燈幻郷奇譚
3章:人と天狼の轍 - 2 -
これほどの鳥がいたのかと思うほど、鳥の陰で空は埋め尽くされた。異様な光景に背筋を慄わせながら、亜沙子は凛夜達の顔色をうかがった。
「……今の聞いた?」
「誰かが発砲したんじゃ。火薬は
「えっ」
この世界にも銃があることに、亜沙子は衝撃を受けた。剣や弓、槍なら郷でも目にしてきたが、銃は見たことがなかった。
「……何を撃ったんだろう?」
亜沙子が訊ねても、天狼達は前を見据えたまま視線を動かさない。ピンと三角の耳を
「大勢の気配がする……訓練された者の足音だ」
「どれくらい?」
「百……いや、もっと」
「そんなに?」
「うん。空気が糸みたいにぴんと張っとる。酷い殺気じゃ」
「……何しにきたんだろう?」
不穏な言葉に亜沙子の不安は掻き立てられた。凛夜達の見据える茂みの向こうから、今にも恐ろしい何かがやってくる気がしてしまう。
「様子を見てくる。姫様はここにいて」
「私もいく」
「いかん。すぐ戻るから、和葉と待っとって」
「独りでいっちゃ駄目! 一度戻って、皆に知らせた方がいいよ」
亜沙子が縋りつくと、凛夜は困ったように首を傾げた。どうする? といいたげに和葉を見る。
「姫様のいう通りだよ。判れて行動しない方がいい。一緒にいこう。偵察だけして戻ろう。姫様、僕の背に乗って」
「うん」
身体を伏せる和葉の背に、亜沙子は慎重に跨った。
忍び足で
清かな水音は、
蒼く苔むす絶壁から流れ落ちる、
威風堂々たる滝の威容に圧倒されていた亜沙子は、凛夜の唸り声に我に返った。
「やっぱり、大王の遣わした兵隊だ。蓬莱山には入れないはずなのに……結界を壊したのか?」
凛夜は忌々しそうに舌打ちをした。ぐるる、と他の天狼も唸り声を発する。
「シィ、静かに」
和葉がいうと、一同はしんとなり、物音を立てぬよう下流の様子を
桜の花を
背中に
「見て……銃を持ってる」
「戦争ばかりしている物騒な国じゃからな」
総勢百あまり、
「何しにきたんだろう……」
「澄花酒を狙っとるんじゃ」
「え……」
ふと強い風が吹いて、亜沙子の肩にかけていた薄絹が舞い上がった。
「あっ」
慌てて手を伸ばすが、高く舞い上がった衣は、そのまま滝の下へと落ちていった。
衣を追いかけて、凛夜の背中から滑り降りた亜沙子を、凛夜は焦って押しとどめようとした。
「いかん!」
「きゃっ」
天狼の鼻頭に弾かれ、亜沙子の身体は絶壁へ押し出された。枝を掴もうとした手は空を
「姫様!」
絶壁へ放り出された亜沙子を、凛夜が必死の形相で追いかけてくる。少年の姿に変わり、幼い容貌に反する強い力で、落下する亜沙子をしっかと抱き留めた。
(わあぁ――ッ! 凛夜、ごめん! ごめん――ッ!)
心の中で絶叫と謝罪をしながら、亜沙子は固く目を瞑った。
だが、恐れていた衝撃はいつまでたってもやってこない。
「――姫様、大丈夫?」
耳元で凛夜の声がする。恐る恐る瞳を開けると、心配そうに亜沙子を覗き込む金色の瞳と視線がぶつかった。幼い容貌ながら、確かな腕の中で亜沙子は護られていた。
「……平気。凛夜は?」
凛夜は、ほぅっと安堵の息をついた。忽ち天狼の姿に変わり、亜沙子を背に庇って
いつの間に降りてきたのか、和葉や、他の天狼も亜沙子を護るように取り囲んだ。
辺りは、水を打ったような静けさに包まれた。
武装した兵士たちは、畏れをなしたように、固唾を飲んでこちらを見ている。
彼等の中心には、美々しい
「あ……」
見覚えのある顔だった。夏祭りの夜、輿に乗ってやってきた彩国の大王だ。
彼も、亜沙子をじっと見つめている。
束の間、静寂が流れた。
動けずにいる亜沙子の背を、和葉は鼻頭で軽く突いた。振り向くと、和葉は身体を伏せて、乗って、と亜沙子に目で訴えてくる。
「いこう、姫様」
迷う素振りの亜沙子を見て、焦れたように和葉がいった。着物は気がかりだが、仕方がない。亜沙子は和葉の背に乗ろうとした。
「――お待ちください」
男が声をかけた。亜沙子はびくっとし、思わず動きを止める。
天狼たちは姿勢を引くし、唸り声を発した。
臨戦態勢を見て、兵士も長銃を構える。ガシャッと