人食い森のネネとルル

3章:人食い森と追跡者 - 8 -

 ルルと別れた後、ネネも狩に出掛けることにした。狩猟ローブのフードを目深に被り、大型クロスボウを背負って茂みに分け入る。
 しかし、今日に限って睡蓮沼へ近づくにつれて、妙な違和感を覚えた。

 ――森が騒いでいる……?

 風に乗って、動物油の燃焼する匂いが運ばれてくる。松明の匂いだ。ぎくりと足を止めると、油断なく周囲に視線を走らせた。
 この森で火を操るのは生者だけだ。
 姿は見えないけれど、森にまたしても侵入者がやってきたのかもしれない。
 警戒しながら睡蓮沼へ寄ると、ついに松明を掲げた調査隊の姿が見えた。それも一つや二つではない。数百はいそうな大軍勢だ――。

 ――諦めたわけじゃ、なかったのか……!

 先頭の立派な馬に騎乗しているのは、驚くことにカタルカナユ・サンタ・ガブリールの領主――ミハイル・アルベルトだ。
 数百にも及ぶ魔除けの松明が、昼でも仄暗い森を、煌々と照らしている。
 先日の仕返しにやってきたのだろうか。
 だとしても、領主がここまで本気を見せるとは、正直考えていなかった。しかも今はルルと別行動しているのに……。

 ――不味い……、こんなに大勢で探られたら、棲家が見つかってしまう……。

 息を殺して様子を伺っていると、領主を囲む、覆面の不気味な一団が一斉にこちらを向いた。獣のように、俊敏な反応だった。こちらを見つめる目の色は、血のような赤――。
 ぞわりと肌が粟立つ。

 ――アイツ、魔性を従えているのか!? 聖職者が、どうして……?

 騎乗したミハイルと目が合う。声は聞こえなかったが、領主の唇は、確かに「ネネ」と囁いた。
 逃げよう――そう思った瞬間には捕えられていた。

「うぁっ!?」

 折れそうなほどの力で、覆面の男に腕を掴まれる。
 浅黒い肌に、フードから零れる漆黒の髪。覆面で顔の半分が隠れており、造形は判らないが、瞳の虹彩は真っ赤で瞳孔は獣のような縦長だ。人間でないことだけは確かだ。
 ネネは抵抗も虚しく、ミハイルの前に引きずり出された。遥か高みから、アイスブルーの瞳がネネを見下ろす。

「先日は、不作法な真似をして、申し訳ありませんでした。丁重にお迎えするよう、伝えたつもりだったのですが……。行き違いがあったようですので、改めてお迎えに上がりました」

「何言ってるんだ、アンタ……」

「どうぞ、お気軽にミハイルとお呼びください」

 ミハイルはふわりと微笑んだ。
 丁寧なようで、人を見下している。優しいようで、残酷にネネを追い詰める。ミハイルという男は、綺麗な人間の皮を被った、恐ろしい化け物だ――。
 慈悲深い笑みは、ネネを心底震え上がらせた。

「かわいそうに、震えていますね。さぁ、こちらへどうぞ……」

 ミハイルは腕を伸ばして、ネネを馬上に引き上げようとした。その手を見たら、ぞぉ……っと背筋が冷えた。
 捕まったら、最後だ。死にもの狂いで暴れて逃げようとしたら、赤目の魔性に腕をひねられた。

「あっ! ぐ……っ!」

「手荒な真似は止めてください。ネネは女の子なのですから」

 この異様な状況で発せられる、ミハイルの穏やかな声はかえって恐ろしかった。
 必死にもがいて暴れても、魔性達は腕を離してくれない。それどころか、両手首を前で一つにまとめられ、乱暴に縄で縛られてしまった。

「離せよっ!」

大聖堂カテドラルに戻ったら、離してさしあげますよ」

「アンタッ、アタシに何しようってんだ!?」

 精一杯喚いても、びくともせず、ついにミハイルの騎乗する馬上へと押し上げられた。
 思った以上に高くなった視界に息を呑む。暴れたら落っこちてしまいそうで、思うように抵抗できなかった。
 どんどん不味くなる状況に歯噛みしていると、大きな腕が腹に周り、柔らかく抱きしめられた。いいようのない恐怖を感じて、唇が戦慄わななく。

「やめろ!」

「――ネネ、ルルは何処にいますか?」

「ルルをどうするつもり!?」

 肩をゆすって腕を振りほどこうとしても、少しも腕は緩まない。それどころか、よりいっそう、きつく抱きしめられてしまった。
 耳元で吐息を吹き込むように囁かれる。

「ネネ、貴方は人なのかな? それとも魔性なのかな?」

 一瞬、何を聞かれているのか、意味が判らなかった。

「は……? 人に決まってる」

「でも……、強い魔力が働いた痕跡があります。ネネは、ルルに魂を抜かれてしまったのかな?」

「何言ってるんだ……?」

「知っているのでしょう? ルルの正体」

 どくりと鼓動が跳ねた。