PERFECT GOLDEN BLOOD

2章:美しい館ベル・サーラの住人たち - 2 -

 彼に邸の案内をしてもらいながら、小夜子は内装の素晴らしさに賛嘆のため息を度々漏らした。
 各部屋の扉には重厚な彫刻が施され、廊下の照明器具は、全て金の円環、或いは壁にかけられた燭台だった。三階のフロアの半分は、全てルイの所有らしく、広々とした部屋が五つあり、バスルーム、キッチン、共用のダイニングとリビング、書斎を備えているという。
 ルイは先ずバスルームに案内すると、バスタオルや備えつけのアメニティグッズについて説明した。
「ここにあるものは、何でも好きに使って。欲しいものがあれば、ジョルジュに頼むといい。何でもそろえてくれる」
「お気遣い、ありがとうございます」
 小夜子が深々とお辞儀をすると、ルイはにっこりした。
「キッチンはこっちだよ」
 シンプルで広々とした最新のシステムキッチンを見て、小夜子は目を輝かせた。
「食事はジョルジュが用意してくれるけど、一通りの道具はそろっていると思うから、良かったら使って。冷蔵庫には――」
 そういいながら、ルイは冷蔵庫を開いた。レモンとライム、Bacardiの銘柄のラム、赤ワイン、それから無地の銀パックが十数個入っている。
「御覧の通り、まもとな食料は入っていない。ジョルジュにいえば、ジュースでも野菜でも何でも補充してくれるよ」
「奥にあるパックは何ですか?」
 表面に数字のシールが貼ってあるだけで、製品名も、装飾ラベルも貼ってない。
「あ――……これは僕専用のプロテイン。特殊な成分が入っているから、小夜子は口にしてはいけないよ。間違いなく、お腹を壊すからね」
 ルイは微笑し、優雅だが、どこか脅すような口調でいった。小夜子が頷くのを見て、視線を和らげる。
「レンジでもオーブンでも、どうぞ好きに使って。トースターと珈琲サーバ、それからウォーターサーバーもあるよ。あと、食洗器」
 キッチンの棚に格納されている食洗器を見て、小夜子は思わず歓声をあげた。
「すごい! 食洗器のあるキッチンって初めて見ました。何でもそろっていますね」
「殆ど活用していないけれどね。良かったら、小夜子は好きに使って」
「はい、ありがとうございます」
「小夜子の部屋はこっち」
 ルイは自分の部屋と隣あった部屋に小夜子を案内した。
 大きな窓のある広い部屋で、中庭やアカシアの大樹がよく見える。内装はクリーム色と群青色を基調としており、天鵞絨ベルベッド生地のかけられた天蓋つきのアンティークな四柱式ベッド。壁際に置かれた十九世紀のヴィクトリアン・キャヴィネットと金箔張りの椅子。漆喰装飾の施された化粧机。バルコニーの外には、可憐な錬鉄製のティーテーブルが置かれている。
 胡桃材の机の上には、三十五インチのワイドモニタがあり、机の下を覗きこむとG-TuneのハイスペックなゲーミングPCがあった。
 内装といい設備といい、信じられないほど豪華だ。ぽかんとする小夜子を見て、ルイはほほえんだ。
「気に入った?」
 ルイの声に、小夜子は我にかえった。
「はい! びっくりしました。素敵なお部屋ですね」
「なんでも自由に使って。足りないものがあれば教えてね」
 小夜子はすっかり恐縮してしまい、肩を縮こまらせた。
「十分です。なにからなにまで、すみません」
「いえいえ……ところで、僕の部屋は隣なんだけど」
 ルイは言葉を切ると、少しばかり緊張した様子の小夜子を見て、悪戯っぽくほほえんだ。
「扉に鍵はついているから、安心して」
 おどけるようにいって、古風な真鍮の鍵を小夜子に渡した。
「ありがとうございます……」
「いつでも僕の部屋にきていいからね」
 ウィンクされて、小夜子は朱くなった。気障な仕草なのに、ルイがすると似合いすぎて困る。
「あは、遠慮しておきます……」
 笑ってごまかしつつ、共用のリビングを見回した。内装はアンティークな家具で調ととのえられているが、壁掛けの六十インチの液晶テレビ、加湿器、空調設備、内線電話まで最新機器が一通りそろっている。
「さて、食事の準備が整うまで時間がある。先にシャワーを浴びる?」
「あの、訊いてもいいですか?」
 小夜子は慌てて口を挟んだ。
「何?」
「さっき話していた食屍鬼グールは、ここには入ってこれませんか?」
 ルイは笑った。
「向こうからきてくれたら、探す手間が省けてありがたいね。野生の本能が死んでいるか、イカれた自殺願望でもない限り、ここへはやってこないよ」
「夜でも?」
「もちろん。ここは世界で一番安全な場所だよ。核シェルターよりもね」
「ふぅ、良かった……」
 小夜子は安堵のため息をつくと同時に、身に みついた憂鬱な念に駆られた。彼もそうなのだろうかと思い、こう訊ねた。
「ルイさんは贈りものギフトを持っていて……」
「うん?」
「……辛いですか?」
 ルイは虚を衝かれた顔になった。
「私は、霊なんて視えない方が良かった。そんな贈りものギフトなら欲しくなかった。普通が良かった……」
 表情を翳らせた小夜子の手を、ルイはそっと握った。
「よく判るよ……理不尽だよね。自分ではどうしようもできない、避けようのない災難に、嫌でも立ち向かわないといけないんだから」
「……」
「小夜子はよくやっている。本当にえらいよ」
 思いのこもった声を聞いて、小夜子は突然、視界が潤むのを感じた。慌てて瞬きを繰り返し、涙をやり過ごす。
「僕も、贈りものギフトなんて欲しくなかった。理不尽だと思ったし、腹が立って仕方がなかったよ。でもね、今は少しだけウルティマスに感謝しているんだ……小夜子に出会えたから」
 小夜子が顔をあげると、賛成の言葉を期待しているかのような、熱っぽい銀色の目と遭った。
 小夜子は照れかくしに髪を耳にかけ、視線を伏せた。
「……今まで、誰にも信じてもらえなかったけど、ルイさんは、本当に視えるんですね」
「視えるよ。幻覚なんかじゃない、ああいった存在は本当にいるんだ」
 視線を伏せたまま、小夜子は目を瞠った。彼の言葉に、自分を肯定されたような、不思議な安心感を覚えていた。
「ところで何度もいうようだけれど、ルイでいいからね。さんはいらない」
 小夜子は小さく笑うと、おずおずと顔をあげた。
「なかなか慣れなくて……ルイは謎だらけですね。こんなにすごい豪邸に住んでいるし」
 ルイは寛いだ様子で、肩をすくめてみせた。
「そうかな?」
「そうですよ。皆びっくりするんじゃないですか? この豪邸を見たら」
「皆って?」
「……彼女とか?」
 つい、探るような疑問口調になり、小夜子は内心で舌打ちをした。幸い、ルイは戸惑った風もなく笑っている。
「恋人はいないよ」
「……(嘘だぁ)」
「本当だよ。僕には秘密が多いんだ。気軽に女の子とつきあったりできないんだよ」
 心の声を読んだように、ルイは急いでつけ加えた。小夜子は再び俯いた。
「……そういうことは、他の子にいってください」
「君以外にいってどうするんだ? いっておくけど、ここへ女の子を連れてきたのは、小夜子が初めてだからね」
「……(絶対、嘘)」
「本当だよ。小夜子は特別なんだ」
 女を口説く常套句に聞こえるが、ルイのように完璧で規格外な麗人が、小夜子を口説くというのも奇妙な話である。
 胡乱げに黙りこむ小夜子のつむじを見下ろして、ルイは困ったように髪をかきあげた。
「参ったな……どうしたら、信じてくれるの」
 本当に困ったような声でいうので、小夜子は申し訳なくなり、頭をさげた。
「ごめんなさい、嫌な態度をとったりして」
「Non. 謝らないで。強引に連れてきた僕が悪いんだ。信頼してもらえるように、これから頑張るよ」
「……」
「さて、シャワーはどうする?」
 ルイが空気を変えるように、明るい口調でいったので、小夜子は安堵の笑みを浮かべた。
「浴びたいです。いいですか?」
Bienビアン surシュール. こっちだよ」
 ルイの後ろをついていき、浴室に入ると、小夜子は瞳を輝かせた。
 大理石の床にはめこまれたジャグジーの広いこと。銭湯と勘違いしそうになる。
 白いタイルの上に、大きな猫脚のジャグジーが設置されている。傍にはスタンド式の燭台。
「すごーい……お城みたい」
 バスルームの棚には、雑貨屋のように、あらゆる入浴剤がずらりと陳列されている。LUSH、SABON、SantaMariaNovella……どれもお洒落な容器ばかりだ。
「気に入った?」
「とっても!」
 小夜子はくるりと振り向いて、満面の笑みでいった。ルイの表情が和む。と、何かを思いだしたような様子で、ちょっと待っていてと部屋に戻り、手提げを持って戻ってきた。
「さっき、千尋から受け取ったんだ」
 いつの間に? と思いつつ、小夜子はGelato Piqueのタグがついた、ラッピングされた布製のギフト袋を受け取った。
「着替えが入っているみたい。彼女の趣味だから、あわないかもしれないけど。良かったら使って」
「ありがとうございます」
De rienリエン. Ma julietteジュリエット
 長身を屈めて小夜子の額にキスをすると、頭にぽんと手をおいてから、扉を閉めてでていった。
 残された小夜子は、しばし額を手でおさえて立ち尽くしていたが、やがて思いだしたように包みを開けた。なかには白地の下着と、かわいらしいGelato Piqueのルームウェアが入っていた。いずれもタグがついていて、新品と判る。
 自分では先ず買わないであろう、リボンがプリントされたキャミソール、フリルのついたショートパンツ、フロントに苺を刺繍されたパーカー。見る分にはかわいいが、着るには少し勇気がいる。
(……借りる身で文句はいえないよね。しかも新品)
 小夜子はバスソルトの瓶を眺め、SABONの柑橘のフレーバーを選んだ。
 髪を洗って、身体を流す頃には、浴槽に十分な湯がたまっていた。バスソルトをかき混ぜて、身体を沈めると、たちまち心地よい温もりの虜になった。
「はぁー……」
 思わず恍惚のため息が唇からこぼれてしまう。怒涛の展開のなか、崖から飛び降りるくらいの勇気をもってここへきたのだが、まさかこんな贅沢が待っているとは思ってもみなかった。
(ルイさんって本当にお金持ちなんだなぁ……)
 普通に暮らしていたら、先ず接点のない別世界の人間だ。こうして彼の家で風呂に入っていることが、まだ信じられない。
 爪先がぽかぽかするまで温まってから浴槽をでると、淡いパステルカラーの、柔らかなパイル生地の上下に着替えた。ドレッサーの前に座り、美容品を物色して、化粧水と乳液をつけてパウダーをはたく。
 スマホを手にとり、風呂からでたとルイに知らせようか迷っていると、扉をノックする音がした。
「小夜子、準備できた?」
 ルイだ。小夜子は慌てて返事をしてドアを開けた。