人食い森のネネとルル

3章:人食い森と追跡者 - 7 -

 ルルの瞳の光彩が強まる――。
 風も吹いていないのに、周囲には不思議な風が流れた。土にめり込んだ重たい鋼鉄が、ふわりと羽のように浮かびあがる。

「間抜けめ。底の空いた檻で、この私が捕まえられるものか」

 ルルは手も動かさず、高めた霊力だけで鋼を浮かすと、調査隊に向かって高速で投げつけた。斧や銃身が鋼にぶつかり、朱金の火花を散らす。

「ぐぁ……っ!?」

 鈍い音と共に、檻に挟まれた兵士が呻き声を上げた。武器を手にどうにか堪えているが、潰されるのは時間の問題だ。

「やり過ぎだ、ルル……」

 青褪めて呟くと、ルルは半目でネネを睨んだ。

「何言ってるの。こいつら、ネネを殺そうとしたんだよ?」

「アタシは、生きてるよ……。だから、何も殺さなくてもいいだろ……?」

「ネネは優しすぎるよ。私は……、とても許せない」

「ぐ……っ、が……っ!」

 ルルは攻撃の手を休めない。
 他の男達も息苦しそうに、膝をついてうずくまっている。ゴトフリーですら、立っているのがやっとのようだ。
 彼等の苦しむ姿を見たいわけではない。ルルにも暴力を振るって欲しくない。無我夢中で背中に抱きついた。

「――もういいっ! もう、いいよ!」

「ネネ……」

「もうやめよう……っ!」

 ルルは迷った末に、ふっと彼等を解放した。

「ネネに免じて、今回だけは見逃してあげる。二度と此処へ来るな――次はないよ。見つけたら、何処までも追い駆けて、必ず酷いことをする。判る?」

「ひ……っ」

 敵意を向けられていないネネですら、ぞっとするような、美しくも恐ろしい魔性の笑みだった。ゴトフリーほどの屈強な男ですら、怖気づいて後じさる。
 グルル……ッ。
 追い打ちをかけるように、闇夜に魔性の赤い瞳、そしてアメシストの瞳が浮かぶと、男達は転がるようにして森を出て行った。

「ふぅ……。疲れちゃったね」

 ルルは無邪気に笑う。
 たった今見せた残酷さなど、微塵も感じさせない天使のような笑顔だ。疲れたとぼやきながら、ネネの首に抱きついて、頬を摺り寄せてくる。

 ――ルルって、本当はどんな魔性なんだろう……。

 素直で無邪気で、名前すら忘れてしまったルル。
 強くて怖くて残酷で……、だけど寂しがり屋で、甘えたで、何故かネネにはとことん優しいルル。
 名前を持っていた頃のルルは、どんなだったんだろう……?

 困惑から抜け出せずにいると、茂みを揺らして黒いのが姿を見せた。
 ネネの傍へ寄ると「キューン」と鼻を鳴らして、垂れた手をぺろりと舐める。艶やかな毛並みを撫でても、心はあまり晴れなかった。
 狙い通り、調査隊を蹴散らせたのに……。
 この平穏な生活に、期限があるように思えてならない。その時が、刻一刻と近付いているような……、胸が苦しくなるような錯覚を覚えた――。




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 ネネの警戒とは裏腹に、その日を境にして、人食い森は静けさを取り戻した。
 狩に出る距離も日増しに伸ばしている。罠を使った狩猟も再開した。
 次第にネネも緊張を解いて、今日はついにルルに遠出の依頼を頼むことにした。切らしがちだった岩塩や火石リンタイトなどの魔力石の採掘依頼だ。

「じゃあ……、質のいい岩塩と、火石と、聖石ノウタイトと、水石セイタイトお願い」

「そんなに!? 一口にルーンガット山脈と言っても、広いんだから。採取場所、全然違うじゃない……。ネネは人使いが荒すぎる!」

「人じゃないしな……」

「うわっ! 今の聞いた? ひどくない?」

「それ……、誰に言ってるの?」

 ルルはわざとらしく悲嘆に暮れた。つい先日、調査隊を追い詰めた同じ魔性とは、到底思えない。
 その落差こそ、魔性の本質なのかもしれないが……。この時は何だか、わざと無邪気を装っているような気がした。

「ルルってさ……、まだ記憶戻らないの?」

「――どうして?」

 ほんの少し、声のトーンが下がる。

「ん、別に……」

「戻らないよ。でも……、どうでもいい。ネネと一緒にいたいんだ」

「……」

「一緒にいさせてよ」

 答えられずにいると、ルルはネネの頬に触れるだけの優しいキスをした。

「それじゃあ、採ってくるね。夜には戻るから、戸締りに気をつけて」

 心配してくれる気持ちがくすぐったくて、ネネはぎこちなく微笑んだ。「一緒にいたい」という、優しくて甘い気持ちが込み上げてくる。
 ルルが魔性でも、まだ知らない秘密があったとしても……、ネネに見せてくれた、優しい笑顔まで否定することは出来ない。ルルが帰ってきたら、今度はネネから言おうと思った。

 ――ずっと、一緒にいてよ。