メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

2章:キスと魔法と逃走 - 7 -

 ユーノは飛鳥を抱えたまま、瞬く間に昇降階段を駆け上がり、第二甲板――屋内格納庫に辿り着いた。
 数百はありそうな、大小様々な戦闘機が格納されている。
 ユーノはそのうちの一つに駆け寄ろうとしたが、前方にカミュが複数の兵士を従えてバリケードのように立ちはだかった。

「カミュ、メル・アン・エディールッ!」

 飛鳥は魔法を使うことを、少しも迷わなかった。しかし、声は届いたはずなのに、カミュは微塵も表情を変えない。

「何で!?」

 穴が開くほどカミュを見つめて、彼がヘッドギアのようなものを耳につけていることに気付いた。あれで音を遮断しているのかもしれない。

『*******!』

“仕留めろ”

 カミュが飛鳥とユーノに向かって、攻撃指示を叫ぶ。ほぼ同時に飛鳥も叫んだ。

「ユーノ、カミュが耳につけてるの外してっ!」

 カミュを指して、身振りで耳のギアを外すよう伝えると、ユーノはすぐに頷いた。

“はい”

 ユーノは柱の陰に飛鳥を降ろすと、風のようにカミュに駆け寄り、言われた通りに彼の耳から、ヘッドギアのようなものを無理やり外した。抵抗するカミュの声が聞こえる。飛鳥は構わず、もう一度叫んだ。

「カミュ、メル・アン・エディールッ!」

 今度は効いた。カミュは戸惑ったように、離れたところから飛鳥を見つめている。次いで背後の武装兵達を振り返り、何かを命じて警戒態勢を解いた。

「カミュ、ごめんなさい! 見逃してっ!」

 飛鳥が叫ぶと、カミュは弾かれたように飛鳥を見つめた。訳が判らない、という顔をしている。
 ユーノは飛鳥の元に戻ってくると、再び軽々と横抱きにして持ち上げた。飛鳥もユーノの首にしっかり腕を回して身体を固定する。

“なぜか、副艦長が武装解除を命じました。今のうちです”

 飛鳥は目を丸くした。カミュは副艦長らしい。階級は高いのだろうと思っていたが、まさか副艦長とは思わなかった。だから艦長であるルーシーとも、対等に言い合えていたのだろうか。

『アスカッ!』

 カミュが叫んでいる。飛鳥は一度だけ視線を投げたが、すぐに前を向いた。
 ユーノは機体の一つに駆け寄ると、前後に車輪のついたホバーバイクの後部座席に飛鳥を座らせた。自分は操縦席に跨ると、操作卓コンソールをいじって機動させる。

『アスカ、****』

“掴まってください”

「はいっ」

 飛鳥はシートに備え付けられた、低めのレバーを固く握りしめた。
 ユーノがホバーバイクを機動させた途端、フォンッと静かな駆動音が鳴り、機体は細かく震動を始めた。
 天井のレールから垂れ下がるケーブルフックが、機体の上下を挟みこみ、そのままリフトのように運んでいく。機体用の大きな昇降口まで平行移動し、最後は垂直移動で第一甲板まで引き出された。
 第一甲板は空に面した滑走路だ。風が吹いて、隊帽からはみ出た飛鳥の髪を揺らす。
 今度は地面のレールに車輪がセットされる。ターンテーブルまで自動的に運ばれると、カチッと小さく音が鳴り、台座ごとくるりと飛行甲板の左舷を向いた。カチンッとフックの外れる音がする。

“行きます”

 ユーノの宣言と共に、ホバーバイクは驚くほどスムーズに加速し始めた。予想外に風圧は少ないが、それでも過大な加速度に負けて、シートに思い切り背を押し付けなければならなかった。
 前後の車輪は直ぐに水平になり、ローターへと役割を変える。
 機体は地面から一メートルほど上に浮いた状態で、滑走路を一気に駆け抜けた。青白い排気炎の尾を引きながら、あっという間に闇夜の空に飛び出す――。

「いやぁ――っ!」

 地面が消えた途端、飛鳥は悲鳴を上げた。
 つい先日、こんな体験をしたばかりだ。またしても空を真っ逆さま――とはならなかった。ホバーバイクは鳥のように、滑らかに空を滑空している。

“しっかり掴まってください。ブースターを機動します”

 ブースターとは何だ。飛鳥が返事するよりも早く、ホバーバイクは更に加速した。飛鳥は怖くて、しばらく眼を開けることが出来なかった。
 左右を流れゆく雲の早さが尋常ではない。恐らく目には見えない、防風シールドでも機体に張られているのだろう。でなければ、こんな高速で空を翔けているのに、そよ風しか感じない説明がつかない……。
 脱出成功――飛鳥は期待に胸を膨らませたが、不穏な駆動音を耳に捕えて、恐る恐る振り向いた。
 背後から武装したホバーバイクと、翼を持つ戦闘機による戦隊が迫ってきている。見逃してはくれないようだ。

「追い駆けてきたよ!!」

“甲戦――艦上機です。二個小隊六機、夜間航空機七一型「閃光」。背後に一個小隊三機、捕獲網搭載複葉機「茨」。計九機。いずれも第十七航空戦隊所属機――艦長の麾下きか精鋭です。標的は僕と飛鳥”

 ユーノは空戦状況を冷静に解説してくれたが、まるで判らなかった。しかし「標的」という不穏な言葉にひやりとさせられる。ユーノは飛鳥の緊張を察したように、言葉を付け加えた。

“爆撃が目的ではありません。我々の捕獲です。左右の挟撃きょうげきから捕えるつもりでしょう”

「どうするの!?」

“相手は中攻ですが、直線において最高速度二百三十ノットを発揮する新鋭機です。浮島の密集地帯に誘い込み、躱しましょう。抜けたらバビロン上空を南下し、旧市街カナンを目指します!”

 飛鳥達の進路前方に、空に浮かぶ小島の密集地帯が現れた。ユーノは速度を落とさない。視界の悪い夜間に、あんな障害物の多い空を飛んで平気なのだろうか。
 飛鳥はハラハラしたが、ユーノの操縦技術は素晴らしかった。
 速度を落とさないまま、巧みに機体を操り、夜陰に紛れて岩壁の合間をすり抜けて行く。紙一重の距離感だ。
 まさに神懸かむがかりの曲芸飛行。
 今にも激突しそうで、とても見ていられない。飛鳥は恐怖のあまり目を瞑った。
 しかし、背後から不穏な音が聞こえてくる。闇夜に不気味に光るスタイリッシュな戦闘機の後ろから、主翼を二枚持つ機体が複数現れた。恐らく、あれが複葉機なのだろう。
 複葉機は両翼に取りつけられたタンクから「バシュッ」と重たい音を響かせ、白い何かを噴射した。それは飛鳥達の進路前方に、網状に勢いよく広がる。まるで蜘蛛の糸みたいだ。

“被弾すれば機動を止められます。全速力で振り切ります。しっかり掴まっていてください”

 ユーノはぎりぎりまで機体を傾斜して、紙一重でかわした。
 重たい横Gが全身にかかり、飛鳥は必死にレバーを握りしめた。あの白い網に掴まったら最後だ。後ろから追い駆けてくる機体は何機もいるが、ユーノは地形を生かして、何度も避けた。
 ドォッ――!!
 追い駆けてきた機体の一つが、宙に浮かぶ小島に激突して、激しく火を噴いた。赫灼かくしゃくたる赤。折れ曲がった機体は空の深淵に落ち、屑鉄の塵芥じんかいはパラパラと大気に舞う。背中を押す熱風が、飛鳥の頬を撫でていく。

「――っ!!」

 飛鳥は泣きそうになった。
 逃げたいだけで、誰かを傷つけたいわけではない。しかし、操縦士の安否は絶望的に見える……。