3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで
6章:エイミーとエミリオ - 3 -
昼食を終えると、家族でドライヴに出かけることになった。
港へ向かう翼艇 をおりると、停泊場 の片隅に、ベージュ・ゴールドのアンティーク車が輝いていた。
陽を反射して金色に煌めく車体に、シドニーの青い瞳が興奮に輝いた。
「母様、僕が運転しても良いですか?」
「ダメよ」
「操縦は履修済です!」
「どうやって? 運転免許は十六歳からでしょう?」
「独学ですが、どうということはありません」
小さな胸を張り、凛々しく断言するその姿があまりに可笑しくて、家族の笑い声が弾けた。
しかし母はあっさりと切り返す。
「あるわよ、あなたまだ八歳でしょう? シルヴァニールの敷地内なら練習してもいいけれど、今日は我慢なさい」
がっかりする弟の頭を、エミリオが指先でくしゃりと撫でた。
「そのうち機会があるさ。僕だって、まだ免許は取っていないんだぞ」
運転は、義父自ら務めることになった。
家族五人がちょうど乗りこめる車の後部座席に、エミリオ、エイミー、シドニーの順で並んだ。
狭いので、ふとした拍子に隣のエミリオと肘や膝がぶつかる。ほんのわずかな接触でも、エイミーの胸はその都度ざわついた。
(私ってば本当、意識しすぎなんだから……)
ささやかな感触に、いちいち全身で反応してしまう。触れあうたびにこうなるわけではないと信じたい。
自分を叱咤して、視線をそっと前方へ向けた。
「お義父さまの運転、初めて見ます」
バックミラー越しに、紫水晶のような瞳とふっと遭う。
「お義父さま、かっこいいです」
「ありがとう」
義父がくすりと笑った。その一瞬、胸の奥に温かな光がさした。
昔は、義父のことがただ恐ろしかった。冷たく、遠い存在だったけれど……今は、娘として大切にされていると心から感じられる。嬉しい変化だ。
「……僕も十六歳になったら、運転できるようになるよ」
ぽつりと呟いたエミリオの声に、思考を遮られた。
きょとんとしたエイミーだが、意味を測りかねながらも、反射的にほほえんだ。
「そうですね。お義兄さまが免許を取得したら、ドライブに連れていってほしいわ」
エミリオは少し照れたように、けれど優しく笑った。
「いいよ」
その短い言葉が、夏の風に融 けていく。
──本当に、風に。シドニーが勢いよく窓を開け放ったのだ。
「シドニー! 危ないからダメよ。閉めてちょうだい」
母の叱声に、弟はしょんぼりと窓から顔を引っこめた。
けれど、外を見たいその気持ちはよく分かる。
「少し我慢しましょうね」
艶やかな弟の黒髪を撫でながら、エイミーは窓の外に目を向けた。
果てなく広がる群青の海と空。
柔らかな弧を描く水平線は、まるで銀砂 をまぶしたように、きらきらと光を躍らせている。
崖沿いの道路はどこまでも続き、家々と樹々のあいだを檸檬の香が仄かに漂う。
──窓を全開にして、頬に風を感じたい。
そう思うが、ここは世界的な観光地。交通量はそれなりに多く、海岸沿いの細道では浮遊単駆動車が隙間を縫うように走り抜ける。
不用意に顔を突きだせば、事故が起こらないとも限らない。
おとなしく座席に身を収め、流れる風景を目で楽しみながら、車は目的地へと滑りこんでいった。
このあたりの地形は北西へとゆるやかな曲線を描き、その突端には蒼の岬 がある。
車をおりると、丘は驚くほど青く、現実離れして見えた。
景観は美しいが、崖は脆く滑りやすい。端には立入禁止のロープが張られていた。
「わぁ~、いい眺め」
崖に設置された岩のバルコニーから身を乗りだし、エイミーは感嘆の声をあげた。
「高いところが好きだね」
隣に並んだエミリオが、からかうようにいった。
実に見晴らしのよい場所で、ライム海岸の壮麗な美しさをパノラマで堪能できる。
「私、何時間でもここにいられるわ」
そういうと、エミリオはふっと口元を和らげた。
「風が気持ちいいね」
頬を撫でる風は、海の香と夏の記憶を運んでくる。
やがてシドニーも駆け寄ってきて、石段の出っぱりに立ち、同じ海を望んだ。
青い空と青い海が融 けあい、陽の降りそそぐ岬 には、夏のすべてが息づいていた。
「寒くない?」
隣でエミリオが静かに問う。
「平気よ」
エイミーは目を開け、笑って答えた。
確かに断崖から吹きあげてくる風は冷たいが、真っすぐ炎天の陽射しが降り注ぐので、ちょうどいいくらいだ。
隣で、シドニーが一点をじっと見つめて動かないので、エイミーは声をかけた。
「いい景色ね」
するとシドニーは、おずおずと岩壁を指さした。
「いえ、景色ではなく……あそこにいる蒼玻璃虫 を見ていました」
「……大きいわね。お義母さまには教えちゃダメよ」
翅 が青硝子のように透きとおっていて綺麗だが、義母は生きた虫全般が苦手なのだ。
「ごめんなさい、黙っています。海崖や断崖の岩肌に棲 む、珍しい虫なので……つい」
シドニーは申し訳なさそうに笑った。
このような会話が囁かれているとは露 知らず、義母は優雅に裾 を翻 し、義父と腕を組んで、青い丘を歩いている。
「お前、虫より海を見ろよ」
呆れたようにいいながらも、エミリオの視線も同じ場所に釘づけになっている。
なんとなく、エイミーは岩壁から手を離した。
「岩肌に完全に同化しているのね。よく気がついたわね」
感想をくちにすると、シドニーは嬉しそうに笑った。
いまだ性が分化しきっていない、少女のように愛らしい顔立ちで。
天使の笑顔につりこまれそうになるが、なんだか微妙な気持ちになるエイミーだった。
帰りは別のルートをとり、港へ戻ることにした。
日が傾きはじめ、金色の陽光が波間にこぼれて散っている。
行きとは違い、帰りの車内は静かだった。シドニーはもう眠ってしまいそうだ。船を漕 ぐ弟の頭を自分の肩に預けながら、エイミーはぼんやりと窓の向こうの海を眺めていた。
岩窟 邸に着く頃には、空は茜から紫紺 のグラデーションに染まり、星が瞬 きはじめていた。
昼間は気づかなかったが、夜になると潮が満ち、桟橋 の傍の岩肌がすっかり隠れていた。
満潮 と干潮 の差が、この海は大きいのだろう。
晩餐まで、まだ少し時間がある。
エイミーとシドニーは、エミリオに誘われて波音 の庵 で寛 ぐことにした。
ここは天然の岩窟 をくりぬいた小さな入江で、海風が優しく通り抜け、寝椅子 が並べられている。
シドニーは横になった途端に、目を閉じてしまった。小さな寝息をたてて夢のなかだ。今日一日、はしゃぎ疲れたのだろう。
エイミーも隣で微睡 みかけていたが、エミリオが膝掛をそっとかけてくれたのに気づき、薄く目を開けた。
「目を閉じていていいよ」
「ありがとう……波の音を聴いていると、眠くなるわね。癒されるわ」
「僕も、この庵 が好きなんだ」
その声に、懐かしむような響きが含まれていて、エイミーも彼の幼い頃に思いを馳せた。
――九年前。
エイミーの誤射で銃創 を負ったエミリオは、療養のために、ライム海岸でひと夏を過ごした。
当時は、岩窟 邸とは知らなかったが……きっと小さなエミリオも、この庵 で癒されたのだろう。
長い脚が視界の端に映り、エイミーは無意識に、そっと大腿 に掌を押し当てた。
「っ、エイミー?」
慄 く声に、はっとして手を離す。
「ごめんなさい、ただ……思いだしちゃって」
彼も同じ記憶を呼び覚ましたのだろう。ふと優しい表情になって、エイミーの髪を撫でた。
「とっくに治っているよ」
「……うん」
指先の温もりが心に沁 みた。
もっと近づきたくて、エイミーは躰を起こし、彼の肩にもたれかかる。
エミリオは何もいわず、膝掛をもう一度整えてくれた。
波が揺り籠のように打ち寄せ、遠い子守唄のように響く。
とろとろと眠気がやってきて、このまま夢に落ちていけたら……と思ったところで、晩餐の時間になった。
半分眠りながらテラスに向かったエイミーとシドニーだが、着席する頃には目を輝かせていた。
夜のテラスは、昼とはまた違った魅力に満ち溢れていた。
鉤爪脚 がついた丸卓に、庭で摘んだ花のアレンジメントが飾られている。
蝋燭の火が、白い花弁と食器を照らし、柔らかく揺れる光が夜を装う。
眺めもいい。
入江は幽 かに光を帯び、まるで水底 から月光が輝いているように見える。
昼間は気づかなかったが、テラスの柱に雨樋の怪物 が設置されていて、探索するように眼孔が青く光り、あちこちに光芒 を投げかけていた。
「さあ、乾杯しましょう」
義母の言葉に、エイミーはテーブルに視線を戻した。
「明日はエイミーの十四歳の誕生日ね。おめでとう、エイミー。あなたが健やかに、優しく、美しく育ってくれて嬉しいわ。乾杯」
「「乾杯」」
グラスを掲げ、笑顔を交わす。
「おめでとう、エイミー」「姉様、おめでとうございます」「おめでとう」「おめでとうございます、お嬢様」
家族も、執事も、マイヤ夫人も、給仕たちまでもが拍手を送ってくれた。
祝福を浴びて、エイミーはちょっと照れくさかったが、嬉しかった。
「ありがとう、皆。岩窟 邸にこられて、お祝いまでしてもらえて、とっても嬉しいわ」
グラスの林檎ジュースが、今夜は格別に美味しく感じられる。こういう時、ほんの少しアルコールが恋しくなるが、まだ子供の舌ではきっと判らないだろう。
晩餐は港町らしい海産メニューで、香草と馬鈴薯 のシチューに、鱒 の炭火焼が饗 された。
どれもすこぶる美味で、幸福が胸いっぱいに広がる。
食後のデザートは、ケーキの形をしたアイスクリームで、おかわりしたいほど美味しかった。
温かい紅茶を手にしていると、義母が柔らかな声でいった。
「明日は港町を散策しましょうか」
「賛成!翼船 から眺めていた時から、歩いてみたいと思っていたの。楽しみだわ」
「あなたの誕生日だし、気に入ったものが見つかれば、なんでも好きに買うといいわ。もちろん、公爵家の支払いでね」
ふふふ、とオリヴィアは笑う。
「ありがとう、お義母さま、お義父さまも」
穏やかな空気が流れる。
旅の一日を締めくくる、素敵な晩餐だった。
部屋へ戻ると、心地よい疲労が全身を包みこんだ。
本当は岩窟 邸のプールや湯苑 にもいってみたかったが、今夜はもう、体力が尽きてしまった。
しかし、この洞 のような寝室で眠るのも、密かな楽しみだった。
室内に浅く澄んだ流れがあり、寝台の傍に滝の帳 がかかっているのだから。
岩肌をつたう水の音が絶え間なく響き、空気そのものがやわらかに潤っている。
部屋というより屋外に感じられるが、光沙膜 の偏光障壁 に守られているので、害虫や黴 の心配はない。
部屋に備えられたジャグジーも最高だった。
メイドのサアラの手を借りて湯に身を沈めると、躰の芯からゆっくりと溶けていくようだった。
湯気の向こうに、水面の揺光 が壁をなぞり、銀の波紋が天井で踊っている。
十分に寛 いだあと、エイミーはのろのろと寝台に横たわった。
「それではお嬢様、お休みなさいませ」
退出しようとするサアラを、エイミーは呼び止めた。
「ねぇ、サアラ。貴方たちも、お休みはあるわよね?」
サアラはにっこりとほほえんだ。
「ええ、ございますよ」
「せっかくライム海岸に来ているんだもの。皆にも楽しんでほしいわ」
「お心遣いありがとうございます、お嬢様。私も次の休日は港町にいこうと思っているんですよ。明日の散策で素敵なところを見つけたら、ぜひ教えてくださいね」
「いいわ、任せて」
寝台のなかで、エイミーは小さく拳を握った。
「ふふ、ありがとうございます……お休みなさい、お嬢様」
「お休み、サアラ」
扉が静かに閉じられると、部屋は森
となった。
滝の帳 が音もなく降り、岩壁に反射した淡い水の光が、夢の残滓 のように、ゆらゆらと天蓋を照らしている。
足もとでは、小さな流れが透明な糸を紡 ぎ、そのうえを星明りが静かに渡っていく。
遠くでは、波が寄せては返し、どこかで海鳥がひと声、短く啼 いた。
ふと、翼船 から眺めた、セレイヴの群れを思いだした。
知らず、口元が笑みに和らぐ。
自然の旋律が夜を包み、その調べがまるで子守唄のように感じられる。
水底 に沈みゆくような心地で、エイミーはやがて、穏やかな眠りに就いた。
港へ向かう
陽を反射して金色に煌めく車体に、シドニーの青い瞳が興奮に輝いた。
「母様、僕が運転しても良いですか?」
「ダメよ」
「操縦は履修済です!」
「どうやって? 運転免許は十六歳からでしょう?」
「独学ですが、どうということはありません」
小さな胸を張り、凛々しく断言するその姿があまりに可笑しくて、家族の笑い声が弾けた。
しかし母はあっさりと切り返す。
「あるわよ、あなたまだ八歳でしょう? シルヴァニールの敷地内なら練習してもいいけれど、今日は我慢なさい」
がっかりする弟の頭を、エミリオが指先でくしゃりと撫でた。
「そのうち機会があるさ。僕だって、まだ免許は取っていないんだぞ」
運転は、義父自ら務めることになった。
家族五人がちょうど乗りこめる車の後部座席に、エミリオ、エイミー、シドニーの順で並んだ。
狭いので、ふとした拍子に隣のエミリオと肘や膝がぶつかる。ほんのわずかな接触でも、エイミーの胸はその都度ざわついた。
(私ってば本当、意識しすぎなんだから……)
ささやかな感触に、いちいち全身で反応してしまう。触れあうたびにこうなるわけではないと信じたい。
自分を叱咤して、視線をそっと前方へ向けた。
「お義父さまの運転、初めて見ます」
バックミラー越しに、紫水晶のような瞳とふっと遭う。
「お義父さま、かっこいいです」
「ありがとう」
義父がくすりと笑った。その一瞬、胸の奥に温かな光がさした。
昔は、義父のことがただ恐ろしかった。冷たく、遠い存在だったけれど……今は、娘として大切にされていると心から感じられる。嬉しい変化だ。
「……僕も十六歳になったら、運転できるようになるよ」
ぽつりと呟いたエミリオの声に、思考を遮られた。
きょとんとしたエイミーだが、意味を測りかねながらも、反射的にほほえんだ。
「そうですね。お義兄さまが免許を取得したら、ドライブに連れていってほしいわ」
エミリオは少し照れたように、けれど優しく笑った。
「いいよ」
その短い言葉が、夏の風に
──本当に、風に。シドニーが勢いよく窓を開け放ったのだ。
「シドニー! 危ないからダメよ。閉めてちょうだい」
母の叱声に、弟はしょんぼりと窓から顔を引っこめた。
けれど、外を見たいその気持ちはよく分かる。
「少し我慢しましょうね」
艶やかな弟の黒髪を撫でながら、エイミーは窓の外に目を向けた。
果てなく広がる群青の海と空。
柔らかな弧を描く水平線は、まるで
崖沿いの道路はどこまでも続き、家々と樹々のあいだを檸檬の香が仄かに漂う。
──窓を全開にして、頬に風を感じたい。
そう思うが、ここは世界的な観光地。交通量はそれなりに多く、海岸沿いの細道では浮遊単駆動車が隙間を縫うように走り抜ける。
不用意に顔を突きだせば、事故が起こらないとも限らない。
おとなしく座席に身を収め、流れる風景を目で楽しみながら、車は目的地へと滑りこんでいった。
このあたりの地形は北西へとゆるやかな曲線を描き、その突端には蒼の
車をおりると、丘は驚くほど青く、現実離れして見えた。
景観は美しいが、崖は脆く滑りやすい。端には立入禁止のロープが張られていた。
「わぁ~、いい眺め」
崖に設置された岩のバルコニーから身を乗りだし、エイミーは感嘆の声をあげた。
「高いところが好きだね」
隣に並んだエミリオが、からかうようにいった。
実に見晴らしのよい場所で、ライム海岸の壮麗な美しさをパノラマで堪能できる。
「私、何時間でもここにいられるわ」
そういうと、エミリオはふっと口元を和らげた。
「風が気持ちいいね」
頬を撫でる風は、海の香と夏の記憶を運んでくる。
やがてシドニーも駆け寄ってきて、石段の出っぱりに立ち、同じ海を望んだ。
青い空と青い海が
「寒くない?」
隣でエミリオが静かに問う。
「平気よ」
エイミーは目を開け、笑って答えた。
確かに断崖から吹きあげてくる風は冷たいが、真っすぐ炎天の陽射しが降り注ぐので、ちょうどいいくらいだ。
隣で、シドニーが一点をじっと見つめて動かないので、エイミーは声をかけた。
「いい景色ね」
するとシドニーは、おずおずと岩壁を指さした。
「いえ、景色ではなく……あそこにいる
「……大きいわね。お義母さまには教えちゃダメよ」
「ごめんなさい、黙っています。海崖や断崖の岩肌に
シドニーは申し訳なさそうに笑った。
このような会話が囁かれているとは
「お前、虫より海を見ろよ」
呆れたようにいいながらも、エミリオの視線も同じ場所に釘づけになっている。
なんとなく、エイミーは岩壁から手を離した。
「岩肌に完全に同化しているのね。よく気がついたわね」
感想をくちにすると、シドニーは嬉しそうに笑った。
いまだ性が分化しきっていない、少女のように愛らしい顔立ちで。
天使の笑顔につりこまれそうになるが、なんだか微妙な気持ちになるエイミーだった。
帰りは別のルートをとり、港へ戻ることにした。
日が傾きはじめ、金色の陽光が波間にこぼれて散っている。
行きとは違い、帰りの車内は静かだった。シドニーはもう眠ってしまいそうだ。船を
昼間は気づかなかったが、夜になると潮が満ち、
晩餐まで、まだ少し時間がある。
エイミーとシドニーは、エミリオに誘われて
ここは天然の
シドニーは横になった途端に、目を閉じてしまった。小さな寝息をたてて夢のなかだ。今日一日、はしゃぎ疲れたのだろう。
エイミーも隣で
「目を閉じていていいよ」
「ありがとう……波の音を聴いていると、眠くなるわね。癒されるわ」
「僕も、この
その声に、懐かしむような響きが含まれていて、エイミーも彼の幼い頃に思いを馳せた。
――九年前。
エイミーの誤射で
当時は、
長い脚が視界の端に映り、エイミーは無意識に、そっと
「っ、エイミー?」
「ごめんなさい、ただ……思いだしちゃって」
彼も同じ記憶を呼び覚ましたのだろう。ふと優しい表情になって、エイミーの髪を撫でた。
「とっくに治っているよ」
「……うん」
指先の温もりが心に
もっと近づきたくて、エイミーは躰を起こし、彼の肩にもたれかかる。
エミリオは何もいわず、膝掛をもう一度整えてくれた。
波が揺り籠のように打ち寄せ、遠い子守唄のように響く。
とろとろと眠気がやってきて、このまま夢に落ちていけたら……と思ったところで、晩餐の時間になった。
半分眠りながらテラスに向かったエイミーとシドニーだが、着席する頃には目を輝かせていた。
夜のテラスは、昼とはまた違った魅力に満ち溢れていた。
蝋燭の火が、白い花弁と食器を照らし、柔らかく揺れる光が夜を装う。
眺めもいい。
入江は
昼間は気づかなかったが、テラスの柱に
「さあ、乾杯しましょう」
義母の言葉に、エイミーはテーブルに視線を戻した。
「明日はエイミーの十四歳の誕生日ね。おめでとう、エイミー。あなたが健やかに、優しく、美しく育ってくれて嬉しいわ。乾杯」
「「乾杯」」
グラスを掲げ、笑顔を交わす。
「おめでとう、エイミー」「姉様、おめでとうございます」「おめでとう」「おめでとうございます、お嬢様」
家族も、執事も、マイヤ夫人も、給仕たちまでもが拍手を送ってくれた。
祝福を浴びて、エイミーはちょっと照れくさかったが、嬉しかった。
「ありがとう、皆。
グラスの林檎ジュースが、今夜は格別に美味しく感じられる。こういう時、ほんの少しアルコールが恋しくなるが、まだ子供の舌ではきっと判らないだろう。
晩餐は港町らしい海産メニューで、香草と
どれもすこぶる美味で、幸福が胸いっぱいに広がる。
食後のデザートは、ケーキの形をしたアイスクリームで、おかわりしたいほど美味しかった。
温かい紅茶を手にしていると、義母が柔らかな声でいった。
「明日は港町を散策しましょうか」
「賛成!
「あなたの誕生日だし、気に入ったものが見つかれば、なんでも好きに買うといいわ。もちろん、公爵家の支払いでね」
ふふふ、とオリヴィアは笑う。
「ありがとう、お義母さま、お義父さまも」
穏やかな空気が流れる。
旅の一日を締めくくる、素敵な晩餐だった。
部屋へ戻ると、心地よい疲労が全身を包みこんだ。
本当は
しかし、この
室内に浅く澄んだ流れがあり、寝台の傍に滝の
岩肌をつたう水の音が絶え間なく響き、空気そのものがやわらかに潤っている。
部屋というより屋外に感じられるが、
部屋に備えられたジャグジーも最高だった。
メイドのサアラの手を借りて湯に身を沈めると、躰の芯からゆっくりと溶けていくようだった。
湯気の向こうに、水面の
十分に
「それではお嬢様、お休みなさいませ」
退出しようとするサアラを、エイミーは呼び止めた。
「ねぇ、サアラ。貴方たちも、お休みはあるわよね?」
サアラはにっこりとほほえんだ。
「ええ、ございますよ」
「せっかくライム海岸に来ているんだもの。皆にも楽しんでほしいわ」
「お心遣いありがとうございます、お嬢様。私も次の休日は港町にいこうと思っているんですよ。明日の散策で素敵なところを見つけたら、ぜひ教えてくださいね」
「いいわ、任せて」
寝台のなかで、エイミーは小さく拳を握った。
「ふふ、ありがとうございます……お休みなさい、お嬢様」
「お休み、サアラ」
扉が静かに閉じられると、部屋は
滝の
足もとでは、小さな流れが透明な糸を
遠くでは、波が寄せては返し、どこかで海鳥がひと声、短く
ふと、
知らず、口元が笑みに和らぐ。
自然の旋律が夜を包み、その調べがまるで子守唄のように感じられる。