メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

1章:古代神器の魔法 - 13 -

 ルーシーと殆ど入れ違いで、ロクサンヌが部屋に入ってきた。

「ロクサンヌ、お早うございます」

『****、アスカ』

“よく眠れた?”

 クールな美女は飛鳥を抱きしめると、額と頬にキスをした。それからクローゼットを開けて、てきぱきと衣装を並べていく。
 ロクサンヌは、大きな全身鏡の前に飛鳥を立たせると、次々に服を体に当て始めた。コーディネートしてくれるらしい。
 ここ最近の飛鳥の恰好は、下は自前のデニム、上は借り物の長袖シャツだ。この日も、それでいいと主張したが、ロクサンヌは着替えをさせたがった。
 しかも、ロクサンヌは意外と少女趣味で、やたらフリフリしたデザインの純白やパステルカラーのワンピースを着せたがる。
 結局、襟にレースのついたフリルブラウス、くるぶし丈のアンティークな生成り色のシフォンスカート、黒い幅広のウエストベルトを締めて、靴は編み上げブーツというスタイルで落ち着いた。
 全体的に女の子らしい恰好だが、アンティークな色合いと、ポイントに黒が入っているので、甘過ぎない、落ち着いた雰囲気だ。飛鳥的にも許容範囲である。
 髪も綺麗に梳かされて、シャンパン・ゴールドのリボンを頭の上で結んでいる。
 十六年間生きてきた中で、これほど女の子らしい恰好をしたことはない。普段は、制服以外でスカートを履かないのだ。
 完成した飛鳥を見て、ルーシーとロクサンヌはとても褒めてくれた。

『アスカ、可愛い』

“可愛い”

 昨日から頻繁に耳にしているので、「可愛い」という単語は覚えてしまった。相手が魔法にかかっていると知っていても、お洒落を褒められて悪い気はしない。
 身支度を整えた後、ロクサンヌが朝食を運んできてくれた。大理石のサロンテーブルの上に、湯気の立つ美味しそうな料理の数々が並ぶ。
 ルーシーも一緒にテーブルについた。
 カットしたマフィンの上に、ベーコン、ポーチドエッグ、チーズを乗せて、きつね色にトーストしたもの。グリーンサラダと、フルーツヨーグルト、新鮮なジュース。どれも飛鳥の好物ばかりだ。

『******?』

“美味しい?”

「美味しい」

 ルーシーに聞かれて、飛鳥は笑顔で応えた。明るい部屋で、誰かと食事を共にするのはいいものだ。
 隔離室と違い、この部屋には窓がある。窓から降り注ぐ自然の外光が、部屋を明るく照らしてくれる。
 日射しは偉大だ。
 食後の紅茶を飲み終えると、ルーシーは艦内を最上甲板から順番に案内してくれた。
 最上甲板は一面広大な滑走路になっており、いつでも出撃可能な戦闘機が十数機ある。船尾には操船等を行う船橋ブリッジや管制室があり、ボイラーが複雑に入り組んでいる。
 舷側げんそくには砲身の長い機関銃座が配備されている。
 第一甲板は空に面した設計の開放式格納庫で、大小様々な戦闘機が格納されている。その下の第二甲板は屋内格納庫になっており、ここにも見渡す限りの戦闘機が格納されている。
 第二甲板から最上甲板までを貫く、直通の巨大リフトが設置されており、戦闘機の移動等に使っているようだ。
 甲板の上から下まで、大勢の整備士達が忙しそうに動き回っている。艦上戦闘機は見るだけでも、数百はありそうだ。それら全てを整備するのは、さぞ大変であろう。
 壁に寄って第二甲板を眺めていると、ルーシーは支柱の一つを指差した。灰色の柱に、記号や文字がペイントされている。

『アスカ、*****ローズド・パラ・ディア******……』

“当艦の名前だ”

「へぇ……」

 そう言われると、あちこちで同じ文字を見かけた。
 この空母は「ローズド・パラ・ディア」という美しい名前を冠しているようだが、実態は危険極まりない、巨大な殺戮マシーンだ。
 ルーシー達は、一体どんな敵と戦っているのだろう。
 これだけの軍事力を備えているということは、この国は今でも、どこかの国と戦争をしているのかもしれない。
 アンジェラ達は知っているのだろうか。
 かつて偉大な双子の精霊王は、この国と隣国の戦争を止めるために、巨大な大陸を、空と海の二つに分けた。そうまでして戦争を止めたのに、今は別の戦争をしていると知ったら、どう思うだろう。

『******?』

 物思いにふけっていると、隣を歩くルーシーに、気遣わしげに声をかけられた。飛鳥は曖昧に微笑む。あらためて第二甲板を見渡すと、こちらを興味深そうに眺める、何人もの整備士達と目が合った。

“艦長は、どうされたのだろう……”

“なぜ、自由に外を歩いているのだろう”

“外に出していいのか?”

 疑念に満ちた思考ばかり。ふと、彼等の中に見知った顔を見つけた。リオンだ。

「リオン!」

 黒髪の気のいい操縦士は、飛鳥に気付くと笑顔で駆け寄ってきた。

『アスカ、*****、可愛い*****』

「ありがとうございます」

 リオンに褒められて思わずにっこりすると、ルーシーに肩を引き寄せられた。

“一級操縦士。リオン大尉か。そうか、部屋にあったのは彼が……”

 飛鳥は頷きそうになるのを必死に堪えた。リオンの親切を、ルーシーに余すところなく伝えたい。言葉を話せないもどかしさが歯痒い。
 リオンは不思議そうにしながらも、背筋を伸ばしてルーシーに敬礼している。

“艦長は、どうされたのだろう”

“いい腕だと聞いている”

 リオンの目にも、ルーシーの態度は不自然に映るらしい。しかし、何があっても彼にだけは魔法をかけたくない。偽りのない親切を偽りに変えたくない。
 リオンと別れた後、ルーシーと飛鳥は第三甲板へ降りた。
 そこは巨大な居住区で、船首側には数千人規模を収容可能な共同船室が並ぶ。船尾側は高級居住区になっており、艦長室や、昨夜飛鳥が泊まった豪華客室も船尾側にある。更に、多目的ホール、図書室など多くの公室もあった。
 それにしても広すぎる。第三甲板を見終わる頃には、くたくたになっていた。滑走路や艦内を、小型機やレールに掴まって移動するのも納得がいく。

『アスカ、********』

“疲れた?”

「くたくたです」

 昼を過ぎた頃、ルーシーは艦内見学を中断して、飛鳥を艦長室に招いた。
 さすが艦長室。ビーダーマイヤー様式を思わせる、クラシックな家具で整えられた格調高い部屋だ。書斎机や本棚、布張りのソファーにいたるまで、光沢のある胡桃や、マホガニー象嵌ぞうがんで統一されている。
 ふと、硝子張りのワイン・キャビネットの上に、空母「ローズド・パラ・ディア」を模したボトルシップの置物を見つけた。恐ろしく精巧な造りをしている。硝子瓶の中で、リアルに雲が流れ、ミニチュアの空母が動いている。

『******……』

“気になる?”

 ボトルシップを凝視していると、傍にルーシーがやってきて、いろいろと説明してくれた。残念ながら、理解することは難しかったが……。
 ルーシーは艦長室の窓を開けて、空に面したテラスに連れ出してくれた。素晴らしい絶景だ。青空と白い雲、空に浮かぶ小島の数々、遥か彼方に三つ並んだ巨星の薄影が見える。
 至れり尽くせりの、贅沢なランチを満喫し終える頃には、飛鳥はセレブな気分にどっぷり浸かっていた。惜しみなく与えられる贅沢に心が麻痺して、ルーシーに魔法をかけた罪悪感すらも忘れかけた。
 しかし――。
 アフタヌーン・ティーを楽しんだ後、第四甲板を案内してもらっていると、廊下の向こうからカミュが歩いてきた。目が合った瞬間に、浮かれていた気持ちは一瞬で萎んだ。

『********』

“いい身分だな”

『カミュ』

 ルーシーは剣のある口調でカミュの名を呼んだ。途端に、空気は緊迫に満ちる。

“どうしたんだ、彼は。本当に様子が変だな……”

 緊張して固くなる飛鳥の肩を、ルーシーは守るように抱き寄せる。カミュは探るような眼差しで飛鳥を見つめた。

“アスカが来てからだ。何をした?”

 飛鳥は項垂れた。後ろめたくて、カミュの瞳を真っ直ぐに見られない。

“どうやって、ルーシーに取り入った? ただの子供に見えるが……”

『カミュ、***。アスカ*******』

“アスカが怖がっている”

 ルーシーがカミュの態度を嗜めると、カミュは飛鳥に冷たい一瞥を向けて、その場を立ち去った。
 飛鳥はもう楽しく艦内探検をする気分ではなくなっていた。もう誰にも会いたくない。疲れたように肩を落とす飛鳥を見て、ルーシーは第三甲板の豪華船室まで送ってくれた。
 一人になると、さっさとネグリジェに着替えてベッドに潜りこむ。

 ――私、何やってるんだろう……。

 何も考えたくないのに、鬱屈を払えず負に満ちた自問自答を始めてしまう。
 どうして死んでしまったのか。どうしてこんな所にいるのか。どうして飛鳥だったのか。どうして……。




 誰も、答えてはくれなかった。