 呆気に取られていたが、我に返るなり立ち上った。両腕を振りながら大声で「助けてください!」と叫ぶ。
 幸い、甲板に人影が見える。天の救いだ。この空の世界にも、人間がいるのだ。

「おーい!」

 飛鳥は期待に胸を膨らませて、一生懸命に腕を振った。飛空船はぐんぐん近付いてくる。やがて小島に接舷せつげんすると空中に停泊した。
 ドキドキしながら見守っていると、黒い軍服姿の男が、舷側げんそくをひらりと飛び越えて小島に着地した。
 飛鳥が凝視する中、男は颯爽と立ち上り、飛鳥を真っ直ぐに見つめた。

「わ……」

 思わず、感嘆の呟きが口をつく。二十代半ばくらいの男は、ハリウッドスターにも負けない、素晴らしい容姿をしていた。
 さらさらのアッシュブロンド、涼しげな碧眼、滑らかな白磁の肌。とても端正な顔立ちをしている。背も高い。百六〇センチある飛鳥よりも、頭一つ分は高そうだ。黒い詰襟の軍服もよく似合っている。ボタンや襟、袖の縁取りは金糸のブレードで、大きな正肩章が両肩についている。襟や胸にも幾つも勲章を着用しており、全体的に豪華だ。
 凛々しい姿に目を奪われていたが、脇のホルターにピストルをぶら下げていることに気付いて、ぎくりとした。
 拳銃だ。本物だろうか。
 男は長い脚であっという間に飛鳥の前に立つと、青い瞳でじっと見下ろした。

『*****、********?』

「え?」

 全く聞き取れなかった。男はもう一度繰り返したが、やはり何を言われたのか判らない。飛鳥の知らない未知の言葉だ。ただ不思議と、声には出さない彼の思考を読めた。

“子供? 妙な格好……、何者? どうやって聖域に?”

 どうやら、飛鳥のことを不審に思っているようだ。聖域とは、この小島を指しているのだろう。

「あの、私……」

 口を開いたものの、続ける言葉を迷ってしまった。思考は読めても、言葉を話せない……、どうやって伝えればいいのだろう。

『**************?』

「すみません、言葉が判りません。日本語と、英語を少ししか話せなくて……」

“何と言った?”

 男の怪訝そうな顔を見て、飛鳥はすっかり委縮してしまった。自然と小声になる。念の為、「english?」と尋ねてみたが通じなかった。

“どこの言葉だ? その軽装備で、どうやって聖域に? ここは、エーテル無効化地帯……、報告しなくては……”

「あの、私、何も知らないんです。ここは、来てはいけない場所ですか? でも気付いたらここにいて、本当に、わざとじゃなくて」

 男は大きな手を伸ばして、飛鳥の肩や腕、腰のラインを叩き始めた。武装していないかどうか、ボディチェックしているみたいだ。

「武器なんて持ってません!」

 身をよじって逃げると、男は少し表情を和らげた。

“怯えている? 寒そうだな……”

 男が警戒を緩めたのを見て、飛鳥もほんの少しだけ肩の力を抜いた。寒くて両腕を抱きしめていると、男は詰襟の上着を脱いで肩にかけてくれた。

「わ……、ありがとうございます」

『******』

 思考を読まなくても、着なさい、と言ってくれたと判る。袖を通すと、ずしっとした重みを感じた。とても大きい。温もりと、漂うシダーとシトラスの香りを意識して、飛鳥の頬は熱くなった。