人食い森のネネとルル
2章:ルルの秘密 - 2 -
翌日、ネネはルルと共に狩に出掛けた。
昼間でも陽の射さない深くて暗い森は、いつも以上に仄暗く、不気味な静けさに包まれていた。
調査隊が睡蓮沼の傍をうろついているので、いつもより遠出することにした。少々不慣れな狩場ではあるが、仕方がない。
――いた、鹿の群れだ……。
幸運にも、草を食む六頭の鹿の群れに遭遇した。立派な牡鹿もいる。
ネネは息を潜めて茂みに身を隠すと、彼等の様子をじっと観察し始めた。ルルは、いつものように遥か頭上の幹の上で、悠然と狩の様子を眺めている。
警戒心の強い彼等は、微かな音にも反応する。
これ以上近付けば、音で気付かれてしまうだろう……。射程範囲にはまだ遠いから、じっとその時を待つ――。
野生の鹿は、とても美しい。
あんなにも強く、美しい、輝くような生命力に溢れた彼等を、生きる為に奪うのだ。
狩と聞くと荒々しい印象だが、実際は、探索と空気のようにじっとしている待ちの時間の方が遥かに長い。
呼吸を静かに整えて、鳥の羽音一つ逃さぬよう、集中力を高めていく。
獲物から目を逸らさず、機会を狙ってじっと待ち続ける。
――一歩、二歩……、次で射る。
真っ直ぐ獲物だけを見つめて――番 えた矢を射った。
仕留める時は一瞬だ。首を射られた鹿は、死にもの狂いで暴れ出す。あちこち飛び跳ねながら、森の奥に消えて行く鹿の後を、見失うものかと追いかけた。
「ネネッ!」
ルルの鋭い声が聞こえたが、鹿から目を離せなかった。五日ぶりの獲物だ。何が何でも仕留めたい。
気が急いていたのだろう。いつもはしないミスをした。足場が不安定なことに気付かず、大きく足を踏み出し、岩場から危うく転落――しかけたところを、ルルが腕を掴んで引き寄せてくれた。
間一髪のところを、ルルが腕を掴んで引き寄せてくれた。
「――っ、痛 ぅ……!」
太腿に鈍い痛みが走った。突き出た枝で切ったようだ。
「ネネ!?」
「平気、とちった。ごめん……」
出っ張った岩の上に腰を下ろすと、すぐ傍にルルも跪いた。
「ネネ、血が出てる……」
人食い森で血を流すと、魔を引き寄せる。
直ぐに水筒の水で洗い流そうとしたら、ルルは太腿の布を器用に裂いて、傷口を露わにした。
「ルル!?」
「勿体ないから……、舐めさせて」
ルルは赤い舌をちろりと覗かせて、血の滴 る太腿に舌を這わせた。
ずくん、と鈍い痛みが走る――。
傷口を嬲 るように舌を這わせるルルが、少しだけ怖くなった。瞳の色も、優しい勿忘草 より尚青い、魔性を帯びた光彩に変わっている。
「……っ、痛(いた)っ、ルル……!」
押しのけようと肩を押しても、ルルは腰と太ももをしっかり固定して、執拗に舐め続けた。
次第に痛みは遠のき、代わりに甘い熱が傷口から広がっていく。強く吸われて、こんな場所だというのに、変な声が出そうになり慌てて唇を噛みしめた。
「ん……、美味しかった。綺麗に治しておいたよ」
ルルは満足そうに笑う。綺麗な顔を睨みつけてから、太腿に視線を落とすと、ざっくり切れたはずの傷跡は綺麗に治っていた。
しかし、何故だろう……、素直に感謝する気になれない……。
「あれ、ネネ、唇から血が出てるよ」
「ん」
口の端をぺろりと舐めると、確かに血の味がした。さっき、きつく噛みしめたせいだろう。覆いかぶさるように乗り上げてくるルルを見て、慌てて膝蹴りをお見舞いしてやった。
「調子に乗るな! こんなもの、舐めときゃ治るよ」
「う……っ、乱暴なんだから。どうせ舐めるなら、私に舐めさせてよ」
ルルは腹を押さえながら、恨みがましそうにネネを睨んだ。無視して立ち上ると、周囲をぐるりと見渡した。
「致命傷だ、そう遠くヘは行けないと思うんだけど……」
手負いの鹿が気になる。ぽつりと呟くと、ルルは、ポォン……と高く跳躍し、器用に木々の幹を蹴りながら、深緑の頂上へと消えた。
探索してくれているのだろうか。しばらく待っていると、梢を揺らして、軽やかにネネの傍に着地した。
「直ぐ近くにいたよ。回収する?」
「やった! でかしたルル!」
葉っぱのついた肩を叩いて労ってやると、ルルは嬉しそうに表情を綻ばせ「うふふ」と無邪気に笑った。ネネも満面の笑みで応える。
ルルの言った通り、鹿は枯草の上で静かに息絶えていた。
その場で頭を落とし、牡鹿の立派な角を切り落とす。腐りやすい腸 を取り除いて、ある程度小さな肉片にしてから革袋にしまった。
「内蔵は、直ぐに食べないと痛むんだけどな……」
思わず未練がましい声が出た。いつもならこの場で調理して、食するところだが、今そんな余裕はない。仕方ないから、頭と一緒に埋めることにした。
「さっき上から見たら、睡蓮沼に調査隊が大勢いたよ」
――全く……。連中、何でそんなに睡蓮沼にこだわるんだろう……。あそこにはもう、何も残っていないはず……。
一抹の不安を覚えながら、ネネはその場を後にした――。
昼間でも陽の射さない深くて暗い森は、いつも以上に仄暗く、不気味な静けさに包まれていた。
調査隊が睡蓮沼の傍をうろついているので、いつもより遠出することにした。少々不慣れな狩場ではあるが、仕方がない。
――いた、鹿の群れだ……。
幸運にも、草を食む六頭の鹿の群れに遭遇した。立派な牡鹿もいる。
ネネは息を潜めて茂みに身を隠すと、彼等の様子をじっと観察し始めた。ルルは、いつものように遥か頭上の幹の上で、悠然と狩の様子を眺めている。
警戒心の強い彼等は、微かな音にも反応する。
これ以上近付けば、音で気付かれてしまうだろう……。射程範囲にはまだ遠いから、じっとその時を待つ――。
野生の鹿は、とても美しい。
あんなにも強く、美しい、輝くような生命力に溢れた彼等を、生きる為に奪うのだ。
狩と聞くと荒々しい印象だが、実際は、探索と空気のようにじっとしている待ちの時間の方が遥かに長い。
呼吸を静かに整えて、鳥の羽音一つ逃さぬよう、集中力を高めていく。
獲物から目を逸らさず、機会を狙ってじっと待ち続ける。
――一歩、二歩……、次で射る。
真っ直ぐ獲物だけを見つめて――
仕留める時は一瞬だ。首を射られた鹿は、死にもの狂いで暴れ出す。あちこち飛び跳ねながら、森の奥に消えて行く鹿の後を、見失うものかと追いかけた。
「ネネッ!」
ルルの鋭い声が聞こえたが、鹿から目を離せなかった。五日ぶりの獲物だ。何が何でも仕留めたい。
気が急いていたのだろう。いつもはしないミスをした。足場が不安定なことに気付かず、大きく足を踏み出し、岩場から危うく転落――しかけたところを、ルルが腕を掴んで引き寄せてくれた。
間一髪のところを、ルルが腕を掴んで引き寄せてくれた。
「――っ、
太腿に鈍い痛みが走った。突き出た枝で切ったようだ。
「ネネ!?」
「平気、とちった。ごめん……」
出っ張った岩の上に腰を下ろすと、すぐ傍にルルも跪いた。
「ネネ、血が出てる……」
人食い森で血を流すと、魔を引き寄せる。
直ぐに水筒の水で洗い流そうとしたら、ルルは太腿の布を器用に裂いて、傷口を露わにした。
「ルル!?」
「勿体ないから……、舐めさせて」
ルルは赤い舌をちろりと覗かせて、血の
ずくん、と鈍い痛みが走る――。
傷口を
「……っ、痛(いた)っ、ルル……!」
押しのけようと肩を押しても、ルルは腰と太ももをしっかり固定して、執拗に舐め続けた。
次第に痛みは遠のき、代わりに甘い熱が傷口から広がっていく。強く吸われて、こんな場所だというのに、変な声が出そうになり慌てて唇を噛みしめた。
「ん……、美味しかった。綺麗に治しておいたよ」
ルルは満足そうに笑う。綺麗な顔を睨みつけてから、太腿に視線を落とすと、ざっくり切れたはずの傷跡は綺麗に治っていた。
しかし、何故だろう……、素直に感謝する気になれない……。
「あれ、ネネ、唇から血が出てるよ」
「ん」
口の端をぺろりと舐めると、確かに血の味がした。さっき、きつく噛みしめたせいだろう。覆いかぶさるように乗り上げてくるルルを見て、慌てて膝蹴りをお見舞いしてやった。
「調子に乗るな! こんなもの、舐めときゃ治るよ」
「う……っ、乱暴なんだから。どうせ舐めるなら、私に舐めさせてよ」
ルルは腹を押さえながら、恨みがましそうにネネを睨んだ。無視して立ち上ると、周囲をぐるりと見渡した。
「致命傷だ、そう遠くヘは行けないと思うんだけど……」
手負いの鹿が気になる。ぽつりと呟くと、ルルは、ポォン……と高く跳躍し、器用に木々の幹を蹴りながら、深緑の頂上へと消えた。
探索してくれているのだろうか。しばらく待っていると、梢を揺らして、軽やかにネネの傍に着地した。
「直ぐ近くにいたよ。回収する?」
「やった! でかしたルル!」
葉っぱのついた肩を叩いて労ってやると、ルルは嬉しそうに表情を綻ばせ「うふふ」と無邪気に笑った。ネネも満面の笑みで応える。
ルルの言った通り、鹿は枯草の上で静かに息絶えていた。
その場で頭を落とし、牡鹿の立派な角を切り落とす。腐りやすい
「内蔵は、直ぐに食べないと痛むんだけどな……」
思わず未練がましい声が出た。いつもならこの場で調理して、食するところだが、今そんな余裕はない。仕方ないから、頭と一緒に埋めることにした。
「さっき上から見たら、睡蓮沼に調査隊が大勢いたよ」
――全く……。連中、何でそんなに睡蓮沼にこだわるんだろう……。あそこにはもう、何も残っていないはず……。
一抹の不安を覚えながら、ネネはその場を後にした――。