奇跡のように美しい人

2章:謳歌 - 3 -

 シリウスに招かれた、くだんの紅茶会の日。
 佳蓮は、レインジールのエスコートで夜も更けた頃にファジアル・リュ・シアン城を訪れた。
 会場である硝子温室は、鳥籠を模しただいだいの照明が無数に吊るされ、萌ゆる緑を黄金に染めている。
 素敵な演出に胸を高鳴らせていると、眩い装いの二人がやってきた。

「こんばんは、流星の女神。ようこそ、月夜の宴へ」

 月桂樹の冠を頭に載せているシリウスは、さながら真夏の夜の夢に登場するオべロン王のように、慇懃いんぎんな仕草で挨拶をした。

「お招きいただき、ありがとうございます」

 いきな演出に合わせて、佳蓮も深く膝を折り、芝居がかった挨拶をする。

「ご機嫌よう、ハスミ様」

 つんと顎を逸らし、高飛車にいい放つは、第一皇子の婚約者であるキララ・アンネ・マクランタだ。佳蓮をライバル視している急先鋒である。
 社交の華と呼ばれるキララは、高く結い上げた真紅の髪を、ふんわり縦巻きにして背中に垂らし、金色のドレスと舞踏靴を合わせている。

「ご機嫌よう、キララ様」

 お辞儀する佳蓮を、キララは羽のついた扇子で口元を隠しながら、検分するような瞳で見つめた。
 今夜の装いは、青を基調にしている。まとめた黒髪に青い蝶の髪飾り、美しいドレープの効いたドレスも青。アクセサリーは長く垂れる蝶の耳飾りに、二連の真珠の首飾り。全て自分で選んだものだ。
 襟や裾の型は流行と少し違うが、好きなものを身に着ける佳蓮の姿は、キララの眼に茶会の女王のように映った。
 本人には粗を見つけられず、隣のレインジールに眼を向けると、瞳に意地悪な光を灯した。

「おかわいらしい紳士ですこと。後程、お二人のダンスも披露してくださるのかしら?」

 小馬鹿にした物言いに怯むことなく、佳蓮は笑顔で応じる。

「私の小さな紳士は、とてもかわいいでしょう? 踊るのは苦手なので、誰とも踊りません。こんな私でも、レインは紳士的にエスコートしてくれるのです」

 唇から幸せをもらす佳蓮を、キララは扇で表情を隠しながら見つめた。

「女神の舞う姿を見れないなんて、殿方はがっかりするでしょね」

「私の分まで、キララ様が踊ってくださいませ。眼の保養にさせていただきますわ」

「もう見飽きたのではなくて? たまには、私も眼の保養にさせていただきたいですわ」

「ご期待に沿えず、申し訳ありません。本当に踊るのは苦手なので、遠慮させていただきます」

 たおやかに、だがきっぱりと佳蓮が辞退すると、キララは白けたような顔をして、すぐに笑みを繕った。
 一見すると、和やかに笑みを浮かべている二人を、集まった人々は興味津々、賞賛のまじった眼差しで眺めている。シリウスも苦笑を浮かべつつ、本人も無意識なのか、熱っぽい眼で佳蓮を見つめている。
 歓談を続けながら、佳蓮はちらと隣の少年を盗み見た。
 こういう時、レインジールは一貫して柔和な笑みを崩さない。卑屈な心を捻じ伏せ、堂々と顔を上げて傍にいてくれる。

「足が疲れたので、少し休憩して参ります」

 声にしない彼の心情をおもんばかり、そっと注目の外へ出ようとするのは、いつも佳蓮の方だった。

「シリウス殿下、キララ様、ご機嫌よう」

「ええ、ハスミ様。ご機嫌よう」

 笑みを浮かべて、キララもドレスを翻す。
 人の輪から離れると、レインジールは気遣わしげな視線を向けてきた。

「平気だよ」

 微笑みかけると、少年は安堵したように微笑んだ。
 よくある、女同士のちょっとしたお喋りだ。とはいえ、佳蓮もキララも眼を引く立場にあるので、最近は少し面倒なことになっている。
 社交会で今一番の話題は、シリウスを巡る佳蓮とキララの恋模様である。
 ゴシップ好きな宮廷人達は、美しい女神に皇子は心を奪われ、皇子に恋するキララは、女神の美しさに嫉妬しているのだと面白がっているのだ。
 世間では、佳蓮とキララは水と油のように思われているが、誤解である。
 煩わしく思う時も確かにあるが、はっきりした物言いをするキララを、苦手に思っていても嫌いではなかった。
 典雅な立ち居振る舞いを、お手本にしているくらいである。
 キララは、社交に長けていながら人におもね るを良しとしない、佳蓮にも不満を直接ぶつけてくる潔い性格をしている。
 それにしても、女同士のしがらみは次元を隔てても健在らしい。
 最近では、佳蓮とキララを見比べて、どちらにつこうか計算する人間も出てきた。

 +

 次の休息日。
 佳蓮は、キララ主催の午後の茶会に招かれていた。
 自慢の庭園に客人を招き、キララは自らティーポッドを傾けている。

「キララ様がハスミ様に敵うわけがないのに」

 佳蓮の隣に座り、先ほどから文句を垂れているのは、エリという名の地方伯爵令嬢だ。
 王都に住む叔母の邸宅で行儀見習をしているらしい。年は十五かそこらで、藤色の巻髪に、佳蓮視点ではなかなか整った顔立ちをしている。
 美味しい紅茶を楽しみたいのに、エリの途切れない毒舌ぶりに、佳蓮はすっかり辟易していた。

「私はキララ様、結構好きですよ」

 やんわりと笑顔で返す佳蓮を見て、エリは戸惑ったように瞳を瞬かせた。

「そうですの?」

「はい。思ったことを隠さずおっしゃる、潔い女性だと思います」

「まぁ……ご不快ではありませんの?」

「そう思った時は、私も言い返しているから、おあいこです。皆が思っているほど険悪でもないし、割と楽しくお喋りしているんですよ」

「そうですの……」

 期待を裏切られたような、つまらなそうな顔でエリは相槌を打った。

「ご機嫌よう、エリ様。私のお話? ぜひ聞かせてくださいな」

 恐る恐る振り向いたエリは、悠然と佇むキララを見て、蒼白になった。

「エリ様、仲良くする相手を乗り換えたのかしら? さすが流行に敏感な方は違うわ」

 強烈な嫌味に、エリの頬は朱くなる。
 ぴりっとした空気に、佳蓮はどうしたものかと思う一方で、キララに感心もしていた。よく自分の話題に臆せず飛び込めるものだ。

「女神様、お優しい言葉をありがとうございます。地上にいらしても、暖かく見守ってくださるのね」

 顔はにこやかだが、言葉には棘がある。返事に窮する佳蓮を見て、キララは満足そうに微笑んだ。かと思えば、パチリと片目を瞑ってみせた。

「あら、小気味いい啖呵はもう在庫切れですの?」

 からかう口調に親しみを感じて、佳蓮は胸を撫で下ろした。酷く嫌われているわけでもないのかもしれない。

「とりとめのない話です。気を悪くされたなら、ごめんなさい」

 その先を続けるか迷っていると、葛藤を見透かしたようにキララは笑った。

「ハスミ様が謝ることではありませんわ。ねぇ?」

 同意を求められたエリは、盛大に狼狽えた。その様子をたっぷり十秒は眺めてから、キララは唇を開いた。

「私の茶会で、不作法は見逃せませんわ。楽しくお話しできないのなら、どうぞお帰りになって?」

 女王は、むっつりと黙り込むエリを見下ろした後、灰紫の光を佳蓮に向けた。

「珍しい香り茶を煎れるところですの。こちらにいらっしゃる?」

 気遣いの窺える誘いに、佳蓮の胸は温まった。彼女がこんなに優しいとは知らなかった。しょげたように俯くエリを見て、視線を戻す。

「ありがとうございます、キララ様。後でいただきます」

 扇をパチリと弾いて、そう? とキララは首を傾けた。十五の少女がするには大人びた仕草だが、キララにはよく似合っている。
 優雅に去っていく後姿にしばし見惚れて、佳蓮は思い出したようにエリに視線を向けた。

「……ハスミ様、気にすることはありませんわ。キララ様ははっきりした物言いをされる方だから」

 女王然とした足取りで去っていくキララの背を見つめたまま、エリは検討違いな気遣いを口にした。

「彼女は悪くありません。自分の知らないところで、噂をされるのは、誰だっていい気分じゃありませんよ」

 やんわりと釘を刺すと、エリは罰の悪そうな顔で俯いた。キララ側に立とうとする佳蓮がお気に召さないらしい。やれやれ……
 少々気疲れもしたが、キララの茶会は趣味が良い。
 帰り際に入れてもらった花茶も、とても美味しかった。
 茶会の後、転送部屋に続く中庭を歩いていると、対面からシリウスがやってきた。
 一瞬、気付かないふりをしようか迷ったが、表情を綻ばせたシリウスに名を呼ばれ、逃げ損ねた。

「ハスミ様。運がいい、偶然貴方にお会いできるとは」

「ご機嫌よう、シリウス様」

「茶会はもう終わってしまいましたか?」

「ええ、帰るところです」

「それは残念です。喉が渇いているのに、紅茶を飲み損ねましたよ」

 佳蓮は返事をせず、微笑むに留めた。会話を早く終わらせたい。そんな心の声を見透かしたように、シリウスは如才ない笑みを浮かべた。

「キララ嬢を探しているのですが、見かけませんでしたか?」

「まだ席にいらっしゃると思いますよ。つい先ほど、終わったばかりですから」

「そうですか。ハスミ様。良ければ、席に戻ってお茶のお代わりはいかがですか?」

「せっかくですが、もうこれ以上は、お腹に入りそうにありません」

 くすくすとシリウスは笑った。

「素直な方だ。帰りたいと顔に書いてありますよ」

 図星を言い当てられて、佳蓮は気まずげに口を閉ざした。

「おかわいらしい方だ。レインジールが羨ましいな。貴方の傍にいられるのなら、私も躊躇わずに聖杯を捧げたのに」

 惜しむ口調に疑問が芽生える。真意を探ろうにも、心を読ませぬ鉄壁の笑みに阻まれた。

「……戯言です。忘れてください。少し歩きましょうか?」

「え?」

「心配せずとも、すぐに退散しますよ」

 そういうと、佳蓮の返事も待たずにシリウスは歩き始めた。
 仕方なく横に並んで歩き始めると、間の悪いことにキララに出くわした。
 キララは、シリウスを見て喜びに眼を輝かせたが、隣に立つ佳蓮に気付いて笑みを消した。

「こんにちは、キララ姫。遅くなって、すみません」

「待ちくたびれましたわ」

 すっと手を差し伸べる姿は、様になっている。シリウスも慣れたもので、恭しく指先に口づけた。
 互いに美男美女と信じて疑わない二人の立ち居振る舞いは、堂々としていて美しかった。
 当初は視界の違和感を拭えなかったが、今はそうでもない。慣れもあるが、血統の良さを物語る典雅な所作は、純粋に美しいと思う。

「シリウス皇子、どうぞキララ様を送ってさしあげてください。私も迎えがきていますから」

 訝しむキララに、佳蓮は片目を瞑ってみせた。彼女からシリウスを盗るつもりはない。うっかりにでも誘惑しないよう、邪険にしているくらいなのだ。
 やり取りをどう思ったのか、シリウスは楽しそうにキララと佳蓮の顔を見比べている。
 毒気を抜かれたような顔でいるキララに背を向けて、佳蓮は今度こそ背を向けた。