奇跡のように美しい人
2章:謳歌 - 7 -
新星歴一九九四年。八月三〇日。
今日でレインジールは一四歳を迎える。
誕生日の夜、二人でルルーシュナ紅茶庭園を訪ねる約束をしていた。暑い夏の夜には、娯楽がぴったりだ。
この日のために、和の伝統と星導の意匠を織り交ぜた、特注の浴衣を誂えた。
銀糸を密に織りこんだ正絹の縮緬は、白磁に淡青を溶かしたような地色に、夜露を含んだ星紋が密やかに鏤められている。灯りの下では仄かに星屑めいて瞬いた。帯は深い銀鼠色で、結び目から垂れる房飾りには、星導具を思わせる小さな玻璃玉が連なっている。
もちろん、レインジールの浴衣も誂えた。
夜空を削り出したような漆黒を基調に、襟元と袖口にだけ、氷晶の文様が細く走っている。
帯には、星導師の正装にも使われる装飾紐が結ばれ、そこから垂れる銀の飾りが彼の動きにあわせて静かに揺れた。
陶磁器人形のように整った横顔が、和装によっていっそう儚く、壊れものめいて見えてしまう。
全身鏡の前に並んで立った瞬間、佳蓮は、思わず息を呑んだ。
――これは、一四歳の少年が纏っていい色気じゃない。
そう思うのに、視線を逸らすこともできず、腰が砕けそうになるのを、ただ必死に堪えていた。
そんな佳蓮を、鏡越しにレインジールが見つめている。氷晶の瞳に、幽かな不安の色を浮かべて。
「このような装いは初めてですが……おかしくないでしょうか?」
「ちっとも! 最高に似合ってる! ……私、いい仕事したわぁ」
額を手で押さえる佳蓮に、レインジールは慌てて歩み寄った。
「具合が悪いのですか?」
「レインが恰好良すぎて、眩暈がしそうなの。今日のレイン、完璧だよ」
「佳蓮……」
レインジールは耳朶まで朱に染め、動揺を隠すように口元を手で覆った。
「もう、君の将来が末恐ろしいよ。今だってこんなに恰好良いのに、どんな美青年になっちゃうんだろ」
「私は佳蓮が心配です。そんな風に言われては、もはや口説かれているとしか思えない……相手が私でなければ、どうなっていたことか」
「全然いいよ。レインなら、何されてもいいっ!」
「佳蓮ッ!」
レインジールはわなわな震え、呆気にとられる佳蓮を睨めつけた。目線の高さは、もう殆ど変わらない。
「貴方という人は、もう、もう……ッ」
弾かれたように背を向けた細い肩を見て、佳蓮は狼狽に息を呑んだ。
「ごめん! 怒った?」
振り向いた氷晶の瞳が、真っ直ぐに佳蓮を射抜いた。その瞳には、庇護者の理性と、青い熾烈な熱が混在しているように思えた。
「怒ってはいません。ですが、あのようにからかわれると困ります」
「ごめん……」
「私は、佳蓮が思うほど子供ではありません」
「うん。判ってる」
「いいえ、貴方は少しも判っていない」
突き放すような態度が軟化せず、佳蓮は戸惑ってしまう。俯きそうになると、レインジールは小さく息を吐いた。
「……すみません。言い方が良くありませんでした」
「ううん……」
「行きましょう。遅くなってしまう」
差し出された手に、ほっとして指を乗せる。
大きな掌に包まれると、妙に胸が騒いだ。変に意識しないよう、無邪気を装わねばならなかった。
時計塔一階の星路口から広域星路陣を通じて、転瞬、郊外の田園地帯へと辿り着いた。
星月夜のルルーシュナ紅茶庭園は、幻想的だった。
天から零れる星明かりが、森を煌々と照らし、梢は硝子のように澄み渡っている。夜泣き鶯の囀りが、遠くで、近くで、庭園に響いていた。
小径の先、噴水の水飛沫が月光を弾き、七色の光を孕んでは、ほどけるように闇へと溶けていく。
お気に入りの硝子天蓋の茶席に着くと、レインジールは慣れた手つきで給仕を始めた。
湯気とともに、硝子のポットの内側が、ゆっくりと光を帯びていく。
「わぁ……青い紅茶?」
思わず洩れた声に、レインジールは微笑し、静かにカップへと注ぎ続ける。
細い水流は、星屑を溶かしたように煌めき、器の底で、ゆるやかな夜空を描いた。
薄青の水面に琥珀色の照明が映りこみ、揺れるたび、金と蒼が溶け合う。まるで、夜空に浮かぶ満月を、そのまま小さな器に閉じこめたみたいだ。
「綺麗だねぇ」
返事がない。
不思議に思って顔をあげると、肌が焦げそうなほど熱の籠った視線が注がれていた。
「何?」
「いえ……」
見つめていたことに、今気付いたとでもいうように、レインジールは視線を逸らす。
最近、よくレインジールの視線を感じる。
以前からそうだったが、近頃は、視線の種類が変わったように思う。一途な眼差しに、敬愛以外の感情が混ざっている気がするのだ。
「……どうして、そんなに見るの?」
思い切って訊いてみた。カップを卓に置いて、佳蓮が正面から見つめると、レインジールは目を瞠った。
「すみません。つい、見惚れてしまって」
「私が綺麗だから?」
「はい」
茶化したつもりが真顔で肯定され、佳蓮の方から視線を逸らした。
「ありがと……紅茶、美味しい。お代わりちょうだい」
「はい」
迷いのない、流麗な仕草で給仕するレインジールを、今度は佳蓮が盗み見る。
月光をもらい受けて、玲瓏とした美貌は、銀に染まっている。月の精霊みたいだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
我に返った佳蓮は、差しだされたカップに視線を落とした。
注がれた熱い紅茶から、白い湯気が立ち昇る。砂糖をいれてスプーンで混ぜると、映りこんだ満月も一緒に溶けた。
再び視線を感じて顔をあげると、艶めいた青に射抜かれ、困ってしまう。動揺を誤魔化すように、見ないでよ、と噛みついた。
「すみません……」
レインジールも、感情を持て余しているようだ。半分瞑目して、吐息を零している。
「あんまり、人をじっと見つめてはだめだよ」
「……気をつけてはいるのですが」
吐息交じりの声で、彼は続けた。
「世界中のどんな美しいものより、佳蓮は美しいから」
「……もう、大袈裟なんだから」
「佳蓮。祝福をください」
微笑を保ったまま、佳蓮は硬直した。
祝福とは、額に贈るキスのことだ。誕生日には必ずしてきたことだが、今年はどうも緊張する。
内心の動揺を気取られぬよう、ゆっくりと席を立つと、緊張したように背筋を伸ばすレインジールの傍へ寄り、顔を近づけた。
「レイン。お誕生日、おめでとう。もう一四歳だね」
「ありがとうございます」
「素晴らしい一年になりますように」
銀糸の前髪を分けて、秀でた額に唇を落とした。
「ありがとうございます。私からも、してよろしいでしょうか?」
「え?」
「貴方に、口づけても?」
「え……」
「祝福のお返しです」
戸惑いつつ、佳蓮は頷いた。席を立ったレインジールは、佳蓮の肩にそっと手を置く。
(え、ちょっと待って……)
これでは、本当にキスをするみたいだ。
端正な顔が近づいて、反射的に目を閉じる。
頬に息が触れ、やっぱり離れようとすると、強く引き寄せられた。頬を両手に包まれて、とん、と唇が触れる。瞳を閉じる間もなく、温もりは離れていった。
「……嫌でしたか?」
唖然としている佳蓮を見て、レインジールは不安そうに尋ねた。
「……いや?」
惚けたように首を振る佳蓮を見て、強張った顔は安堵に弛緩した。
緩んだ空気に、佳蓮も肩から力を抜く。レインジールは大人びた表情を浮かべると、氷晶の瞳で真っ直ぐ佳蓮を見つめた。
「私は、佳蓮が思うほど子供ではありません」
瞳を逸らせない――言葉を返せずにいると、緊張した空気を散らすようにレインジールは微笑した。
「祝福を、ありがとうございました」
「……うん」
席に戻りながら、胸を押さえる。
愚かだ。年下の少年に、何を動揺しているの――そう考えて、二人の外見年齢はもう三つしか違わないことに気がついた。
佳蓮の姿は、ここへ来た時から少しも変わらない。背も伸びないし、髪も伸びない。時を止めてしまっている。
一方で、彼は成長を続けている。
身長差は、もう殆どない。手は彼の方が大きいくらいだ。抱き寄せられた腕の強さや、唇の感触を思いだして、頬が熱くなる。
弟のように思っていた少年を、異性として意識してしまった。
こんな調子で、彼が年下でなくなった時、どうなってしまうのだろう?
ふと芽生えた疑問に、佳蓮はまだ、答えを持たなかった。
今日でレインジールは一四歳を迎える。
誕生日の夜、二人でルルーシュナ紅茶庭園を訪ねる約束をしていた。暑い夏の夜には、娯楽がぴったりだ。
この日のために、和の伝統と星導の意匠を織り交ぜた、特注の浴衣を誂えた。
銀糸を密に織りこんだ正絹の縮緬は、白磁に淡青を溶かしたような地色に、夜露を含んだ星紋が密やかに鏤められている。灯りの下では仄かに星屑めいて瞬いた。帯は深い銀鼠色で、結び目から垂れる房飾りには、星導具を思わせる小さな玻璃玉が連なっている。
もちろん、レインジールの浴衣も誂えた。
夜空を削り出したような漆黒を基調に、襟元と袖口にだけ、氷晶の文様が細く走っている。
帯には、星導師の正装にも使われる装飾紐が結ばれ、そこから垂れる銀の飾りが彼の動きにあわせて静かに揺れた。
陶磁器人形のように整った横顔が、和装によっていっそう儚く、壊れものめいて見えてしまう。
全身鏡の前に並んで立った瞬間、佳蓮は、思わず息を呑んだ。
――これは、一四歳の少年が纏っていい色気じゃない。
そう思うのに、視線を逸らすこともできず、腰が砕けそうになるのを、ただ必死に堪えていた。
そんな佳蓮を、鏡越しにレインジールが見つめている。氷晶の瞳に、幽かな不安の色を浮かべて。
「このような装いは初めてですが……おかしくないでしょうか?」
「ちっとも! 最高に似合ってる! ……私、いい仕事したわぁ」
額を手で押さえる佳蓮に、レインジールは慌てて歩み寄った。
「具合が悪いのですか?」
「レインが恰好良すぎて、眩暈がしそうなの。今日のレイン、完璧だよ」
「佳蓮……」
レインジールは耳朶まで朱に染め、動揺を隠すように口元を手で覆った。
「もう、君の将来が末恐ろしいよ。今だってこんなに恰好良いのに、どんな美青年になっちゃうんだろ」
「私は佳蓮が心配です。そんな風に言われては、もはや口説かれているとしか思えない……相手が私でなければ、どうなっていたことか」
「全然いいよ。レインなら、何されてもいいっ!」
「佳蓮ッ!」
レインジールはわなわな震え、呆気にとられる佳蓮を睨めつけた。目線の高さは、もう殆ど変わらない。
「貴方という人は、もう、もう……ッ」
弾かれたように背を向けた細い肩を見て、佳蓮は狼狽に息を呑んだ。
「ごめん! 怒った?」
振り向いた氷晶の瞳が、真っ直ぐに佳蓮を射抜いた。その瞳には、庇護者の理性と、青い熾烈な熱が混在しているように思えた。
「怒ってはいません。ですが、あのようにからかわれると困ります」
「ごめん……」
「私は、佳蓮が思うほど子供ではありません」
「うん。判ってる」
「いいえ、貴方は少しも判っていない」
突き放すような態度が軟化せず、佳蓮は戸惑ってしまう。俯きそうになると、レインジールは小さく息を吐いた。
「……すみません。言い方が良くありませんでした」
「ううん……」
「行きましょう。遅くなってしまう」
差し出された手に、ほっとして指を乗せる。
大きな掌に包まれると、妙に胸が騒いだ。変に意識しないよう、無邪気を装わねばならなかった。
時計塔一階の星路口から広域星路陣を通じて、転瞬、郊外の田園地帯へと辿り着いた。
星月夜のルルーシュナ紅茶庭園は、幻想的だった。
天から零れる星明かりが、森を煌々と照らし、梢は硝子のように澄み渡っている。夜泣き鶯の囀りが、遠くで、近くで、庭園に響いていた。
小径の先、噴水の水飛沫が月光を弾き、七色の光を孕んでは、ほどけるように闇へと溶けていく。
お気に入りの硝子天蓋の茶席に着くと、レインジールは慣れた手つきで給仕を始めた。
湯気とともに、硝子のポットの内側が、ゆっくりと光を帯びていく。
「わぁ……青い紅茶?」
思わず洩れた声に、レインジールは微笑し、静かにカップへと注ぎ続ける。
細い水流は、星屑を溶かしたように煌めき、器の底で、ゆるやかな夜空を描いた。
薄青の水面に琥珀色の照明が映りこみ、揺れるたび、金と蒼が溶け合う。まるで、夜空に浮かぶ満月を、そのまま小さな器に閉じこめたみたいだ。
「綺麗だねぇ」
返事がない。
不思議に思って顔をあげると、肌が焦げそうなほど熱の籠った視線が注がれていた。
「何?」
「いえ……」
見つめていたことに、今気付いたとでもいうように、レインジールは視線を逸らす。
最近、よくレインジールの視線を感じる。
以前からそうだったが、近頃は、視線の種類が変わったように思う。一途な眼差しに、敬愛以外の感情が混ざっている気がするのだ。
「……どうして、そんなに見るの?」
思い切って訊いてみた。カップを卓に置いて、佳蓮が正面から見つめると、レインジールは目を瞠った。
「すみません。つい、見惚れてしまって」
「私が綺麗だから?」
「はい」
茶化したつもりが真顔で肯定され、佳蓮の方から視線を逸らした。
「ありがと……紅茶、美味しい。お代わりちょうだい」
「はい」
迷いのない、流麗な仕草で給仕するレインジールを、今度は佳蓮が盗み見る。
月光をもらい受けて、玲瓏とした美貌は、銀に染まっている。月の精霊みたいだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
我に返った佳蓮は、差しだされたカップに視線を落とした。
注がれた熱い紅茶から、白い湯気が立ち昇る。砂糖をいれてスプーンで混ぜると、映りこんだ満月も一緒に溶けた。
再び視線を感じて顔をあげると、艶めいた青に射抜かれ、困ってしまう。動揺を誤魔化すように、見ないでよ、と噛みついた。
「すみません……」
レインジールも、感情を持て余しているようだ。半分瞑目して、吐息を零している。
「あんまり、人をじっと見つめてはだめだよ」
「……気をつけてはいるのですが」
吐息交じりの声で、彼は続けた。
「世界中のどんな美しいものより、佳蓮は美しいから」
「……もう、大袈裟なんだから」
「佳蓮。祝福をください」
微笑を保ったまま、佳蓮は硬直した。
祝福とは、額に贈るキスのことだ。誕生日には必ずしてきたことだが、今年はどうも緊張する。
内心の動揺を気取られぬよう、ゆっくりと席を立つと、緊張したように背筋を伸ばすレインジールの傍へ寄り、顔を近づけた。
「レイン。お誕生日、おめでとう。もう一四歳だね」
「ありがとうございます」
「素晴らしい一年になりますように」
銀糸の前髪を分けて、秀でた額に唇を落とした。
「ありがとうございます。私からも、してよろしいでしょうか?」
「え?」
「貴方に、口づけても?」
「え……」
「祝福のお返しです」
戸惑いつつ、佳蓮は頷いた。席を立ったレインジールは、佳蓮の肩にそっと手を置く。
(え、ちょっと待って……)
これでは、本当にキスをするみたいだ。
端正な顔が近づいて、反射的に目を閉じる。
頬に息が触れ、やっぱり離れようとすると、強く引き寄せられた。頬を両手に包まれて、とん、と唇が触れる。瞳を閉じる間もなく、温もりは離れていった。
「……嫌でしたか?」
唖然としている佳蓮を見て、レインジールは不安そうに尋ねた。
「……いや?」
惚けたように首を振る佳蓮を見て、強張った顔は安堵に弛緩した。
緩んだ空気に、佳蓮も肩から力を抜く。レインジールは大人びた表情を浮かべると、氷晶の瞳で真っ直ぐ佳蓮を見つめた。
「私は、佳蓮が思うほど子供ではありません」
瞳を逸らせない――言葉を返せずにいると、緊張した空気を散らすようにレインジールは微笑した。
「祝福を、ありがとうございました」
「……うん」
席に戻りながら、胸を押さえる。
愚かだ。年下の少年に、何を動揺しているの――そう考えて、二人の外見年齢はもう三つしか違わないことに気がついた。
佳蓮の姿は、ここへ来た時から少しも変わらない。背も伸びないし、髪も伸びない。時を止めてしまっている。
一方で、彼は成長を続けている。
身長差は、もう殆どない。手は彼の方が大きいくらいだ。抱き寄せられた腕の強さや、唇の感触を思いだして、頬が熱くなる。
弟のように思っていた少年を、異性として意識してしまった。
こんな調子で、彼が年下でなくなった時、どうなってしまうのだろう?
ふと芽生えた疑問に、佳蓮はまだ、答えを持たなかった。