人食い森のネネとルル

2章:ルルの秘密 - 1 -

 ミゼルフォールの森の監察強化が発布されてから七日。
 今では昼夜を問わず、人食い森に人が出入りしている。
 立入禁止区域の奥で密かに暮らすネネは、いつも以上に慎重に行動し、調査隊の人数が多い時は、棲家から出ないようにしていた。おかげで最近、思うように狩猟出来ず、機嫌は悪くなる一方だ。

「ネネ、今日も引きこもり?」

「仕方ないよ、調査隊の数が多い。大人しくしておいた方がいい」

 もう三日、狩に出掛けていない。ストレスは溜まる一方だが、じっとこらえて内職――革手袋をはめて、硝子瓶を砕く作業に勤しんでいた。
 納屋の荷箱に座っているネネの後ろに、ルルは退屈そうに腰掛けた。

「それさぁ……、何してるの?」

「硝子を砕いて、矢じりにするの」

「革手袋をつけているのは、何で?」

「素手で砕いたら、血が出るから。硝子を扱う時は気をつけないと」

「あ、そういうこと……。右手にしているから、気になっちゃって」

 その一言で、ルルが何を気にしたのか判った。
 ほんの少し前まで、脱走奴隷のネネの右手の甲には、奴隷の焼き印が押されていた。ばれぬよう、革の手袋をはめて隠していたのだが、ルルの不思議な力で、痕を綺麗に治してもらったのである。今は硝子を扱っているので例外として、普段はもう、右手に手袋をはめることはない。

「まあ、狩りに出られないなら、意味ないんだけどさ……」

 矢じりを量産したところで、使う機会がなければ意味がない。
 調査隊に見つかることを恐れて、せっかく労して仕掛けた罠も外してしまった。そろそろ狩に出ないと、肉の蓄えも尽きそうだ。

「わざわざ狩りしなくても……、街に降りて買ってくればいいじゃない」

「簡単に言うな。森の入り口に調査隊の詰所まで出来たし、下手に動けば見つかる」

 ルルはフンと鼻を鳴らした。

「私なら、あんな愚鈍な連中、万の数いたって散らせるよ」

「散らすって、どうする気さ……」

 ネネは手を休めて背後を振り返った。

「地の利を活かさなくちゃ。此処は人食い森だよ? 何したって、許される!」

 ルルはそう言って、きらきらとした笑みを浮かべた。

 ――コイツ、る気だな……。

「馬鹿、そんなに一遍に人が消えたら、増々怪しまれるよ。アタシは、目立たず、ひっそりと暮らしたいんだ。揉め事は反対だからね」

 文句を垂れていると、森の奥からパァンッという発砲音が聞こえてきた。驚いた鳥たちが、一斉に四方へと逃げて行く。
 ウワァ――ッ……!
 発砲音に続いて、男の絶叫が森に木霊した。深緑の梢が不気味に揺れている……。

「調査隊って、意味あるのかな?」

 ルルが呆れるのも無理はない。
 彼等は武装して意気揚々と森に入るものの、人食い森の怪奇に呑まれ、次々と姿を消していた。代わる代わる欠員は補充されるが、殆ど意味はない。犠牲者が増えるだけだ。
 日夜、発砲音や人の叫び声が響き渡り、森の空気を悪くするだけなので、勘弁して欲しいとネネは辟易していた。

「全くだな。銀弾がもったいない……。アタシに渡せば、一発で仕留めてやるのに」

「このまま放っておけば、勝手に壊滅するかな?」

「かもね。でも待ってられない、明日は危険をおかしても狩に出るよ」

 ネネは、鹿角で磨いていた硝子にふっと息を吹きかけ、矢じりの形を確かめた。いい仕上がりだ。

「いざとなったら全員、睡蓮沼に沈めちゃおう」

「馬鹿、いざとなったら全力で逃げるよ。下手に騒ぎを大きくしたら、今度は王都から、おっかない殲滅部隊が送られてくるぞ」

 脅かすように言うと、ルルは不満そうな顔をした。

「そうまでして、どうして森に棲むの? もう面倒臭いから、街に降りちゃえば?」

 咄嗟に答えられなかった。ルルからしてみれば、尤もな疑問だろう。ネネが沈黙していると、ひょいと顔を覗き込まれた。

「ネネ?」

「此処を出て行くつもりはない」

「その為に、こんなに苦労を強いられていても?」

「――ルルは怖いものってある?」

「ないよ」

 即答だった。迷いのない答えに、くすりと笑みが漏れる。こういう時、ほんの少し魔性のルルを羨ましいと思う。

「アタシは、人間が一番怖い。皮一枚剥けば、一人残らず残忍な化け物に変わるんだ。人食い森で暮らす方が遥かにマシだよ」

 ルルは魔性に煌めく瞳を細めて、ネネの頬に口づけた。

「そんなに怖いなら、私が――」

 思わず、ルルの口を手で押さえた。平行線を辿る不毛な会話だ。
 ため息を落としていると、口を塞いだ手を取られて掌を吸われた。ちゃっかり精気を奪おうとするので、ぺしっと手を叩いてやった。