PERFECT GOLDEN BLOOD

4章:黄金律の血 - 4 -

 南緯六十度。
 ドレイク海峡――無限に拡がる荒々しい海のただなかに、氷の孤城は聳え立っていた。その威容は、女王の住処に相応しく、厳かで、陰気な狂気を孕み、底知れぬ古代の雰囲気を漂わせている。
 ルイたちは上空に浮きあがり、陰鬱いんうつな孤城を見下ろした。
 辺りには、真実を見透せぬよう目くらましの細工が施されているが、わだかまる禍々しい空気は隠し遂せていない。
 世界が未だかつて経験していない、迫りくる災禍の悪夢めいた恐怖が、大気を満たしている。眼下に荒々しく打ち寄せる波までもが、黙示録的な、破滅の運命のしるしを帯びていた。
「瘴気を祓おう」
 ルイの言葉に、Vたちの双眸が光輝を放つ。三次元の向こうを見据え、透明の膜を見透かさんとする。
 血の絆に結ばれた彼等の意識は、光と影が交錯し融けあうように、やがて一つになった。
 不可視の障壁を捕らえた瞬間、闇の結界は罅割れ――紺碧こんぺきの海面は紅蓮大紅蓮の猛火に覆われた。
 黒煙と金粉を煽った火の粉とが、この世の終わりとばかりに舞い狂うなか、女王は宙に浮きあがり――

“そは永久とこしえに横たわらる旧神に在らず……永劫の宇宙をけみして蘇りし神なり。猛威を振るう災厄にして、新世界の導き手となれ”

 力ある言葉――異界の神を呼び起こす詠唱を紡いでいる。
 年た惑星の忘れ去られた、異界の神――幾星霜もの時を超え、世界の隅々に留まり続けた者に命を吹きこむ、闇の詠唱だ。
 一刻の猶予もない――切羽詰まった状況を見て、ルイは兄弟たちを振りむいた。
「千尋はウルティマスを呼んで。ヴィエルは彼女を頼む。アラスターとアンブローズは俺と一緒にきてくれ」
 彼らは素早く視線をかわし、頷いた。ルイとアラスター、アンブローズが孤城へ降りたあと、残された千尋とヴィエルは、厳しい視線を女王に向けた。
 彼女を止められるのは、ウルティマスだけだ。
 しかし、神を呼ぶには手順を必要とする。常人には不可能だが、巫女である千尋には可能だった。

“宇宙にいま創造神ウルティマスよ、我が呼びかけに答え、小さき者らゆきるこの星を祝福めぐみ給え”

 千尋が厳かに詠唱を始めると、その無防備な状態を守るように、ヴィエルは油断なく霊感を巡らせた。
 どちらの詠唱が早く完成するか――女王は詠唱を続けながら、Vたちの闖入ちんにゅうを妨害しようとする。
 海底の底から青い焔がたちのぼり、千尋とヴィエルに襲いかかった。全てを燃やし尽くす業火だ。ヴィエルは球体の保護膜を展開し、千尋と自分を包みこんだが、陰鬱いんうつな焔の勢いたるや凄まじく、天空にまで轟いた。

“今こそがときの黎明、わざわいの息吹で、万人の都市を死都へ変転させよ!”

 透明な声は麗しく、詩篇か賛美歌のような響きを帯びているが、そこにこめられた意味は、この世の終焉を呼びこむものだ。

きよ! まどかなる冥界の獣よ、ミルヒギスよ! う、きたれ!”

 女王の呼びかけに答えるように、海底が唸り声をあげた。狂気と恐怖とがすぐそこに迫っている――女王は勝利を確信し、恍惚の微笑を浮かべた。

まどかなる……まどかなる……冥界の獣、ミルヒギスよ”

 大気も風も雨も、全てが火焔のなかで揺らめく。
 海面が蒸発し、水滴に青い焔が反射して煌めいた。強風は焔を自在に操り、世界を緋色に染めあげる。
 海面が不気味に盛りあがり、いにしえの神、ミルヒギスがその巨躰をついに露わした――想像を絶する光景だが、千尋は集中力を乱さなかった。神かりの詠唱を続ける。

“三千世界をけみし主よ、小さき者らに血と、黄金と、慈雨を与え給え”

 刹那、暗黒の空に亀裂が走り、黄金色の陽光が射した。千尋の詠唱に、創造神ウルティマスが応えたのだ。此の世にあらざる光輝が、破魔のごとくナーディルニティを射る。

“鎮まりなさい、ナーディルニティ”

 ウルティマスの声に、女王は愁眉を寄せた。たったの一言が絶対的な支配をもち、意識のなかで殷々いんいんこだまするのを感じた。
 ウルティマスの神秘により、聖なる鳥たちは光り耀かがやきながら、旧神を取り囲んだ。召喚を封じようとする鳥を、女王は不滅の焔で燃やさんとするが、清浄の光は翳らない。

“邪魔をするなッ!”

 女王は鞭をふるうような鋭さで一喝した。爛と輝く眸で天を見据え、呪術を放つ!
 永遠不滅の二つの光は烈しく反発しあい、生気汪溢せいきおういつな超自然の光を生みだした。
 なんたる光景であることか――黒檀のように輝いたかと思えば、黄金色にもえあがり、緑の葡萄酒のように染まって、蒼い焔を昇らせた。
 空想も現実も凌駕する、空間と重力の制約外――異次元領域で繰り広げられる神々の戦いは、壮麗なる光の歌劇オペラだった。
 熾烈な戦闘は互角に思われたが、やがて迸る創造のエネルギーが、暗黒の魔力を上回った。
 弟神の柔らかな輝きに包みこまれ、女王は、得体の知れぬ服従感を覚えた。暖かな光はさながら愛撫のようで、せいに燃え、愛しさに満ちて――凍りついた魂をとろかされそうになる。
“おのれ、ウルティマスッ”
 奴は仇敵ぞ。自分は闇の女王、邪悪な殺戮の女神であるのに、何故の服従か!
 調和を厭う女王は、永遠の闘争を求めて、この場は引くほかなかった。