3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

6章:エイミーとエミリオ - 2 -

 翼船よくせんから見おろすライム海岸の港町は、鮮やかな綴錦タペストリのように美しかった。
 夏の陽がさんと降り注ぐ、色彩豊かな家並み、独特の樹々、鮮やかな花々が織りなす、異国情緒に富んだ壮大なパノラマ。
 交易と観光で栄えるこの町には、交通技術のすいが集結している。
 時短の翔環ポータルはもちろん、景観を楽しめるように、陸路から砂船させん、空路から翼船よくせん、そして航路から帆船はんせんが日夜出入りできるよう整備されていた。
 港は人の往来おうらいであふれ、宿屋やいちが立ち並び、明るくて賑々にぎにぎしい。
「港町って素敵ね。ゆっくり歩いてみたいわ」
 シルヴァニール領からほとんど出たことのないエイミーにとって、港町を訪れるのはこれが初めてだった。どちらを向いても旅情をかきたてられる。
「ライム海岸は、世界一美しい港と評されているそうだよ」
 エミリオの言葉に、エイミーは心から賛同した。
 断崖に築かれた街並みは、宝石のように美しい。またたきすらできない。ここから眺める景色をきりとって、永遠に飾っておきたいくらいだ。
「ところで、もう目的地に着いたんじゃないの? まだ降りないのかしら?」
 エイミーは甲板かんぱんを見回した。
 船員は着陸準備をしているようだが、翼船よくせんはなおも空をすべり、ゆるやかに南へと進み続けている。このままでは港を通り過ぎてしまいそうだ。
「別荘の海岸前で降りるんだよ」
「えっ、そうなの? 本当に現地まで運んでくれるのね」
 彼の言葉どおり、翼船よくせんは港を越えて、海岸沿いに南に進んだ。賑やかな街並みから、どんどん遠ざかっていく。
 船が低く汽笛きてきを鳴らし、速度を落とした。
 どうやら目的地は近いらしいが、見渡すかぎり森林しか見えない。
 エイミーが不思議そうに四方を見回していると、隣にいるエミリオが、少し得意げな笑みを浮かべた。
「どこにあると思う?」
「え、もう見えているの?」
入口・・はね」
「どこ?」
 エイミーは森の方を眺めた。シドニーも同じ方向を凝視している。
「実は、海岸に面した洞窟を抜けた先に、岩窟がんくつ穿うがたれた別荘があるんだ」
「「岩窟がんくつ!?」」
 エイミーとシドニーは目をみはり、慌てて海岸沿いを探した。
 すると柏槙びゃくしんの合間に、銀灰色の岩壁がぽつぽつ突きだしていることに気がついた。
 森のなかに、自然の裂け目のような穴が、ぽっかりと口を開いている。
 よく目をらすと、岩肌に溶けこむように窓や回廊かいろうが造られ、天然石と建築が一体となった邸が秘されていた。
「えっ!? あそこ!?」
 エイミーの声が裏返った。シドニーもぽかんとくちを開けている。
「うふふ、素敵でしょう?」
 突然、義母の声がした。
 振り向くと、いつの間にか甲板かんぱんに養親がいて、驚いているエイミーたちを楽しげに見ていた。
「着いたわね」
 義母のいう通り、翼船よくせんは帆を畳み、ゆるやかに降下を始めた。
 着水の瞬間、涼やかな飛沫しぶきが陽を受けて散り、七色の橋を架けた。
 駆動音がして顔をあげると、洞窟の奥から、小型の翼艇よくていが水飛沫しぶきを毛羽立たせながら、空をすべるように近づいてくるところだった。
 迎えの船だ。顔なじみの使用人が乗っている。
 離れた地で知った顔に再会できた喜びと、旅の昂揚感が胸いっぱいに満ちて、エイミーは抑えきれずに手を振った。
「みんなー!」
 公爵令嬢らしからぬ奔放ほんぽうさだが、甲板かんぱんの空気は和らいだ。使用人たちも恐縮したように、けれども嬉しげに手を振り返した。
 エイミーたちは翼艇よくていに乗り換えると、碧の洞窟へとすべりこんだ。
 水面が鏡のように輝き、船底に反射した光が天井の岩肌を揺らめかせる。
「うわぁ……!」
 シドニーが感嘆の息をもらし、エイミーは声もなく見惚れた。
 碧の光が満ちる世界──まるで海の底に降りていくようだ。
 空気はひんやりとして、澄み渡り、心がすぅっとする。小さな声も反響して聴こえるので、シドニーは面白がって「わぁ、わぁ」と繰り返し声にだして笑いを誘った。
 洞窟を抜けた瞬間、視界は一気に開けた。
 陽光が流れこみ、碧い水が煌めく。
 そこには、岩窟がんくつに築かれた静寂のオアシスが広がっていた。
 ぽっかり空いた穴の向こうに青空が広がり、高い岩壁から繊細な滝が沙幕ヴェールのように流れ落ちている。
 小舟の浮かぶ透明な入江。水辺にせりだした、石灰岩を削って造られたテラス。
 公爵家の別荘は、岩窟がんくつに築かれた、静謐せいひつと水の楽園だった。
「なんて……素敵なのっ!」
 エイミーは胸いっぱいに息を吸い、感動のまま叫んだ。
 その勢いで、隣にいたエミリオへ思わず抱きついてしまう。
 かぐわしい、爽やかな柑橘かんきつの匂い。
 一瞬、あたりがしんとなり、にやにやしている義母と目があった。
 我に返って顔をあげた瞬間、菫色のひとみがすぐ近くにあった。
 彼は、頬を染めて困ったようにほほえんだ。それでも、優しく腕をそえて、エイミーを抱きとめていた。
「ご、ごめんなさい」
 エイミーは慌てて身を離した。きっと、耳まで赤くなっているだろう。
 義母の目が「すべてお見通しよ」といっているようで、いたたまれない……
 気を取りなおして桟橋さんばしに降り立ったエイミーは、意気揚々と石灰岩の階段をのぼり、白い石畳の道を進んだ。
 その先に、陽の射すサンルームへと直結する、広々としたテラスがあった。
 白いブーゲンビリアが壁を這いのぼり、ジャスミンとラベンダーの甘い香りが風に溶けていく。
 あたりに舞う碧い微光は、邸の守護精霊ガーディアンだ。妖精の羽のように光を散らし、音もなく浮遊している。
 テラスには、シルヴァニール邸から派遣された使用人たちが整列していた。そのなかには、マイヤ夫人とサアラの姿もある。
「奥様、旦那様、若様、お嬢様、ようこそお待ちしておりました」
 執事頭しつじがしらのドラージュは、胸に手を当ててうやうやしくこうべを垂れた。
 彼はシルヴァニール邸に仕える執事のひとりで、今回の滞在に先立ってこの別荘へ赴き、すべての準備を整えていた。
 この邸における使用人の総責任者である。
「色々とありがとう。今日からよろしくね」
 義母は、用意万端整えられたテラスを一瞥いちべつし、満足げにほほえんだ。
「お荷物はお部屋にお運びしてあります。邸内をご案内いたしましょうか?」
 執事の言葉に、義母は頷いた。
「そうね、私と夫は少し休ませてもらうわ。子供たちをお願いできる?」
「かしこまりました」
 サンルームの扉は開放されている。
 両親はそのまま中へと進み、エイミーたちも後ろに続いた。エミリオは以前に訪れたことがあるが、エイミーとシドニーにとっては、これが初めての岩窟がんくつ邸だ。
「お食事はテラスにご用意いたします。こちらのお席は、昼と夜でまったく違った表情をお楽しみいただけますよ」
「わぁ、楽しみだわ!」
 エイミーは手を叩いて喜んだ。
「私も案内できることを嬉しく思います。この邸に主人をお迎えするのは、とても久しぶりのことですから」
(こんなに素敵なのに、もったいない! 賃貸にだせば、絶対人気がでるわ!)
 思わず、投資家として熱くなってしまう。
 人の出入りこそ少ないようだが、邸は地元の警備組織によって丁寧に管理され、岩肌も桟橋さんばしも庭園も、隅々まで完璧に手入れされていた。
 サンルームは自然の岩肌をそのまま生かした設計で、窓がない。
 一見すると野趣やしゅに富んでいるが、最先端の光沙膜レイ・ヴェールが雨風を遮断し、外界の空気だけを柔らかく通す仕組みだ。
 この海に面した秘境の岩窟がんくつ邸に、エイミーもシドニーも、すっかり心を奪われてしまった。
「素敵ね……隠れ家みたい!!」
「探検したいです」
 ふたりの弾む声に、執事の口元がゆるむ。彼はほほえみながら、廊下に続く扉を開いた。
 そこでまた、エイミーもシドニーも仰天した。
 家のなかに──川が流れていた。
「すっごーい!!」
 エイミーの驚嘆の声が、岩の天蓋に反響した。
 柔らかな曲線を描くプールが部屋の間を流れ、ところどころに小さな橋が架けられている。
「どこまで続いてるのかしら……泳ぎたいわ!」
 もう、胸の高鳴りを抑えきれない。
 プールの前から動けなくなってしまったエイミーの腕を、エミリオが優しく引いた。
「後でいくらでも泳げるよ。ほら、いこう」
「ええ……」
 手を引かれるまま、エイミーは夢見心地で返事をした。
 見るもの全てが驚異的で、夢のようで、心臓発作を起こしてしまいそうだ。
 天然の岩肌に冷やされている地下の貯蔵庫、採光のよい図書室、小さな入江のある波音なみおといおり、空を仰げる大理石の湯苑とうえん
 まだ地下と一階を見ただけなのに、エイミーもシドニーも興奮のあまり息を切らしていた。
「それでは、お部屋にご案内いたします」
 エイミーは目を輝かせた。
 ここまでの奇想天外さと豪奢さに、この先を想像するだけで胸が高鳴る。
 居住区は二階にあり、両親の主寝室は西棟に、子供部屋は東棟に並んでいた。
 螺旋階段をのぼった先で、三人はそれぞれ専属の使用人に導かれた。
 エイミーの部屋は、夢の続きのようだった。
 石灰岩のジャグジーがあり、寝台の傍らには滝がしつらえられ、細やかなしずくとばりのように連なり落ちている。
 岩肌を抱く寝台には、白絹のシーツと淡香たんこうのクッションが整えられ、硝子の丸卓には、摘みたての花が飾られていた。
 すべての調度は洗練を極めながらも、どこか懐かしい、異国の香りを漂わせている。
「すごすぎる……」
 あまりの贅沢に、魂が抜け落ちたようだった。
 寝台にぽすんと腰をおろすエイミーを見て、メイドのサアラがくすくすと笑った。
「お気に召しましたか?」
「それは、もう!」
 エイミーは全力で頷いた。 
 ゼラフォンダヤ公爵家が世界屈指の資産家であることは承知していた。それでも、こうして肌で触れると現実感を失う。
 この岩窟がんくつの別荘──いったい総工費はいくらなのだろう。六二億ルアー? 一二四億ルアー?
(義父さまのお祖父様が建てられたのよね……やっぱり、常人とは規模が違うわ)
 呆然としていると、扉を叩く軽いノックの音がした。
「エイミー、テラスにいこう。昼食のあと、母上たちがドライブにいこうって」
 扉の向こうに、エミリオとシドニーが立っていた。
「もうでかけるの? 今日はずっとここで過ごしたいわ」
 不満を漏らすと、エミリオは柔らかく笑った。
「十日間もあるんだよ。ゆっくり堪能できるさ。ほら、いこう」
 差しのべられた手をエイミーがとると、反対側からシドニーも手を伸ばしてきた。
 三人で手を繋いで歩く姿に、すれ違う使用人たちが目を細め、微笑を交わしている。
 サンルームにでると、海風が甘い花の香りを運んできた。
 天然の流木を活かした丸卓には昼食の支度が整い、養親はすでに着席していた。エイミーたちも空いている席に腰をおろす。
「わぁ……座るとさらに感動するわ。最高の眺めね」
 陽光に揺らめく入江を眺めながら、思わずため息がこぼれ落ちた。
 丸テーブルを囲むのは久しぶりだ。
 互いの距離がいつもより近い。触れているわけでもないのに、エミリオとの距離が近すぎて、体温が少しあがったように感じれらた。
「子供たち、部屋は気に入った?」
 義母は、柔らかい微笑を浮かべ、一人ひとりの顔を見渡した。
「はい、母様! 部屋のなかに小さなプールがあるんです! 机には、苔瑪瑙こけめのうを彫刻した蛙の置物もありました」
 嬉しそうに報告するシドニーに、母はくすりと笑う。
「貴方は蛙が好きだから、ちょうど良かったわね。インテリアが個性的でしょう? 先々代が港で珍しいものを見つけるたびに、少しずつ集めていらしたそうよ」
「私の部屋にも滝の沙幕ヴェールがあったの。眠るのが楽しみ!」
 エイミーは笑顔を弾ませ、さらに言葉を続けた。
「それから、化粧机に瑪瑙めのうの香水瓶や、かわいい緑の陶器のふくろうがあったわ」
 上機嫌なエイミーを見て、オリヴィアは満足そうに頷いた。
「やっぱり、あなたは気に入ると思ったわ。雰囲気のある別荘でしょう?」
「驚きすぎて、腰が抜けそうだったわ」
 その一言に、皆が笑い声をあげた。
「僕の部屋にも置時計があって、壁には六分儀がかけてあるよ。最新鋭の光沙膜レイ・ヴェール仕様なのに、内装インテリアを見ていると時代を錯覚しそうになるよね」
 エミリオの言葉に、エイミーは大きく頷いた。
「ほんとに……改めて公爵家の財力を思い知ったわ。ずっとここに住みたい。もう帰りたくない!」
 またしても、皆が一斉に笑った。義父ですら口元をほころばせている。
 ちょうどそのとき、湯気のたつ料理が運ばれてきた。
 胡桃入りの焼きたての黒糖パン。バターと五種類のジャムを添えて。白身魚とジャガイモのクリームスープ、たらのフライ、香草のきいたきじ肉のグリル、そして白ワインと葡萄ジュース。
 どれも港町の郷土料理だ。
 立ちのぼる湯気と香りが、海風にまじって食欲をそそる。
 美味しい料理に舌鼓を打ちながら、養親からこの別荘の歴史をかいつまんで聞いた。
 ここは、先々代の公爵夫妻が愛した避暑地で、親族が時折訪れるものの、ふだんはほとんど使われていないという。
 四半世紀前に建てられた瀟洒しょうしゃ岩窟がんくつ邸は、幾度かの改装を経て、今も往時おうじの美を保っている。
 古典様式の内装が美しく、時代の流行である懐古主義ノスタルジーを体現していながら、部屋のなかに流れるプールがあったりするのは、先々代の公爵の趣味らしい。
(……お茶目な人だったのかしら?)
 廊下にかけてある肖像画では、黒髪に菫色の瞳をもつ、義父によく似た顔立ちをしていた。厳格な印象を受けたが、この岩窟がんくつ邸を見る限り、遊び心に富んだ人だったのだろう。
 お会いしてみたかったな──エイミーは少し残念に思った。