人食い森のネネとルル
1章:底なし沼の珍事と共生のはじまり - 14 -
弱いところを見せてしまったことが恥ずかしい。
照れ臭かったけれど、ルルの食餌がまだだから、そっぽを向いたまま左手を差し出した。
「ネネ……、右手を見せてごらん」
「――っ」
小さく息を呑んだ。
右手の甲には、奴隷の焼き印がある。二つの輪が絡まる、鎖のような焼き痕……。だから食餌の時は、ずっと左手を差し出してきた。
けれどもう、秘密を明かしてしまった。右手でも構わないだろう。ネネは瞬巡した後、ゆっくり右手を覆う革の手袋を外した。
「ごめんね、本当は右手に痕があることは、前から知ってたんだ」
「え……?」
「ネネってば、水に触れる時ですら手袋を外さないから……、かえって怪しかったよ。森で採取している時、手袋に入った土を捨てようと、手袋を外しているところを樹の上から見ていたんだ」
「そっか……」
ルルは火傷の痕を、親指の腹で優しく擦った。赤く引き攣れた醜い痕に、そんな風に触れたのはルルが始めてだ。
「気持ち悪くない……? 左手でもいいよ」
「気持ち悪くなんかない。でもネネが嫌なら、治してあげる」
「え?」
ルルは、吐息を吹き込むように、火傷の痕に唇を押し当てた。暖かい吐息が肌を濡らして、いつものように……いや、いつも以上に身体が熱くなった――。
「く……っ!」
――手が、熱い……っ、燃えているみたい……!
目は開いているのに、見慣れた室内は朧 に揺れて、灼熱の炎が視界いっぱいに拡がった。
思い出してしまう、あの頃を――。
しなるほど、背中を鞭で叩かれた。力いっぱい頬を張られて、棒切れみたいな身体は、何度も壁に打ちつけられた。骨の軋む鈍い音。嗚咽 。意識が飛んでも尚、襲いかかる暴力。
どうして、あんなにも辛く当たられたのか、今でも意味が判らない。あんなの、指導でも懲罰でも、なんでもない。ただ自分より弱い者をいたぶっているだけだ。意味なんてなかった。
右手が熱すぎて、呪わしい記憶と混濁 する。
――違う……っ! これは暴力じゃないっ!
慄 くネネを宥めるように、ルルは与える灼熱の合間に、痕を舌で舐めたり、唇で吸ったり、ネネの恐怖心を散らしてくれた。
「ん……、もう少し。大分綺麗になったよ」
恐る恐る右手を見ると、あんなにはっきりと残っていた痕が、大分薄くなっていた。
「大丈夫だよ、あと少しだから……、ね?」
ルルの青い勿忘草 の瞳が、魔性を帯びて煌めく。背筋はぞくりと震えたけれど、声も表情もすごく優しかったから、唇を引き結んで頷いてみせた。
この熱の先を、見てみたい。痕が消えてなくなるというのなら、どんな痛みだって耐えてみせる――。
覚悟を決めた途端、ルルは強く肌に吸い付いた。
「……っ、あ――っ!」
身体中の血が勢いよく駆け巡り、火が出そうなほどに、どこもかしこも熱い。痛みというより、酒に酔ったような、酩酊感だ。くらくらする――。
ようやくルルが唇を離した時には、息をするのもやっとの状態だった。肩を上下させて、テーブルに突っ伏しそうになる。
「ネネ、よく頑張ったね。見てごらん」
「――うそっ」
奴隷の焼き印は、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。信じられない。滑らかな肌を何度も指でなぞった。
「私に出来ないことはないの」
ルルは得意そうに、けれど優しく微笑んだ。
「ありがとう……」
――夢みたいだ……。絶対に消えないと思っていたのに……。
「ネネ、今度一緒に、カタルカナユ・サンタ・ガブリールに出掛けてみようよ」
「それは……」
いくら奴隷の痕が消えても、人に見られるのは怖い。視線や仕草で、奴隷だとばれてしまわないだろうか……。
「大丈夫、私がついているから。聖銀を換金して、買い物しようよ。卵を食べたいって、言っていたじゃない。小麦もパンも油もいっぱい買えるよ」
――卵に小麦にパン……。
買い出しに行きたい気持ちがむくむくと膨れ上がってきた。欲しいものはいろいろある……。とうとう誘惑に負けて頷くと、ルルは「約束ね」と綻んだように笑った。
ウァンッ!
じっと様子を見守っていた黒いのも、嬉しそうに吠えた。
照れ臭かったけれど、ルルの食餌がまだだから、そっぽを向いたまま左手を差し出した。
「ネネ……、右手を見せてごらん」
「――っ」
小さく息を呑んだ。
右手の甲には、奴隷の焼き印がある。二つの輪が絡まる、鎖のような焼き痕……。だから食餌の時は、ずっと左手を差し出してきた。
けれどもう、秘密を明かしてしまった。右手でも構わないだろう。ネネは瞬巡した後、ゆっくり右手を覆う革の手袋を外した。
「ごめんね、本当は右手に痕があることは、前から知ってたんだ」
「え……?」
「ネネってば、水に触れる時ですら手袋を外さないから……、かえって怪しかったよ。森で採取している時、手袋に入った土を捨てようと、手袋を外しているところを樹の上から見ていたんだ」
「そっか……」
ルルは火傷の痕を、親指の腹で優しく擦った。赤く引き攣れた醜い痕に、そんな風に触れたのはルルが始めてだ。
「気持ち悪くない……? 左手でもいいよ」
「気持ち悪くなんかない。でもネネが嫌なら、治してあげる」
「え?」
ルルは、吐息を吹き込むように、火傷の痕に唇を押し当てた。暖かい吐息が肌を濡らして、いつものように……いや、いつも以上に身体が熱くなった――。
「く……っ!」
――手が、熱い……っ、燃えているみたい……!
目は開いているのに、見慣れた室内は
思い出してしまう、あの頃を――。
しなるほど、背中を鞭で叩かれた。力いっぱい頬を張られて、棒切れみたいな身体は、何度も壁に打ちつけられた。骨の軋む鈍い音。
どうして、あんなにも辛く当たられたのか、今でも意味が判らない。あんなの、指導でも懲罰でも、なんでもない。ただ自分より弱い者をいたぶっているだけだ。意味なんてなかった。
右手が熱すぎて、呪わしい記憶と
――違う……っ! これは暴力じゃないっ!
「ん……、もう少し。大分綺麗になったよ」
恐る恐る右手を見ると、あんなにはっきりと残っていた痕が、大分薄くなっていた。
「大丈夫だよ、あと少しだから……、ね?」
ルルの青い
この熱の先を、見てみたい。痕が消えてなくなるというのなら、どんな痛みだって耐えてみせる――。
覚悟を決めた途端、ルルは強く肌に吸い付いた。
「……っ、あ――っ!」
身体中の血が勢いよく駆け巡り、火が出そうなほどに、どこもかしこも熱い。痛みというより、酒に酔ったような、酩酊感だ。くらくらする――。
ようやくルルが唇を離した時には、息をするのもやっとの状態だった。肩を上下させて、テーブルに突っ伏しそうになる。
「ネネ、よく頑張ったね。見てごらん」
「――うそっ」
奴隷の焼き印は、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。信じられない。滑らかな肌を何度も指でなぞった。
「私に出来ないことはないの」
ルルは得意そうに、けれど優しく微笑んだ。
「ありがとう……」
――夢みたいだ……。絶対に消えないと思っていたのに……。
「ネネ、今度一緒に、カタルカナユ・サンタ・ガブリールに出掛けてみようよ」
「それは……」
いくら奴隷の痕が消えても、人に見られるのは怖い。視線や仕草で、奴隷だとばれてしまわないだろうか……。
「大丈夫、私がついているから。聖銀を換金して、買い物しようよ。卵を食べたいって、言っていたじゃない。小麦もパンも油もいっぱい買えるよ」
――卵に小麦にパン……。
買い出しに行きたい気持ちがむくむくと膨れ上がってきた。欲しいものはいろいろある……。とうとう誘惑に負けて頷くと、ルルは「約束ね」と綻んだように笑った。
ウァンッ!
じっと様子を見守っていた黒いのも、嬉しそうに吠えた。