奇跡のように美しい人

2章:謳歌 - 7 -

 今日でレインジールは十四歳を迎える。
 誕生日の夜、二人でルルーシュナ紅茶庭園を訪ねることにした。暑い夏の夜には、娯楽がぴったりだ。
 佳蓮はレインジールの瞳の色と同じ、青いドレスを選んだ。
 味の薄い顔に、はっきりとした化粧を施す。青いラインを目尻に入れて、金色のアイシャドウを重ねていく。こんなにはっきりした化粧を、生前は一度だってしたことがなかったが、召使達は出来栄えに悦に入り、こぞって誉めそやした。
 お洒落を楽しむようになった佳蓮は、陶人形のように美しいレインジールのお洒落も我がことのように楽しんだ。
 仕立ての良い羅紗らしゃの上着を羽織り、襟には瑪瑙めのうのブローチ。黒い薄地の外套を羽織るレインジールは、息を呑むほど格好良かった。腰が砕けそうになっている佳蓮を、鏡の中からレインジールが不思議そうに見ている。

「佳蓮?」

「私、いい仕事したわぁ」

 額を手で押さえる佳蓮を見て、レインジールは慌てて傍に寄った。

「具合が悪いのですか?」

「レインが恰好良すぎて、眩暈がしそうなの。今日のレインは完璧だよ」

「佳蓮……」

 レインジールは顔を真っ赤にして、口元を手で押さえた。

「もう、君の将来が末恐ろしいよ。今だって、こんなに恰好良いのに、どんな美青年になっちゃうんだろ」

「私は佳蓮が心配です。そんなことをいわれて、もう口説かれているとしか思えませんよ。私でなければ、どうなっていることやら」

「全然いいよ。レインなら、何されてもいいっ!」

「佳蓮ッ!」

 勢いよく立ち上ったレインジールは、呆気にとられている佳蓮を苦虫を潰したような顔で見下ろした。

「貴方っていう人は、もう、もう……ッ」

 部屋を出ていくレインジールの背中を、佳蓮は慌てて追いかけた。

「レイン! 待って。ごめん、怒った?」

 立ち止まったレインジールは振り向くなり、青い瞳で真っ直ぐ佳蓮を見つめた。目線の高さはもう殆ど変らない。思いがけず強い眼差しに、佳蓮はドキリとした。

「怒ったわけではありません。でも、今みたいにからかわれると、困ります」

「ごめん」

「私は、貴方が思うほど子供ではありません」

「うん、ごめんね。判ってる」

「いいえ、貴方は少しも判っていない」

 突き放すような態度が軟化せず、佳蓮は戸惑ってしまう。俯きそうになると、レインジールは小さく息を吐いた。

「そんな顔をしないでください。すみません、私のいい方が良くありませんでしたね」

「ううん……」

「いきましょうか。遅くなってしまう」

 手を差し伸べられて、佳蓮はほっとしながら手を重ねた。
 大きな掌に包まれると、妙に胸が騒ぐ。触れ合った手を変に意識しないよう、無邪気を装わねばならなかった。
 転送盤を経由して、半刻も経たずに郊外の田園地方に到着した。
 月夜のルルーシュナ紅茶庭園は幻想的だ。
 まばゆい月明かりが、森を煌々こうこうと照らしている。清らかな梢。夜泣き鶯の囀り。噴水の水飛沫は月光を乱反射し、七色に輝いている。

「綺麗だねぇ」

 返事がないことを不思議に思い、隣を見ると、ドキッとするほど強い視線で見つめられていた。

「何?」

「……いえ」

 見つめていたことに、今気付いたとでもいうように、レインジールは頬杖を解いた。
 最近、気付けばレインジールの視線を感じる。
 以前からよくあることだが、近頃は視線の種類が変わったように思う。
 一途な眼差しに、敬愛以外の感情が浮いているような気がするのだ。

「……どうして、そんなに見るの?」

 思い切って訊いてみた。カップを卓に置いて、佳蓮が正面から見つめると、レインジールは小さく眼を瞠った。

「すみません。つい、見惚れてしまって」

「私が綺麗だから?」

「はい」

 茶化したつもりが真顔で肯定されて、佳蓮の方から視線を逸らした。

「ありがと……紅茶美味しい。お代わりちょうだい」

「はい」

 慣れた手つきで給仕するレインジールを、今度は佳蓮がそっと盗み見る。
 月明かりをもらい受けて、玲瓏れいろうとした美貌は銀色に染まっている。なんて美しいのだろう……

「どうぞ」

 笑みかけられ、差し出されたカップにそっと視線を落とした。

「ありがとう」

 注がれた熱い紅茶から、白い湯気が立ち昇る。
 砂糖をいれてスプーンで混ぜると、映り込んだ三日月も一緒に溶けた。
 またしても視線を感じて顔を上げると、艶めいた熱っぽい瞳に困ってしまう。動揺を誤魔化すように、見ないでよ、と噛みついた。

「すみません……」

 レインジールも、感情を持て余しているようだ。半分瞑目して、吐息を零している。

「あんまり、人をじっと見つめてはだめだよ」

「気をつけてはいるのですが、つい……世界中のどんな美しいものより、佳蓮は美しい」

「大袈裟なんだから……」

「佳蓮。祝福をください」

 微笑んだまま、佳蓮は硬直した。
 祝福とは、頬に贈るキスのことだ。誕生日には必ずしてきたことだが、今年はどうも緊張する。
 内心の動揺を気取られぬよう、ゆっくりと席を立つと、緊張したように背筋を伸ばすレインジールの傍へ寄り、顔を近付けた。

「レイン。お誕生日、おめでとう。もう十四歳だね」

「ありがとうございます」

「素晴らしい年になりますように」

 銀糸の前髪を分けて、秀でた額に唇を落とした。

「ありがとうございます。私からも、してよろしいでしょうか?」

「え?」

「貴方に、口づけても?」

「え……」

「祝福のお返しです」

 戸惑いつつ、佳蓮は頷いた。席を立ったレインジールは、佳蓮の肩にそっと手を置く。
 ちょっと待った――
 これでは、本当にキスをするみたいだ。
 反射的に眼を瞑ると、驚くほど傍で息遣いを感じた。頬に息が触れる。
 離れようとすると、強く引き寄せられた。頬を両手に包まれて、とん、と唇が触れる。瞳を閉じる間もなく、温もりは離れていった。

「……嫌でしたか?」

 唖然としている佳蓮を見て、レインジールは不安そうに尋ねた。

「いや……?」

 惚けたように首を振る佳蓮を見て、強張った顔は安堵に弛緩した。緩んだ空気に、佳蓮も肩から力を抜く。レインジールは大人びた表情を浮かべると、青い瞳で真っ直ぐ佳蓮を見つめた。

「私は、佳蓮が思うほど子供ではありません」

 瞳を逸らせない。何もいえずにいると、緊張した空気を散らすようにレインジールは微笑んだ。

「祝福をありがとうございました」

「う、うん」

 軽くなった空気に安堵しながら、佳蓮は自分の席に腰を下ろした。
 愚かしい。年下の少年に、何を動揺しているのだろう――そう考えて、二人の外見年齢はもう三つしか違わないことに気がついた。
 佳蓮の姿は、あの日から少しも変わらない。背も伸びないし、髪も伸びない。時を止めたまま……
 もう、二人の身長は殆ど変らない。手は彼の方が大きいくらいだ。抱き寄せられた腕の強さや、唇の感触を思い出して、頬が熱くなった。
 弟のように思っていた少年を、異性として意識してしまう。
 こんな調子で、彼が年下でなくなった時、どうなってしまうのだろう?
 ふと芽生えた疑問に、佳蓮は答える術を持たなかった。