人食い森のネネとルル

4章:ネネとルルと恋心 - 3 -

 そこから先は、はっきりと覚えていない。長く意識を保てず、目を開いてるのか、夢を見ているのか区別がつかなかった。
 暖かい腕に抱き上げられて、大切に運ばれた気もする。
 青い瞳に見つめられて、唇にキスをされた……けど、精気を奪われなかった。
 弱り切っているから、奪うほどの精気がなかったのかもしれないけれど……。
 どうやって帰ってきたのか、いつの間にか慣れ親しんだ寝台に寝ていて、傍には黒いのがいた。

「――お前が助けてくれたの?」

 黒いのは綺麗なアメシストの瞳で、ネネを見つめた。「キューン」と心配そうに鳴いて、まふっと顔を寝台に乗せてくる。可愛らしい仕草に、自然と笑みが零れた。

「いい夢を見たよ……。久しぶりに、ルルに会えたんだ」

 頭を撫でてくれた気がする。もしかしたら、あれは本当に、ルルだったんじゃないのだろうか……。

 ――アタシの窮地を察して、会いに来てくれたのかな……。そんな都合よく、ルルが現れるわけないか……。

 しかし、よろめきながら起き上がり、二階の厨房に立った時、既視感に襲われた。
 抱えるほどの岩塩や、火石リンタイトが木机の上に、無造作に置かれていたからだ。ネネだったら、絶対にこんな置き方はしない。
 魔法石は納屋にきちんとしまうし、岩塩も決められた置き場所がある。
 それに、ネネが採ってこなかった、聖石ノウタイト水石セイタイトまである。ルルと別れたあの日、ルルに採掘を依頼していた石だ――。

 ――ルルだ! 本当に、来てくれたんだ……!

 握りしめた石に、ぱたりと涙が落ちた。
 今すぐ、ルルに会いたい。ここへ来てくれたのなら、あと少しだけ、ネネが起き上がるまで待っていてくれたら良かったのに。
 嗚咽を堪えていると、足元に黒いのがすり寄ってきた。

「黒いの、ルルを見なかった? ここにいたはずなんだ……」

 魔性を秘めたアメシストの瞳を見ていると「ウァンッ」と吠えた。まるで「知っているよ」と言っているみたいだ。
 黒いのはキョロキョロと首をめぐらせて、厨房を眺めた後、ワインの空き瓶を咥えて戻ってきた。

「ん……?」

 ――何で空き瓶なんか……。これ、カタルカナユ・サンタ・ガブリールで買ったやつだ……。

「カタルカナユ・サンタ・ガブリールの街が、ルルと関係あるの……?」

 黒いのは三つに分かれた尾を揺らすと、肯定するように「ウァンッ」と吠えた。
 空き瓶を握りしめて、ルルの行方に思いを馳せた。
 ネネに会いに来てくれたのだから、自由の身でいるのだと思うけれど……、もしカタルカナユ・サンタ・ガブリールの街にまだいるのなら、ミハイルや調査隊に見つかる危険性はないのだろうか。

 あの日から、どれだけの時間が経ったか判らない。
 街へ降りるのは、まだ怖いけれど……、ルルは会いに来てくれたのだ。
 なら、ネネだって勇気を出して、会いに行くべきだ――。




 完全に復調して体力をしっかり戻した後、ネネは狩猟ローブを羽織り、カタパルトを腰のベルトに指して棲家を後にした。
 街へ降りる日を知っていたかのように、黒いのがネネの後をついてきたけれど、一緒に連れて行くわけにはいかない。

「黒いの……、気持ちは嬉しいけど、お前を連れてはいけないよ……」

「キューン……」

 澄み切った、いたいけな獣の眼差し。愛らしい眼差しに、心臓を撃ち抜かれそうになったけれど、心を鬼にして森を出た。

 ――ごめんね! お土産買って帰るから……!

 久しぶりに訪れたカタルカナユ・サンタ・ガブリールの街は、黄色や紫のパンジー、ビオラの花に彩られ、華やかな活気に溢れていた。
 街のいたる所に、鉄道貫通式のポスターが張られている。

 ――ついに完成するんだ……。

 初めてルルと一緒にこの街へ降りたあの日を、昨日のことように思い出した。

”これぞ文明社会。弾丸が飛ぶ時代だよ? ネネは百年どころか、二百年遅れた生活をしているわけだ”

”うっさいな”

 思い出したら、くすりと笑みが零れた。
 鉄道が通る文明社会の中、ネネときたら、相変わらず山から降りてきましたと言わんばかりの、やぼったい狩猟スタイルだ。
 ルルに馬鹿にされても文句は言えない。
 特に、今日はいつになく街をゆく娘達の恰好が華やいでいる気がする。
 娘達をじっと見つめていたら、ふと目が合った。ネネを見るなり、小馬鹿にしたように笑われた。
 急に恥ずかしくなって、頬が熱くなった。
 ワンピースを着てきた方が良かったのだろうか……。
 人目の多い大通りに出られず、ぐずついていると、通りの向こうからやってきた、豪奢な美女に声をかけられた。

「ごきげんよう、お嬢さん」

 まさか声をかけられるとは思わなくて、ネネは飛び上がらんばかりに驚いた。