奇跡のように美しい人
2章:謳歌 - 3 -
夜も更けた頃、佳蓮はレインジールの随伴を受け、星駆馬の牽く馬車に乗って白の玻璃城に向かった。一度くらい、広域星路陣で転移せず、外から眺めてみたかったのだ。
ポプラ並木の奥、夜の水面から浮かびあがるその姿は、童話に描かれたお城のように優雅で、静謐で、圧倒的だった。
星明かりと灯火を浴びた石灰岩は、青と金にしっとりと濡れ、煌めいている。
「うわぁ、素敵……」
陶酔めいた呟きを漏らす佳蓮を、レインジールは静かに微笑しながら見ていた。
皇城に到着してからも、佳蓮は夢見心地だった。
茶席を設けられた温室の中央には火鉢が据えられ、暖かな火が静かに燃えている。
硝子の天穹越しに、宝石を鏤めたように瞬く惑星状星雲。円蓋からは、細い鎖に結ばれた角灯が幾つも吊るされ、萌えたつ緑を蜜を含んだ黄金へと染めあげている。
梁には蔓が這い、葉は月光と灯火を受けて、翡翠から琥珀へとゆるやかに色を変えていく。
床に置かれた灯は絨毯に柔らかな影を落とし、そこに咲く草花は、夜そのものを吸って密やかに息づいているようだった。
素敵な演出に胸を高鳴らせていると、眩い装いの二人が歩み寄ってきた。
「こんばんは、流星の女神。ようこそ、月夜の宴へ」
月桂樹の冠を載いたシリウス皇太子は、さながら真夏の夜の夢に登場する妖精王のように、慇懃な仕草で一礼した。
「お招きいただき、ありがとうございます」
佳蓮も粋な演出に応えて、深く膝を折って、芝居がかった挨拶を返す。
「ご機嫌よう、ハスミ様」
つんと顎を反らし、高飛車にいい放ったのは、シリウス皇太子の婚約者――キララ・アンネ・マクランタだ。佳蓮をライバル視する急先鋒である。
社交の華と称されるキララは、真紅の髪を片側に緩く巻いて、深緑のドレスに身を包んでいた。
「ご機嫌よう、キララ様」
お辞儀する佳蓮を、キララは羽飾りの扇子で口元を隠し、検分するような目で眺める。
今夜の佳蓮は、夜の帳のような深い紫紺から、漆黒へと沈みゆくドレスを纏っていた。
緩く巻いた髪を背に垂らし、金と青に輝く天象の装身具を星図のように飾っている。薄絹を重ねた袖は月光を含み、身じろぐたび、微細な星屑が静かに瞬いた。
その姿に粗を見つけられなかったようで、今度はレインジールに視線を移すと、キララは瞳に意地の悪い光を灯した。
「おかわいらしい紳士ですこと。後ほど、お二人のダンスも披露してくださるのかしら?」
小馬鹿にした物言いに怯むことなく、佳蓮は笑顔で応じる。
「私の小さな紳士は、とてもかわいいでしょう? 踊るのは苦手なので、誰とも踊りません。こんな私でも、レインは退屈せず傍にいてくれるんです」
嬉しそうに語る佳蓮を、キララは扇で表情を隠しながら見つめた。
「女神の舞う姿を見られないなんて、殿方はがっかりするでしょうね」
「でしたら、私の分までキララ様が踊ってくださいませ。目の保養にさせていただきますわ」
「もう見飽きたのではなくて? たまには、私も目の保養を楽しみたいですわ」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。本当に踊るのは苦手ですから」
柔らかく、しかりきっぱりと辞退すると、キララは一瞬白けた顔になり、すぐに笑みを繕った。
一見すれば和やかに笑みを浮かべる二人を、集まった人々は興味津々、賞賛のまじった眼差しで眺めている。シリウス皇太子もまた苦笑を浮かべつつ、無自覚な熱を宿した眼差しで佳蓮を見つめていた。
佳蓮はちらりと隣の少年を盗み見る。
こういう場面で、レインジールは一貫して柔和な笑みを崩さない。卑屈な心を捻じ伏せ、堂々と顔をあげて傍にいてくれる。
「少し、足が疲れたので……休憩して参ります」
声にしない彼の心情を慮り、そっと注目の輪から外れるのは、いつも佳蓮の役目だった。
人の輪を離れると、レインジールが気遣わしげな視線をよこした。
「平気だよ」
笑みかけると、彼も安心したように笑い返した。
社交界では今、佳蓮とキララ、そしてシリウス皇太子を巡る恋模様が格好の噂噺になっている。
美しい女神に皇子は心を奪われ、皇子に恋するキララは、女神の美しさに嫉妬していると面白がっているのだ。
世間では、佳蓮とキララは水と油のように相容れぬと思われているが、誤解である。少なくとも佳蓮は、キララの優雅な言葉遣いや典雅な所作を、お手本にしているくらいだ。
彼女は社交に長けながら、人に阿ることを良しとしない。佳蓮に対しても、不満を直接ぶつけてくる潔い性格をしている。
嫉視を煩わしく思う時もあるが、はっきりした物言いをするキララを、苦手に思っていても嫌いではなかった。
それにしても、女同士のしがらみは世界を隔てても健在らしい。
近頃は、佳蓮とキララを天秤にかけ、どちらに与するか計算する者まで現れていた。
次の休息日である。
繚乱たる令嬢が集う、キララ主催の〝春告の花飲茶会〟へと佳蓮は招かれていた。
庭園は春めいて、蔦は芽吹き、薄桃色の薔薇は、仄かな香を陽光に溶かしている。
噴水の水音は、冬をほどく春告げのようにやわらかく、白絹のかけられた長卓には、葩の菓子と薄青の茶器が配されていた。
主たるキララは、自慢の庭園に客人を迎え、薄青のティーポットを自らの手で傾けている。注がれる桃色の雫は、葩を溶かし、春を器に落とすかのようだった。
「キララ様が、ハスミ様に敵うわけがありませんのに」
佳蓮の隣で、先ほどから小声で不満を漏らしている令嬢は、エリという名の少女だ。
皇都に住む叔母のもとで行儀見習をしているらしい。年の頃は一五ほど。藤色の巻き髪に、佳蓮の基準ではなかなか整った顔立ちをしている。
美味しい紅茶を楽しみたいところだが、エリの途切れない毒舌ぶりに、佳蓮はすっかり辟易していた。
「……私は、キララ様のこと、結構好きですよ」
やんわりと返すと、エリは戸惑ったように瞳を瞬かせた。
「……そうですの?」
「はい。思ったことを隠さずおっしゃる、潔い方だと思います」
「まぁ……ご不快ではありませんの?」
「そう思った時は、私も言い返していますから、おあいこです。皆さんが思うほど険悪でもありませんし、案外、楽しくお喋りしていますよ」
「そうですの……」
期待を裏切られたように、エリはどこかつまらなさそうな相槌を打った。
「ご機嫌よう、エリ様。私の噂話かしら?」
背後からかけられた声に、エリはびくりと肩を震わせた。振り向いた先には、悠然と佇むキララの姿。
「エリ様、仲良くする相手を乗り換えたのかしら? さすが、流行に敏感な方は違いますわね」
強烈な嫌味に、エリの頬がさっと赤く染まる。
ぴりっとした空気に、佳蓮はどうしたものかと思う一方で、堂々と割って入るキララの胆力に、感心もしていた。
「女神様、お優しいお言葉をありがとうございます。地上にいらしても、こうして暖かく見守ってくださるのですね」
笑顔とは裏腹に、言葉には棘が潜んでいる……気がする。
返答に迷う佳蓮を見て、キララは満足そうに笑ったかと思うと、パチリと片目を瞑ってみせた。
「あら? 小気味いい啖呵は、もう在庫切れですの?」
からかうような口調に、佳蓮はようやく肩の力を抜いた。どうやら、嫌われているわけではなさそうだ。
「……とりとめのない話です。お気を悪くなさったなら、ごめんなさい」
その先を続けるか迷っていると、葛藤を見透かしたようにキララは笑った。
「ハスミ様が謝ることではありませんわ。ねぇ?」
同意を求められたエリは、盛大に狼狽えた。その様子をたっぷり眺めてから、キララは淡々と言い放つ。
「私の茶会で、不作法は見逃せませんの。楽しくお話しできないのなら、どうぞ、お帰りになって?」
女王然とした眼差しで、むっつりと黙りこむエリを見下ろした後、灰紫の瞳を佳蓮に向けた。
「これから、〝春林檎の微睡〟を振る舞いますわ。こちらにいらっしゃる?」
気遣いの滲む誘いに、佳蓮の胸が温かくなる。彼女がこんなに優しいとは知らなかった。
悄気返って俯くエリを放っておくのもかわいそうで、佳蓮は視線を戻した。
「ありがとうございます、キララ様。後ほど、ぜひ」
扇をパチリと弾いて、そう? とキララは小首を傾げる。一五の少女がするには大人びた仕草だが、彼女にはよく似合っていた。
優雅に去っていく背を見送り、佳蓮は改めてエリに向き直った。
「噂話は、ほどほどにしないといけませんね」
やんわり窘めると、
「……気にすることはありませんわ。キララ様は、はっきりした物言いをされる方ですから」
的外れな感想を述べるエリに、佳蓮はため息を堪えて首を振った。
「彼女は悪くありません。自分の知らないところで、噂をされるのは、誰だっていい気分じゃありませんよ」
控えめに釘を刺すと、エリは罰の悪そうな顔で頷いた。彼女が思うほど、キララは意地悪ではない。落ちこむエリを半ば強引に誘い、佳蓮はキララの席に着いた。
キララはエリを一瞥したが、彼女にも〝春林檎の微睡〟を振る舞ってくれた。
冷たい飲み物で、クリスタルグラスに薄紅の炭酸果汁が、真珠のような気泡を連ねて踊っている。、林檎の果肉と淡桃色の葩が、うとうとと微睡んでいるみたいだ。
春らしい色彩の飲み物に、先ほどまで沈んでいたエリの面輪からも、ようやく影が払われた。隣の令嬢と会話を弾ませる様子を見て、佳蓮はようやく、気兼ねなく茶席を楽しむことができた。
宴もたけなわ。
中庭を通って、広域星路陣に向かって歩いていると、対面からシリウス皇太子がやってきた。
一瞬、気づかないふりをしようか迷ったが、表情を綻ばせたシリウス皇太子に名を呼ばれ、逃げ損ねた。
「ハスミ様。これは幸運だ、偶然お会いできるとは」
「ご機嫌よう、シリウス殿下」
「茶会は、もう終わってしまいましたか?」
「ええ、帰るところです」
「それは残念。喉が渇いているのに、紅茶を飲み損ねましたよ」
佳蓮は微笑に留め、言葉を返さなかった。
早く会話を終わらせたい――心情を見透かしたように、シリウス皇太子は如才ない笑みを浮かべた。
「素直な方だ。帰りたいと、顔に書いてありますよ」
図星を突かれ、佳蓮は気まずげに視線を逸らした。
「おかわいらしい。レインジールが羨ましいな。貴方の傍にいられるのなら、私も星杯を捧げたのに」
軽口のようでいて、どこか引っかかる言葉だった。真意を探ろうにも、心を読ませぬ鉄壁の笑みに阻まれた。
「……戯言です。忘れてください。少し歩きませんか?」
そう言うと、佳蓮の返事も待たずにシリウスは歩き始めた。
仕方なく横に並んだその瞬間、間の悪いことにキララと鉢合わせた。
シリウスを見て、ぱっと表情を明るくしたキララは、隣に佳蓮がいるのを見て笑みを消した。
「こんにちは、キララ嬢。遅くなって、すみません」
「待ちくたびれましたわ」
差しだされた手に、シリウス皇太子は慣れた様子で指先に口づける。
互いを美男美女と信じて疑わない二人の立ち居振る舞いは、鷹揚として美しかった。
当初は視界の違和感を拭えなかったが、今はそうでもない。慣れもあるが、育ちの良さを物語る典雅な所作は、本当に美しかった。
「シリウス殿下、キララ様をお送りください。私はもう、お暇いたしますから」
訝しむキララに、佳蓮は片目を瞑ってみせた。
彼女からシリウス皇太子を奪うつもりはない。うっかりにでも誘惑しないよう、邪険にしているくらいだ。
そのやり取りを面白がるように、シリウス皇太子は二人の顔を見比べている。
毒気を抜かれたようなキララに背を向け、佳蓮は時計塔に戻った。
ポプラ並木の奥、夜の水面から浮かびあがるその姿は、童話に描かれたお城のように優雅で、静謐で、圧倒的だった。
星明かりと灯火を浴びた石灰岩は、青と金にしっとりと濡れ、煌めいている。
「うわぁ、素敵……」
陶酔めいた呟きを漏らす佳蓮を、レインジールは静かに微笑しながら見ていた。
皇城に到着してからも、佳蓮は夢見心地だった。
茶席を設けられた温室の中央には火鉢が据えられ、暖かな火が静かに燃えている。
硝子の天穹越しに、宝石を鏤めたように瞬く惑星状星雲。円蓋からは、細い鎖に結ばれた角灯が幾つも吊るされ、萌えたつ緑を蜜を含んだ黄金へと染めあげている。
梁には蔓が這い、葉は月光と灯火を受けて、翡翠から琥珀へとゆるやかに色を変えていく。
床に置かれた灯は絨毯に柔らかな影を落とし、そこに咲く草花は、夜そのものを吸って密やかに息づいているようだった。
素敵な演出に胸を高鳴らせていると、眩い装いの二人が歩み寄ってきた。
「こんばんは、流星の女神。ようこそ、月夜の宴へ」
月桂樹の冠を載いたシリウス皇太子は、さながら真夏の夜の夢に登場する妖精王のように、慇懃な仕草で一礼した。
「お招きいただき、ありがとうございます」
佳蓮も粋な演出に応えて、深く膝を折って、芝居がかった挨拶を返す。
「ご機嫌よう、ハスミ様」
つんと顎を反らし、高飛車にいい放ったのは、シリウス皇太子の婚約者――キララ・アンネ・マクランタだ。佳蓮をライバル視する急先鋒である。
社交の華と称されるキララは、真紅の髪を片側に緩く巻いて、深緑のドレスに身を包んでいた。
「ご機嫌よう、キララ様」
お辞儀する佳蓮を、キララは羽飾りの扇子で口元を隠し、検分するような目で眺める。
今夜の佳蓮は、夜の帳のような深い紫紺から、漆黒へと沈みゆくドレスを纏っていた。
緩く巻いた髪を背に垂らし、金と青に輝く天象の装身具を星図のように飾っている。薄絹を重ねた袖は月光を含み、身じろぐたび、微細な星屑が静かに瞬いた。
その姿に粗を見つけられなかったようで、今度はレインジールに視線を移すと、キララは瞳に意地の悪い光を灯した。
「おかわいらしい紳士ですこと。後ほど、お二人のダンスも披露してくださるのかしら?」
小馬鹿にした物言いに怯むことなく、佳蓮は笑顔で応じる。
「私の小さな紳士は、とてもかわいいでしょう? 踊るのは苦手なので、誰とも踊りません。こんな私でも、レインは退屈せず傍にいてくれるんです」
嬉しそうに語る佳蓮を、キララは扇で表情を隠しながら見つめた。
「女神の舞う姿を見られないなんて、殿方はがっかりするでしょうね」
「でしたら、私の分までキララ様が踊ってくださいませ。目の保養にさせていただきますわ」
「もう見飽きたのではなくて? たまには、私も目の保養を楽しみたいですわ」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。本当に踊るのは苦手ですから」
柔らかく、しかりきっぱりと辞退すると、キララは一瞬白けた顔になり、すぐに笑みを繕った。
一見すれば和やかに笑みを浮かべる二人を、集まった人々は興味津々、賞賛のまじった眼差しで眺めている。シリウス皇太子もまた苦笑を浮かべつつ、無自覚な熱を宿した眼差しで佳蓮を見つめていた。
佳蓮はちらりと隣の少年を盗み見る。
こういう場面で、レインジールは一貫して柔和な笑みを崩さない。卑屈な心を捻じ伏せ、堂々と顔をあげて傍にいてくれる。
「少し、足が疲れたので……休憩して参ります」
声にしない彼の心情を慮り、そっと注目の輪から外れるのは、いつも佳蓮の役目だった。
人の輪を離れると、レインジールが気遣わしげな視線をよこした。
「平気だよ」
笑みかけると、彼も安心したように笑い返した。
社交界では今、佳蓮とキララ、そしてシリウス皇太子を巡る恋模様が格好の噂噺になっている。
美しい女神に皇子は心を奪われ、皇子に恋するキララは、女神の美しさに嫉妬していると面白がっているのだ。
世間では、佳蓮とキララは水と油のように相容れぬと思われているが、誤解である。少なくとも佳蓮は、キララの優雅な言葉遣いや典雅な所作を、お手本にしているくらいだ。
彼女は社交に長けながら、人に阿ることを良しとしない。佳蓮に対しても、不満を直接ぶつけてくる潔い性格をしている。
嫉視を煩わしく思う時もあるが、はっきりした物言いをするキララを、苦手に思っていても嫌いではなかった。
それにしても、女同士のしがらみは世界を隔てても健在らしい。
近頃は、佳蓮とキララを天秤にかけ、どちらに与するか計算する者まで現れていた。
次の休息日である。
繚乱たる令嬢が集う、キララ主催の〝春告の花飲茶会〟へと佳蓮は招かれていた。
庭園は春めいて、蔦は芽吹き、薄桃色の薔薇は、仄かな香を陽光に溶かしている。
噴水の水音は、冬をほどく春告げのようにやわらかく、白絹のかけられた長卓には、葩の菓子と薄青の茶器が配されていた。
主たるキララは、自慢の庭園に客人を迎え、薄青のティーポットを自らの手で傾けている。注がれる桃色の雫は、葩を溶かし、春を器に落とすかのようだった。
「キララ様が、ハスミ様に敵うわけがありませんのに」
佳蓮の隣で、先ほどから小声で不満を漏らしている令嬢は、エリという名の少女だ。
皇都に住む叔母のもとで行儀見習をしているらしい。年の頃は一五ほど。藤色の巻き髪に、佳蓮の基準ではなかなか整った顔立ちをしている。
美味しい紅茶を楽しみたいところだが、エリの途切れない毒舌ぶりに、佳蓮はすっかり辟易していた。
「……私は、キララ様のこと、結構好きですよ」
やんわりと返すと、エリは戸惑ったように瞳を瞬かせた。
「……そうですの?」
「はい。思ったことを隠さずおっしゃる、潔い方だと思います」
「まぁ……ご不快ではありませんの?」
「そう思った時は、私も言い返していますから、おあいこです。皆さんが思うほど険悪でもありませんし、案外、楽しくお喋りしていますよ」
「そうですの……」
期待を裏切られたように、エリはどこかつまらなさそうな相槌を打った。
「ご機嫌よう、エリ様。私の噂話かしら?」
背後からかけられた声に、エリはびくりと肩を震わせた。振り向いた先には、悠然と佇むキララの姿。
「エリ様、仲良くする相手を乗り換えたのかしら? さすが、流行に敏感な方は違いますわね」
強烈な嫌味に、エリの頬がさっと赤く染まる。
ぴりっとした空気に、佳蓮はどうしたものかと思う一方で、堂々と割って入るキララの胆力に、感心もしていた。
「女神様、お優しいお言葉をありがとうございます。地上にいらしても、こうして暖かく見守ってくださるのですね」
笑顔とは裏腹に、言葉には棘が潜んでいる……気がする。
返答に迷う佳蓮を見て、キララは満足そうに笑ったかと思うと、パチリと片目を瞑ってみせた。
「あら? 小気味いい啖呵は、もう在庫切れですの?」
からかうような口調に、佳蓮はようやく肩の力を抜いた。どうやら、嫌われているわけではなさそうだ。
「……とりとめのない話です。お気を悪くなさったなら、ごめんなさい」
その先を続けるか迷っていると、葛藤を見透かしたようにキララは笑った。
「ハスミ様が謝ることではありませんわ。ねぇ?」
同意を求められたエリは、盛大に狼狽えた。その様子をたっぷり眺めてから、キララは淡々と言い放つ。
「私の茶会で、不作法は見逃せませんの。楽しくお話しできないのなら、どうぞ、お帰りになって?」
女王然とした眼差しで、むっつりと黙りこむエリを見下ろした後、灰紫の瞳を佳蓮に向けた。
「これから、〝春林檎の微睡〟を振る舞いますわ。こちらにいらっしゃる?」
気遣いの滲む誘いに、佳蓮の胸が温かくなる。彼女がこんなに優しいとは知らなかった。
悄気返って俯くエリを放っておくのもかわいそうで、佳蓮は視線を戻した。
「ありがとうございます、キララ様。後ほど、ぜひ」
扇をパチリと弾いて、そう? とキララは小首を傾げる。一五の少女がするには大人びた仕草だが、彼女にはよく似合っていた。
優雅に去っていく背を見送り、佳蓮は改めてエリに向き直った。
「噂話は、ほどほどにしないといけませんね」
やんわり窘めると、
「……気にすることはありませんわ。キララ様は、はっきりした物言いをされる方ですから」
的外れな感想を述べるエリに、佳蓮はため息を堪えて首を振った。
「彼女は悪くありません。自分の知らないところで、噂をされるのは、誰だっていい気分じゃありませんよ」
控えめに釘を刺すと、エリは罰の悪そうな顔で頷いた。彼女が思うほど、キララは意地悪ではない。落ちこむエリを半ば強引に誘い、佳蓮はキララの席に着いた。
キララはエリを一瞥したが、彼女にも〝春林檎の微睡〟を振る舞ってくれた。
冷たい飲み物で、クリスタルグラスに薄紅の炭酸果汁が、真珠のような気泡を連ねて踊っている。、林檎の果肉と淡桃色の葩が、うとうとと微睡んでいるみたいだ。
春らしい色彩の飲み物に、先ほどまで沈んでいたエリの面輪からも、ようやく影が払われた。隣の令嬢と会話を弾ませる様子を見て、佳蓮はようやく、気兼ねなく茶席を楽しむことができた。
宴もたけなわ。
中庭を通って、広域星路陣に向かって歩いていると、対面からシリウス皇太子がやってきた。
一瞬、気づかないふりをしようか迷ったが、表情を綻ばせたシリウス皇太子に名を呼ばれ、逃げ損ねた。
「ハスミ様。これは幸運だ、偶然お会いできるとは」
「ご機嫌よう、シリウス殿下」
「茶会は、もう終わってしまいましたか?」
「ええ、帰るところです」
「それは残念。喉が渇いているのに、紅茶を飲み損ねましたよ」
佳蓮は微笑に留め、言葉を返さなかった。
早く会話を終わらせたい――心情を見透かしたように、シリウス皇太子は如才ない笑みを浮かべた。
「素直な方だ。帰りたいと、顔に書いてありますよ」
図星を突かれ、佳蓮は気まずげに視線を逸らした。
「おかわいらしい。レインジールが羨ましいな。貴方の傍にいられるのなら、私も星杯を捧げたのに」
軽口のようでいて、どこか引っかかる言葉だった。真意を探ろうにも、心を読ませぬ鉄壁の笑みに阻まれた。
「……戯言です。忘れてください。少し歩きませんか?」
そう言うと、佳蓮の返事も待たずにシリウスは歩き始めた。
仕方なく横に並んだその瞬間、間の悪いことにキララと鉢合わせた。
シリウスを見て、ぱっと表情を明るくしたキララは、隣に佳蓮がいるのを見て笑みを消した。
「こんにちは、キララ嬢。遅くなって、すみません」
「待ちくたびれましたわ」
差しだされた手に、シリウス皇太子は慣れた様子で指先に口づける。
互いを美男美女と信じて疑わない二人の立ち居振る舞いは、鷹揚として美しかった。
当初は視界の違和感を拭えなかったが、今はそうでもない。慣れもあるが、育ちの良さを物語る典雅な所作は、本当に美しかった。
「シリウス殿下、キララ様をお送りください。私はもう、お暇いたしますから」
訝しむキララに、佳蓮は片目を瞑ってみせた。
彼女からシリウス皇太子を奪うつもりはない。うっかりにでも誘惑しないよう、邪険にしているくらいだ。
そのやり取りを面白がるように、シリウス皇太子は二人の顔を見比べている。
毒気を抜かれたようなキララに背を向け、佳蓮は時計塔に戻った。