奇跡のように美しい人
1章:女神 - 7 -
ここへきて、もう四ヶ月半になる。
佳蓮は、毎日、資料館と私室の往復ばかりしていた。
塔の下層にある広大な資料館は、星詠機関が運営しており、美術館、博物館、図書館と芸術と知識の宝庫で、幸いにして佳蓮は文字を読むことができた。
生前は活字に、というより親に自己啓発 の本ばかり与えられてうんざりしていたが、塔にある図書館は別だ。
先ず、とにかく広い。
中央は吹き抜けの構造で、遥か頭上に張られた色硝子の天窓から、柔らかな光が床まで降り注ぎ、素敵な模様を描いている。
天まで届きそうなほど背の高い建物の壁面には、本棚がずらり。梯子が一つも見当たらないのは、なんと、空飛ぶ椅子があるからだ。
手の届かない本は、椅子に座ったまま宙に浮いて、手に取れるのだ!
最初は椅子に座ったまま宙に浮くのは怖かったけれど、すぐに慣れた。
空飛ぶ椅子の座り心地は最高だ。
今では、飛び降りた時よりも高い場所まで、すいすいと椅子に座ったまま移動できる。
ここへ通うことをやめられない理由の一つは、この空飛ぶ椅子があるからといっても過言ではない。
塔から一歩も出ない引きこもりに近い生活を送っているが、不満は全くない。少しも飽きないのだ。
素晴らしい資料館と、窓から荘厳な街並みを一望できる贅沢な部屋がある限り、一生を過ごせる自信がある。
図書館は広大な風景式庭園に通じていて、静かな硝子の温室もあり、佳蓮のお気に入りだ。
美術館も素晴らしい。
レインジールの家系は熱心な蒐集家らしく、幾つもの美術品を寄贈しているという。
展示された油絵、彫刻に素描、版画に彫像、レリーフ、モザイク画など、美術品は優に十万点を越える。
これほど大きな美術館を、佳蓮は初めて見た。
見上げれば、金拍を塗した豊麗荘厳な天井画が眼に飛び込んでくる。精緻な装飾を施された壁や柱。
時計塔は、びっくり箱そのものだ。
誰がどんな意図で建てたのか、恐怖の人体模型館まである。
硝子箱に納められたあらゆる動物の頭蓋、皮と肉を剥がされ、瓶詰にされたよく判らない内臓や器官。
全て本物。
腐敗永久防止加工されて、数百年も前の夥 しい死体が、あの館に納められているのだ。
足を踏み入れて、最初はショックを受けたものの、三部屋くらいまでは楽しめた。リアル過ぎて逆に偽物に見えたのだ。
ところが、切断された手が壁一面に並べられている部屋を見た時、ぞぞ……っと背筋が震えて限界に達した。
あの館にだけは、入ってはいけない……
何をどうして、星詠機関はあんなものを集めたのだろう?
迷宮のような館内はとにかく広大で、一日では到底見て回れない。
観光名所にでもできそうな美しい建物だが、塔関係者以外は立ち入れない為、歩いている人はそれほど多くはない。
人の少ないところも、佳蓮は気にいっていた。
以前は美術館とは無縁の日々を送っていたが、ここへきてからというもの、毎日のように通っている。
絵画を眺めるのは楽しい。
この世界の美しいものに、佳蓮は日々感動しているが、こと人間に関しては首を捻るほかない。
繊細な筆遣いで描かれた美貌の女神像は、どれも平凡な顔立ちをしているのだ。
微細に描かれた絵の一枚を見た時は、偶々作者の好みかと思ったが、違った。美女を描いた作品の全てにおいて、モデルの女性は地味な一般女性にしか見えなかった。
写真のようにリアルな描写も、水彩のような淡い色遣いの絵も、美女が平凡。
最初は違和感を覚えたが、すぐに馴染んで、眺める楽しみとなった。
特に宗教画は構図が壮大で面白い。
人々を先導する英雄や女神は、周囲を囲む群衆より明らかに劣った容姿をしているのだから。
図書館や美術館に通ううちに、佳蓮は王宮に興味が湧いた。上流の人々が集まっている様子を、遠くから眺めてみたい。本や絵に描かれている様子と比べて、実際はどうなのだろう?
好奇心が募り、レインジールが部屋を尋ねてきた折に訊ねてみた。
「今度、私も夜会に出てみたい」
「もちろん構いませんが……」
これまでは誘われても断ってきたので、レインジールは不思議そうな顔をした。
「資料館に通っているうちに、興味が湧いたんだ。本場社交の様子を見てみたい」
「ちょうど舞踏会の招待状が届いておりますよ。出席いたしますか?」
「いいね! 舞踏会」
眼を輝かせる佳蓮を見て、レインジールは微笑んだ。
「出席する旨を伝えておきますね。宮廷行事の中でも、特に賑やかな舞踏会ですよ」
「うん、ありがとう」
「皇太子殿下が訊けば、きっと喜ぶでしょう。あの方は、もう何度も羽澄様への招待状を私に渡しているのです」
レインジールはなぜか儚げな笑みを浮かべた。佳蓮が不思議そうに首を傾げても、理由を教えてはくれなかった。
佳蓮は、毎日、資料館と私室の往復ばかりしていた。
塔の下層にある広大な資料館は、星詠機関が運営しており、美術館、博物館、図書館と芸術と知識の宝庫で、幸いにして佳蓮は文字を読むことができた。
生前は活字に、というより親に
先ず、とにかく広い。
中央は吹き抜けの構造で、遥か頭上に張られた色硝子の天窓から、柔らかな光が床まで降り注ぎ、素敵な模様を描いている。
天まで届きそうなほど背の高い建物の壁面には、本棚がずらり。梯子が一つも見当たらないのは、なんと、空飛ぶ椅子があるからだ。
手の届かない本は、椅子に座ったまま宙に浮いて、手に取れるのだ!
最初は椅子に座ったまま宙に浮くのは怖かったけれど、すぐに慣れた。
空飛ぶ椅子の座り心地は最高だ。
今では、飛び降りた時よりも高い場所まで、すいすいと椅子に座ったまま移動できる。
ここへ通うことをやめられない理由の一つは、この空飛ぶ椅子があるからといっても過言ではない。
塔から一歩も出ない引きこもりに近い生活を送っているが、不満は全くない。少しも飽きないのだ。
素晴らしい資料館と、窓から荘厳な街並みを一望できる贅沢な部屋がある限り、一生を過ごせる自信がある。
図書館は広大な風景式庭園に通じていて、静かな硝子の温室もあり、佳蓮のお気に入りだ。
美術館も素晴らしい。
レインジールの家系は熱心な蒐集家らしく、幾つもの美術品を寄贈しているという。
展示された油絵、彫刻に素描、版画に彫像、レリーフ、モザイク画など、美術品は優に十万点を越える。
これほど大きな美術館を、佳蓮は初めて見た。
見上げれば、金拍を塗した豊麗荘厳な天井画が眼に飛び込んでくる。精緻な装飾を施された壁や柱。
時計塔は、びっくり箱そのものだ。
誰がどんな意図で建てたのか、恐怖の人体模型館まである。
硝子箱に納められたあらゆる動物の頭蓋、皮と肉を剥がされ、瓶詰にされたよく判らない内臓や器官。
全て本物。
腐敗永久防止加工されて、数百年も前の
足を踏み入れて、最初はショックを受けたものの、三部屋くらいまでは楽しめた。リアル過ぎて逆に偽物に見えたのだ。
ところが、切断された手が壁一面に並べられている部屋を見た時、ぞぞ……っと背筋が震えて限界に達した。
あの館にだけは、入ってはいけない……
何をどうして、星詠機関はあんなものを集めたのだろう?
迷宮のような館内はとにかく広大で、一日では到底見て回れない。
観光名所にでもできそうな美しい建物だが、塔関係者以外は立ち入れない為、歩いている人はそれほど多くはない。
人の少ないところも、佳蓮は気にいっていた。
以前は美術館とは無縁の日々を送っていたが、ここへきてからというもの、毎日のように通っている。
絵画を眺めるのは楽しい。
この世界の美しいものに、佳蓮は日々感動しているが、こと人間に関しては首を捻るほかない。
繊細な筆遣いで描かれた美貌の女神像は、どれも平凡な顔立ちをしているのだ。
微細に描かれた絵の一枚を見た時は、偶々作者の好みかと思ったが、違った。美女を描いた作品の全てにおいて、モデルの女性は地味な一般女性にしか見えなかった。
写真のようにリアルな描写も、水彩のような淡い色遣いの絵も、美女が平凡。
最初は違和感を覚えたが、すぐに馴染んで、眺める楽しみとなった。
特に宗教画は構図が壮大で面白い。
人々を先導する英雄や女神は、周囲を囲む群衆より明らかに劣った容姿をしているのだから。
図書館や美術館に通ううちに、佳蓮は王宮に興味が湧いた。上流の人々が集まっている様子を、遠くから眺めてみたい。本や絵に描かれている様子と比べて、実際はどうなのだろう?
好奇心が募り、レインジールが部屋を尋ねてきた折に訊ねてみた。
「今度、私も夜会に出てみたい」
「もちろん構いませんが……」
これまでは誘われても断ってきたので、レインジールは不思議そうな顔をした。
「資料館に通っているうちに、興味が湧いたんだ。本場社交の様子を見てみたい」
「ちょうど舞踏会の招待状が届いておりますよ。出席いたしますか?」
「いいね! 舞踏会」
眼を輝かせる佳蓮を見て、レインジールは微笑んだ。
「出席する旨を伝えておきますね。宮廷行事の中でも、特に賑やかな舞踏会ですよ」
「うん、ありがとう」
「皇太子殿下が訊けば、きっと喜ぶでしょう。あの方は、もう何度も羽澄様への招待状を私に渡しているのです」
レインジールはなぜか儚げな笑みを浮かべた。佳蓮が不思議そうに首を傾げても、理由を教えてはくれなかった。