PERFECT GOLDEN BLOOD

3章:Auオール revoirボワール - 2 -

 無機質な廊下の奥に、開けた広間があり、古代の霊廟れいびょうのような扉があった。
 声は、あの奥から呼びかけていたのだろう、直感が囁いた。
 扉を開けると、目を疑うような光景が拡がっていた。
 ここは地下のはずなのに、眼前には、楽園のような花鳥風月の光景が拡がっている。
 凪いだ湖は、うずたかく積みあがる雲、蒼い空や雪化粧された峰を鏡のように映しこみ、涼風は頬を撫で、小夜子の髪を揺らしている。
「……どういうこと?」
 茫然と呟いた小夜子は、後ろを振り返った。どうしたことか、たった今くぐり抜けてきたはずの扉は、どこにも見当たらない。
「え……」
 再び正面を向くと、白い鳥の群れが、南東から渡ってきた。鳥は下降し、小夜子の方へやってくる。衝突を危惧したが、鳥は白い光の粒子に転じ、湖にきらきらと降り注いだ。それは一本の筋となり、小夜子の足元まで真っすぐに伸びる、光の道になった。
“こちらへいらっしゃい”
 貴い声に呼びかけられ、小夜子は腕に鳥肌が立つのを感じた。畏怖の念とかすかな恐怖が同時に襲ってくる。
 ここは超自然界、神の領域だ。
 湖が透けてみえる光の道は、薄氷のように脆く見えるが、小夜子が片足を乗せても、びくともしなかった。思い切って全体重を乗せても、床の感触はしっかりしていた。
「あの……」
“こちらへ……ルイのことで、大切な話があります”
 小夜子は驚きに目を瞠った。視線を彷徨わせていると、道の先に、水時計を模した四阿あずまやが現れた。そのなかで、神々しさを感じさせる、光の球体が浮いている。
 声の正体は彼だと、小夜子は直感した。
 恐る恐る、光の方へ歩いていく。歩くごとに、荘厳で重々しい気持ちにさせられた。
 四阿あずまやに入ると、清涼な風が吹いて、水晶のウィンドウ・チャイムが幻想的な音色を奏でた。中央にいます高貴な超自然エネルギーは、小夜子を歓迎するように柔らかな光を放射した。
“よくきましたね、小夜子。貴方に、伝えなければいけないことがあります”
 小夜子は確信めいた予感を胸に、目を瞬いた。
「あの……貴方が、ルイさんの“上司”の方ですか?」
 光は肯定するように瞬いた。
「やっぱり……? あの、私は小倉小夜子です。初めまして……ベル・サーラでお世話になっています」
 お辞儀をすると、今度も光は肯定するように瞬いた。
「その、一体……この部屋は、どうなっているのでしょうか?」
“ここは地上と天界の端境はざかいです。小夜子と話すために、少しの間だけ時空を繋ぎました。あまり時間はありません。他に訊きたいことはありますか?”
 小夜子は逡巡し、最も訊きたいことを訊ねた。
「教えてください。ルイさんは、吸血鬼ヴァンパイアなんですか?」
“そうですが、小夜子の想像しているものとは少し違います。彼等は私が創った黄昏の種族、神々に属する神聖な生きものです”
 小夜子は、いわれたことを心のなかで反芻した。ルイたちは、やっぱり吸血鬼ヴァンパイアなのだ。彼等にとってウルティマスは、中心的存在なのだろうか?
 目まぐるしく思考を働かせる小夜子を見て、ウルティマスは補足するようにつけ加えた。
“恐れることはありません。彼等は、邪悪な生きものではありません。ましてやルイは、小夜子を守る騎士なのですから”
「でも、ルイさんは、私を殺そうとしていたと聞きました」
“彼は運命に抗おうとしていました。でも小夜子と出会い、考えを改めたのです。今では誰よりも小夜子を想っていることでしょう”
「……」
“ルイの疑心は、結果として災いを招いてしまいました。そなたが十七歳になる前に、その腕輪を渡していれば良かったのですが……”
 小夜子は腕輪に目を落とし、再び顔をあげた。
「ルイさんのいっていたことは、本当なんですか? 私は神さまから特別なギフトをもらっている、黄金律を持つ者だって……」
“本当です。この世界にとって、そなたは重要な鍵なのです。ナーディルニティに見つかりたくなければ、ここをでていってはなりません”
 小夜子は喉がからからに乾いていくのを感じた。
「ナーディルニティって、誰ですか?」
“私と同じ総裁神ザハラから生まれた、姉神です。食屍鬼グールを生みだし、従えている女王であり、世界の均衡を崩そうとしています”
 小夜子は目を瞬いた。話の規模が大きすぎて、理解が追いつかない。
「……貴方は、神さまなのですか?」
“そのように呼ばれることもあります”
 小夜子は曖昧に頷いた。やはり、と納得する一方で、神と言葉を交わしている現実を、うまく把握できずにいる。
「じゃあ……女王というのは貴方の姉で、彼女も女神さまですか?」
“そうです。我々は地上に直接干渉はできないので、私は吸血鬼ヴァンパイアを、姉は食屍鬼グールを創り、彼等を通じて干渉しています”
「貴方が、ルイさんたちを創ったのですか?」
“そうです」
「どうして、女王は敵対しているのですか? お姉さんなのに?」
“私にとって創造は喜びですが、彼女にとっては破壊を意味します。私が築く世界を壊すことが、彼女の喜びです”
 小夜子は微妙な顔つきになった。どうやら、女王は大分ねじ曲がった根性をしているようだ。
「……女王さまは、どうして私を狙うんですか?」
“そなたが黄金律を持つ者だからです。そなたの血肉を与えて、食屍鬼グールを強くし、またふる き神を呼び起こさんとしています”
「……私を、食べるんですか?」
 小夜子は訊ねたあとで後悔した。神は慎ましく明滅しているが、雄弁な無言の肯定に他ならない。
“小夜子の身に危険が迫っていることは、ルイもよく判っているでしょう。誇りと血にかけて、小夜子を守り抜くはずです”
「……」
 小夜子は口元を手で覆った。唐突に、禍々しい女の陰影が脳裡を過ったのだ。彼女がナーディルニティ……小夜子の血肉を狙っているだなんて、本当なのだろうか?
“今伝えられることは、ここまでです。戻りなさい。人間がこれ以上留まれば、戻れなくなります”
「でも私、もっと訊きたいことが!」
 小夜子は焦って言い募ったが、光は拒否するように瞬いた。
“ルイに訊いてごらんなさい。早く戻るのです。あの扉を開けば、母屋の前にでられますよ。千尋がいますから、邸まで案内してもらうと良いでしょう”
 後ろを振り向くと、さっきまではなかった扉が見えた。もう一度を前を向いた時には、ウルティマスは消えていた。