残酷少女と悪魔の団欒

残酷少女と悪魔の団欒 - 10 -

 瞳が醒めると、精緻な造りの天蓋が視界に映った。
 円蓋の天井が目に映り、コチ、コチ、コチ……と針の音が聞こえてくる。

「ん……」

「おはよう、メグちゃん。気分はどう?」

 心配そうな瞳をしたマリアリリスが、メグを見下ろしていた。
 ぼんやり見上げていると、慈しむように眼を細め、たおやかなで繊手でメグの髪を梳いた。

「ずっとうなされていたのよ。でも、もう大丈夫。怖い夢は、食べてしまったから」

「夢……」

 確か、昨夜はシャルルと言い争いをして……その後、どうしたっけ。恐い夢を見たのだろうか……

「……最近、毎日のように囚われていたから、少し心配していたの。もっと早く狩ってしまえば良かったわね」

 話が見えずにメグが不思議そうに瞬くと、マリアリリスは微笑んだ。
 ふと、遠い記憶が脳裏をよぎった。
 あの時も、こんな風に……
 ぼんやりと、顔を横に倒して窓辺を見ると、灰色の空を鷲が滑空していった。優雅に飛ぶ姿から、なぜかシャルルを連想した。

「……シャルは?」

「メグちゃんに、酷いことを言ったって落ち込んでいたわ。呼んでも平気かしら?」

 メグが頷くと、待っていたとばかりにシャルルが入ってきた。

「お姉様、大丈夫?」

「うん」

「ごめんなさい……」

「いいよ、もう」

「怒っていませんか?」

「眠ったら、忘れちゃったわ」

 照れ臭くて、そっぽを向いたまま応えると、シャルルはそれきり口を噤んだ。
 そっと様子を窺うと、どこか寂しそうな顔をしていた。メグは視線を彷徨わせ、気まずげに口を開く。

「……大嫌いなんて、嘘だよ。仲直りしよう」

 途端に、シャルルは花が綻ぶように笑った。嬉しそうに、メグを抱きしめる。
 温もりに包まれながら、メグはどこか冷静だった。
 やはり、シャルルの身長はメグよりも高くなった。
 妬ましくて、腹が立つこともあるけれど、シャルルを憎みきれない。
 本当はどこへでも飛んでいけるのに、一人で何でもできるのに、一歩引いて、メグをたてようとする。
 一途にメグを慕ってくれる弟の存在が、メグには必要なのだ。
 それに……

 人間でもいいと、言ってくれた。

 激情を孕んだ言葉は、血統に拘るメグの卑屈さを揺るがした。
 なんとなく、負けたような心地を味わいながら、メグもシャルルを優しく抱きしめた。

「お姉さま、一緒に遊びましょう?」

「いいよ」

「今日は、二人で遊びたいです」

「……しょうがないわね」

 独占欲を見せるシャルルを見て、メグは顎を逸らして、高飛車に頷いた。
 そんな態度でも、シャルルは嬉しそうに笑った。つられたように、メグも笑う。
 その様子を見て、慈母のようにマリアリリスは微笑んでいる。

「何して遊ぶ?」

「夢を覗きにいきましょう」

「いいわね。おやつを食べたら、遊ぼ」

 今夜も、誰かの夢を、とびきり怖い悪夢に変えてやろう。
 意地悪そうにメグが笑うと、シャルルも悪戯めいた笑みを浮かべた。手を取り合って、ゲスト・パーラーへ向かうのだった。

 +

 この世には、真実が無意味なこともある。

 五年前。
 猛威を振るった疫病の根源は、毒殺散布とされた。
 その際、罪のない憐れな健常者六名が、毒殺呪術の嫌疑にかけられ処刑された。そのうちの一人は、六歳にも満たぬ少女であった。

 処刑を命じた聖職者は、過去数十名の命を捌いた司祭であり、マガハラの処刑以降は精神に異常をきたし、奇妙な衰弱死を迎えた。
 切り裂き魔の正体は、マガハラの処刑に影響を受けた、表向きはごく善良な聖職者であった。謝肉祭の日には、オルゴールや菓子で子供達を喜ばせるような……
 彼は、善人である一方で子を攫い、呪術めいた処刑を行う、殺人鬼でもあった。
 街の誰もが看破できずにいた彼の正体を、悪魔だけが知っていた。うまい悪夢を貪れるからと、彼のことを気にいっていた悪魔達。

 けれど、大切にしている、かわいい少女が怖がるから……

 もう生かすのはやめよう。
 心を悪魔に売り渡した、善人面の聖職者。彼に課された罪状は、終わりのない悪夢。精気を消耗し、死に至らしめるまで、二度と目覚めることはない。
 五年前、マガハラの処刑を行った司祭のように。
 殺人鬼の仮面をつけた聖職者に、子を売り渡した死の商人のように。

 誰も知らない真実は、闇に屠られた。

 メグは、火刑に処されながら、生き延びた。
 あの日――空を落とすほどの憎悪の念に引き寄せられ、悪魔が彼女を救い上げたから。

 これも、誰も知らない真実。

 この後も――
 時にメグは悪夢にうなされ、目覚める度に忘れた。そして、隙間に怯えた。
 少女の心の闇が、完全に払拭される日は終ぞ訪れなかったが、傍にはいつも、残酷だが優しい悪魔が共にいた。

 彼等に向けるメグの笑顔は、明るく、とても澄んでいた。




 - Fin -