奇跡のように美しい人

3章:決意 - 3 -

 時計塔を出ていくことに決めた。
 とはいえ、まだ了承は得ていない。あの夜から、対立することを恐れて話せずにいる。説得は難航しそうだが、避けては通れない道だ。
 いけないと思いつつ、対決を後回しにして旅立ちの算段を少しずつ整えていると、シリウスから茶会の招待状が届いた。
 断ろうか迷ったが、これが最後になるかもしれない。そう思い、招待を受けることにした。普段は開放していない、王宮の白薔薇園で催すと聞いて、好奇心が疼いたというのもある。
 出席したいとレインジールに請うと、いい顔をしなかったものの、最終的には許可をくれた。

 過ぎゆく夏の、ファジアル・リュ・シアン城。
 茶会の主役、シリウスは相変わらず大人気で、令嬢達にあっという間に囲まれた。輪の外から眺めていた佳蓮は、彼の巧みな話術にはまり、気付けば隣で雑談をしている。

「それにしても、レインジールはよく貴方を一人でよこしましたね」

 しみじみといわれて、佳蓮はかぶりを振った。

「後からきますよ」

「なるほど。最近は特に忙しそうにしていますね。彼の想像力は眼を瞠るものがあります」

 レインジールを褒められて、佳蓮は思わず笑顔になった。

「レインは、シリウス様にも評価されているんですね」

「当然です。この数年で、彼は幾つもの魔術を編み出したのですから」

「さすが、レイン」

 彼のたえなる美徳なのか、身構えて会話を始めても、いつの間にか引き込まれてしまう。猜疑心の強い佳蓮ですらそうなのだから、世間知らずな箱入りの娘などイチコロだろう。

「おや、噂をすれば……女性といるのは珍しいですね」

 えっ、と佳蓮はシリウスの視線の先を辿った。どちらかというと地味な印象の少女が、楽しそうにレインジールと談笑している。

「本当だ。誰だろう?」

 互いに気のれた仲のようだ。傍目にも会話が弾んでいる様子が判る。レインジールが仕事以外で、同年代の少女と口を利いている姿を、初めて目の当たりにした。

「プリシラ嬢ですね。確か、婚約を解消したと思ったけれど」

「え?」

 眼を瞠る佳蓮を見て、シリウスは以外そうに眼を瞬いた。

「彼から聞いていませんか?」

「名前だけは……」

 心ここに在らずで呟くと、改めてレインジールと喋っている少女に視線を戻した。
 そもそも、いつからきていたのだろう?
 一言声をかけてくれれば良かったのに。二人を見ていると、胸の辺りがもやもやしてくる。視線に気付いたように、レインジールもこちらを向いた。
 物言いたげな視線に、彼の遠慮が見てとれた。シリウスと談笑しているところへ、割って入るのは躊躇われたのだろう。
 輪を離れて佳蓮の方から傍へ寄ると、レインジールも近付いてきた。プリシラも緊張した面持ちでついてくる。

「ごきげんよう、女神様」

「初めまして。羽澄です」

 笑みかけると、プリシラは眼元を染めて嬉しそうに笑った。地味な印象の顔立ちだが、反応はかわいらしい。

「庭園を少し歩いてみますか?」

 当たり前のように佳蓮をエスコートしようとするレインジールを見て、咄嗟に隣の少女を見た。少し寂しそうにしている。婚約を解消したと聞いているが、プリシラが望んだことではなかったのかもしれない。

「いいの? せっかく会えたのだし、もう少し二人で話したら?」

 水を向けると、レインジールは強張った表情で佳蓮を見た。

「いいえ。佳蓮を待つ間、立ち話をしていただけですから」

「でも――」

「貴方を一人にできません。ご一緒させてください」

 拒否を受けつけない強い口調に、佳蓮は困ったように首を傾けた。

「……いいの?」

 佳蓮の視線を辿って、レインジールは少女を一瞥すると、すぐに一途な視線を佳蓮に戻した。

「構いません。プリシラ、それではまた」

「ええ。ごきげんよう」

 プリシラは毅然と顔を上げて、淑女らしいお辞儀をした。背を向けて、離れていく。二人になると、佳蓮は迷ったように切り出した。

「……かわいい子じゃん。良かったの?」

「私には、佳蓮の方が大切です」

「なんだかなぁ……」

「佳蓮?」

「一緒にいすぎたんだね、私達」

 自嘲めいた笑みを浮かべる佳蓮を、レインジールは怪訝そうに見ている。
 時々、レインジールに一日を管理されているようで腹立たしい、そう不満に思うこともあるが、逆なのかもしれない。
 佳蓮の方こそ、彼が本来歩むべき未来を、阻んでいるのかもしれない。
 容貌に関係なく、レインジールの家柄や莫大な富、穏やかな性格や明晰さ、十歳で要職に就いた優れた才能は、十分魅力的なはずだ。
 それなのに、あの頃から少しも変わらずにレインジールは佳蓮を慕い、傍にいる。
 彼の青春を、台無しにしてしまったのでは?
 佳蓮が傍にいると、レインジールは佳蓮しか見ない。他にも出会いや生き方があることを、知ろうともしないのだ。

「私、なるべく早く時計塔を出ていくよ」

 絶望の表情を浮かべるレインジールを見て、佳蓮は哀しい気持ちでほほえんだ。

「決断が遅すぎた。もっと早く、出ていくべきだったよ」

「塔を出て、どうするおつもりですか?」

「少しだけ、資金を貸してください。贅沢はしない。いつか働いて返します」

「そういうことを訊いているのではありません」

 低めた声に怒気が滲む。怯みそうになりながら、佳蓮は昂然と胸を反らした。

「ねぇ、私の方が年上だって覚えてる? レインの先輩なんだからね。指図しないで」

「指図だなんて」

「レインに頼らず一人でやってみたいの。これからは、別々の道をいこう」

 蒼白な顔を見て、苦い罪悪感が込み上げた。だが、ほんの少しだけ、胸のすく思いもする。レインジールとたもとを分かつということは、本当の自由の始まりでもある。