メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

3章:ゴットヘイル襲撃 - 1 -

 逃走失敗から一夜が明けた――空母に来てから八日目の朝。
 ベッドに腰かけてぼんやりしていると、昨夜、人形のように運ばれたユーノは、いつも通りの姿で朝食を持って現れた。

『お早うございます。アスカ』

「ユーノ!」

 傍へ寄ると、澄んだピジョンブラッドの瞳で飛鳥を見つめる。美しい双眸に感情の剥落はくらくは見られない。確かな意志と知性の閃きが見える。

「大丈夫……?」

 ユーノは飛鳥の言葉を解しているように、淡く微笑んだ。

『******……』

“暖かいうちにどうぞ”

「えっ」

『アスカ?』

 ユーノの思考を読み取り、飛鳥は目を瞠った。魔法はまだ解けていないのだろうか。いや、昨日、二回も解呪を唱えたはずだ……ホバーバイクの上で一度、空母に戻ってからもう一度。計二回。
 人と魔導兵器では、効果の現れ方が違うのかもしれない。解呪が効かないとなると、時間の経過を待つしかないのだろうか。飛鳥としては、ユーノの思考が見えた方がありがたいが……。
 飛鳥は黙々と食事をしながら、視界の端にユーノを映して思考にふけった。

「ごちそうさま」

 銀のトレーを持って席を立つと、ユーノは傍にきて丁寧な仕草で飛鳥からトレーを受け取る。

『************』

“後程、艦長がいらっしゃいます”

 思わず呻いた。昨夜は、お互いに気まずい思いをしたばかりだ。ルーシーに、どんな顔をして会えばいいのだろう。
 ユーノもそうだが、ルーシーもいまいち魔法が解けていない気がする。後遺症というべきなのか、飛鳥に対する態度が変わったように思う。最初はもっと、淡々とした眼差しを向けていたのに……。
 煩悶はんもんするうちに、ユーノはルーシーを連れて戻ってきた。

『アスカ、お早う』

『お早うございます』

 ルーシーは、昨夜の気まずさを感じさせない、穏やかな笑みを浮かべている。心も穏やかに凪いでいる。これが経験値の違いなのだろうか。動揺を見せないルーシーの態度に、大人だなぁ……と飛鳥は感じ入った。

“あと四日程で、ゴットヘイルに到着します”

『はい』

“ところでユーノですが……、ファウストの報告では、蓄積独立人工知能ユミルの余剰回路に、個体記憶が更新されているそうです。古代神器の魔法の影響だと思うのですが、解除はしましたよね?”

『はい』

“ユーノの件で、ファウストが飛鳥に聞きたいことがあるそうです。面会を許可してもいいですか?”

 冷然とした片眼鏡モノクルの男を思い浮かべて、飛鳥は嫌そうに視線を逸らした。初対面の印象が悪過ぎる。正直、あまり会いたくはない。

『はい……』

 不承不承頷くと、ルーシーは微笑んだ。

“良かった。では、伝えておきます。皇帝陛下の拝謁に備えて、礼儀作法の指導も、彼に任せようと考えていたところです”

 拝謁。ファウストによる指導。憂鬱が重なり、飛鳥は顔を引きつらせた。俯き気味に、硬い表情で頷く。
 それにしても……ルーシーは、飛鳥が皇帝に拝謁する時、古代神器の魔法を使用する危険性は考えていないのだろうか。
 今のところ、魔法は百発百中だ。もし飛鳥が皇帝に魔法をかけて、よからぬことを命じたら、どうするつもりなのだろう。
 まさかまた、猿ぐつわを噛ませられるのだろうか。そんな扱いをされたら、即逃げ出してしまうかもしれない。

『***?』

 顔を上げると、見下ろす青い双眸と視線がぶつかり、飛鳥は複雑な想いに駆られた。瞳には飛鳥への気遣いが浮かんでいる。
 けれど、勘違いしてはいけない。
 ルーシーが優しくしてくれるのは、飛鳥が聖域で見つかった古代神器だからだ。或いは魔法の後遺症が、飛鳥に都合の良い夢を見せているだけ。

『アスカ、********』

“今日はもう時間がありませんが……、今度、ゴットヘイルの状況について、可能な範囲で説明しましょう”

『はい』

 飛鳥は内心の葛藤を押し隠して、小さく頷いた。
 期待してはいけないのだ。好かれていると感じても、全て身の内に宿る魔法のおかげ。飛鳥自身が好かれているわけではないのだから……。