メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -
1章:古代神器の魔法 - 6 -
飛鳥とルーシーは、巨大なゲートから空母の中へ入った。
中も未来を感じさせる構造で、広い廊下を歩いている兵士もいれば、天井部のレールに引っかけたフックに掴まり、滑るように移動している兵士もいる。
ルーシーは、兵士とすれ違う度に敬礼されている。彼はもしかしたら、非常に立場が上なのかもしれない。
大きなエレベーターで下の甲板に移動した後、白を基調とした大部屋に案内された。ミントと微かな消毒液の匂いが鼻孔をくすぐる。居並ぶ清潔そうな白いベッドは、天井から垂れ下がる薄い紗に仕切られている。薄く開かれた格子窓からは、爽やかな風が流れ込み、レースのカーテンを揺らしている。
察するに、ここは恐らく病室なのだろう。
“元気がないな……”
ルーシーの思考を読んで、飛鳥は思わず頷きそうになった。確かに元気はない。いろいろなことが起き過ぎて、疲労困憊している。
長い灰銀の髪をポニーテールにまとめた、軍服姿の凛々しい女性が近付いてきた。年は三十半ばくらいだろうか。
『*********?』
『****、アスカ********……』
ルーシーは女性と言葉を交わした後、飛鳥を空いているベッドの一つに座らせた。
女性は飛鳥の前に立つと、膝を曲げて視線を合わせた。女性と判っていても、理知的な青い瞳に見つめられると、思わずときめいてしまう。
『アスカ、********。**ロクサンヌ******』
「ロクサンヌ?」
『*****』
そうよ、と言うようにロクサンヌは微笑んだ。飛鳥もつられて笑みを浮かべる。
『*****?』
「すみません、言葉が判りません……」
“顔色が悪いわ”
彼女は医者なのかもしれない。ふと、羽織っていた上着の存在を思い出し、「ありがとうございます」と口にしながらルーシーに返した。室内はちょうどいい温度に保たれていて、半袖姿でも問題はない。
ロクサンヌは医者然とした手つきで、飛鳥の顔や腕に触れ、一通り満足すると、ついてこいと言うように手招いた。ルーシーを振り返ると、どうぞ、というような仕草をするので、大人しく彼女の背中に続いた。
ロクサンヌは、病室に隣接する個室に案内した。ビジネスホテルの一室のように、ピシッと片付いている。窓も装飾もないシンプルな内装だが、ベッドやチェスト、机があり、トイレやシャワールームもある。
『アスカ、******。************』
ロクサンヌは飛鳥を手招くと、部屋の説明をしてくれた。チェストには衣類が入っており、女性物の下着もある。自由に使っていいらしい。
壁に埋め込まれた硝子製のパネルを操作するだけで、照明や空調の調整も出来る。ずっと知りたかったトイレについても判った。天井から垂れ下がる紐を引くと、水ではなくレーザーのような光がパチッと走り、排泄物を消滅させる仕組みらしい。
シャワールームは一目見て大体判った。天井部についている噴射口と、取り外し可能なシャワーヘッドがあり、噴射形状をミストやストレートに切り替えられる。
もしかしたら、地球よりも科学水準は上かもしれない。
魔法のおかげで古い知識ならあるが、この国の今の姿は未知だ。
双子の精霊王が見ていた頃の、この国の科学水準はもっと低かったように思える。ということは……、アンジェラ達が空と海に世界を分けてから、かなり時が経っているのだろうか。
あれは遠い昔の記憶だった。アンジェラ達は今、どうしているのだろう。彼等は偉大な精霊だが、魔法を生み出した時、とても傷つき弱っていた。あの後、彼等はどうなったのだろう……。
時を経ても魔法は健在で、そのうちの一つを遂に飛鳥が手にしたことを、彼等は知っているのだろうか。もしも会えるなら、聞きたいことが山ほどある。
パタン、と扉が閉まる。
ロクサンヌは部屋の説明を一通り終えて、ルーシーと共に部屋を出て行った。気付けば、部屋には飛鳥一人だ。心細くなり、なんとなく扉ノブを回して、
「えっ、鍵かかってる?」
唖然とした。最悪だ。外から鍵をかけられている。中からは開けられない。本当に閉じ込められてしまった。
急に不安になってきた。どうして鍵をかけたのだろう。もっと思考を読んでおけば良かった。
「……」
沈黙していると、静けさが際立つ。防音がよほど優れているのか、外の音は一切聞こえない。
飛鳥はとりあえずベッドに腰掛けると、魔法に伴う記憶を掘り起こしてみた。慣れれば便利かもしれない。頭の中に、辞書が入ってるようだ。
この国がまだ地上に在った頃、ソロモン帝国と呼ばれていた。とても強い軍事国家で、陸続きの南北で長く戦争をしていたらしい。対戦国は、元従属国でもあるガロ王国。
とても悲惨な戦争だったのだろう。記憶に付随する微かな思念から、悲しみと苦しみが伝わってくる……。アンジェラの想いだ。
いつまで経っても終わらない、二国の戦争を嘆いた双子の精霊王は、大陸を空と海で隔てて、強制的に戦争を終わらせた。今飛鳥がいるのは、隔てられた空の世界。空に浮かぶ大陸や、この空母のように、乗り物の上で人は暮らしている。
そもそも、どうして大陸が空に浮かんでいるのだろう。
空母にしても、あれだけの巨大な鉄の塊を、どうやって空中に浮かしているのだろう。
トレイやシャワーもそうだ。ライフラインを支えているエネルギーは何なのだろう。
重力と酸素があるのは判るが、電気や石油、鉄やニッケル、ゴム、硫酸、窒素やマグネシウム、それらはどうなっているのだろう……。
疑問に思っていると、唐突に閃いた。
――エーテルだ。エーテルで、何もかも賄ってるんだ。
エーテル、暮らしを支える人工エネルギー。
そういえば、聖域でルーシーに会った時、“ここは、エーテル無効化地帯”……そう言っていた。人工エーテルで動く機体では聖域に近付けないから、別の動力で飛ぶレトロな飛空船に乗ってきたのではないだろうか。
大昔、人間が精霊と共存していた時代は、精霊のもたらすエーテルに生活を支えられていた。しかし時が進み、人は人工エーテルを生み出し、共存の時代は終わりを告げたのだ。
今、この空の世界に精霊はいない。彼等はハーレイスフィアと呼ばれる、精霊の暮らす世界に帰ってしまった。
“そうね……、仕方ないわ。今は、ハーレイスフィアの扉を閉じましょう……”
アンジェラの言葉は、人間との決別を意味していたのだ。この世界の人間は、自力でハーレイスフィアを渡れない。
“アスカは、バビロンの古代神器に繋がる鍵かもしれない……”
ルーシーの言う通りだ。飛鳥は、精霊王が空の世界に落とした魔法そのもの。ルーシーの言う“バビロンの古代神器”そのものだ。
ドクンッと心臓が跳ねた。
飛鳥は、保護されたわけではないのかもしれない。むしろ、捕まってしまったのではないだろうか……。
中も未来を感じさせる構造で、広い廊下を歩いている兵士もいれば、天井部のレールに引っかけたフックに掴まり、滑るように移動している兵士もいる。
ルーシーは、兵士とすれ違う度に敬礼されている。彼はもしかしたら、非常に立場が上なのかもしれない。
大きなエレベーターで下の甲板に移動した後、白を基調とした大部屋に案内された。ミントと微かな消毒液の匂いが鼻孔をくすぐる。居並ぶ清潔そうな白いベッドは、天井から垂れ下がる薄い紗に仕切られている。薄く開かれた格子窓からは、爽やかな風が流れ込み、レースのカーテンを揺らしている。
察するに、ここは恐らく病室なのだろう。
“元気がないな……”
ルーシーの思考を読んで、飛鳥は思わず頷きそうになった。確かに元気はない。いろいろなことが起き過ぎて、疲労困憊している。
長い灰銀の髪をポニーテールにまとめた、軍服姿の凛々しい女性が近付いてきた。年は三十半ばくらいだろうか。
『*********?』
『****、アスカ********……』
ルーシーは女性と言葉を交わした後、飛鳥を空いているベッドの一つに座らせた。
女性は飛鳥の前に立つと、膝を曲げて視線を合わせた。女性と判っていても、理知的な青い瞳に見つめられると、思わずときめいてしまう。
『アスカ、********。**ロクサンヌ******』
「ロクサンヌ?」
『*****』
そうよ、と言うようにロクサンヌは微笑んだ。飛鳥もつられて笑みを浮かべる。
『*****?』
「すみません、言葉が判りません……」
“顔色が悪いわ”
彼女は医者なのかもしれない。ふと、羽織っていた上着の存在を思い出し、「ありがとうございます」と口にしながらルーシーに返した。室内はちょうどいい温度に保たれていて、半袖姿でも問題はない。
ロクサンヌは医者然とした手つきで、飛鳥の顔や腕に触れ、一通り満足すると、ついてこいと言うように手招いた。ルーシーを振り返ると、どうぞ、というような仕草をするので、大人しく彼女の背中に続いた。
ロクサンヌは、病室に隣接する個室に案内した。ビジネスホテルの一室のように、ピシッと片付いている。窓も装飾もないシンプルな内装だが、ベッドやチェスト、机があり、トイレやシャワールームもある。
『アスカ、******。************』
ロクサンヌは飛鳥を手招くと、部屋の説明をしてくれた。チェストには衣類が入っており、女性物の下着もある。自由に使っていいらしい。
壁に埋め込まれた硝子製のパネルを操作するだけで、照明や空調の調整も出来る。ずっと知りたかったトイレについても判った。天井から垂れ下がる紐を引くと、水ではなくレーザーのような光がパチッと走り、排泄物を消滅させる仕組みらしい。
シャワールームは一目見て大体判った。天井部についている噴射口と、取り外し可能なシャワーヘッドがあり、噴射形状をミストやストレートに切り替えられる。
もしかしたら、地球よりも科学水準は上かもしれない。
魔法のおかげで古い知識ならあるが、この国の今の姿は未知だ。
双子の精霊王が見ていた頃の、この国の科学水準はもっと低かったように思える。ということは……、アンジェラ達が空と海に世界を分けてから、かなり時が経っているのだろうか。
あれは遠い昔の記憶だった。アンジェラ達は今、どうしているのだろう。彼等は偉大な精霊だが、魔法を生み出した時、とても傷つき弱っていた。あの後、彼等はどうなったのだろう……。
時を経ても魔法は健在で、そのうちの一つを遂に飛鳥が手にしたことを、彼等は知っているのだろうか。もしも会えるなら、聞きたいことが山ほどある。
パタン、と扉が閉まる。
ロクサンヌは部屋の説明を一通り終えて、ルーシーと共に部屋を出て行った。気付けば、部屋には飛鳥一人だ。心細くなり、なんとなく扉ノブを回して、
「えっ、鍵かかってる?」
唖然とした。最悪だ。外から鍵をかけられている。中からは開けられない。本当に閉じ込められてしまった。
急に不安になってきた。どうして鍵をかけたのだろう。もっと思考を読んでおけば良かった。
「……」
沈黙していると、静けさが際立つ。防音がよほど優れているのか、外の音は一切聞こえない。
飛鳥はとりあえずベッドに腰掛けると、魔法に伴う記憶を掘り起こしてみた。慣れれば便利かもしれない。頭の中に、辞書が入ってるようだ。
この国がまだ地上に在った頃、ソロモン帝国と呼ばれていた。とても強い軍事国家で、陸続きの南北で長く戦争をしていたらしい。対戦国は、元従属国でもあるガロ王国。
とても悲惨な戦争だったのだろう。記憶に付随する微かな思念から、悲しみと苦しみが伝わってくる……。アンジェラの想いだ。
いつまで経っても終わらない、二国の戦争を嘆いた双子の精霊王は、大陸を空と海で隔てて、強制的に戦争を終わらせた。今飛鳥がいるのは、隔てられた空の世界。空に浮かぶ大陸や、この空母のように、乗り物の上で人は暮らしている。
そもそも、どうして大陸が空に浮かんでいるのだろう。
空母にしても、あれだけの巨大な鉄の塊を、どうやって空中に浮かしているのだろう。
トレイやシャワーもそうだ。ライフラインを支えているエネルギーは何なのだろう。
重力と酸素があるのは判るが、電気や石油、鉄やニッケル、ゴム、硫酸、窒素やマグネシウム、それらはどうなっているのだろう……。
疑問に思っていると、唐突に閃いた。
――エーテルだ。エーテルで、何もかも賄ってるんだ。
エーテル、暮らしを支える人工エネルギー。
そういえば、聖域でルーシーに会った時、“ここは、エーテル無効化地帯”……そう言っていた。人工エーテルで動く機体では聖域に近付けないから、別の動力で飛ぶレトロな飛空船に乗ってきたのではないだろうか。
大昔、人間が精霊と共存していた時代は、精霊のもたらすエーテルに生活を支えられていた。しかし時が進み、人は人工エーテルを生み出し、共存の時代は終わりを告げたのだ。
今、この空の世界に精霊はいない。彼等はハーレイスフィアと呼ばれる、精霊の暮らす世界に帰ってしまった。
“そうね……、仕方ないわ。今は、ハーレイスフィアの扉を閉じましょう……”
アンジェラの言葉は、人間との決別を意味していたのだ。この世界の人間は、自力でハーレイスフィアを渡れない。
“アスカは、バビロンの古代神器に繋がる鍵かもしれない……”
ルーシーの言う通りだ。飛鳥は、精霊王が空の世界に落とした魔法そのもの。ルーシーの言う“バビロンの古代神器”そのものだ。
ドクンッと心臓が跳ねた。
飛鳥は、保護されたわけではないのかもしれない。むしろ、捕まってしまったのではないだろうか……。