燈幻郷奇譚
4章:天狼と見る夢 - 9 -
部屋に戻ると、亜沙子は灯りも点けずに窓辺でぼぅっとしていた。
窓から門を照らす烽火が見える。夜闇にゆらゆら揺れて、静謐 で幻想的な空気を醸 している。
遠くから宴の音が漏れ聞こえてきて、なんだか夏の終わりの夢を見ているような気分になる。
ぼんやり過ごしていると、灯里が一世の訪 いを告げた。
宴はもう終わったのだろうか?
疑問に思いながら扉を開くと、おろし髪の一世がいた。湯を浴びてきたのか、絣 の織物に着替えて、髪はしっとりと濡れている。
妖しい色香に亜沙子は眩暈を覚えた。動けずにいると、一世は亜沙子の髪に触れて、優艶にほほえんだ。
「こんばんは、入れてもらえる?」
「はい、どうぞ……」
部屋の中ほどに進み、亜沙子は寝椅子を勧めた。手持ち無沙汰で、茶を煎れようとする腕を取られた。
「亜沙子」
大きな手に指を搦め捕られて、身体に電流が走った。全神経が指先に向かう。
「あ……」
為すすべもなく立ち尽くしていると、腕を引かれて、一世の腕の中に転がりこんだ。気品のある伽羅が香る。
あの晩、この場で濃密に交わったことを思い出して、身体が火照 り始めた。
「あの、宴はいいのですか?」
咄嗟にいい繕うと、一世は微苦笑を零した。
「私がいてもいなくても、連中は朝まで騒いでいるよ」
「……笹良さんは?」
「知らぬ。満足したら、勝手に帰るだろう」
気遣うように訊ねておきながら、一世のぞんざいな口調に、亜沙子は仄暗い悦びを覚えた。
「こうされるのは、嫌?」
優しい腕の中で、亜沙子はかぶりを振った。
「……平気?」
耳に吐息を吹きこむように囁かれて、亜沙子の全身に熱い漣 が拡がった。伽羅が香る。
「一世さん」
不意に理性が頭をもたげて、身体を離そうとすると、逆に腰を引き寄せられた。優しい檻から抜け出すべきか迷う。答えを出す前に、もう一度首筋に吐息がかかった。
目と目が合う。
神秘的な蒼と金の瞳の奥には、烈しさと静けさを宿して、渾然一体となって溶け合っているような、そんな光がうかがえた。
「……ねぇ、亜沙子」
「はい?」
「さっき沈んだ顔をしていた理由は、私が考えている通りでいい?」
「――……」
何もかも見透かされているようで、眼を合わせることができない。俯きがちに視線を足元に落としていると、一世は腰を屈めて、亜沙子の目の高さと同じにした。
「ッ」
「亜沙子?」
視線を泳がせる亜沙子の肩に手を置いて、一世は顔を覗きこんでくる。
「……すみません。大人げのない態度でした。お恥ずかしい」
観念して白状すると、一世は虚を突かれたように目を瞬かせた。
「そんなことはないよ。拗ねる姿も愛らしい。もっと甘えてほしいくらいだよ」
甘い台詞に、亜沙子の心臓は宙返りした。
恋など、するものではないのに。
胸を焦がす、この煮えたぎる恋情を捨てられたら、どれほど楽だろう。何万遍も思った。
でも、一目見るだけで、どうしようもないほど惹かれてしまう。優麗な立ち居振る舞い、優しい腕も声も、全てに魅了される。
ちっとも、想いを抑えることができない。
俯く亜沙子の顎にそっと手をあてがうと、一世は端正な顔を近づけた。
「亜沙子はかわいいよ。いとけないと思っていたけれど、今は違う……」
艶を含んだ掠れ気味の声に、背筋がぞくっと慄 えた。
「この小さなふっくらした唇が、私を誘うんだ」
唇に視線が落ちたと思ったら、一世がぐっと迫ってきた。焦って、押しのけようとした手を搦め捕られた。
「あ……」
目を合わせたまま、掌の柔らかいところを優しく吸われる。
こんな風に、彼に誘惑された女はどれだけいたのだろう……刺すような痛みが胸に走ったが、指を甘噛みされた瞬間に霧散した。
そっと眼を閉じると、狂おしいほどの口づけと抱擁に襲われた。
「んぅ」
忽 ち官能的な唇に夢中になった。お互いの荒い吐息が、耳朶に反響 する。
帯が解かれて、襦袢の襟が緩んだ。
衣擦れの音を立てながら、亜沙子は露になった腕を一世の首に搦めた。
刹那的であっても、身体を重ねている間は、あらゆる悩みや不安から遠ざかっていられる。
唇をついばみながら、一世は亜沙子の裸身を抱き上げ、寝室の扉を開いた。亜沙子の身体を優しく寝台に横たえ、膝をついて覆い被さる。
窓から斜めに入る月明かりが、一世の上半身を銀色に照らしている。
服を着ている時は、一見、ほっそりとして見えるが、しなやかな筋肉を纏った鋼のような肉体だ。
永遠に衰えることのない、美しい身体。
引き締まった腹筋に手を這わせると、ドクンッ、と掌の下で強く脈打った。一世は端正な顔を欲望に歪ませ、唸るように亜沙子を組み敷いた。
「あぁっ」
密やかな夜の静寂 に、あえかな声が響く。
乳房や腰や太ももを熱い掌になぞられ、身体の芯に欲情の焔 を灯されていく。熱い身体が亜沙子を包み、揺さぶって、貫いた。
花宵は更けてゆく。
窓の向こうに、満月が浮いている。蒼い炎に身を任せて、亜沙子はそっと瞳を閉じた。
窓から門を照らす烽火が見える。夜闇にゆらゆら揺れて、
遠くから宴の音が漏れ聞こえてきて、なんだか夏の終わりの夢を見ているような気分になる。
ぼんやり過ごしていると、灯里が一世の
宴はもう終わったのだろうか?
疑問に思いながら扉を開くと、おろし髪の一世がいた。湯を浴びてきたのか、
妖しい色香に亜沙子は眩暈を覚えた。動けずにいると、一世は亜沙子の髪に触れて、優艶にほほえんだ。
「こんばんは、入れてもらえる?」
「はい、どうぞ……」
部屋の中ほどに進み、亜沙子は寝椅子を勧めた。手持ち無沙汰で、茶を煎れようとする腕を取られた。
「亜沙子」
大きな手に指を搦め捕られて、身体に電流が走った。全神経が指先に向かう。
「あ……」
為すすべもなく立ち尽くしていると、腕を引かれて、一世の腕の中に転がりこんだ。気品のある伽羅が香る。
あの晩、この場で濃密に交わったことを思い出して、身体が
「あの、宴はいいのですか?」
咄嗟にいい繕うと、一世は微苦笑を零した。
「私がいてもいなくても、連中は朝まで騒いでいるよ」
「……笹良さんは?」
「知らぬ。満足したら、勝手に帰るだろう」
気遣うように訊ねておきながら、一世のぞんざいな口調に、亜沙子は仄暗い悦びを覚えた。
「こうされるのは、嫌?」
優しい腕の中で、亜沙子はかぶりを振った。
「……平気?」
耳に吐息を吹きこむように囁かれて、亜沙子の全身に熱い
「一世さん」
不意に理性が頭をもたげて、身体を離そうとすると、逆に腰を引き寄せられた。優しい檻から抜け出すべきか迷う。答えを出す前に、もう一度首筋に吐息がかかった。
目と目が合う。
神秘的な蒼と金の瞳の奥には、烈しさと静けさを宿して、渾然一体となって溶け合っているような、そんな光がうかがえた。
「……ねぇ、亜沙子」
「はい?」
「さっき沈んだ顔をしていた理由は、私が考えている通りでいい?」
「――……」
何もかも見透かされているようで、眼を合わせることができない。俯きがちに視線を足元に落としていると、一世は腰を屈めて、亜沙子の目の高さと同じにした。
「ッ」
「亜沙子?」
視線を泳がせる亜沙子の肩に手を置いて、一世は顔を覗きこんでくる。
「……すみません。大人げのない態度でした。お恥ずかしい」
観念して白状すると、一世は虚を突かれたように目を瞬かせた。
「そんなことはないよ。拗ねる姿も愛らしい。もっと甘えてほしいくらいだよ」
甘い台詞に、亜沙子の心臓は宙返りした。
恋など、するものではないのに。
胸を焦がす、この煮えたぎる恋情を捨てられたら、どれほど楽だろう。何万遍も思った。
でも、一目見るだけで、どうしようもないほど惹かれてしまう。優麗な立ち居振る舞い、優しい腕も声も、全てに魅了される。
ちっとも、想いを抑えることができない。
俯く亜沙子の顎にそっと手をあてがうと、一世は端正な顔を近づけた。
「亜沙子はかわいいよ。いとけないと思っていたけれど、今は違う……」
艶を含んだ掠れ気味の声に、背筋がぞくっと
「この小さなふっくらした唇が、私を誘うんだ」
唇に視線が落ちたと思ったら、一世がぐっと迫ってきた。焦って、押しのけようとした手を搦め捕られた。
「あ……」
目を合わせたまま、掌の柔らかいところを優しく吸われる。
こんな風に、彼に誘惑された女はどれだけいたのだろう……刺すような痛みが胸に走ったが、指を甘噛みされた瞬間に霧散した。
そっと眼を閉じると、狂おしいほどの口づけと抱擁に襲われた。
「んぅ」
帯が解かれて、襦袢の襟が緩んだ。
衣擦れの音を立てながら、亜沙子は露になった腕を一世の首に搦めた。
刹那的であっても、身体を重ねている間は、あらゆる悩みや不安から遠ざかっていられる。
唇をついばみながら、一世は亜沙子の裸身を抱き上げ、寝室の扉を開いた。亜沙子の身体を優しく寝台に横たえ、膝をついて覆い被さる。
窓から斜めに入る月明かりが、一世の上半身を銀色に照らしている。
服を着ている時は、一見、ほっそりとして見えるが、しなやかな筋肉を纏った鋼のような肉体だ。
永遠に衰えることのない、美しい身体。
引き締まった腹筋に手を這わせると、ドクンッ、と掌の下で強く脈打った。一世は端正な顔を欲望に歪ませ、唸るように亜沙子を組み敷いた。
「あぁっ」
密やかな夜の
乳房や腰や太ももを熱い掌になぞられ、身体の芯に欲情の
花宵は更けてゆく。
窓の向こうに、満月が浮いている。蒼い炎に身を任せて、亜沙子はそっと瞳を閉じた。