人食い森のネネとルル

3章:人食い森と追跡者 - 10 -

 ミハイルはルルを見て、嬉しそうに笑った。

「ああ、ようやく会えましたね。明かりは消さないでおくれ」

 どういう仕組みなのか、ミハイルの言葉に従うように、消えた無数の松明に再び火が灯った。
 覆面の男達は、ミハイルを背に守るようにして前へ出る。調査隊の男達も、それぞれ聖銀の武器を手に取り、ルルに対峙した。
 何の武器も持たないルルを、埋め尽くさんばかりの武装兵達が取り囲む。もはや絶対絶命に見えた。

「ルル……ッ!」

「ネネを離して」

「ルルが一緒にきてくださるのなら、ネネは返しましょう」

 ルルは余裕の態度で鼻を鳴らした。見ているネネの方がハラハラしてしまう。

「この間は、せっかく見逃してあげたのに。そんなに死にたいの?」

 頭からローブを被った祓魔師エクソシスト達が、聖銀の鎖を手にルルを取り囲む。まるで生きているかのようにうごめきく聖銀の鎖は、蛇のようにルルの身体に絡みついた。

「逃げろっ! ルルッ!」

 無我夢中で馬上で暴れると、ミハイルは「おっと」と手綱を操りながら、器用にネネを押さえつけた。
 ルルがこちらに視線を向ける。馬上に囚われたまま、ルルと目が合った。青い瞳が怒りに燃え上がる――。
 聖銀の鎖は一瞬にして粉々に砕け、煌めく塵は風と共に消えた。
 ルルは確かな足取りで、脇目もふらず真っ直ぐに歩いてくる。調査隊は一斉に銃口をルルに向けた。躊躇いなく引き金に指がかけられる。

「やめろぉ――っ!」

 ネネは必死に叫んだが、無情にもパァンッと耳をつんざくような銃声が鳴り響いた。一つ鳴った後は、次々と銃口から火が噴き上がる。むっと立ち込める火薬の匂い。薬莢やっきょうが弾ける硬質な音。目を疑うような、一斉射撃だった。

「うわぁ――っ! ルル! ルルッ!」

 ――ルルが死んじゃう……っ!!

「離せ! 離せよっ! ルルが……っ!」

「――落ち着きなさい。リヴィヤンタンがあれしきで死ぬものですか」

「何、言って……」

 この男はルルを何だと思っているのだろう。聖銀を四方から撃ちこまれて、魔性が無事で済まされるわけがない。いくらルルだって――。
 沸々と怒りが込み上げてきた。
 憎悪を込めて睨みあげると、ミハイルは眼鏡の奥でアイスブルーの瞳をスゥッと細めて、不気味な笑みを浮かべた。

「ほら……、見てごらんなさい。傷一つついていませんよ」

「――っ!?」

 我が目を疑った。
 ミハイルの言う通り、ルルは平然とそこにいた。血はおろか、場違いなグレーのジュストコールにも、傷一つついていない。

「あれが人の精気を餌にする、おぞましいリヴィヤンタンの本性です」

 ネネが呆然と見ている前で、ルルの足元に白く発光する円陣が浮かびあがった。魔を封じる働きのある、特別な結界だと判る。
 ルルは初めて、歩みを止めた。その隙に覆面の男達が聖銀の斧を構えて一斉に襲いかかる。
 ザンッと恐ろしい刃が首を抉る――鮮血が噴き上がる光景に、声にならない悲鳴を上げた。

 ――あぁっ! そんな、ルル……ッ!

 しかし、宙に舞った鮮血は地上を濡らすことなく、不気味な形状に姿を変えた。禍々しい赤い棘。尖った先端が、覆面の男達の心臓をズドンッと貫いた。
 聞くに堪えない断末魔が森に響き渡る。
 貫かれた心臓から黒い霧が溢れ出し、風に流れて跡形もなく消えていく――。

「何だと……」

 ミハイルは初めて動揺を見せた。ルルが覆面の男達を消してしまったことが、予想外だったのだろうか。
 ルルは円陣の外へ足を踏み出した。
 聖なる円陣は力を失うように、朱金に燃え上がる。血が焦げつくような、濃厚な匂いがたちこめた。
 ついに分厚い円陣の外へ出ると、ルルはネネを見つめて真っ直ぐに歩いてきた。
 武装兵達は恐れをなしたように、左右に退いて道を空ける。

「ネネ、お待たせ……」

 どう応えればいいのか、判らなかった。「ルル……」と呼びかけたものの、後に続く言葉が見つからない。
 迷っているうちに、はらりと両手首の戒めが独りでに解かれた。
 ルルはネネに向かって両腕を伸ばす。恐る恐る手を伸ばすと、思い出したようにミハイルに後ろから抱きしめられた。

「――邪魔だよ」

 ルルは冷たく言い放つと、ネネの手をぐいっと引っ張り、強引に抱き寄せた。ミハイルの呻く声が背中に聞こえる――。
 ふわりと身体が浮いたと思ったら、子供を片手で抱えるようにして持ち上げられた。そのまま、凄まじい速さで森を疾走する。
 瞬く間にミハイル達を引き離し、棲家へ戻るとようやく地面に降ろされた。

「赤くなってる……」

 ルルはネネの手首についた跡を見て、眉を顰めた。そこへゆっくりと顔を近づける――。
 気づいたら、パシッと音を立ててその手を振り払っていた。

「ネネ?」

「ルル……、リヴィヤンタンなの?」

 ルルの視線が足元に落ちる。まるで、やましい心を隠すような仕草に、カッとなった。

「アタシに、何した!?」

「ネネ……」

「魂を抜いたって、本当なの!?」

 怒りと恐怖に心臓が早鐘を打つ。どくどくと、確かに脈打っているのに――実はもう、ネネは死んでいるとでも言うのだろうか。
 そんな馬鹿な。
 指先にいたるまで、確かな五感があり、心は強烈な怒りに支配されている。死んでいるわけがない。

 ――そうでしょ……!?

 唸り声を上げて、ルルに掴みかかった。
 乱暴に揺さぶって「答えろ!」と吠える。

「――本当だよ」

 ――あぁ……、そんな……。

「一度は魂を抜いたけれど……、直ぐに後悔して、再生したんだ。ネネの魂は、少しも損なわれていないよ……」

 ――後悔しただと……? そんなの当たり前だ。ふざけるなよ。人の身体を何だと思ってるんだ――。

「ルルッ! お前……っ! 許せない、よくも――!」

 振り上げた手を、ルルは避けなかった。思いっきり頬に命中して、渇いた音が響く。けど、それくらいじゃ、少しも気は治まらなかった。

「ふざけるなっ! 殺してやる!」

「ネネ……」

「信じてたのに!」

「ネネ!」

「二度と顔を見せるな……!」

 ルルは今こそ衝撃を受けたように、息を呑んだ。腫れた頬を押さえもせず、悲しそうな目でネネを見つめる。

「――何度やり直しても、こうなるのかな……」

 勿忘草わすれなぐさの瞳が、うっすらと潤み、はらりと綺麗な涙を零した。

 ――騙されるものか。

 信じたネネが馬鹿だったのだ。二度と心を許したりしない。

「ネネ……、一緒にいたい。でも……もう、嘘はつけない……。ネネが、好きだから……」

 ――嘘だ! 耳を貸すものか……!

「あいつらを片づけたら、森を出て行くよ」

 ルルは静かに立ち上がると、なかなか動こうとせず、じっとネネを見下ろし続けた。

「――行けよ」

 冷たく言い捨てると、ルルは辛そうに顔を歪めた。ふわりと跳躍すると、仄暗い森の奥へと溶け込むようにして姿を消した。




 それが、ルルを見た最後だった――。