奇跡のように美しい人
1章:女神 - 10 -
綺羅、星のような舞踏会。
無数の照明に照らされた、色彩の戯れる世界。香りの陶酔に包まれて、華やかで優雅な紳士淑女達が上品に笑っている。
長椅子で寛ぐ佳蓮の隣には、騎士のように凛々しく美しいレインジールが立っている。
佳蓮は、細い脚のグラスを持ち上げて、泡の弾けるシャンパンを照明にすかした。
万華鏡のように煌びやかな光景だが、一つ奇妙なことがある。
会場を見渡せば、申し分のない身分の見目良い男もいるのに、着飾った淑女たちが秋波を送るのは、冴えない外見の容貌の男であったり、身分は申し分ないが地味な印象の皇子達だ。
絶世の美少年であるレインジールは、年が若過ぎるのか、不思議なほど周囲の注目を集めなかった。
誰よりも注目を浴びているのは、佳蓮だ。
嘲笑の類 ではなく、賞賛の視線と言葉を先ほどから流星雨のごとく浴びている。
意味が判らない。
こんなに大掛かりな舞台まで用意して、どういう肚 積もりなのか疑問に思っていたが、熱っぽく佳蓮を見る男達を眺めるうちに閃くものがあった。
美術館で眺めた、美男美女達。
熱い視線を送られる皇子達。絶世の美少年のはずのレインジールに、ごく普通に話かける人々。
女神と謳われる、佳蓮。
この世界における美の基準とは――導き出される答えに、全身の肌が総毛立った。
彼等に共通している特徴がある。
女性であれば、先ずふくよかな体型であること。瞳は絶対に一重。鼻は丸く大きく。ぽってりとした唇。
男女共に凹凸の少ない平坦な顔の造り。髪は、濃紺や臙脂 といった強い色で、ボリュームがあり波打っていること。
佳蓮だ。
ということは……これまで賞賛の雨を、いき過ぎた社交辞令だと捉えてきたが、そうではなかった?
レインジールは、佳蓮を本当に美しいと思っている?
佳蓮の瞳には、絶世の美少年に映るレインジールの容姿は、この世界において鑑賞するに値しない?
彼の自嘲めいた言動は、佳蓮に対する嫌味や皮肉ではなく、彼の卑屈さの現れ。佳蓮がそうであるように、レインジールもまた佳蓮に引け目を感じていた?
「あはは……」
信じられない。これほど美しい容姿をしているレインジールが、見向きもされないなんて!
「羽澄様?」
不思議そうに訊 ねるレインジールを、佳蓮はまじまじと眺めた。
生前は、醜いからと差別され、忌み嫌われた。
誰かが佳蓮を毛嫌いすれば、まるで伝染病のようにクラス中に蔓延した。
胸の奥で、澱 のように凝り固まっている、どす黒い感情が膨れ上がる。
忘れやしない。
地獄のような日々だった。
心ない言動に卑屈になるにつれ、いじめは悪化した。中学時代が最も酷く、軽く鬱病にかかり、自分だけでなく家族を疲弊させた。
毎日のように、窓から投げ捨てられる筆記用具。上履は何度も行方不明になり、机は常に落書された。
“豚。きもい。臭い。ばい菌”
対等の人間として見てもらえず、少しでも肩が触れると、嫌な顔をされる。触れた箇所を、露骨に手で払われることもあった。
傷つけられる度に、学校にいきたくないとごねて親に諭される度に、リスカを繰り返した。
心療内科で睡眠薬 や精神安定剤 、数種類の抗鬱剤を処方されていたが、どんな薬よりも肌に走る赤い筋の方が、心の安定を得られた。
どうしようもなく気が滅入って、薬の過剰摂取 をやらかしたこともある。救急で運ばれて、そのまま精神病棟に入れられた。一週間で退院したが、その後不登校に陥った。
半年かけて服用中止を自ら決めた。復学した後は、進学先に同級生が誰もいかない高校を選んだ。
中学校での壮絶ないじめに比べれば、高校はまだマシだったが、友達は一人もできず、クラス中から無視されていた。
孤独を誤魔化すように、休み時間の間は、ずっと寝たふりをしていた。
惨めだった。
学校は苦痛でしかなかったが、仲違いする両親をもう見たくなくて、息を殺して学校に通った。
模範的な“いい子”であろうとする反面、手首の傷はなかなか消えなかった。
そして、窒息しそうな日々に、とどめを刺す出来事が起きた。
学期末の修学旅行を前に、生徒の任意で班を決めることになった時のことだ。
班からあぶれた佳蓮を見兼ねて、佳蓮の引き取り先をクジで決めようと担任の教師が言い出した。
あの時の、皆の平淡な表情。
酷い罵倒を受けたわけではない。同情的な眼差しも中にはあった。
面倒そうな顔をしながら、皆が粛々とクジを引いた。
その様子を、佳蓮は隅っこの席で息を殺しながら見ていた。
(誰か。今すぐ私を殺して)
心の底から願った。
家に帰ると布団に潜り、意志の力で呼吸を止めようとした。
今思えば馬鹿みたいな話だが、あの時は本気で窒息死しようと思ったのだ。息苦しさに耐え切れず、ぜぇぜぇと喘ぐ羽目に陥るだけだったが……
うまく、説明できない。
死ぬほどのこととは、誰も思わないかもしれない。理解してもらう方法も、あったのかもしれない。
ただ、もう限界だった。
あの教室で起きた一連の出来事は、今後、佳蓮が辿るであろう人生の縮図だった。
学校へいきたくない。修学旅行にもいきたくない。絶対にいきたくない。でも家族に責められたくない。どこにもいき場所がない……
そして、飛び降りた。
死後に見る泡沫 の夢なのか、同じ容姿で、異なる価値観の世界に蘇った。
この捩じ曲がった価値観は、佳蓮のひねくれた性根でも反映されているのだろうか?
価値観次第で、世界は天国にも地獄にも変わる。
果たして、誰がどんな意図で、佳蓮をこのような眼に合わせたのだろう?
「羽澄様? どうかしましたか?」
不思議そうに首を傾ける美しいレインジールを、佳蓮はしみじみと眺めた。
メビウス家歴代の肖像画を見る限り、佳蓮の価値観では、皆が美しい容姿をしていた。
あの、広大な資料館。
美術品を蒐集してきた血筋に、根強い美への探究心、ある種の妄執を感じる。
レインジールにも同じ血が流れている。佳蓮を一途に慕うのは、そいった背景もあるのかもしれない。
彼は佳蓮を流星の女神と呼び、堕天の影響で記憶を喪っていると思っているようだが、何も判っていないのはレインジールの方だ。
この天使のように美しい少年は、自分の美しさをまるで理解していない。
じっと見つめられて、レインジールは恥ずかしそうに視線を逸らした。けれど、すぐに視線を戻す。
一途で、熱っぽい、賞賛の眼差し。
堅牢な猜疑心に、亀裂が走る。
これまでは、演技の一環と思い込んできた。
けれど違う。
彼は真に、佳蓮に見惚れていたのだ! 佳蓮に!!
そうと判れば、美しい少年の反応が手に取るように判り、佳蓮の心はざわついた。
にっこりと微笑みかけると、レインジールはぼぅっとなった。涼しげな目元に朱が散る。
「私が好き?」
「はい……」
「隣に座れば?」
「よろしいのですか?」
「どうぞ?」
隣をぽんぽんと手で叩くと、レインジールはおずおずと歩み寄ってきた。少し間を空けて、腰を下ろす。膝の上で行儀よくそろえた手にちょんと触れると、面白いほど肩を撥ねさせた。
「ははは羽澄様?」
「動揺しすぎ」
楽しい。生まれて初めて味わう、人を弄ぶ感覚。人より優位に立ち、上から見下ろす快感。
「佳蓮様……」
からかわれたと気付いたのか、レインジールは困ったような顔をした。
「あはは、ごめん……」
このあべこべな世界が天国かどうかは別として、佳蓮にとって、都合が良いことだけは確かだ。
これまで支払ってきた苦痛の代償というのならば、享受してもいいではないか?
心に空いた虚が、とろりと少しだけ潤った気がした。
無数の照明に照らされた、色彩の戯れる世界。香りの陶酔に包まれて、華やかで優雅な紳士淑女達が上品に笑っている。
長椅子で寛ぐ佳蓮の隣には、騎士のように凛々しく美しいレインジールが立っている。
佳蓮は、細い脚のグラスを持ち上げて、泡の弾けるシャンパンを照明にすかした。
万華鏡のように煌びやかな光景だが、一つ奇妙なことがある。
会場を見渡せば、申し分のない身分の見目良い男もいるのに、着飾った淑女たちが秋波を送るのは、冴えない外見の容貌の男であったり、身分は申し分ないが地味な印象の皇子達だ。
絶世の美少年であるレインジールは、年が若過ぎるのか、不思議なほど周囲の注目を集めなかった。
誰よりも注目を浴びているのは、佳蓮だ。
嘲笑の
意味が判らない。
こんなに大掛かりな舞台まで用意して、どういう
美術館で眺めた、美男美女達。
熱い視線を送られる皇子達。絶世の美少年のはずのレインジールに、ごく普通に話かける人々。
女神と謳われる、佳蓮。
この世界における美の基準とは――導き出される答えに、全身の肌が総毛立った。
彼等に共通している特徴がある。
女性であれば、先ずふくよかな体型であること。瞳は絶対に一重。鼻は丸く大きく。ぽってりとした唇。
男女共に凹凸の少ない平坦な顔の造り。髪は、濃紺や
佳蓮だ。
ということは……これまで賞賛の雨を、いき過ぎた社交辞令だと捉えてきたが、そうではなかった?
レインジールは、佳蓮を本当に美しいと思っている?
佳蓮の瞳には、絶世の美少年に映るレインジールの容姿は、この世界において鑑賞するに値しない?
彼の自嘲めいた言動は、佳蓮に対する嫌味や皮肉ではなく、彼の卑屈さの現れ。佳蓮がそうであるように、レインジールもまた佳蓮に引け目を感じていた?
「あはは……」
信じられない。これほど美しい容姿をしているレインジールが、見向きもされないなんて!
「羽澄様?」
不思議そうに
生前は、醜いからと差別され、忌み嫌われた。
誰かが佳蓮を毛嫌いすれば、まるで伝染病のようにクラス中に蔓延した。
胸の奥で、
忘れやしない。
地獄のような日々だった。
心ない言動に卑屈になるにつれ、いじめは悪化した。中学時代が最も酷く、軽く鬱病にかかり、自分だけでなく家族を疲弊させた。
毎日のように、窓から投げ捨てられる筆記用具。上履は何度も行方不明になり、机は常に落書された。
“豚。きもい。臭い。ばい菌”
対等の人間として見てもらえず、少しでも肩が触れると、嫌な顔をされる。触れた箇所を、露骨に手で払われることもあった。
傷つけられる度に、学校にいきたくないとごねて親に諭される度に、リスカを繰り返した。
心療内科で
どうしようもなく気が滅入って、薬の
半年かけて服用中止を自ら決めた。復学した後は、進学先に同級生が誰もいかない高校を選んだ。
中学校での壮絶ないじめに比べれば、高校はまだマシだったが、友達は一人もできず、クラス中から無視されていた。
孤独を誤魔化すように、休み時間の間は、ずっと寝たふりをしていた。
惨めだった。
学校は苦痛でしかなかったが、仲違いする両親をもう見たくなくて、息を殺して学校に通った。
模範的な“いい子”であろうとする反面、手首の傷はなかなか消えなかった。
そして、窒息しそうな日々に、とどめを刺す出来事が起きた。
学期末の修学旅行を前に、生徒の任意で班を決めることになった時のことだ。
班からあぶれた佳蓮を見兼ねて、佳蓮の引き取り先をクジで決めようと担任の教師が言い出した。
あの時の、皆の平淡な表情。
酷い罵倒を受けたわけではない。同情的な眼差しも中にはあった。
面倒そうな顔をしながら、皆が粛々とクジを引いた。
その様子を、佳蓮は隅っこの席で息を殺しながら見ていた。
(誰か。今すぐ私を殺して)
心の底から願った。
家に帰ると布団に潜り、意志の力で呼吸を止めようとした。
今思えば馬鹿みたいな話だが、あの時は本気で窒息死しようと思ったのだ。息苦しさに耐え切れず、ぜぇぜぇと喘ぐ羽目に陥るだけだったが……
うまく、説明できない。
死ぬほどのこととは、誰も思わないかもしれない。理解してもらう方法も、あったのかもしれない。
ただ、もう限界だった。
あの教室で起きた一連の出来事は、今後、佳蓮が辿るであろう人生の縮図だった。
学校へいきたくない。修学旅行にもいきたくない。絶対にいきたくない。でも家族に責められたくない。どこにもいき場所がない……
そして、飛び降りた。
死後に見る
この捩じ曲がった価値観は、佳蓮のひねくれた性根でも反映されているのだろうか?
価値観次第で、世界は天国にも地獄にも変わる。
果たして、誰がどんな意図で、佳蓮をこのような眼に合わせたのだろう?
「羽澄様? どうかしましたか?」
不思議そうに首を傾ける美しいレインジールを、佳蓮はしみじみと眺めた。
メビウス家歴代の肖像画を見る限り、佳蓮の価値観では、皆が美しい容姿をしていた。
あの、広大な資料館。
美術品を蒐集してきた血筋に、根強い美への探究心、ある種の妄執を感じる。
レインジールにも同じ血が流れている。佳蓮を一途に慕うのは、そいった背景もあるのかもしれない。
彼は佳蓮を流星の女神と呼び、堕天の影響で記憶を喪っていると思っているようだが、何も判っていないのはレインジールの方だ。
この天使のように美しい少年は、自分の美しさをまるで理解していない。
じっと見つめられて、レインジールは恥ずかしそうに視線を逸らした。けれど、すぐに視線を戻す。
一途で、熱っぽい、賞賛の眼差し。
堅牢な猜疑心に、亀裂が走る。
これまでは、演技の一環と思い込んできた。
けれど違う。
彼は真に、佳蓮に見惚れていたのだ! 佳蓮に!!
そうと判れば、美しい少年の反応が手に取るように判り、佳蓮の心はざわついた。
にっこりと微笑みかけると、レインジールはぼぅっとなった。涼しげな目元に朱が散る。
「私が好き?」
「はい……」
「隣に座れば?」
「よろしいのですか?」
「どうぞ?」
隣をぽんぽんと手で叩くと、レインジールはおずおずと歩み寄ってきた。少し間を空けて、腰を下ろす。膝の上で行儀よくそろえた手にちょんと触れると、面白いほど肩を撥ねさせた。
「ははは羽澄様?」
「動揺しすぎ」
楽しい。生まれて初めて味わう、人を弄ぶ感覚。人より優位に立ち、上から見下ろす快感。
「佳蓮様……」
からかわれたと気付いたのか、レインジールは困ったような顔をした。
「あはは、ごめん……」
このあべこべな世界が天国かどうかは別として、佳蓮にとって、都合が良いことだけは確かだ。
これまで支払ってきた苦痛の代償というのならば、享受してもいいではないか?
心に空いた虚が、とろりと少しだけ潤った気がした。