人食い森のネネとルル
4章:ネネとルルと恋心 - 1 -
悪夢のような日から数日――。
ネネは棲家から一歩も出ずに過ごしていたが、森は静かなものだった。銃声も悲鳴も聞こえてこない。
ルルとはあの場で別れたきりだ。
強烈な怒りの後には、虚しさが襲ってきた。あの日をまだ消化し切れていなくて、ルルのことは……、なるべく考えないようにしている。
それでも毎日、ふとした瞬間に思い出しては気持ちが塞いだ。
隣にルルがいないと、一言も口を利かずに一日が終わる。時々黒いのが遊びに来てくれて、一言二言、言葉をかけるが、それでおしまいだ。
――ルルが来る前は、ずっと、一人でやってきたんだ。昔に戻るだけだ……。
寂しいなんて、思ってはいけないのだ。
ルルは恐ろしい、リヴィヤンタンなのだから……。
心を許してはいけない。ミハイルの言う通りだ。精気を与えるうちに、ネネはきっと、すっかり絆されてしまったのだ。
ルルの綺麗な笑顔を、偽物だとは……今でも、どうしても思えない。もしも今、目の前にルルがいたら、何を口走ってしまうか判らない。
――餌でもいいから傍にいたい……そんなのご免だ。ルルに尽くしてきた、餌の末路は辿りたくない。
だから、これでいいのだ。
このまま二度と会わなければ、いつかきっと忘れられる。
優しい笑顔も……。
髪を梳いてくれる、大きな手も……。
ネネって、名前を呼ぶ声も……。
名前を呼ばれることが、あんなに嬉しいとは知らなかった。
ルルと出会う前は、十五年生きてきた中で、数えるほどしか名前を呼ばれなかった。別に寂しいだなんて思わなかった。それが普通だったから。
ルルのせいだ。
名前を呼ばれる喜びを、知ってしまったから……。
瞳を閉じると、今でもルルの笑顔が思い浮かぶ。
勿忘草 のように、青い瞳……。
綺麗な瞳だった。
出会った瞬間の、第一印象だった。仄暗い森の中で、鮮明に映る青い瞳。光の加減で、虹彩は星の煌めきのように輝いて見えた。
実は何度も見惚れていた……。
優しい笑顔の時には、穏やかな青。
怒っている時には、光彩を放つ魔性を帯びた青。
ネネの精気を吸うときも――。
毎日思い出して、苦しんでいる。
目が覚める度に、ルルのいない現実を思い知らされて、落胆に襲われる。そんな女々しい自分に腹を立てても、翌朝にはまた同じことを思う。
眠る時もそう。
ルルが自分のために整えた寝台は大き過ぎて、ネネ一人じゃ片せない。だから、仕方なくそのままにしてある。
だけど、何度もその寝台で眠りたい衝動に駆られた。
ルルが恋しい――嘘だ、恋しいだなんて、考えたくない。寂しいだなんて、思いたくない。
矛盾した感情が苦しい。
早く楽になりたい。忘れられることが出来たら、楽になれるのだろうか。いつ忘れられるのだろう。また明日も苦しむのだろうか。
早く忘れたいのに――。
狩に集中して、畑仕事に没頭している間は、どうにかルルを忘れていられる。それでも森のあちこちに、ルルと過ごした思い出があって、ふとした瞬間にネネを苦しめる。
早く忘れたいのに、日を追うごとに、苦しさは増していく。どうして、少しも楽にならないのだろう……。
――何で、アタシに嘘をついたんだ……。後悔するくらいなら、どうして魂を抜いたりしたんだ……。森からあいつら、追い出してくれたのに……、本当にもう戻ってこないの? もう、会えないの?
ルルの残していった寝台に、頬を寄せた。ふわりと、ルルの甘い香りがする。
「――っ……」
――泣くもんか、泣くもんか……。
「っ……ふぇ……、ぅ……っ」
呪文のように、泣くものかと思っていても、引き結んだ唇は勝手に戦慄 いてしまう。開いた隙間から、情けない嗚咽が零れ出した。
ネネはこんなに弱い人間だったのだろうか。一人でもやっていけるって、ずっと思っていたのに。
ルルがいなくなっただけで、こんなにボロボロになってしまった。
――ルルが恋しい。会いたい……。
瞳を閉じると、今でもルルの笑顔が思い浮かぶ。
あの青い瞳が、本当に好きだった。
勿忘草のように青い瞳。
”私を忘れないで”……花言葉の通りだ。ルルのことを少しも忘れられない――。
ネネは棲家から一歩も出ずに過ごしていたが、森は静かなものだった。銃声も悲鳴も聞こえてこない。
ルルとはあの場で別れたきりだ。
強烈な怒りの後には、虚しさが襲ってきた。あの日をまだ消化し切れていなくて、ルルのことは……、なるべく考えないようにしている。
それでも毎日、ふとした瞬間に思い出しては気持ちが塞いだ。
隣にルルがいないと、一言も口を利かずに一日が終わる。時々黒いのが遊びに来てくれて、一言二言、言葉をかけるが、それでおしまいだ。
――ルルが来る前は、ずっと、一人でやってきたんだ。昔に戻るだけだ……。
寂しいなんて、思ってはいけないのだ。
ルルは恐ろしい、リヴィヤンタンなのだから……。
心を許してはいけない。ミハイルの言う通りだ。精気を与えるうちに、ネネはきっと、すっかり絆されてしまったのだ。
ルルの綺麗な笑顔を、偽物だとは……今でも、どうしても思えない。もしも今、目の前にルルがいたら、何を口走ってしまうか判らない。
――餌でもいいから傍にいたい……そんなのご免だ。ルルに尽くしてきた、餌の末路は辿りたくない。
だから、これでいいのだ。
このまま二度と会わなければ、いつかきっと忘れられる。
優しい笑顔も……。
髪を梳いてくれる、大きな手も……。
ネネって、名前を呼ぶ声も……。
名前を呼ばれることが、あんなに嬉しいとは知らなかった。
ルルと出会う前は、十五年生きてきた中で、数えるほどしか名前を呼ばれなかった。別に寂しいだなんて思わなかった。それが普通だったから。
ルルのせいだ。
名前を呼ばれる喜びを、知ってしまったから……。
瞳を閉じると、今でもルルの笑顔が思い浮かぶ。
綺麗な瞳だった。
出会った瞬間の、第一印象だった。仄暗い森の中で、鮮明に映る青い瞳。光の加減で、虹彩は星の煌めきのように輝いて見えた。
実は何度も見惚れていた……。
優しい笑顔の時には、穏やかな青。
怒っている時には、光彩を放つ魔性を帯びた青。
ネネの精気を吸うときも――。
毎日思い出して、苦しんでいる。
目が覚める度に、ルルのいない現実を思い知らされて、落胆に襲われる。そんな女々しい自分に腹を立てても、翌朝にはまた同じことを思う。
眠る時もそう。
ルルが自分のために整えた寝台は大き過ぎて、ネネ一人じゃ片せない。だから、仕方なくそのままにしてある。
だけど、何度もその寝台で眠りたい衝動に駆られた。
ルルが恋しい――嘘だ、恋しいだなんて、考えたくない。寂しいだなんて、思いたくない。
矛盾した感情が苦しい。
早く楽になりたい。忘れられることが出来たら、楽になれるのだろうか。いつ忘れられるのだろう。また明日も苦しむのだろうか。
早く忘れたいのに――。
狩に集中して、畑仕事に没頭している間は、どうにかルルを忘れていられる。それでも森のあちこちに、ルルと過ごした思い出があって、ふとした瞬間にネネを苦しめる。
早く忘れたいのに、日を追うごとに、苦しさは増していく。どうして、少しも楽にならないのだろう……。
――何で、アタシに嘘をついたんだ……。後悔するくらいなら、どうして魂を抜いたりしたんだ……。森からあいつら、追い出してくれたのに……、本当にもう戻ってこないの? もう、会えないの?
ルルの残していった寝台に、頬を寄せた。ふわりと、ルルの甘い香りがする。
「――っ……」
――泣くもんか、泣くもんか……。
「っ……ふぇ……、ぅ……っ」
呪文のように、泣くものかと思っていても、引き結んだ唇は勝手に
ネネはこんなに弱い人間だったのだろうか。一人でもやっていけるって、ずっと思っていたのに。
ルルがいなくなっただけで、こんなにボロボロになってしまった。
――ルルが恋しい。会いたい……。
瞳を閉じると、今でもルルの笑顔が思い浮かぶ。
あの青い瞳が、本当に好きだった。
勿忘草のように青い瞳。
”私を忘れないで”……花言葉の通りだ。ルルのことを少しも忘れられない――。