奇跡のように美しい人

1章:女神 - 8 -

 春の宵。ファジアル・リュ・シアン王宮。
 今夜開かれる華やかな舞踏会には、国中の紳士淑女達、他国からも要人達が招かれている。
 レインジールは、自分以上に佳蓮の準備に余念がなかった。おかげで日中は資料館にいきたかったのに、朝から念入りに入浴させられ、一日がかりで肌の手入れをされる羽目になった。
 黒髪は高く結い上げられ、紫水晶を散りばめたティアラを頭髪に飾っている。開いたデコルテからは、蜂蜜色の肌、なめらかな鎖骨、まろい豊かな双丘が覗く。
 胸から足元へ優雅に滑り落ちる縫製のドレスは、繊細な刺繍と硝子珠がちりばめられており、佳蓮が身じろぐ度に上品に煌めいた。
 召使達は、鏡に映る佳蓮の仕上がりを眺めて、恍惚とした笑みを浮かべている。

「なんてお美しいのでしょう。眼を奪われてしまいますわ」

「ええ、本当に。蜂蜜を溶いたようなきめ細かな肌に、黒石英のような髪と瞳が映えて、見惚れてしまいますわ……」

 召使達の賞賛に悪意は感じられなかったが、佳蓮は冷静に聞き流した。金縁装飾の姿見から、そっと視線を逸らす。
 この都合の良い世界に欠点を挙げるとすれば、少しも変わらない佳蓮の容姿だろう。死後にこのような贅沢を許されるのなら、願わくば美しく在りたかった。
 周囲から贈られる惜しみない賛辞が、不思議でならない。
 真に受けないよう己を戒めれば、どんな賞賛の言葉も無味無臭で、ただ虚しかった。
 どれだけ着飾ろうが、言葉で飾られようが、佳蓮は佳蓮でしかない。姿形にまつろうう精神だけが、今も痩せ細ったままだ。

「……褒め過ぎです」

 苦々しい思いで美辞麗句の雨を遮ると、召使達はとんでもない、というように眼を見開いた。

「いい足りないくらいですわ! 本当に信じられないほど、お美しいのですもの」

 頬に手を添えて、ほぅ、と息をつく若い召使は、佳蓮よりよほど美しい容姿をしている。
 彼女の言葉を微塵も信じていなかったが、腹を立てているわけではない。最初こそ不快に思っていたが、もう慣れてしまった。
 毎日、毎日、流星雨のように美辞麗句が飛来するのだ。
 芸が細かいことに、彼女達の言動には粗がなかった。
 猜疑心さいぎしんの強い佳蓮ですら、賞賛の眼差しを疑えない時がある。社交辞令もここまで徹底されると、かえって腹が立たないものだ。

「若君も、ハスミ様のお姿を見て、きっと心を奪われてしまいますわ」

「そうかですかねぇ」

 曖昧な返事をしつつ、顔を輝かせるレインジールの姿は、たやすく想像がついた。

「そうですとも!」

「見惚れるのは私の方だと思います。他の人も、レインに眼が釘付けになるんじゃないかなぁ……」

 不思議そうな顔をしている召使を見て、佳蓮は鏡の中で首を傾けた。

「レインもいきますよね?」

「はい、もちろん」

「じゃぁ、注目の的ですね」

「お立場上、祭壇に立つことも多い方ですから、そういった意味では……」

 戸惑ったように答えた若い召使に、年嵩の召使は窘めるような視線を送った。それを不思議に思いつつ、佳蓮は続ける。

「あれだけ綺麗な顔をしているし、人眼を引くでしょう。おまけに大金持ちだし、ちょっと嫌味だけど性格もいいし、将来が有望過ぎる。恋人志願者が殺到しそう」

 佳蓮の言葉を、召使はあっさり肯定した。

「縁ある侯爵令嬢と婚約をされていましたが、ハスミ様がいらしてから間もなく、若君は婚約を解消されましたよ」

「えっ」

 目を丸くする佳蓮を見て、召使は微笑んだ。

「ハスミ様以上に大切な方など、若君にいらっしゃいません」

「えっと……」

「ハスミ様がいらしてから、若君はよく笑うのです。幼少のみぎりから、重い責務に励むお姿を見て参りましたから、ここ最近の幸せそうなご様子を見ていると、私達も胸が暖かくなります」

 どこか期待を含んだ視線に、佳蓮は狼狽えた。七つも年下の少年と、佳蓮がどうこうなるわけがない。
 召使達が部屋を出ていった後も、レインジールのことを考えてしまう。どんな婚約者だったのだろう? どうして解約してしまったのだろう?

「羽澄様、お迎えに上がりました」

 扉の外から、ノックと共にレインジールの声が聞こえた。

「どうぞー」

 席を立つのが面倒で、窓辺で寛いだまま返事をする。
 部屋に入ってきたレインジールは、佳蓮を見て、雷に打たれたかのように立ち尽くした。

「どうしましょう……」

「どうしたの?」

「羽澄様。息が止まりそうなほど、お美しいです」

 一瞬、呆気にとられたが、予想通りの反応だ。海のように青い瞳が、佳蓮を映して煌めいている。

「褒め過ぎだから」

「本当です」

 レインジールの方こそ、ため息が出るほど麗しい。暫し無言で見つめ合う。おかしな話だが、互いの姿に魅入っていた。

「……あんまり、見ないで」

 きらきらした賞賛の眼差しに耐えかねて、佳蓮は困ったように視線を逸らした。
 目元に朱を散らして、レインジールも視線を逸らした。
 彼のこうした細かな仕草には、胡乱を通りこして、感心させられる。両親は、よほど素晴らしい教育を授けたのだろう。
 苦渋を舐めさせられた過去の同級生達とは雲泥の差である。これが器の違いなのだろうか?

「ねぇ、聞いてもいい? どうして婚約を解消したの?」

「プリシラのことを聞いたのですか?」

「ちょっとね。へぇ、プリシラっていうんだ。どんな子?」

「両親が生前に決めた婚約です。私の絵姿を見て辟易していたのでしょう、すんなり解消が決まりました」

「……あぁ、レインが綺麗過ぎて、隣に並びたくなかったとか?」

「まさか」

「なんとなく想像はつくけど、レインって相当モテそう」

「え?」

「いいよ、謙遜しなくて。それは流石に嫌味だから」

「爵位を継いでいますから、縁談はそれなりにあります。でも、大抵のご婦人は、私を前にすると落胆してしまうのですよ」

「え、なんで?」

「この通りの、容姿ですから」

 十歳の少年に似つかわしくない、達観したような笑みを浮かべた。

「……苦労しているんだね」

 大抵の娘なら、のぼせあがりそうなものだが、意外と控えめな令嬢が多いのだろうか?
 まぁ、これだけの美形を前にして尻込みしない方がおかしい。身分も容姿も、とても釣り合わないと自信喪失する気持ちは判る。
 納得する佳蓮を見て、レインジールは寂しそうな顔をした。

「羽澄様も、私を見て……」

「?」

「いえ、なんでもありません」

「私を見て、何?」

「……私を見て、落胆しませんでしたか?」

 昏い表情でたずねるレインジールを見て、佳蓮は眼を瞬いた。

「まぁ、私の場合は比較する気も起きないというか……でも、初めてレインを見た時、安心したんだよ。君があんまり綺麗だから、真っ直ぐ天国にこれたんだって思えたんだもん」

 レインジールは眩しいものを見るように眼を細めて、淡い笑みを浮かべた。

「羽澄様はお優しいですね」

「別に、普通だよ。そろそろいこ」

「はい」

 恭しく差し伸べられた手に、佳蓮はそっと手を重ねた。ヒールに気をつけながら、楚々と足を踏み出す。
 談話室に入ると、床に描かれた精緻な紋様の上に並んで立つ。高価な魔導転送盤である。

「すぐですよ」

 緊張気味の佳蓮を仰いで、レインジールは微笑んだ。安心させるように、繋いだ手に軽く力をこめる。

「うん」

 軽く深呼吸をしてから正面を向くと、レインジールはさっと転送盤を起動した。光の粒子が視界を覆う。景色は一瞬で切り替わった。