メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

2章:キスと魔法と逃走 - 3 -

 ここへ来てから七日目の朝。
 ユーノと共に、カミュと、見知らぬ男の三人が部屋を訪れた。
 アッシュブロンドのオールバックに、鎖のついた真鍮の片眼鏡モノクル。冬の湖水を思わせる、玲瓏れいろうとした美貌の男だ。年はルーシーやカミュより、やや上に見える。立派な正肩章を両方の肩に着用しており、いかにも有能そうで神経質そうだ。

『ファウスト、***アスカ******』

『アスカ、******』

 ”不審な点は?”

 見慣れない男の名前は、ファウストと言うらしい。ファウストとカミュは暫く飛鳥を観察してから、おもむろに部屋の中へ入ってきた。
 入り口の扉は開けられたままで、外には拳銃を構える武装兵が油断なく飛鳥を狙っている。
 怖気づく飛鳥の傍に、ファウストは迷いのない足取りで近寄る――カミュは鋭い声で『ファウスト!』と叫んだ。

 ”迂闊に近寄るな”

 あからさまなカミュの態度に、飛鳥は少しばかり傷ついた。すっかり危険視されている。まるで自分が殺人犯か、テロリストにでもなった気分だ。

『ユーノ、アスカ******』

 ”口を使えないようにすれば……”

 カミュは、何やら不穏なことを考えている気がする。飛鳥は後じさると、背中を壁にぴたりとつけた。

「何……? ルーシーは?」

 ルーシーは来ないのだろうか。これから何をされるのだろう。おののく飛鳥を、カミュは冷たい眼差しで見下ろす。

『ルーシー******、*********」

 ”ルーシーに何かしてみろ。許さない”

「私は、ただ……」

『ユーノ、アスカ*********』

 カミュは全て知っているのかもしれない。飛鳥がルーシーにしたことを、ルーシー以上に腹を立てているように見える。
 飛鳥はしゅんとしたが、足元に跪いたユーノが、両手にベルトつきの器具を持っているのを見た瞬間、心はスッと冷えた。

「嫌っ!!」

 逃げようとしたら、ユーノの背中から、背骨みたいな形状の何かが現れて、それは簡単に飛鳥の両腕を捕まえた。
 思考は恐怖に染まる。
 魔法を口にしかけた瞬間、猿ぐつわのような、口に噛ませる器具を装着させられた。
 ユーノは確かに人間ではなかった。二本の腕の他に、背中から突き出た、長い腕のようなものがある。背骨のような形状をした黒と銀色に光るそれは、冷たくて鋼のように硬い。

「ん――っ!!」

 必死に叫んでいるつもりだが、くぐもった声しか出ない。まともに発音できない。やはりカミュは、飛鳥の力について知っているのだ。これは呪文を封じる為の対策だ。
 ユーノは後ろから、飛鳥を羽交い絞めにして動けぬように固定している。恐怖よりも怒りが湧いてきた。こんな理不尽な扱いをされるのは、生まれて初めてだ。
 腹の底が、ぐつぐつと煮えたぎる。
 悔しくて、目の端に涙が滲んだ。思いっきり彼等を睨みあげたが、カミュもファウストも少しも怯まなかった。
 二人共、冷然とした表情を浮かべている。ファウストは飛鳥の傍に膝をつくと、羅針儀のような機械を手に持ち、何かを計測し始めた。カミュはファウストの様子を、後ろから注意深く見守ってる。

『ファウスト、*****?』

 ”どうだ?”

『*********』

 ”人工エーテルとは違う、旧資源……。古代エーテル?”

 ファウストは学者なのかもしれない。思考はとても複雑で、専門的な単語や、計算式が呪文のように、次から次へと浮かび上がる。飛鳥にはまるで判らない内容だ。

 ”思考を読むと聞いたが……、本当か?”

 飛鳥は抵抗を忘れて、じっとファウストを見つめた。彼も驚いたように、目を瞠る。

『******……』

 ”驚いたな”

『ファウスト、******?』

 カミュは不審そうに、飛鳥とファウストを交互に見つめた。それからファウストと議論を交わすように、熱中して話し始める。
 カミュは胡散臭そうに飛鳥を見つめた後、試してみるか、といった風に口を開いた。

 ”他人の思考を読めるのか? 本当に?”

 飛鳥はじっとカミュを見つめた。彼も心が読めればいいのに。そうすれば、心の内に吹き荒ぶ怒りを、言葉を話せずとも伝えられるのに。
 最低。大嫌い。許さない。こんなことをして、絶対に許さない。

 ”思考を読めるなら、言葉も話せるだろう。なぜ話せない振りをする?”

 飛鳥に聞かれても困る。そんなことは、神様に、いや、双子の精霊に聞いて欲しい。彼等に文句を言ってやりたい。魔法を持っていても、ちっとも身を守れやしないではないか。事態を複雑にしているだけの気がする。
 いや……。
 もう何もかも割り切って、常に魔法をかけ続ければいいのかもしれない。相手の人権等無視して、非人道的行為と責められようが、片っ端から魔法をかける。
 しかし、一日で効果は切れるという点を忘れてはいけない。悪用されない為の、計らいなのだろうか。あくまでも、その場を切り抜ける為に使えと――。
 だとしたら、今こそ必要だ。それなのに、口を封じられたら、どうすればいいのだ。
 不安に押し潰されそうになった時、ルーシーの声が聞こえた。

『カミュッ!!』

 ”あれほど言ったのに”

『ルーシー、*****。**********』

 ”面倒だ。見つかったか”

 どうやら、飛鳥へのこの仕打ちは、カミュの独断らしい。ルーシーは明らかにカミュに対して腹を立てている。ルーシーはユーノに拘束された飛鳥を見ると、柳眉をしかめ、すぐに拘束を解いてくれた。

『ルーシー、***********!』

『*******』

 ルーシーとカミュの言い争う声が続く。
 彼等の思考を読む限りでは、飛鳥について、事前に調べておきたいというのがカミュの考えだ。飛鳥の謎を解明しないまま、皇帝陛下に面会させることを恐れているらしい。言われてみれば、最もな心配である。
 一方、バビロンに着くまで勝手は許さない、というのがルーシーの考えのようだ。任務への強い意志の傍らに、飛鳥への気遣いも、僅かにちらついて見えた。
 ファウストは技術者か学者で間違いなさそうだ。個人的に飛鳥に対して、興味を抱いている様子である。カミュのように、過剰に飛鳥を警戒はしていないが、ユーノ同様、飛鳥のことも機械か被検体のように考えている気がする。
 頼れるのは、ルーシーしかいない。
 しかし――。
 バビロンに着いたら、その後は誰が飛鳥を守ってくれるのだろう。飛鳥はバビロンに、一人置いて行かれるのだろうか。