人食い森のネネとルル

4章:ネネとルルと恋心 - 10 -

 ルルと一緒に堂内に戻り、正面の扉へ歩いて行こうとしたら、祭壇の前へと連れて行かれた。
 祭壇に立つミハイルを見て、思わず逃げ出そうとしたら、すかさずルルに捕まった。ミハイルは慈愛に満ちた笑みを浮かべている……。
 白々しい微笑みが空恐ろしくて、剥き出しの腕にぶわっと鳥肌が立った。

「大丈夫だから、ネネ。ほら、聖水をもらって……」

 震える手でどうにかゴブレットを受け取った。清らかな聖水を喉に流し込むと、空いたゴブレットを勢いよく傍に控えている修道士に手渡した。
 逃げるように主身廊を走るネネの後ろから、くすくすとルルが笑いながら追いかけてくる。

「怖くないよ、ネネ。ほら、走らないの」

「まぁ、ネネ!」

 交差廊にぶつかったところで、アウロラに声をかけられた。ほっとした表情で、こちらへ走り寄ってくる。

「アウロラ……!」

「探したのよ、ネネ」

 絶世の美女は、ほっとしたように息をついた。慈しむようにネネの髪を撫でる。
 こんな綺麗な女性に、黙っていなくなろうとしたことを、今更ながら申し訳なく感じた。

「ごめん……」

「見つかって良かったわ」

 ルルは不機嫌そうに、ネネの髪を撫でるアウロラの手を跳ねのけた。

「こんな所まで、何しに来たの?」

「あら、いいご挨拶ね。わたくしが、此処までネネを連れてきてさしあげたのよ」

 まるでお互いを知っているような会話に、ネネは不思議そうに首を傾げた。

「知り合い……?」

「ん……? ネネ、気づいてないの?」

「何が?」

「彼女は――」

「おだまり。自分で話しますわ。さぁ、和解もできたようですし、帰りましょう」

 ――和解って……、アタシとルルのこと、知ってるのかな。

 アウロラは、疑問を浮かべるネネの顔を見て、思わず見惚れるような笑みを浮かべた。

「わたくし達の棲家……、愛すべき人食い森へ帰りましょう」

「えっ」

 聞き間違いだろうか。それとも本当に、人食い森へ帰ると言われたのだろうか。
 ルルとアウロラはネネの手をそれぞれ左右から取ると、唖然とするネネを引きずるようにして歩き始めた。
 外に止めてある黒塗りの馬車に、ルルは迷わずネネを乗せようとする。

「ネネ、いい子だから、乗って」

 ルルとアウロラの関係が判らず、眉を潜めるネネに、アウロラは「帰り道でお話ししますわ」と約束した。
 渋々相乗りを許可し、馬車が動き出すと、アウロラはぽつぽつと話し始めた。

「実はわたくしも、人食い森に棲んでいるの」

「えっ!?」

「昔は、王都で筆頭魔術師を務めていたのだけれど……、いろいろ煩わしくなってしまって、今は森で静かに過ごしているわ」

「ネネと同じ、引きこもりなんだよ」

 ルルの暴言にむっときて、ぺしりと頭を叩いてやった。

「人嫌いなのは否定しないけれど、外の情報は死霊達を使って集めているのよ」

「死霊……? アウロラってまさか……」

「見つからないように、普段は変装までしているのに。噂って怖いわね。いつの間にか、森に棲む恐ろしい死霊遣い、なんて呼ばれているのですもの」

 ――噂じゃ、なかったの……!?

 アウロラは「騒がれるのは嫌い」とおっとり呟いている。全身真っ黒で、近寄りがたい雰囲気はあるが、たおやかな絶世の美女であることに間違いはない。
 とても噂されているような、恐ろしい死霊遣いには見えなかった。
 アウロラの衝撃の告白は更に続く。

「ネネの棲んでいる家は、わたくしの集落でしたの。昔は魔女達がたくさん棲んでいたのよ。すっかり空き家になっていたけれど、いつの間にか人が棲みついて、気になって様子を見にいくうちに、ネネのことを好きになってしまったわ」

 アウロラのような美女に好きと言われて、心はふわふわ浮きたった。しかし、反応すべきはそこではない。

「魔女達の集落だったのか……! アウロラは、どうして出て行ったの?」

 今も人食い森に棲んでいるのなら、集落を出る必要はなかったのではないだろうか……。

「棲んでいたと言っても、何百年も昔の話ですもの。久しぶりに戻った時には、わたくしの棲家はもう風化していたわ。ならいっそ、新しい家を造ろうと思って。今は樹海の最奥に棲んでいるわ。良かったら、今度遊びにいらしてね」

 アウロラは「うふふ」と少女のように微笑んだ。

「アタシは、あの森に二年前から棲んでるんだ。アウロラはいつから……?」

「とーっても昔よ。ネネがミハイルに攫われそうになった時は、用事があって、森を空けていたの。助けにいけなくて、ごめんなさいね。森に古い魔法をかけ直したから、そう簡単には不届き者もやってこれないわ」

 恐ろしくも頼もしい言葉に、ネネは苦笑いを浮かべた。
 ネネとアウロラが一緒なら、この先もし、調査隊が再びやってきても、切り抜けられる気がする。

「ルルはアウロラのこと、知ってたの?」

「まぁね。というかネネも、よく知っているはずだよ」

「うふふ」

 何の話だか、ちっとも判らない。楽しそうに笑うルルとアウロラを見て、ネネは腕を組んで首を傾げた。
 それにしても……、ついこの間まで一人きりで暮らしていたのに、急に身の回りが賑やかになった気がする。
 しみじみと美貌の二人を見つめていると、目元を和ませて「なあに?」と言うようにそろって小首を傾げた。
 その瞬間、何とも言い表せない、暖かな気持ちが胸を満たした。

 ――幸せって、こういうことなのかなぁ……。

 ネネは実に晴れやかな気持ちで、慣れ親しんだ愛すべき人食い森へ降りた。背伸びをして、後ろに立つ二人を振り返った途端、アウロラは、なんと、黒いのに姿を変えた。

「えっ、黒いの!?」

「アウロラの仮の姿だよ」

「えぇ――っ!?」

 ここ最近で一番驚いた。
 正直、ルルがリヴィヤンタンだと知った時以上に、驚いた。
 黒いの、いや、アウロラは「黙ってて、ごめんね」とでも言うように、ネネの手をペロリと舐めた。
 美しいアメシストの瞳でネネを見上げてくる。

 ――あ……っ! そうか、アウロラを初めて見た気がしなかったのは、黒いのと瞳が似てるって思ったからか……!

 ようやく、気になっていた胸のつかえがとれた。

「すっきりした?」

 ルルの青い勿忘草わすれなぐさの瞳が、楽しそうに煌めいてる。さては知っていたな……。
 ようやく、先程のルルとアウロラの含み笑いの意味が判った。
 大好きな彼等を見て、ネネもゆっくりと笑顔を浮かべた。

「――うん、帰ろう!」




- Fin -