PERFECT GOLDEN BLOOD

3章:Auオール revoirボワール - 1 -

 小夜子は部屋に戻って鍵をかけると、スマホを手にとり、ルイに電話しようとした。しかし、番号をタップする途中で指が止まった。
 彼に連絡して平気なのだろうか? 彼が、本当は何のために、小夜子をここへ連れてきたのかも判らないのに?
 あの優しい笑みのしたに悪意があるとは信じたくないが、第六感が警鐘を鳴らしている。
(そもそも、ルイさんとはどうやって知り合ったんだっけ?)
 コンビニの帰りに、彼のお財布を拾ったことがきっかけのはずだが、いまいち現実味を感じられない。鮮明に思いだそうとしてみても、記憶が曖昧ではっきりしない。必死になるあまり、ありもしない記憶を捏造してしまいそうだった。
 一つはっきりしていることは、ここにいてはいけないということ。今すぐ逃げなくては――激しい強迫観念に駆られ、小夜子は急いで荷造りを始めた。
 といっても、私物は殆どないのですぐに終わった。トートバック一つで事足りた。動きやすいデニムとざっくりしたTシャツに着替え、スニーカーを履いて準備完了。
 部屋を見回し、不自然な点がないことを確認すると、時計を見た。午後十四時。日中は全ての窓にシャッターがおりているから、窓からの脱出は不可能だ。一階の玄関も遮断されている。
 きっと、どこかに抜け道があるはずだ。どこかに……そうだ、地下があった。
 小夜子は恐慌状態に陥ってはいたが、同時に冷静だった。本能というべきなのか、ここから逃げるために、どう行動し何をすべきか、目まぐるしく思考を働かせていた。
 誰にも見つからぬよう部屋を抜けだし、慎重に一階までおりた。廊下の陰に隠れて、地下室の扉の様子をうかがう。周囲に人はいない。
 息を止めて扉前にいき、そっと真鍮の取っ手を回してみた。
 開いた。
 なかは薄暗くてよく見えない。スマホのライトで照らしてみると、階段が驚くほど下まで伸びていることが判った。
(……ここを降りるの?)
 危険なカルトの匂いがする。この先で行われているのは、悪魔祓いの儀式? あるいは悪魔召喚?
 これがホラー映画なら、間違いなく殺されるパターンだ。
 小夜子は頭を振ると共に愚かな妄想を振り払い、呼吸を整えた。
 ここの住人に秘密があることは確かだが、小夜子に害をなそうとしているとは思えない――アンブローズは別として。そもそも殺すつもりなら、とっくにそうしていただろう。ここへきてもう十日になる。そうしようと思えば、いくらでも機会はあったはずだ。その間に、彼等にされたことといえば、親切丁寧にもてなされただけ。
(まぁ、軟禁はされていたけれども……)
 ルイの言葉には説得力があるが、不可解な点も多い。身をもって知っているので、超常現象の全てを否定はしないが、小夜子が十七歳を境に、悪魔に狙われているというくだりは、さすがに信じていない。
 ただ、逃げようとしている今でも、ルイが凶悪な存在だとは、どうしても思えなかった。
 逃げる前に、彼と話をするべきなのだろうか?
 葛藤しながら、忍び足で地下の階段をおりていくと、その先には、驚くほど広い空間があった。長い廊下の左右に、幾つもの部屋がある。天井には冷光灯が吊るされており、壁には黄金の蝋燭立てが設置されている。
 奥の廊下から、不気味な呻き声が聴こえてきて、小夜子は壁に背を押し当てた。両手で口を塞ぎ、悲鳴を押し殺した。
(何? 何の声? 人!?)
 とても人間のものとは思えない咆哮――恐怖と狂気をないまぜたような、尋常ならざる声だ。
 やはり、この館は普通じゃない。
 引き返そうかという気を起こしかけた時、階段を下りてくる音が聞こえた。全身から、どっと冷や汗が吹きだした。
(誰かくる!)
 奥の部屋のドアが少し開いているのを見て、咄嗟になかへ入った。アンティークな研究室のようだ。天井から無数の瓶が垂れさがり、ハーブやよく判らない枝や物体が吊るされていた。広い木製の机には、真鍮の器具や、工具箱、試験管などが乱雑に置かれている。
 ヴィエルの研究室か、実験室だろうか?
 遮蔽物の陰に隠れて縮こまっていると、白衣を着たヴィエルが、工具箱を片手に抱えて入ってきた。
 部屋に明かりが灯され、小夜子の心臓は止まりかけた。どうか見つかりませんように。息をつめて見ていると、彼は戸棚を開けて、薬品や道具を、持ってきた工具箱に手際よく詰めて、部屋の明かりを消してでていった。
(――危なかった)
 九死に一生を得た気分で、小夜子は安堵に胸を撫でおろした。
 これ以上危険な冒険を続ける気にはなれず、廊下へでて、きた道を引き返そうとすると、
“小夜子”
 不意に名前を呼ばれて、危うく悲鳴をあげかけた。両手で口をふさいで、周囲をうかがう。
“小夜子、こちらへ……”
 またしても聞こえた。脳裡に響いて聞こえるのは、性別不明の理知的な声だ。その声の響きは、小夜子に神秘的な感情を呼び起こした。気がつけば、踵を返して廊下を歩き始めていた。
(……いく気? どうかしているんじゃないの私。引き返した方がいいって判っているのに)
 思わず自分の正気を疑ったが、もはや恐怖心が麻痺してしまったのか、引き返すどころか、足は勝手に前へと進んだ。