奇跡のように美しい人
2章:謳歌 - 1 -
新星歴一九九二年。
うららかな春。眩いばかりの陽光が降り注ぐ、王都ヘカテル。
時計塔を囲む森林は、可憐なブルーベルに一面を覆われている。資料館に続く空中庭園では、黄金色のポピーや満点星 の木が花盛りだ。
窓を開けていると、オリーヴの木々を渡ってくる風が、爽やかな香りを運んでくる。
美しい庭園の四阿 で、佳蓮は寛いでいた。
瞼を伏せた穏やかな表情に、かつての卑屈さや、悲壮さは欠片もない。
二年前。
初めての舞踏会。あの甘美な夜に、美醜の価値観を理解してから、佳蓮は変わった。
美しさは武器だ。
人は外見でないというけれど、それは勝者に許された台詞であり、佳蓮に言わせれば、一〇〇パーセント外見である。人は出会った瞬間の〇・コンマの間に、この先も社交を続けるに値するか、冷徹に判別するのだ。
外見が好みにそぐわなければ、それだけで興味を失くし、声をかけようとすら思わないことだってある。
そして、自分と比較する。
人は、醜い者を前にした時、少なからず見下した感情を抱く。ご愁傷様。この人よりはマシ、自分を慰めて安堵するのだ。
少なくとも、佳蓮の知っている美しい人間は皆そうだった。
いつだって、佳蓮は第一印象で切り捨てられてきた。
でも、今は違う。
この世界でなら、佳蓮は全肯定される。完全なる勝者でいられる。
佳蓮を欲しがらない男はいない。
どんな男も、佳蓮と眼が合った瞬間に恋に落ちる。雷に打たれたように立ち尽くし、強烈な感情を抱くのだ。かわいい恋人がいたって、佳蓮を前にすれば抗えない。実際、破局を迎えた憐れな恋人は、一組二組ではなかった。
上流貴族、力ある大富豪、華の近衛騎士、果ては異国の皇子までもが佳蓮の前に跪き、愛を囁いた。
絶世の美女。流星の女神。豊穣の女神……
流星雨のように賞賛を浴びるうちに、佳蓮の卑屈さはなりを潜め、天真爛漫さを身につけた。時に打算めいた媚態であったが、恋は人を盲目にさせるものだ。
微笑み一つで、誰もが佳蓮の虜になる。
今となっては、苦痛に塗 れた十七年間を馬鹿馬鹿しく感じる。
あの頃、日々は苦痛でしかなく、息苦しさに喘いでいた。なんと味気なく幸薄い生だったのだろう。
ここでは違う。
美醜の優劣で傷つくことはない。
賞賛を欲しいままにしているが、佳蓮が人を外見で見下したり、奢ったりすることはなかった。ここでは不器量とされる人達こそが、真に美しいと思っているからだ。
価値観の違いによるものだが、佳蓮のそうした振る舞いは、人々の眼には慎ましく映るらしい。
外見のみならず、内面までも美しい女神として、佳蓮はその名をアディール帝国に留まらず、海の波濤 を越えてまで知らしめていた。
「佳蓮。お早うございます」
涼しげなアルトの声に、佳蓮は眼を開けた。
星詠機関の長官服を纏った、凛々しく美しい少年を見て笑みかける。
「お早う、レイン」
出会った頃と比べて、目線の大分近くなったレインジールは、相変わらず天使のように美しい。穏やかで礼儀正しく、今でもこうして、朝と夜にご機嫌窺いにやってきてくれる。
「今日もお美しい。佳蓮にお会いできて、とても嬉しいです」
世にも麗しい少年に、憧憬の眼差しで見つめられて、佳蓮は慈母のように微笑んだ。
「ありがとう、レイン。これから仕事?」
「はい。戻るのが少し遅くなるかもしれませんが、夜にお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うん。待ってるね」
「ありがとうございます!」
「ねぇ、レイン」
手を伸ばして腕に触れると、レインは忽 ち身体を強張らせた。
あらゆる人間を魅了している佳蓮だが、今のところ、レインジールの反応を見るのが一番楽しい。
「今度、私もついていってもいい?」
「星詠機関にですか?」
「うん」
「ですが……」
レインジールは案じるように愁眉を寄せた。
実は、前にも一度、星詠機関へいこうとしたことがある。ところが、揃いの制服を着た学生を見た途端に、足が竦んで一歩も動けなくなってしまったのだ。
その後のことは、よく覚えていない。
例の発作を起こして、しばらく臥せっていたらしい。
レインジールがいうには、精神と肉体の乖離 から生じる、高次元 の干渉とかなんとか……ユングでいうところの集団的無意識に還っていたようだ。
心の問題であることは、なんとなく判る。
学校は、世界で一番嫌いな場所だった。
仔細 を話してはいないが、レインジールも学校が鬼門であることは薄々気付いているようで、あれ以来、星詠機関に佳蓮を連れていこうとはしなくなった。
「駄目?」
渋るレインジールを見つめて、佳蓮は首を倒した。恥ずかしそうに眼を泳がせる少年の、柔らかそうな頬を指でつつく。
「佳蓮っ」
「柔らかーい」
かわいらしい反応をもっと見たくて、頬を何度もつついてしまう。
「もう、からかうのはおやめください!」
「あはは」
かわいらしく拗ねる姿に笑みを誘われる。
弾む会話に、出会った頃の堅苦しさはない。流星の女神とその僕 というより、今では仲の良い姉弟のような関係になっていた。
「レインがよく話している工房を見てみたいの。時間に余裕のある時でいいから、連れていってよ」
思案気に黙 す少年の、案じる瞳を見つめて佳蓮は微笑んだ。
「今度はきっと大丈夫だから」
艶やかな銀糸に指を滑らせ、愛でるように指で梳くと、レインジールは頬を染めて小さく頷いた。
うららかな春。眩いばかりの陽光が降り注ぐ、王都ヘカテル。
時計塔を囲む森林は、可憐なブルーベルに一面を覆われている。資料館に続く空中庭園では、黄金色のポピーや
窓を開けていると、オリーヴの木々を渡ってくる風が、爽やかな香りを運んでくる。
美しい庭園の
瞼を伏せた穏やかな表情に、かつての卑屈さや、悲壮さは欠片もない。
二年前。
初めての舞踏会。あの甘美な夜に、美醜の価値観を理解してから、佳蓮は変わった。
美しさは武器だ。
人は外見でないというけれど、それは勝者に許された台詞であり、佳蓮に言わせれば、一〇〇パーセント外見である。人は出会った瞬間の〇・コンマの間に、この先も社交を続けるに値するか、冷徹に判別するのだ。
外見が好みにそぐわなければ、それだけで興味を失くし、声をかけようとすら思わないことだってある。
そして、自分と比較する。
人は、醜い者を前にした時、少なからず見下した感情を抱く。ご愁傷様。この人よりはマシ、自分を慰めて安堵するのだ。
少なくとも、佳蓮の知っている美しい人間は皆そうだった。
いつだって、佳蓮は第一印象で切り捨てられてきた。
でも、今は違う。
この世界でなら、佳蓮は全肯定される。完全なる勝者でいられる。
佳蓮を欲しがらない男はいない。
どんな男も、佳蓮と眼が合った瞬間に恋に落ちる。雷に打たれたように立ち尽くし、強烈な感情を抱くのだ。かわいい恋人がいたって、佳蓮を前にすれば抗えない。実際、破局を迎えた憐れな恋人は、一組二組ではなかった。
上流貴族、力ある大富豪、華の近衛騎士、果ては異国の皇子までもが佳蓮の前に跪き、愛を囁いた。
絶世の美女。流星の女神。豊穣の女神……
流星雨のように賞賛を浴びるうちに、佳蓮の卑屈さはなりを潜め、天真爛漫さを身につけた。時に打算めいた媚態であったが、恋は人を盲目にさせるものだ。
微笑み一つで、誰もが佳蓮の虜になる。
今となっては、苦痛に
あの頃、日々は苦痛でしかなく、息苦しさに喘いでいた。なんと味気なく幸薄い生だったのだろう。
ここでは違う。
美醜の優劣で傷つくことはない。
賞賛を欲しいままにしているが、佳蓮が人を外見で見下したり、奢ったりすることはなかった。ここでは不器量とされる人達こそが、真に美しいと思っているからだ。
価値観の違いによるものだが、佳蓮のそうした振る舞いは、人々の眼には慎ましく映るらしい。
外見のみならず、内面までも美しい女神として、佳蓮はその名をアディール帝国に留まらず、海の
「佳蓮。お早うございます」
涼しげなアルトの声に、佳蓮は眼を開けた。
星詠機関の長官服を纏った、凛々しく美しい少年を見て笑みかける。
「お早う、レイン」
出会った頃と比べて、目線の大分近くなったレインジールは、相変わらず天使のように美しい。穏やかで礼儀正しく、今でもこうして、朝と夜にご機嫌窺いにやってきてくれる。
「今日もお美しい。佳蓮にお会いできて、とても嬉しいです」
世にも麗しい少年に、憧憬の眼差しで見つめられて、佳蓮は慈母のように微笑んだ。
「ありがとう、レイン。これから仕事?」
「はい。戻るのが少し遅くなるかもしれませんが、夜にお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うん。待ってるね」
「ありがとうございます!」
「ねぇ、レイン」
手を伸ばして腕に触れると、レインは
あらゆる人間を魅了している佳蓮だが、今のところ、レインジールの反応を見るのが一番楽しい。
「今度、私もついていってもいい?」
「星詠機関にですか?」
「うん」
「ですが……」
レインジールは案じるように愁眉を寄せた。
実は、前にも一度、星詠機関へいこうとしたことがある。ところが、揃いの制服を着た学生を見た途端に、足が竦んで一歩も動けなくなってしまったのだ。
その後のことは、よく覚えていない。
例の発作を起こして、しばらく臥せっていたらしい。
レインジールがいうには、精神と肉体の
心の問題であることは、なんとなく判る。
学校は、世界で一番嫌いな場所だった。
「駄目?」
渋るレインジールを見つめて、佳蓮は首を倒した。恥ずかしそうに眼を泳がせる少年の、柔らかそうな頬を指でつつく。
「佳蓮っ」
「柔らかーい」
かわいらしい反応をもっと見たくて、頬を何度もつついてしまう。
「もう、からかうのはおやめください!」
「あはは」
かわいらしく拗ねる姿に笑みを誘われる。
弾む会話に、出会った頃の堅苦しさはない。流星の女神とその
「レインがよく話している工房を見てみたいの。時間に余裕のある時でいいから、連れていってよ」
思案気に
「今度はきっと大丈夫だから」
艶やかな銀糸に指を滑らせ、愛でるように指で梳くと、レインジールは頬を染めて小さく頷いた。