PERFECT GOLDEN BLOOD

3章:Auオール revoirボワール - 4 -

 窓硝子の向こうで稲妻が閃いている。
 強風に葉の茂った大きな幹が震え、雨が窓硝子に打ちつける音が断続的に続くなか、二人は見つめあったまま、なかなか喋ろうとしなかった。
 お互いに、何を考えているのか思いを巡らせ、先に口火を切ったのは小夜子の方だった。
「あの、私……やっぱり、そろそろ帰ろうと思います」
 ルイの表情が曇るのが判ったが、小夜子は更に続けた。
「ここはとても素敵なお邸だけれど、いつまでもお邪魔しているわけにはいきませんし」
 千尋にもウルティマスにも引き止められたが、今この瞬間は、未知への恐怖よりも、煮え切れない現況への苛立ち、ルイと顔をあわせる気まずさの方が凌駕していた。
「気にしないで、いつまでもいてくれて構わないよ。夏休みが明けても、ここから学校に通えばいい。車で送るよ」
「でも、あそこが私の家なんです」
「ここが小夜子の新しい家だよ」
「ルイさん、こんなによくしてくれたのに、ごめんなさい。でも、私にもやらないといけないことがあるんです」
 肩を大きな手に包まれた。
「小夜子……あそこは危険なんだ。お願いだから、ここにいて」
「……ごめんなさい」
 消え入りそうな声で小夜子は呟いた。ルイは傷ついた表情を浮かべ、
「……判った。せめて対策させて。小夜子の家から一キロ圏内には、どんな敵も入りこめない聖域をつくる」
 大げさだと思ったけれど、小夜子は黙って頷くにとどめた。
「また、ここにきてくれる?」
 ルイは小夜子の手を握りしめて、目を覗きこんだ。
「きてくれるよね?」
 いつでも余裕に満ち溢れているルイが、酷く自信なさそうにいった。縋るような眼差しに耐えられず、小夜子は視線を伏せた。
「……もう、会わない方がいいと思います」
「どうして?」
「ここへはもう、こないと思います」
「じゃあ、僕が小夜子に会いにいくよ」
 小夜子はかぶりを振った。ルイの視線は険しくなり、表情から優しさが消えた。小夜子はぶるりと震え、彼に握られている手を引き抜こうとしたが、ぐっと強く掴まれた。
「僕は小夜子に会いたい」
 銀色の瞳と視線がぶつかる。小夜子が逃げるよりも早く、ルイは小夜子を抱き寄せ、顎に指をかけた。
 キスされそうになり、小夜子は渾身の力でルイを押し返した。
「だめっ」
「小夜子」
「本当にごめんなさい。一人でも十分、気をつけるようにしますから」
「……気をつける? 何を、どうやって?」
 ルイは口角をあげて、皮肉げな笑みを浮かべた。
「お、遅い時間には、外へでないようにするとか」
「へぇ?」
 彼は、おののく小夜子の手首を掴み、そのまま寝椅子に座らせた。背もたれに手をつき、腕のなかに小夜子を閉じこめ、猛々しい銀色の瞳で見下ろす。
「本気でいっているの? 食屍鬼グールは誰にも気づかれずに、君のベッドまでやってこれるんだよ」
「そしたら、大声で悲鳴をあげます。アパートだし、誰か気づいてくれるかも」
 ルイは冷たく鼻で嗤った。
「人間の手に負えると思う?」
「や、やってみないと判らないでしょう! とにかく、自分のことは自分で決めますから」
「そう? でもね、無防備な小夜子を捕まえることくらい、造作もないよ」
「離してくださいっ!」
 手を使って暴れるが、あっけなく自由を封じられる。餓えたような目に射すくめられ、小夜子はひゅっと喉を鳴らした。
「それで抵抗しているの? 本気で自衛できるつもりでいるなら、おめでたすぎる。医者にかかった方がいいんじゃない?」
 小夜子は傷ついた表情を浮かべた。唇を噛み締め、必死に泣くまいとする。だが、見る見るうちに目の淵に涙はたまっていった。
 ルイの表情が強張った。悔いるように掌を額に当て、くぐもった呻きを漏らしながら、身を起こした。小夜子の前に膝をつき、悄然と項垂れ、小夜子の手を両手で握りしめた。
「ごめん……そうじゃないんだ。僕を頼ってほしいんだ。君の力にならせてほしい」
 仰ぎ見るように、懇願の眼差しを向けられ、小夜子の唇が戦慄わなないた。感情が高ぶって、喉を熱い塊がせりあがってくる。
「……ふ、ぅえっ……ひぃっく……」
 ついに小夜子が泣きだすと、ルイは息をのみ、身体を起こして、ぎゅっと抱きしめた。
「あぁ、泣かないで……ごめんよ、僕が悪かった」
 ルイの優しい慰めに、余計に涙が溢れた。大粒の涙がぽたぽたと落ちて、リネンの香る白いシャツに沁みこんでいく。子供のように泣きじゃっている自分が恥ずかしくなるが、こらえようとすればするほど、喉はひりひりと痛み、不格好な嗚咽が漏れた。
「シィ、ごめんね。泣かないで」
 優しく髪を撫でられるうちに、昂っていた感情は落ち着き、心は静かに凪いだ。すんすんと鼻をすすって、赤い瞳でルイを見あげる
「……私を、殺そうと思っていたって、本当ですか?」
 痛みをこらえるようなルイの表情を見て、小夜子は悲しみで胸が張り裂けそうになった。
「貴方は誰なの? 冷蔵庫の銀色のパック、血が入っていた。キスしたとき、唇に、き、牙があたった」
「僕は……」
「時々、ルイさんの背中に影が見えるんです……翼みたいな」
 ルイは小夜子の両肩を掴むと、挑むような眼差しで見つめた。
「確かに、僕には秘密がある。だけど、僕が小夜子を傷つけるだなんて、本当に思う? 君を守ろうとしているのに」
「……殺そうとしたって、」
「出会う前の話だ!」
 ルイは鋭くいった。一瞬、彼の剣幕に怯みそうになったが、小夜子は視線を反らさなかった。ルイは自制するように、視線を伏せ、
「……ごめん、大きな声をだしたりして」
「アンブローズさんは、ルイさんに訊けば、本当のことを教えてくれるといっていました」
「彼のいったことなら、気にしないで。いい奴なんだけど、思考が極端なんだ」
「教えてください。私に、何をしたんですか? 出会った時のことを、少し思いだしたんです。どうして、私は忘れていたの?」
 痛いところを突いたのか、ルイは気まずそうな顔になった。
「僕の態度が、褒められたものでなかったことは認めるよ」
「ルイさん?」
「……そうだよ。あの夜、確かに僕は小夜子の記憶を消した」
「どうして?」
食屍鬼グールは、恐怖や絶望に引き寄せられるんだ。あの晩、小夜子は食屍鬼グールに襲われかけて、死ぬほど怖い思いをしたんだよ。平穏な生活を送るためにも、記憶を消した方がいいと判断したんだ」
 黙りこむ小夜子を見て、ルイは心を繋ぎ留めるように、小夜子の両手を掴んだ。
「あの晩、僕は偶然居合わせたわけじゃない。ウルティマスの予言を聞いて、小夜子に会いにいったんだ」
「知っています。さっき、ウルティマスにお会いしました」
 ルイは驚いたように目を瞠り、それから観念したように頷いた。
「……いい加減、ウルティマスに従うことに嫌気が差していたんだ。彼の意表を突ければ何でも良くて、小夜子に恨みがあったわけじゃない。僕の、身勝手で軽薄な殺意だった」
「……」
「でも小夜子を見た瞬間に、そんな考えは吹き飛んだよ。この子を傷つけることは不可能だって、悟ったんだ」
 小夜子はルイの瞳をじっと見つめた。銀色の虹彩が淡い光を放つ。
「僕は誰なのかと訊いたね。本当はもう、気づいているんじゃない?」
「……吸血鬼ヴァンパイア?」
 ルイは力なく微笑した。
「まぁ、そんなところ」
 その瞬間、不思議な衝撃が小夜子を貫いた。恐怖でも、驚いたというたぐいでもなく、胸のしこりが解けたような感覚に近い。彼と出会う前は創造上の生物に過ぎなかったが、今では、ルイが人間だといわれるより、吸血鬼ヴァンパイアといわれた方が、よっぽど現実的に感じられた。
「……じゃあ、アラスターさんたちも?」
「そうだよ。彼等も僕と同じVだ」
「冷蔵庫の、銀色のパックは?」
「血液だよ。生きていくために、あれが必要なんだ」
「……首から吸わないんだ」
 小夜子は意外そうに呟いた。それを聞いて、ルイはちょと笑った。
「昔はそうしていたよ。でも、いちいち人間に声をかけるのが面倒になって、直接吸うのはやめたんだ」
「血液って、どこで調達しているんですか?」
「Amazonで売ってるよ」
 思わず、小夜子は笑ってしまった。ルイもつられたように笑う。冗談をいいあう余裕がでてきたことに、お互いにほっとしていた。
「Vを支援している秘密教団があるんだ。彼等は、Vが戦いに専念できるように、あらゆる補佐をしてくれる。例えば血液、住居、身分証明書、武器に至るまで、僕らに必要な一切合財を調達してくれる」
「この館も?」
「そうだよ。ジョルジュも教団から派遣された従僕なんだ」
「そうだったんですね……」
「Vの恩恵は大きいけれど、対価も大きい。兄弟は皆、何かしらの対価を払っている。例えば僕の場合は、悪魔にとりつかれている。とても凶悪な悪魔で、何かあるたびに、主導権をよこせと暴れるんだ」
「悪魔?」
 ルイは辛そうな表情を浮かべた。
「正直、あいつの話はしたくない。僕が小夜子を恐れていたのも……だけどこれだけは信じて、僕は君の敵じゃない。絶対に傷つけたりしないよ」
 彼があまりにも真剣な表情でいうので、小夜子は否定することができなかった。
「ルイさんのなかに悪魔がいるって、ルイさんは、大丈夫なんですか?」
 ルイは歯がゆげな表情を浮かべた。
「僕のことなら心配いらない。頼むから、ここにいて。ここにいれば、僕たちで君を守れるんだ」
 その声は懇願の響きを帯びていた。彼の首筋からこぼれる落ちる黒髪を見、小夜子は視線を足元に落とした。
「小夜子、いいといって?」
 返事を迷っていると、手をきゅっと握られ、小夜子の焦燥と困惑は増した。幾つもの疑問が芽生えるが、触れあった手をほどけないことが、答えのように思われた。
「……もう、隠し事はない?」
「ないよ。小夜子に嘘をついたりしない」
 真摯な銀色の瞳を覗きこみ、小夜子は、小さく頷いた。
「なら、判りました。夏休みが終わるまで、ここにいます」
 返事をした途端に、両腕で抱きしめられた。
「きゃっ」
「良かった! ありがとう、小夜子」
 そういって、髪やこめかみにキスの雨を降らせる。
「ルイさんっ」
「……ルイでいいよ。そろそろ、ルイって呼ぶことに慣れてほしいんだけれど」
 小夜子は、思わず小さく笑ってしまった。
 ここに残る――正しい決断といえるのか自信はなかったが、彼の存在があまりにも小夜子のなかで大きくなりすぎてしまった。傍を離れることが困難だということは、はっきりと理解できた。