メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -
1章:古代神器の魔法 - 2 -
澄んだ青空が見える。風が冷たい。足もと、頭上を、白い雲が流れていく……。
頭上に広がる青空の彼方には、空中に浮いた小島が見える。更に彼方には、うっすらと大きな惑星の影が三つ並んで見える……。
飛鳥の眼前に、とても地球とは思えない、幻想的な美しい景色が広がっていた。
――あぁ、死んじゃったんだ……。
ついさっきまで、マイクロバスに乗っていた。
最後に見たのは、空から降ってきた真っ赤に燃え上がる塊だ。逃げようもなかった。あれは宇宙から降ってきた隕石か何かで、飛鳥達は衝撃に巻き込まれたのだろう。大勢が巻き込まれたはずだ。
飛鳥は周囲を見渡して、姉や両親を探した。それらしい人影は見えない。というより、誰もいない。まさか、飛鳥一人だけ死んでしまったのだろうか。
ふと、少し離れた所に浮かぶ、淡い光に視線が吸い寄せられた。サッカーボールくらいの大きさで、宙に浮いている。眼を凝らしてみても、何が光っているのかは判らない。
誘われるように足を踏み出すと、硬い地面を足裏に感じた。どうやら、ふわふわした雲の上に立っているわけではないようだ。
しかし、飛鳥は踏み出す一歩を躊躇った。
身体が透けている。
足は地面についているが……、半透明に透けている。両手を顔の前にかざすと、掌の向こうに青い空や白い雲が透けて見えた。
ふと、地面を覆う雲が途切れる。狭霧のような波雲 の合間から、緑に覆われた地肌が覗く。黄色や青色の燐光を放つ月見草が風に揺れている。
清かな光に包まれた、不思議な場所。小さな庭園。
こんなにも美しいのだ。ここは天国かもしれない。
どうやら飛鳥の立っている所は、直径三十メートルもないらしい。大して歩かないうちに、地面の端に辿り着いた。
恐る恐る、四つん這いになって下を覗くと、あまりの高さに眩暈を覚えた。海や陸地は一切見えない。流れる雲と、青い空しか見えない。どこまでも、無限に空が続いている。
やはり、ここは天国なのだろう。
立ち上がり、あらためて淡い光を見つめた。見れば見るほど惹かれる……、触れたくて仕方がない。
飛鳥は、誘われるように光の傍へ近寄ると、そっと手を伸ばした。
「あっ!」
触れた途端、光は急速に膨れ上がり、飛鳥の全身を包み込んだ。透けた身体は金色に光り、燃えるように熱くなる。失われた血肉が蘇る。そして、膨大な情報が頭の中に勝手に流れ込んできた。
抗えない記憶の奔流。頭の中に一方的に、古ぼけた映画 が流れ出す。
どこかノスタルジアな空気の流れる映像の中、目も眩むような神々しい男女が話している。
顔のよく似た、対の男女……
白に近い銀色の髪、金色の星屑を散らした青い瞳、陶器のような肌……この世にあらざる美貌だ。
背には、透き通った六枚の羽を持っている。
彼等こそ、宇宙を創り給う唯一無二の天上始祖精霊 ――アンフルラージュの子供達、天下始祖精霊 。精霊界を治める双子の精霊王だ。
時代の節目に立ち、二人はとある決断を下そうとしていた。
“アンジェラ、私はもう人間を許せません”
“そうね……仕方ないわ。今は、精霊界 の扉を閉じましょう……”
“――今は? いいえ、アンジェラ。未来永劫、私は開くつもりはありません”
“アシュレイ、そんなことを言わないで。地上 の世界もとても素敵よ……私は、彼に出会えて、とても幸せだったもの……いつかまた、彼等と笑える日がくる”
“愚かなことを……諦めなさい、アンジェラ。私も二度はありませんよ”
“いいえ、アシュレイ。いつかきっと”
“無駄です、アンジェラ”
“信じて、アシュレイ。一滴の希望を地上に残すわ……界渡りの環 を開く魔法。怨嗟の輪から外れた者が、この魔法に触れた時、可能性は生まれるのよ”
穢れを灌 いでも、すぐにまた、空は濁り、海は穢れていく……
果てのない人間の争いを治めることに、精霊王は限界を感じていた。
この未熟な世界を守る為に――
哀しげに瞑目したアンジェラは、再び瞳を開けると、世界を賄えるほどの霊気を振り絞り、巨大な魔法を生み出さんとした。
“アンジェラ! 霊気を使い果たすつもりですか? そんなことをしても無駄ですよ、怨嗟に染まらぬ人間がいるものですか”
人間に心を寄せ、無謀な真似をする双子姉のことを、アシュレイは心から心配していた。
“判らないわ……いつか、時が流れて……きっと誰かが気付いてくれる”
“たとえ聖者が手にしても、邪 な者に引き裂かれてしまう”
“そうね……魔法を手にする者を、守る魔法も必要だわ。こうしましょう。相手の名前を呼んで、メル・アン・エディール――貴方は私のもの――と囁けば、その者の心を手に入れられるの。この魔法を、無限に続く空と海に分けた二つの世界、それぞれに落とすわ。一つは空の上に、一つは海の底に……”
“どうして、そこまで地上を気にかけるのです……”
悲しそうな顔をするアシュレイを見て、アンジェラもまた表情を曇らせた。
“アシュレイがそんなにも人間を嫌ってしまったのは、私のせいね……ここにも、一滴の希望が必要だわ”
つと繊手を伸ばし、アンジェラはアシュレイの胸を指で突いた。
“ここって、精霊界に?”
“そうよ。一つは地上の空に、一つは地上の海に、一つは精霊界に……三つの世界に魔法を落とすわ”
“アンジェラ……私は救って欲しいだなんて、思っていませんよ”
“いいえ、必要だわ。どれだけ時間がかかっても、変えたいのよ”
強い意志を秘めた瞳を向けられて、アシュレイも口を閉ざした。せめて、少しでも彼女の負担が和らぐように、霊気を放出して魔法の創造に力を貸す。
かくして、恐いほど純粋な霊気、高圧凝縮された魔法が誕生する。
三つの強大な魔法を、アンジェラはそれぞれの世界に落とした。
“あぁ……疲れたわね。私も貴方も、休暇が必要だと思わない?”
“全く、無茶をする……”
“アンフルラージュも待っているわ……少し休みましょう”
頽 れるアンジェラの身体を、労わるようにアシュレイは支えた。
映像はそこで途切れた。
すぐには現実と妄想の区別がつかなかった。
美しい精霊の姿は、もうどこにも見えない。さっきまで在った淡い光も消えてしまった。あの淡い光の正体、古い魔法は、飛鳥の身体の中に入り込んでしまったのだ。
飛鳥はじっと自分の両手を見つめた。さっきまでは無かった、確かな肉体の存在感がある。
上下する肺の動きを感じる。呼吸をしている。脈打つ鼓動を感じる。身体も透けていないし、足もちゃんと地面についている。指先に至るまで、しっかりとした五感がある。
冷たい風を、頬や手に感じる。半袖から覗く肌は寒さに粟立ち、肩につく黒髪は、滑らかに揺れている。
まるで、生きているみたい。
飛鳥は、少し浅黒い自分の両手をじっと見つめた。見た目は同じだけれど、以前とは何かが違う。細胞レベルで書き換わってしまったような気がする。
あの淡い光……、魔法と融合して、飛鳥は新しく生まれ変わったのだ。
頭の中に、十六年間生きてきた飛鳥の記憶と、古い魔法のもたらす記憶が混在している。背筋がぞくりと震えた。
まさか――。
この魔法を手にする為に、ここへ来たのだろうか。
とても偶然とは思えない。今日あの場所で、隕石に衝突したことは、飛鳥がここへ来るために必要な過程だったのではないだろうか……。
ここは天国じゃない。
夢でもない。
地球とは異なる、別の世界だ。
手に入れた魔法のおかげで、この未知の世界が朧 ながら判る。
遠い昔、偉大な双子の精霊――アシュレイとアンジェラが、仲違いする二つの大国を海と空に分けた。ここは、切り離された空の世界。見渡す限り、上も下も空ばかりが続く、果てのない空の世界。
飛鳥は二つの魔法を手に入れた。一つは世界を渡る魔法、もう一つは心を手に入れる魔法――メル・アン・エディール。
頭上に広がる青空の彼方には、空中に浮いた小島が見える。更に彼方には、うっすらと大きな惑星の影が三つ並んで見える……。
飛鳥の眼前に、とても地球とは思えない、幻想的な美しい景色が広がっていた。
――あぁ、死んじゃったんだ……。
ついさっきまで、マイクロバスに乗っていた。
最後に見たのは、空から降ってきた真っ赤に燃え上がる塊だ。逃げようもなかった。あれは宇宙から降ってきた隕石か何かで、飛鳥達は衝撃に巻き込まれたのだろう。大勢が巻き込まれたはずだ。
飛鳥は周囲を見渡して、姉や両親を探した。それらしい人影は見えない。というより、誰もいない。まさか、飛鳥一人だけ死んでしまったのだろうか。
ふと、少し離れた所に浮かぶ、淡い光に視線が吸い寄せられた。サッカーボールくらいの大きさで、宙に浮いている。眼を凝らしてみても、何が光っているのかは判らない。
誘われるように足を踏み出すと、硬い地面を足裏に感じた。どうやら、ふわふわした雲の上に立っているわけではないようだ。
しかし、飛鳥は踏み出す一歩を躊躇った。
身体が透けている。
足は地面についているが……、半透明に透けている。両手を顔の前にかざすと、掌の向こうに青い空や白い雲が透けて見えた。
ふと、地面を覆う雲が途切れる。狭霧のような
清かな光に包まれた、不思議な場所。小さな庭園。
こんなにも美しいのだ。ここは天国かもしれない。
どうやら飛鳥の立っている所は、直径三十メートルもないらしい。大して歩かないうちに、地面の端に辿り着いた。
恐る恐る、四つん這いになって下を覗くと、あまりの高さに眩暈を覚えた。海や陸地は一切見えない。流れる雲と、青い空しか見えない。どこまでも、無限に空が続いている。
やはり、ここは天国なのだろう。
立ち上がり、あらためて淡い光を見つめた。見れば見るほど惹かれる……、触れたくて仕方がない。
飛鳥は、誘われるように光の傍へ近寄ると、そっと手を伸ばした。
「あっ!」
触れた途端、光は急速に膨れ上がり、飛鳥の全身を包み込んだ。透けた身体は金色に光り、燃えるように熱くなる。失われた血肉が蘇る。そして、膨大な情報が頭の中に勝手に流れ込んできた。
抗えない記憶の奔流。頭の中に一方的に、古ぼけた
どこかノスタルジアな空気の流れる映像の中、目も眩むような神々しい男女が話している。
顔のよく似た、対の男女……
白に近い銀色の髪、金色の星屑を散らした青い瞳、陶器のような肌……この世にあらざる美貌だ。
背には、透き通った六枚の羽を持っている。
彼等こそ、宇宙を創り給う唯一無二の
時代の節目に立ち、二人はとある決断を下そうとしていた。
“アンジェラ、私はもう人間を許せません”
“そうね……仕方ないわ。今は、
“――今は? いいえ、アンジェラ。未来永劫、私は開くつもりはありません”
“アシュレイ、そんなことを言わないで。
“愚かなことを……諦めなさい、アンジェラ。私も二度はありませんよ”
“いいえ、アシュレイ。いつかきっと”
“無駄です、アンジェラ”
“信じて、アシュレイ。一滴の希望を地上に残すわ……界渡りの
穢れを
果てのない人間の争いを治めることに、精霊王は限界を感じていた。
この未熟な世界を守る為に――
哀しげに瞑目したアンジェラは、再び瞳を開けると、世界を賄えるほどの霊気を振り絞り、巨大な魔法を生み出さんとした。
“アンジェラ! 霊気を使い果たすつもりですか? そんなことをしても無駄ですよ、怨嗟に染まらぬ人間がいるものですか”
人間に心を寄せ、無謀な真似をする双子姉のことを、アシュレイは心から心配していた。
“判らないわ……いつか、時が流れて……きっと誰かが気付いてくれる”
“たとえ聖者が手にしても、
“そうね……魔法を手にする者を、守る魔法も必要だわ。こうしましょう。相手の名前を呼んで、メル・アン・エディール――貴方は私のもの――と囁けば、その者の心を手に入れられるの。この魔法を、無限に続く空と海に分けた二つの世界、それぞれに落とすわ。一つは空の上に、一つは海の底に……”
“どうして、そこまで地上を気にかけるのです……”
悲しそうな顔をするアシュレイを見て、アンジェラもまた表情を曇らせた。
“アシュレイがそんなにも人間を嫌ってしまったのは、私のせいね……ここにも、一滴の希望が必要だわ”
つと繊手を伸ばし、アンジェラはアシュレイの胸を指で突いた。
“ここって、精霊界に?”
“そうよ。一つは地上の空に、一つは地上の海に、一つは精霊界に……三つの世界に魔法を落とすわ”
“アンジェラ……私は救って欲しいだなんて、思っていませんよ”
“いいえ、必要だわ。どれだけ時間がかかっても、変えたいのよ”
強い意志を秘めた瞳を向けられて、アシュレイも口を閉ざした。せめて、少しでも彼女の負担が和らぐように、霊気を放出して魔法の創造に力を貸す。
かくして、恐いほど純粋な霊気、高圧凝縮された魔法が誕生する。
三つの強大な魔法を、アンジェラはそれぞれの世界に落とした。
“あぁ……疲れたわね。私も貴方も、休暇が必要だと思わない?”
“全く、無茶をする……”
“アンフルラージュも待っているわ……少し休みましょう”
映像はそこで途切れた。
すぐには現実と妄想の区別がつかなかった。
美しい精霊の姿は、もうどこにも見えない。さっきまで在った淡い光も消えてしまった。あの淡い光の正体、古い魔法は、飛鳥の身体の中に入り込んでしまったのだ。
飛鳥はじっと自分の両手を見つめた。さっきまでは無かった、確かな肉体の存在感がある。
上下する肺の動きを感じる。呼吸をしている。脈打つ鼓動を感じる。身体も透けていないし、足もちゃんと地面についている。指先に至るまで、しっかりとした五感がある。
冷たい風を、頬や手に感じる。半袖から覗く肌は寒さに粟立ち、肩につく黒髪は、滑らかに揺れている。
まるで、生きているみたい。
飛鳥は、少し浅黒い自分の両手をじっと見つめた。見た目は同じだけれど、以前とは何かが違う。細胞レベルで書き換わってしまったような気がする。
あの淡い光……、魔法と融合して、飛鳥は新しく生まれ変わったのだ。
頭の中に、十六年間生きてきた飛鳥の記憶と、古い魔法のもたらす記憶が混在している。背筋がぞくりと震えた。
まさか――。
この魔法を手にする為に、ここへ来たのだろうか。
とても偶然とは思えない。今日あの場所で、隕石に衝突したことは、飛鳥がここへ来るために必要な過程だったのではないだろうか……。
ここは天国じゃない。
夢でもない。
地球とは異なる、別の世界だ。
手に入れた魔法のおかげで、この未知の世界が
遠い昔、偉大な双子の精霊――アシュレイとアンジェラが、仲違いする二つの大国を海と空に分けた。ここは、切り離された空の世界。見渡す限り、上も下も空ばかりが続く、果てのない空の世界。
飛鳥は二つの魔法を手に入れた。一つは世界を渡る魔法、もう一つは心を手に入れる魔法――メル・アン・エディール。