人食い森のネネとルル

1章:底なし沼の珍事と共生のはじまり - 15 -

 右手の痕をルルに消してもらってから数日後。
 ネネはルルと一緒に、「人食い森」に隣接する街、カタルカナユ・サンタ・ガブリールへ繰り出した。

 唯一神ガブリールに守護されし、美しいカタルカナユ領は、ガブール教の歴史的な大聖堂カテドラルがある街として有名だった。緑溢れる石畳の素朴な街並みも美しく、石の採掘で栄えていることもあり、人々の暮らしは豊かだ。
 また、怪奇で知られる「人食い森」の監視を担う街でもあり、対価として国から補助金や税の値下げなど、領民には様々な恩恵が与えられていた。
 森の恐怖に怯えながらも、余所へ人が流出しないのは、そういった事情もある。

「昔はもっと人が少なかったよ」

 ルルは赤煉瓦屋根の街並みを見渡しながら、しみじみと呟いた。

「へぇ……、っていうかルル、フードかぶりなよ」

 出掛けるにあたり、ルルに一般的な狩人の恰好をさせたものの、輝くような美貌を露わにしている為、さっきから行きかう人の注目を集めていた。

「視界が悪くなるから嫌だよ。街のはずれに、長い鉄が敷いてあったね。鉄の塊が走るんでしょう? 幌馬車もすたれる時代かぁ」

「せめて髪を縛ったら。目立って仕方ないよ。鉄の塊じゃなくて、鉄道ね。ゴドールの街を抜けて、王都ルチカまで繋ぐらしいよ」

 予備のリボンをルルに渡すと、ルルは器用に長い髪を前にもってきて、三つ編みにして結わいた。思いのほか似合っている。というより、可憐さでルルに負けた気がした……。

「これぞ文明社会。弾丸が飛ぶ時代だよ? ネネは百年どころか、二百年遅れた生活をしているわけだ」

「うっさいな」

 悪態をついていると、反対側から歩いてきた可愛いらしい娘が、ルルを目にするなり頬を染めた。さっきから、よく見る光景である。今も雑貨屋の前を通ったら、綺麗な娘が「ルル!」と嬉しそうに手を振ってきた。

「知ってるの?」

「向こうはそうみたいだね。この美貌だもの、一度目にしたら忘れられないよね」

 ――何言ってんだ、コイツ……。

 ネネは白い目でルルを見た。

「ネネは何が欲しいの? 何処でも案内してあげる」

 ルルは得意そうに胸を張った。普段から街で聖銀を換金して、衣装やワインといった嗜好品から、ネネが頼んだパンや牛乳なども仕入れてくれているので、街の地理には詳しいのだろう。それに比べて、ネネが最後に街を歩いたのは、もう二年以上も昔のことだ。

「えーとね、砂糖と、研石と、新しいナイフと、ウォッカとウィスキーと、最新の燻製スモーカーも見てみたい……」

 欲しいものを考えると、わくわくしてきた。
 この国で、奴隷はお金を持つことを許されていない。硬貨を手渡すときは、手の甲を晒して身分を証明する風習があった。忌々しい痕が消えた今、気兼ねなく買い物できるのだ。
 ルルはネネを見て、青い勿忘草わすれなぐさの瞳を優しく細めると、くすりと笑った。

「琥珀の目がキラキラしている」

「……っ」

 ふいに頭を撫でられて、思わずドキッとした。
 わくわくしている自覚はある。少々浮かれているようだ。なんせ、お金を持って正々堂々と買い物をするのは、生まれて初めての経験だ。

 両手がいっぱいになるまで買い込むと、ルルに誘われて、水路に面したガーデンレストランに入った。木製アーチの天井には、ピンク色の薔薇、リバプール・エコーが視界を覆う程に咲き乱れ、甘くて爽やかな薔薇の香りに包まれた。
 ロマンティックな内装だなと思って周囲を見渡すと、華やいだ娘達や、寄り添う恋人同士ばかりだった。
 ネネは慣れない雰囲気にそわそわしていたが、料理が運ばれてくると、食事に夢中になった。オリーブオイルにバジル、白ワインの上品な味付けは、森の生活ではなかなか味わえないものだ。海老のアヒージョは言葉を失うほどに美味だった。
 至福を味わった後、帰ろうとするネネを引き留め、ルルは若い娘が喜びそうな洋服屋さんに連れて行った。

「アタシはいいよ、直ぐ汚しちゃうし……」

 ルルは妙に可愛いワンピースを勧めてくる。困惑しながら、ルルの魔の手をかわしていると、お洒落な若い娘が、目元を染めながら近づいてきた。

「すっごい美男ねぇ……、デートで女の買い物に付き合ってくれるなんて、優しいわ」

「えっ!?」

 ネネは目を剥いて驚いた。隣でルルが「まぁね」と応えると、更に驚いて口をポカンと開けた。

 ――これって、デートだったの?

 ネネとルルの反応を見て、店員らしき娘は、可笑しそうに笑った。

「あなた達、見たところ狩人みたいだけど、森に入るなら気をつけなさいよ。昨日、領主様から森の監察強化について、発布されたのよ。知ってる?」

 ネネとルルは顔を見合わせた後、そろって首を左右に振った。

「人食い森の怪奇調査が目的みたいよ。二十日前かしら、森の奥から、この世の終わりみたいな、恐ろしい轟音が響き渡ったのよ……、知らない?」

 ギクリとした。
 二十日前といえば、ちょうどルルと出会った頃だ。この世の終わりみたいな轟音といえば、ルルがめちゃくちゃに鋼鉄を捻じ曲げた音が、まさにそうだった。
 思わず隣に立つ美貌の少年を見上げると、飄々とした様子で「それは怖い」と他人事のようにぬかした。
 ルルの反応が嬉しかったのか、娘は頬を染めて更に続けた。

「でもね……、それは建前で、要は鉄道が完成する前に、カタルカナユの物流を大聖堂が押さたいのだと思うわ。森の掟では、申請のない持ち出し、売り払いは禁じられているけど、不正密猟が後を絶たないから、一斉検挙に乗り出すんじゃないかって噂よ。大聖堂に武装兵が集まっているみたいなのよ。あなた達も、森の立入禁止区域の奥へは、絶対に入ってはだめよ。捕まれば、罰金どころじゃ済まされないかもしれないわ」

 その立入禁止区域の奥で暮らしているとは、とても言えない。ネネは苦笑いを浮かべて「気をつける」とだけ答えた。
 買いものを続ける気分ではなくなってしまったが、ルルはネネの身体に衣装をあれこれ当てて、結構な量を買い込んだ。


 帰りがけに、中央広場にある掲示板を見に行ってみた。商店の宣伝ポスターや、催しものの知らせが所狭しと張られている。
 その中に領主の名前がサインされた飴色の羊皮紙があり、こう書かれていた。

 ”ミゼルフォールの森の監察強化について

 近日多数寄せられた、怪奇調査のため、特別に調査隊を編成し、三日後より巡回を開始する。
 尚、森の掟に触れる行為は、見つけ次第、厳罰に処す。

 ~森の掟 基本原則~
 ・無断で木を取った者には、銀貨三枚の罰金を課す
 ・木を取り去り、酷い状態にした者には銀貨三枚の罰金を課す
 ・無断で狩猟したものには銀貨五〇枚の罰金を課す
 ・立入禁止区域を越えた者には、銀貨五〇枚の罰金を課す
 ・直径の小さい木、或いは風で倒れた木のみ運びだせるものとする
 ・上記に加え、決められた日、時間外の持ち運びは銀貨五〇枚の罰金を課す

 カタルカナユ・サンタ・ガブリール領主
 大司教ミハイル・アルベルト”

 ネネは重たい気持ちで、ため息をついた。
 森に人が増えると思うと、憂鬱で仕方がない。いつも以上に、周囲に気を配らなくてはいけなくなるし、狩猟にも支障が出るだろう。

「帰ろう、ルル……」

 肩を落として声をかけると、ルルに励ますように手を握られた。

「大丈夫だよ、ネネ。私がついてる」

「うん……」




 互いを目に映して微笑む二人を、離れた所から、暗い目をした大男がじっと見つめていた――。