メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

3章:ゴットヘイル襲撃 - 3 -

 その日の夜。夕食を食べ終えた頃、飛鳥はなんとなく扉を見つめた。
 防音完備の隔離室に、外の音が聞こえることはない。けれど今頃、艦はゴットヘイルの賊制圧に向けて、行動を開始しているはず。
 恐らく前線に立つであろう、ルーシーやリオンのことが気になる。
 ベッドに腰かけて、ルーシー達のことを思い浮かべていると、突然、扉が開いた。扉の外に、物々しい重火器を構えた、十数人の武装兵達が並んでいる。

『アスカ*****?』

“アスカだな”

 呆気に取られていると、部屋に大柄な男が一人、遠慮なく入ってきた。
 異様な男だ。目深に被った隊帽から覗く朱金色の短髪、燃えるような金緑の双眸で飛鳥を見下ろす。がっしりとした巨躯きょくは、そびえ立つ壁のようだ。

『****』

「何……?」

 飛鳥は震えながら、男を見上げた。彼は本当に軍人なのだろうか。殺し屋かヤクザと言われた方がよほど納得がいく。
 男は委縮する飛鳥の右腕を、片手で軽々と掴みあげた。ぐん、とあっけないほど簡単に、飛鳥の身体は浮き上る。

「えっ、えっ!?」

“ちょろいな”

 ふと、白い床に浮かぶ赤い斑点に気付いて、飛鳥の喉から「ひっ」と悲鳴がほとばしった。
 男のつけた軍靴ぐんかの足跡には、どす黒い赤色――血がこびりついている。
 掴まれた手を取り返そうと暴れたが、男は容赦なく飛鳥を外へ引きずり出した。
 視界に飛び込んでくる、凄惨な光景。
 廊下には、呻吟しんぎんする兵士達が、血を流して倒れている。
 塵埃じんあいが立ちこめ、硝煙の匂いが鼻をつく。鈍色に光る薬莢やっきょうが無造作に散らばり、隔離室の扉を護る警備兵は倒れている。
 異常事態だ。
 飛鳥の腕を掴む大男は“ちょろいな”とさっき思い浮かべていた……。
 血を流してうずくままる兵士の一人が、微かに呻いた。飛鳥は慌てて駆け寄ろうとしたが、腕を掴む男は許さなかった。

「何があったの!?」

『******』

“とっととズラかろう”

 男は飛鳥の手を掴んだまま走り出した。付き従うように、十数人の武装兵達も追い駆けてくる。ガチャガチャと軍靴や銃器の発する音が廊下に響く。
 彼等の誰一人として、倒れている兵士達に手を差し伸べようとしない。ちらりとも視線を投げない。彼等は何者なのだろう。空軍の恰好をしているが、信用できるのだろうか。
 特に飛鳥の手を掴む男。武装兵達のリーダーのようだが、何の為に飛鳥を連れ出しているのだろう。

「どこへ行くんですか?」

 眉を八の字にして飛鳥が声をかけても、微塵も反応してくれない。

「待ってください!」

 ルーシーやユーノはどこにいるのだろう。
 男は飛鳥の質問には応えず、強引に手を引っ張ったまま屋内格納庫に飛び込んだ。そこにはリオンがいた。

「リオン!」

 ようやく知っている顔を見つけて、安堵に胸を撫で下ろしたが、リオンはいつになく厳しい表情をしている。

“済まない……”

 昏い悔悟かいごに満ちたリオンの心。

「どうしたんですか?」

 嫌な予感がする。

『アスカ**、********』

“許してくれ……”

 リオンは何を心配しているのだろう。飛鳥は何度もリオンの名を呼んだが、リオンはその場を動こうとはしない。
 そうこうしている内に、男は飛鳥の腕を引いて、黒塗りの戦闘機に架けられたタラップに足を掛けた。

『****』

“乗れ”

「嫌っ」

 この男について行くのは、どう考えてもまずい気がする。足を踏ん張って抵抗すると、パンッと頬を張られた。脳が揺さぶられ耳朶を震わせる。
 それでも、男にしてはかなり手加減をしたのであろう、痛みは耐えられない程ではない。けれど、張られたという事実に飛鳥は深い衝撃を受けた。

『アスカッ!!』

 真っ白になった意識の向こうで、リオンが叫んでいる。

“駄目だ。見過ごせない――っ!”

 リオンは腰から銃を抜き放った。男に向けて、引き金を絞る。
 刹那。パンッと乾いた音が弾け――リオンは腿を抑えて、その場にくずおれた。撃ったのは、飛鳥を殴った男の方だ。男は、微塵も躊躇せずに撃った。

「リオンッ!?」

 リオンの右腿から、血が溢れている。飛鳥はこれでもかというほど、目を見開いた。

“アスカ、許してくれ。その男は――っ!!”

 断末魔のような声なき声を拾う前に、強く腕を引かれた。振り払おうとしたら、男はさっと腕を振り上げた。思わずビクッと左腕で頭を庇う。

“大人しくしろ”

 恐い――。
 凶器のような腕は振り下ろされなかったけれど、飛鳥の敵愾心てきがいしんくじかれた。暴力を振るわれると考えるだけで、恐くて身が竦む。
 けれど、リオンが血を流して倒れている。
 今、飛鳥をいて他に、彼を助けられる人間はいない。心臓は激しく脈打ち、酷い動悸に襲われる。それでも飛鳥は、震える手で自分の胸を差し――

「あ、飛鳥、飛鳥っ」

 名前を繰り返し告げると、男は苛立たしそうに片眉を跳ねあげた。

『アスカ?』

“それがどうした?”

 人差し指をくるりと男に向けて「あなたは?」と問いかけると、男は閃いたように、拳でトンと自分の胸を差し、

『**ウルファン***、*****』

 名前を告げた。早くしろ、と言わんばかりに腕を引く――飛鳥は負けじと叫んだ。

「ウルファンッ! メル・アン・エディールッ!!」