メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

3章:ゴットヘイル襲撃 - 5 -

 ウルファンの手から逃れようと、飛鳥は思いきり腕を伸ばして突っ張った。

「嫌っ!」

 叫ぶと同時に、昇降階段からルーシー達が駆け込んできた。今度こそ、本物のバビロン空軍だ。ルーシーは飛鳥を視認するなり、鋭く攻撃指示を叫ぶ。

『アスカ*****! ****ウルファン! ******!!』

“アスカを護れ! 標的ウルファン! 火器攻撃開始オープンファイア!!”

 次の瞬間、灼熱の薬莢やっきょうは床を打ち、戛然かつぜんと雷管を強打する撃鉄が鳴る。
 立ち込める硝煙と鉄の匂い。
 空気を引き裂く銃声に継ぐ銃声。耳をろうする発砲音の嵐に、飛鳥は両手で耳を塞ぎ、きつく瞳を閉じた。
 不意に抱きすくめられ恐怖に暴れると、よく知っている声に『アスカ!』と呼ばれる。

“無事か!?”

 抱きしめているのは、ルーシーだった。ウルファンを見やると、兵士達に取り押さえられているところだった。銃弾の雨を浴びたはずなのに、血を流した様子はない。どういう皮膚をしているのだろう。
 床に押さえつけられながらも、金緑に昏く燃える双眸は、飛鳥だけを見つめている。恐くてすぐに視線を逸らした。

『アスカ、******?』

“怪我は?”

 首を左右に振っても、ルーシーは険しい表情を解かない。リオンの血で濡れた、飛鳥の衣服や腕を見て怪我を心配しているようだ。

「私は平気ですから、リオンを早くっ!!」

 すぐに、担架を手に持った兵士が駆け寄ってきた。彼等はリオンを乗せると、昇降階段に運び出す。
 追い駆けようとした飛鳥の腕を、ルーシーは掴んだ。血がついている個所を、青褪めた顔で見つめている。

『アスカ、******?』

“怪我は?”

「していません」

 はっきり応えると、ルーシーは安堵の息をついて肩から力を抜いた。

“心配しました……”

 血で汚れることも厭わず、飛鳥を強く抱きしめる。触れあう鼓動は早鐘を打つほどに早く、本当に心配していたのだと教えてくれる。飛鳥も気が緩んで視界は潤みかけた。周囲に誰もいなければ、泣いていたかもしれない。
 けれど、ここには人がいる。泣くまいとし、抱擁から抜け出そうとしたら、腕の力は増々強くなった。

「……ルーシー?」

『アスカ、******……』

“無事で良かった……”

 こればかりは、疑いようもなく彼の本心だと信じられた。飛鳥が見つめていることに気付くと、ルーシーの思考は不明瞭にぼやける。戸惑っているようだ。取り繕うように微笑んで身体を離した。

“……ロクサンヌに診てもらいましょう。着替えもいりますね”

 肩を抱いて歩き出すルーシーを見上げて、飛鳥は慌てて尋ねた。

「リオンは?」

『*******』

“治療中です。彼に死なれては困る。聞きたいことが……”

『アスカ――ッ! ********っ!!』

 昇降階段へ向かう途中、ウルファンは咆哮するよに飛鳥の名前を叫んだ。飛鳥はびくっと肩を震わせて、反射的に振り向く。
 連行されていくウルファンと視線がぶつかる。かつえる金緑の瞳。ぞわ……っと全身の肌が粟立った。

“アスカから離れろ。ぶち殺してやる。アスカは俺のものだ!”

 ウルファンは、ルーシーに突き刺さるような殺意を、そして飛鳥に対して、震え上がりそうな執着を向けている。飛鳥の肩はカタカタと小刻みに震えた。

『アスカ、****』

“耳を貸さなくていい。行きましょう”

 ルーシーに促されて、どうにか足を踏み出したが、心は乱れきっていた。魔法にかかると、ああも我を忘れてしまうものなのだろうか。
 解呪を唱えておいた方がいいかもしれない……ふと閃いて、足を止めた。

『アスカ?』

 肩を抱くルーシーを一瞥すると、刹那、身をひるがえして階段を駆け上がった。遠くから一言叫ぶだけでいい。けれど、踊り場に辿り着く前にルーシーに腕を掴まれた。

『アスカ!』

「離して」

 腕を振って嫌がると、ルーシーは両手を使って飛鳥の動きを封じた。

“どうしたんですか?”

「解呪を……」

 言いかけて途中で止めた。よく考えれば、魔法の効果は一日で切れるはずだ。自然に切れるのを待っても、問題ないかもしれない……。首を左右に振ると、抵抗を止めて身体から力を抜いた。

“ウルファンに、何もされませんでしたか?”

 何も、とはどのレベルの話だろう。無理やり連れ出され、頬を叩かれ、目の前でリオンを撃たれ……十分酷い目に合わされた。
 思い出しただけで、背筋に悪寒が走る。またしても全身が震え出した。

『アスカ……』

“まさか……”

 俯いて肩を震わせる飛鳥を見て、ルーシーの身体に緊張が走る。

“辱めを?”

 ルーシーが何を心配しているのか判った。それはない、貞操は無事である。飛鳥は唖然としたが、見下ろす双眸は真剣そのものだ。慌てて首を左右に振る。

「だ、大丈夫」

 ルーシーは、ほっとしたように緊張を解いた。何てことを考えるのだろう……気まずさと羞恥が込み上げて、再び顔を伏せた。


 +


 飛鳥は、ルーシーに付き添われて、第四甲板の病室を訪れた。
 鼻をつく、消毒液や鉄錆の匂い。病室のベッドは、怪我人で埋まっている。さっきの戦闘で傷ついた兵士達だ。中には包帯を赤く染めている負傷者もいる。視界が辛い。ここへ来ない方が、元気でいられたかもしれない……。
 飛鳥は部屋を出たかったが、ルーシーは許してくれなかった。やがて奥からロクサンヌが現れて、本当に具合が悪くなってきた飛鳥の検診を始めた。

『********』

“大丈夫。外傷は無いわ”

 ロクサンヌの診断を聞いて、ルーシーは頷く。ロクサンヌは理知的な青い瞳で飛鳥を見つめた。

『******、************』

“けれど、恐い思いをしたでしょう。疲れているはず。ゆっくり休んで、休養が必要だわ”

「リオンは?」

 飛鳥は病室を見渡しながら尋ねた。

“今治療している。ここにはいないわ”

 ロクサンヌは飛鳥の顔を見て、慰めるように頭を撫でた。

『アスカ、**********』

“シャワーを浴びて、着替えるといいわ”

 指摘を受けて我が身を見下ろすと、確かに酷い格好をしていた。服は血や埃にまみれ、ところどころ破けている。
 恐る恐る隔離室に戻ると、ウルファンのつけた軍靴の足跡は綺麗に拭われていた。
 心細さが顔に出ていたのかもしれない。扉を閉める前に、ルーシーは飛鳥に声をかけた。見下ろす眼差しは、今さっきの戦闘が嘘のように、慈愛に溢れた優しいものだ。

“何かあれば、室内ベルでユーノを呼んでください。私に用事がある時は、ユーノに、こう言ってください”

『ルーシー******』

 ルーシーは同じ台詞を何度か繰り返した。発音が難しくて苦戦したが、五回言い直すと、良しと満足そうに頷く。

『ルーシーを、呼んでください』

『*******』

“そうです。覚えておいてください”

 飛鳥が呼べば、ルーシーは応じる気があるらしい……そう思った途端、またしても制御不能な喜びが胸の内に込み上げてきた。

『ありがとうございます』

『……どういたしまして』

 面映ゆい気持ちで礼を口にすると、ルーシーはとても優しい表情で微笑んだ。何をどうしても、鼓動が高鳴ってしまう。
 自戒するだけ無駄なのかもしれない。飛鳥の心は、ルーシーの言動にいちいち反応して、喜んでしまうのだから。
 魔法を使えば、ルーシーと両想いになれる……。
 ふと考えた途端、苦い想いが胸をよぎった。
 二度と、ルーシーに魔法を使わない。そんなことをすれば、果てしなく後悔することは目に見えている。

 その日の夜は、部屋の明かりを落とさずに眠りについた。
 恐い夢を見ないように。願わくば、雫に会えることを祈りながら。