メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

2章:キスと魔法と逃走 - 4 -

 やがてルーシー以外の全員が、渋々部屋を出て行くと、ルーシーは飛鳥の傍に膝をついた。

『アスカ、******』

“怖い思いをさせて、すみませんでした”

「助けてくれて……」

 口を開くと、ぴりっとした痛みが走った。拘束具のせいで、唇を痛めたらしい。叫んだせいで、声も少ししわがれている。
 お礼を言う気は途中で失せた。
 ルーシーだって、彼等の仲間なのだ。彼等に比べたら、思い遣りは感じられるが、仕事上でのことだ。飛鳥を監禁していることに違いはない。
 どす黒い感情が胸を満たしていく――。
 ルーシーを何度も騙して悪いとは思うが、彼に魔法をかけるしかない。飛鳥は決意をこめて、ルーシーを見上げた。
 澄んだ青い眼差しが、じっと飛鳥を見つめている。

“平気か?”

 飛鳥を案じる気持ちが、良心に突き刺さる。
 ルーシーは、怖くないのだろうか。魔法をかけられるかもしれないのに。なぜそんなにも無防備に、飛鳥に会いに来れるのだろう。
 もし、飛鳥を信用してくれているのだとしたら、本当に申し訳ない。飛鳥だって、本当はこんなこと、したくない……。でも仕方ない――。

「ルーシー、メル――っ!?」

 魔法を口にしようとした途端に、唇を塞がれた。
 瞳を閉じる暇もない、唐突なキス。
 ルーシーも瞳を閉じていない。後頭部を支えられた瞬間、合わさった唇が擦れて、頬は燃えるように熱くなった。
 シトラスの香りに頭がくらくらする。何も考えられない。
 ルーシーはゆっくり顔を離すと、親指で飛鳥の唇を拭った。すぐには、言葉が出てこない。キスは、ごく短い時間のようにも、永遠のようにも感じられた……。

「……」

『********』

 ルーシーの青い瞳に、呆然としている飛鳥の顔が映りこんでいる。口を開けずにいると、ルーシーの方から声をかけてきた――心の中で。

“同じ手が通用すると思うな”

 飛鳥は驚愕に目を見開いた。だから、キスをしたのか。魔法を、唱えさせないように、口を塞いで……。
 冷水を浴びせられた気がした。
 心は千々に乱れ、胸を締めつけるような悲しみと苦しみに襲われる。怒る気力も湧いてこない。たちまち視界は潤み、俯いた拍子に、ボロボロと涙が零れた。

『アスカ……』

 嗚咽を漏らさないように、唇を固く引き結んだ。
 あんまりだ。どうして飛鳥ばかり、こんな目に合うのだろう。だけど、飛鳥もルーシーを責められない。最初に魔法を使おうとしたのは飛鳥だ。飛鳥が悪い。でも傷ついた。もう嫌だ……。

“むやみに力を使おうとするから――”

 ルーシーは泣いている飛鳥を見て、迷いを見せた。飛鳥を責めようとする思考が、中途半端に途切れる。

“こういうことになる……”

 ルーシーは心の中で諭すように語りかけながら、子供のように泣く飛鳥を見て、大きな手で飛鳥の頭を撫でた。
 慰めるような、労わりに満ちた触れ方に、余計に涙が滲んだ。泣くのは子供っぽいし、卑怯だと思うけれど止められない。

「うぅ……っ」

“参ったな……”

 ルーシーの後悔を感じとり、余計に傷ついた。なら最初から、キスなんてしなければ良かったのに。他にも、方法はあったはずだ。
 よく判った。ルーシーは、飛鳥のことなんて、何とも思っていないのだ。でなければ、あんなこと出来るわけがない。
 頭を撫でる手から逃げると、ベッドに顔を伏せて泣き顔を隠した。

「お願い、出て行って……」

 弱々しい拒絶の言葉をうわ言のように呟いた。
 ルーシーは意図的に、思考を伝えようとしてきたが、それすら拒絶した。何も受け取りたくない。謝罪なんて聞きたくなかった。なぜなら、唇が合わさった瞬間、飛鳥の胸は確かに高鳴ったのだから――。
 この胸の痛みは、認めるしかない。
 ほんの少し、ルーシーに惹かれてた。恰好良くて、大人で、いつも助けてくれるから。空に落ちた飛鳥を、迷わず追いかけて来てくれたから……、少し惹かれただけだ。それだけだ。
 逃げよう――。
 ルーシーは尚も言葉を続けたが、飛鳥はルーシーに向かう意識の全て遮断した。そして、はっきりと心に誓う。何もかも手遅れになる前に、この空母から逃げ出すのだと――。