メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

1章:古代神器の魔法 - 14 -

 雫が笑っている……。
 自慢の姉だった。綺麗でお洒落で、ネイルサロンで働いていて……、こんな女性になりたいと思っていた。憧れていた。
 旅行に行く前に、飛鳥は雫に頼んで、両手にジェルネイルをしてもらった。

“フレンチも可愛いよ。ストーン乗せる?”

“さり気ない感じがいい。手前は透明にして”

“ラメもいろいろあるよー”

 雫は部屋でネイルサロンを開けそうなほど、材料や道具を豊富に取り揃えていた。
 キャスター付の、大きな透明の収納ボックスには、山ほどネイルグッズが入っている。まるで宝石箱だ。雫のコレクションを見るのが好きだった。見ているだけでわくわくする。

“できたよ”

“わーい……”

 爪の先に向かって、淡い水色のラメでグラデーション風に仕上げてもらった。シンプルなネイルだが、ジェル特有の艶が出てとても華やいで見える。
 控えめな飛鳥と違って、雫は夏らしいターコイズブルー、赤や白を使った、目を引くデザインに仕上げた。親指の爪にはアメリカの国旗が描かれている。

“楽しみだねぇ”

“うん”

 二人共、夏休みの旅行をすごく楽しみにしていた。
 家族全員で一週間もの海外旅行だなんて贅沢、生まれて初めての経験だ。旅行までの日数を指折り数え、前日はわくわくし過ぎて眠れなかった。
 それなのに――……。




 明け方、目が覚めた。見慣れない、天涯の絵画が視界に映る。
 とても幸せな夢を見ていた。夢だと判った途端に、深い落胆に襲われる。現実はどうして、こんなにも辛いのだろう。胸が張り裂けそうに軋んだ。
 昨夜はあのまま、夕飯も摂らずに眠り続けていたらしい。
 飛鳥はベッドから起き上がると、デニムパンツ、借り物の長袖のシャツに着替えて、スニーカーを履いた。
 扉は簡単に開いた。鍵はかかっていないらしい。高級船室用の裏口の階段を使って、滑走路に上がった。
 空はまだ白み始めたばかりで、飛鳥の心を映したように、疲れた瀝青チャン色に染まっている。
 舷側げんそくから下を見下ろすと、まるで深い海の底を覗いているような気がした。深淵の暗い空を縫うように、白い鳥の群れが飛んで行く。雲はすごい速さで流れて行くのに、滑走路の上には不思議と殆ど風が吹かない。そよ風を感じる程度だ。
 この空に落ちたら、どうなるのだろう。
 古い知識を探しても、この空の果てがどうなっているかは判らない。
 頑丈な鉄柱に掴まり、鋼のフェンスの上に立ってみた。足場は悪いが、不思議と恐怖を感じない。
 落ちたら、死ぬのか。どこかに辿り着くのか。
 どちらでもいい。
 この世界に、飛鳥の求めるものは何もない。魔法は手に入れたけれど、一番欲しいものは絶対に手に入らない。

『アスカ?』

 ギクリとして振り返ると、いつの間にかルーシーがいた。とても硬い表情をしている。

“何をしてる?”

「……ルーシー、ごめんなさい。魔法の解き方、判りませんでした」

“何? 何を言っている?”

『*****、******?』

“飛び降りる気か?”

 飛鳥は笑おうとして失敗した。

「その通り、なんて……。ずっと心を読んで、ごめんなさい。でも、言葉は本当に判らないんです」

 ルーシーは飛鳥を見て、近寄りあぐねている。少し慌てているようにすら見える。いつもと立場が逆だ。

「魔法なんていりません。ルーシーが欲しいなら、あげたいくらいなんですけど……」

 ルーシーが一歩近づいたのを見て、鉄柱から手を離した。

『アスカッ!』

“危ない!”

 飛鳥の足場は、幅二十センチあまりしかない。踏み外せば落ちるだろう。それでも良い。ルーシーがあと一歩でも傍へ寄ったら、飛び降りるつもりだった。

『******、******』

「何で私だけ、生きているのか判らないんです……」

 両手をじっと見つめた。一度は死んで、魔法により蘇った肉体だ。

「期待外れでごめんなさい。でも私、お姉ちゃん達のところにいきたい」

 飛鳥はルーシーを見て、そっと囁いた。

「さようなら、ルーシー」

 小声過ぎて、聞こえなかったかもしれない。それでもいい。両腕を少し広げて、背中から空に落ちた。駆け寄るルーシーの姿を視界に映しながら、静かに瞳を閉じる。

 ――神様、お願い。私も連れていって。