PERFECT GOLDEN BLOOD

1章:十七歳の誕生日 - 3 -

「違うよ。小夜子を傷つけたりしない。絶対に」
 ルイはとんでもない、というように目を瞠っていった。手をのばして、小夜子の垂れさがる三つ編みの一つを手にとり、そっと唇をつけた。
「っ……」
 小夜子は今度こそ息がとまるかと思った。心臓が痛いほど鳴っている。銀の瞳が上目遣いに小夜子を仰ぎ、髪に唇をこすりつけたまま囁いた。
「ごめんね、怖がらせて。心配しないで、怖い記憶は僕が全部持っていくから……“リハノ・ル・カオ・エ・ミ……”」
 後半の奇妙な音列を聞いた時、小夜子の思考回路は急に靄がかった。
「“サーレ・トゥワ・ノール……”」
 聞いたことのない音節は、心にじかに響いていくるようだった。まるで太古の時代に引き戻されていくかのような、遠いいにしえの音節は、小夜子のなかを駈け廻り、支配した。
「“小夜子”」
 名前を呼ばれて、小夜子のなかに歓喜が拡がった。
「いいかい、その腕輪を決して外してはいけないよ。災厄から君を守ってくれるからね」
「はい……」
「入浴する時でも、絶対に身につけておくんだよ」
 小夜子は素直に頷いた。そう……彼の望む通りに、いわれるがままに従わなくてはいけない。
「いいかい、もうすぐ教団から派遣された“掃除屋”が到着する。死体は彼等が運ぶから、任せておきなさい。この道を引き返してはいけないよ」
「はい」
 掃除屋がどのようなものか詳しくは判らないが、ルイのいわんとすることは理解できた。普段の小夜子であれば恐慌状態に陥っていただろうが、この時は、不思議と冷静に受け留めることができた。とにかく、彼の指示に従うことが最優先だ。
「僕が消えたあとは、まっすぐ家にお帰り」
「はい」
「さっき見たことは、忘れるんだよ。小夜子は何も見ていないし、聞いていない。怖い思いはしていない……いいね?」
「はい」
 小夜子が頷くのを見て、ルイは満足そうな笑みを浮かべた。
「よし、今夜は空いている?」
「空いています」
「良かった。それじゃ、今夜六時に下北沢駅の南西口にこれる?」
「はい」
 ルイはにっこりした。
「誕生日祝いに食事をご馳走するよ。LINEを登録しておこう。スマホを貸してくれる?」
 小夜子は何の疑問も抱かずに、スマホをとりだした。アカウントを登録し終えると、ルイは小夜子のコンビニ袋を見て、指を鳴らした。
「こうしよう。僕はコンビニで買い物をした帰りに、道に財布を落としてしまう。偶然後ろを歩いていた小夜子が拾って、僕に渡してくれた。僕はお礼を兼ねて、君を食事に誘った……いいね?」
「はい」
「いい子だ。今夜は僕のことを考えながら眠って……おやすみ、小夜子」
 ルイは囁くと、恋人にするように小夜子の額にキスをした。彼の吐息は媚薬のようだ……えもいわれぬ甘い倦怠感で息を奪われ、もっと触れてほしくてたまらない。
「ルイ……」
 小夜子は哀願するように見つめた。彼は愛おしそうに小夜子を見、ゆっくり身体を離した。指をからめとり、手の甲にそっと唇を押し当てる。名残惜しそうに手を離すと、闇のなかへ吸いこまれて消えた。
 小夜子はひとりになり、目を瞬いた。茫然自失から復帰したものの、状況をうまく把握できず、辺りを見回す。
「……?」
 自分はなぜ、こんなところで立ち止まっているのだろう? 手にしているコンビニの袋を見て、首を傾げてしまう。
「……帰ろ」
 歩き始めて、どんよりしていた頭が明瞭に晴れていることに気がついた。
(珍しいな。こんな風に頭痛が消えるなんて……)
 額を手でおさえて、手首の腕輪に違和感を覚えた。細い銀鎖に、大ぶりの黒い石がついている。このような腕輪をつけていただろうか?
(……どこで買ったんだっけ?)
 手に入れた経緯は不明だが、とても大切だという感じがする。どんな時も身に着けていなくてはいけない。決して外してはいけないもの。
(でも、なんで……?)
 訳が判らず、小夜子は歩きながら首をひねった。色々と府に落ちないが、いつの間にか頭痛が消えているので、気分は悪くなかった。外の空気を吸ったことが良かったのかもしれない。
 家に帰り、ベッドに横になったところで、またしても奇妙な違和感を覚えた。
 いつものように眠りに就こうとしているが、果たしてこれでいいのだろうか? さっき、とんでもないことが起きたのではなかったか?
 その答えを探そうと試みるも、強固な壁に阻まれたかのように、不自然なほど・・・・・・何も思い浮かばなかった。
(……? 変なの……疲れているのかな)
 今夜はぐっすり眠った方が良さそうだ。瞼を閉じてリラックスしていると、唐突にスマホが震えた。液晶にはLINEの通知がポップアップされていた。ルイだ。お休み、と短いメッセージが届いている。
「ふふ」
 小夜子は嬉しくなり、ほほえんだ。お休みなさい、と返信してスマホを胸に抱きしめる。
(そうだった。明日は、ルイさんと会う約束をしているんだ……うわぁ、楽しみ……っ)
 男性とデートをするのは、生まれて初めての経験だ。それもルイのように恰好いい人と。
 明日のことを考えると気分が高揚してくる。疲れているはずなのに、都合の良い妄想にふけってしまい、なかなか寝つくことができなかった。